第二十一話/南方都市

 ミヤマ村から南都への道中、一度全員が謎の腹痛に襲われた以外は無事何事もなく平穏無事な旅路を辿った。それは逆に不自然な程に真っ白な日記になったのだけれど、しかし、フィフティさんとユリウスがソウルを狙う手の者ではなかったと考えると——まあそうホイホイ命を狙われても困りものだし、理にかなってもいないので本来の旅の姿に戻ったとも考えられよう。展開的にはつまらない、刺激のない旅路とはなってしまうものの平和というかけがえもない溶き卵みたいな狂った浪漫に最も近いところでタンゴを踊るのも乙なものだ。


 まあ、それはそれとして。


「やってきました、南都〜‼︎」


 年甲斐もなくはしゃぐとしよう。

 南都付近は不思議と温泉がよく湧くため、基本的にどの地域に比べても気温が高い。街中にも源泉掛け流しの小川が血管のように張り巡らされており、そこに漬けられた卵はトロトロでこれまた美味いのなんの。ちょいとばかし鼻をつく腐った卵みたいな匂いが玉に瑕だが、完璧な真球なんてものはこの世に存在出来ないらしいのでモーマンタイッ!


 テーマパークに来たみたいでテンション上がっちゃうよ。


「ほらヴァン行くよ。早くして」


 僕が道端の屋台でトロトロ卵を買い食いしつつフラフラと右へ左へ彷徨いていると雇用主からそんなお申し付けをされてしまったので、仕方なくそそくさと彼の尻を追いかけて行く。追いついたところでソウルにもトロトロ卵を分けようと差し出してみたけれど、曖昧な笑みで断られてしまった……苦手だったりしたのだろうか? 一応温泉で加熱殺菌はされているため道中の腹痛的なハプニングは起こらないハズなのだが、まあ食べたくないと言っている人に無理に実食を勧めるのはいけない。これは僕が責任を持って平らげよう。


「ところでさ、マジに信用してんのアイツのコト」


 あれこれしている内に遥か前方へと言ってしまった二人組を指して、僕はソウルに対して「これから起こることの全てに後悔はない」のかと最終確認を行う。


「信用するよ、俺は。別に他人を疑わないってワケじゃないんだ……決してさ。ただ、この後彼らに裏切られたとしても、ユリウスさんのフィフティさんへの思いだけは偽物なんかじゃないんだって……そこを信じてみたい。結局、信頼になっちゃったね」


 明るさじゃない。

 馬鹿でもない。

 ただこいつは——人と人との間の縁、その純粋さを感じているのだ。誰かに与えられた優しさが万人に与えられるものではなかったとしても、微かにそんな気持ちを持っているのであれば他にも同じことが出来るのはずだと……厳しい瞳で強要してくる。


「イイんじゃない、それで」


 それでも僕は、肯定する。

 肯定し続けることでしか彼は救われないのだから。


 南都の聖堂へは、そう時間も掛からずに到着した。


 南都——つまり南で最も盛んな都市であるだけに見上げるほどに高くそびえる聖堂は、しかし街の外観を損なうことのないよう配慮がされており、本来であれば白樺造りのところを別の……檜かあるいは松だろうか。焦げ茶色の木材が建材として採用されている。


 ゆで卵について語ることで通を装ってみたけれど、教会の信奉者ではない僕、ヴァン・アストライアは南都の教会に立ち寄った経験が無く、何ならこの目に入れたことすらも初めてなのではないだろうか。旅では街の建築を見て回るのも楽しみのひとつではあるのだが、花より団子、僕はそんなものよりも食べ物に目が入ってしまう節があるため言うほど街中について造詣は深くない。


 詳しいのは逃走経路のために半分暗記してる街の地図くらいってね!

 笑えよ。


「そんなことはいいんだよ」


 どうだって。


「どしたん急に」


「いやさ、ソウルさんよ。頭でうだうだ考えた結果を口に出して言いたくなることとかない?」


「あるけど、今やる?」


「フリーな生き方を目指してるから」


「充分フリーな生き方してるフリーターだよ」


「ヤメレ」


 僕らの仲睦まじい姿を見て羨ましいのか、ユリウスにさっさとしろと言わんばかりの真冬の滝壺並みに寒々しい視線を向けられてしまったので、ソウルとの絆コミュニケーションはこのくらいにして聖堂内部へと足を踏み入れる。真正面から政府高官の施設に入り込むなんて全く僕にゃ関連性のないタグだと思っていたのに、よもやこうして行うことが出来ようとは……人生とは実に面妖な運命の積み重ねによって成り立っていやがる。例えるならば林檎を切って食べてみたら梨だった、みたいな。

 よくわからんな。


 聖堂内部は絢爛豪華、といった雰囲気ではなかった。逆に質素で物が少なく、清廉……あるいは清貧とでも言うのだろうか。片田舎の塾のような、粛々としていながらも人と人との繋がりを思わせる暖かみのある空気感。昼間の聖堂というのは、こういうものなのか。


 僕がぼうっと物珍しいものを見ている間に、ソウルは仕事中の職員の方を捕まえて事情の説明をしていたらしい。気を抜いて壁や天井を舐め回すように見入っていて皆が奥に通されていることに気が付かずにいると、突如首根っこを掴まれて結構ビビったがコレに関しては弁解の余地なく僕が十割負担で悪いために何も言えない。強いて上げるのであればもう少し肩を叩くとか優しくしてくれてもよかったんだよ、とかその程度だろうか。


 非は認めるよ。

 こっちがぼけっとしてたのが悪かった。


「こちらです」


 一般的に教会と言ったらそこを指すであろう礼拝堂を抜けて二階に上がり、通されたのは執務室だろうか。中央奥寄りには意匠の凝った木製の机があり、その机によく合った色味の薄い革張りの椅子には一人の男が腰掛けて机上に積まれた書類の処理を行なっている。


 先頭を歩いていたソウルが男の対角上で足を止めたため僕もそれに倣い、またその僕の後ろを歩いていたユリウスもこれに倣った。


「うむ。すまないが、少し待ってくれないか」


 書類から目を上げることなくそう告げた男に多少の腹立たしさを覚えずにはいられなかったが、教会……そして部屋の空気感からして眼前の男が重役であることは察しが付く。下手に手を出してソウルに迷惑を掛けるワケにもいかないため、微かな怒りは飲み込んでおく。


 男は時折ウェーブがかった髪をガシガシと乱雑に掻きながらも手を進め、そう長い時間僕らを待たせずに顔を上げた。


「うむ。久し振りだね、ソウルくん」


「サウロさん、お久し振りです。お元気そうで何よりです」


 男……サウロと言うらしい男は顔を上げると親しげにソウルに挨拶を行い、次いで視線を横に流していった。


「君は……うむ、先日の。フィフティさん、脚が戻ったようだね。うむ。ソウルくんと一緒ということは西都に行ってきたのかい?」


「その節では、お世話になりました。フィフティの脚は、ソウル・ステップさんの手元にあるヤハウェオブジェクトにより取り戻すことが叶った次第です」


「うむ、それは良かった。フィフティさんも元気そうで何よりだ」


「………………ゥ」


 優しげな瞳に語り口調。やや不健康気味な顔色ではあるが、顔立ちはどこか気品を感じる。額などに皺が刻まれてはいるがまだ余り目立たないところを見るに、歳は初老といったところかな。


 信用してくださいと全身で語るように見えるのは育ちのせいだろうか。胡散臭さはあまり感じないけれど、それが逆に僕らみたいな捻くれ者からしてみれば怪しく思えてしまうのは……こちらの育ちの悪さ故だろう。


「そして君は……うむ、初めましてだね」


 知り合いへの挨拶を終え、最後に不審者へと声を掛ける。


「こちら、私の護衛であるヴァン・アストライアです」


「ご紹介に預かりました、ヴァン・アストライアと申します。西都よりソウル・ステップ様の護衛を担当させていただいている次第です」


 ソウルの挨拶に乗っかる形で、みかけばかりの挨拶を試みる。こうした礼儀礼節といったものは得意分野ではないのであまり行いたくはないのだけれど、逃げ場がないのであれば致し方ない。暗殺者が礼節を心得ていなければお偉いさんの暗殺に困るだろうと思われるかもしれないが、僕ってばそっち系のジャンルの殺しではなく影に隠れ忍んで殺すタイプだから……ね、仕方ないね。


「アストライアくんか。うむ、よろしく頼むよ。私はサウロ・エテラン。力及ばないところはあるが、南都の長をやらせて貰っている」


「よろしくお願いします」


 なんて、平生を装っているが内心結構焦っている僕だ。

 サウロ・エテランて……嘘じゃん。サウロ・エテランと言えば真っ先に思い浮かぶのは「南方聖堂の最高議席」であること。つまりここ南都のトップオブトップだ。央都のブルーマーガレット中央大聖堂で三年に一度行われる司祭会議で教主に次ぐ発言権を持つ四方司祭の一人。


 こんな簡単に会えてしまうのか。

 いやまあボンボンのソウル居てこその出会いだろうけれども、それにしたってだろう。歩いていたら不発の地雷踏んだようなもんだろこの状況……どんな不安だよ、ったく。


「うむ。それで、ソウルくん。今日はどうしたのかな? 西方聖堂の件ならば、既に中央大聖堂の手に渡っているから私に何かを求められても手出しは出来ないよ」


「いえ、まあその件も気にはなっていましたが……中央大聖堂が動いてくれるなら、安心ですね。えぇと……今日は、ヤハウェオブジェクトについて訊きに来ました」


「むう。父上から説明を受けていないのかい?」


「はい。父は私にこれを託し、央都へ向かうように……とだけ」


「うむ、うむ……」


 顎に手を添えて深く考えるように頭を軽く下げ、熟考に耽るサウロ氏。


 責任ある立場の人間は一挙手一投足に気を配らなければならずに不自由そうだと、自由を体現したような生き方をしているソウルの言うところのフリーターである僕は他人事という面をして考えてみたのだが、瞳だけを動かして僕を射たサウロ氏を受けて、僕もまたソウルやサウロ氏とどうように生まれ——名前に縛られていることを思い出してしまう。


「ヤハウェオブジェクトについて、という話だが……それの何について知りたいのかな? それによって、色々と話が変わってくるだろう?」


「大きくは二つ、成り立ちと曰くを知りたいです」


「うむ、うむうむうむ。成り立ちというのはヤハウェオブジェクトが如何様に出来上がったものなのか、という意味なのか……はたまたヤハウェオブジェクトが何故に御神体として五都の各聖堂に納められているのか。どちらだろうか? 前者であれば、それは私の知識の範囲にはないから答えは中央大聖堂に求めて欲しいけれど、後者であれば、微力ながら力にはなれるだろう」


「どちらも……だったのですが、では、後者をお聞かせ願えますか?」


「うむ、構わないよ。君とていずれは知ることになった話だからね。それがかの御仁の口から発された言葉なのか、私の口から出た言葉なのか……その程度の違いで意味に異なりはないからね」


 言うと、サウロ氏はゆったりとした緩慢な動きで立ち上がり、こちらからは見えない机の向こうに立て掛けてあったらしい杖を突いて執務室の扉へと向かって移動を開始した。


「場所を変えよう。より適した場所へ」


「サウロさん、足を悪くされたんですか?」


「うむ、少々みっともない捻り方をしてしまってね……医者にはもう足首から先は動くことがないと言われたよ。まあそれでも左足が残っているから歩けるのだから問題はあるまいに」


「そうですか……」


「そんなに不思議かい? 私も、充分年寄りだよ。温泉に浸かって湯治ばかりしているせいで若く見えるだけでね」


「いえ。最後に会ったのがパーティーの時だったので……父とかけっこをしている印象が強く残っていまして」


「ああ、そうだね。確かにそうだ」


 たおやかに微笑むサウロ氏とやらかしたと言わんばかりの後悔で埋め尽くされた顔のソウルとの対比。


 まさしく爺さんの本人は気にしてないけどちょっと重くて聞いた側が気まずくなる話をされた後ではないか。オモシレー。僕も村の婆さんから飢饉でロクに飯が食えなかった時の話を聞いた後はあんな顔をしていたんだろうなぁ。なんで老人ってヘビー級の話をペラペラと簡単に話すのだろうか……もう過去の記録で現在進行形ではない上に生い先短いから恐れるものがないからだろうか。死ぬまで永続する無敵状態に入っている的な?

 まあいいか。


 僕も生きてりゃその内わかる時が来るだろうさ。そんなババアになるまで生きていられるかどうかは知らないし、この生き方を続けてたら多分そうなる前にのたれ死んでいるだろうけど。


「なあ」


 どこへ向かっているのかすらわからないサウロ氏の後を列を成して進みながら、後ろを歩くユリウスへと蚊のまつ毛が落ちる程度の声量で声を掛ける。


「サウロさんとどんな関係なんだよ。お前、不法侵入って言ってなかったか?」


「ああ、それなら……フィフティが反応して無理に動こうとするから不法侵入してヤハウェオブジェクトの元に行ったのは事実なんだが、その後で余裕でバレて捕まったんだわ。それをエテラン様に見逃してもらったワケ。肝を冷やしたがね」


「へっ」


 一笑に伏してやった。

 前を歩く二人にバレない程度に膝で蹴られた。

 階段を下っている最中にやることではないと思いはあったため振り返ってやり返してやろうかと思ったのだが、しかし、自制出来る大人の僕はそんなことはせずに悠然とソウルの後を追いかけた。これにより愚か者はユリウスただ一人になったのだ。大体フィフティさんの手を引いているんだから変な動きをするんじゃないってな話だろうに。


 階段を下り、正面扉の対角上にあるお立ち台? 何と言うのだろうアレは。とにかく人が前に立って話をする舞台の袖にあたるところにポツネンと存在する扉の鍵を開き、更に下り階段を降りた先へ僕らは進んだのであった。

 すなわち、地下室である。

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