第二十話/母思慕鵜【編纂】
わたしはカントリー・ロード。三十三歳。夫が居たが四年前に事故で死別している。夫婦で頑張っていこうと、サウ・スライトという小さな町に建てた大衆食堂を今でも営んでいるが、やはり一人では売り上げに限界があり——わたしは、見えない大きな力に与えられた"
勿論、人を害する……殺める行為が善くはないコトだと理解はしている。けれど、わたしは見知らぬ誰かの生命よりも夫との思い出を優先する弱い女であった……ただ、それだけなのだ。
罪を被る覚悟はある。
罪を罪だと弁える頭もある。
無いのは、この行為を止める勇気だけだ。
店仕舞いも終えて一人寂しく店の椅子に腰掛けて明日を憂いながらも酒をチビチビと呑んでいると、音も気配も無く、視認した後ですら本当にそこに存在しているのか怪しく思えるあやふやな外套を目深まで被った人間がやってきた。旅にゃ向かない鞄を持って店に来たそいつは何を言うでもなく平然とわたしの隣に腰を掛けやがる。そのままそいつは声を発さずに指差しでわたしの呑んでいた酒を要求してきたために、酒で脳がやられたわたしはムッとなり。
「店仕舞いだよ、帰んな」
などと語を強くして退場を願ったのだ。
これを受け、そいつは酒を指差す手を下ろしたのだが、次いで卓上に出されたのは少年が描かれた紙である。少年は十七、八と言ったところであろうか。若いが、どこか大人びた雰囲気を纏っており、育ちの良い奴特有の強い瞳をしていた。
そんな、品のある少年の下には曖昧なイチと下衆なゼロが八つも書かれている。
それだけあれば、こさえている借金を返済して半年はこの店を維持出来るだけの金だ。怪しさに満ち満ちていると評さざるを得ない金額だ……央都の貴族に雇われた時だってここまでの金額は動かなかった程だ。
「……前金はどれだけ払えるんだい」
その質問に、フードは左から二番目の数字を指差した後で指を一本立てた。断る謂れはない。
「ほらよ」
呑んでいた酒の瓶をフードに渡すと、そいつは一息にラッパで酒を呑み干し最後まで一言も発さずに店を後にした。旅には向かない鞄を置いて。
それから二日が経過する。
外套の人から場所の指定が無かったために、わたしは食堂を切り盛りしながら絵の少年を待っていた。そして来た。
昼も過ぎ、日が傾いて今にもその姿を隠そうとしていた黄昏時のことである。外套の人が置いていった紙に描かれていたどことなく品のある少年——次いで明らかにこちら側で生きてきたであろう危険因子、冷徹で人を見下した瞳の男、その男に背負われた少女。集団で動いていることが摩訶不思議で仕方ない四人組……間違えるワケもなく、明らかなまでな異質。異質であることが良い裏付けになり、わたしは毒を盛る準備を始めた。
四人組はそんなわたしのざわめく心境など知る由もない様子でメニュー表に目を落とし、ワイワイと年相応に騒がしくしながら何を食べるのか話し合っている。
「ここ最近移動ばっかで保存の効く濃い味ばっか食べてたから逆に薄味のモン食べたいよね〜」
「でも、ここで敢えて日常的なグラタンとかそこらを攻めたい気持ちもあるんだよ」
「わかる」
「下手にガツンと来るもン食べると腹下すんじゃないか?」
「言われんでもわかってらぃ、ユリウスめが。わかってても憧れは止められないんだわ。お前は粥でも食べてりゃいいんだ」
「元よりそのつもりだ」
危険因子と冷徹な男の諍いを、品のある少年は困ったような表情で、しかしどこか楽しげに見守っている。
「んー……ソウルは決まった?」
「一応。グラタンにしようかなって」
「お、いいねぇ。じゃあ僕はシチューにするから半分ずつ分けて食べようや」
「別に良いけど、それならビーフシチューにするのはどうよ? そっちの方が味が違うから分けっこする意味が生まれるんじゃないかな?」
「ええですねぇ。んじゃ、それで」
年相応なやり取り。
記憶の海から何かが引っ張り出される。
『カントリーさん。どうですか、ここは一つお互いのご飯を分け合うというのは』
夫との思い出。
確か結婚前に央都へ旅行に行った時の記憶だ。央都は地方と比べて物価が高く、あれもこれも食べると言うわけにはいかず食べたい物を諦めた……わたしのそんな動きに気付いて、彼が提案してくれたのだ。
「そっち二人は決まった?」
「決まってるよ」
そんじゃ、と一息入れると少年は私の目を見て注文を始めた。
「グラタンとビーフシチューを一つずつ。あと葡萄酒を二杯」
少年と危険因子がまず注文をする。
続けて男が少女の分含めて注文を行う。
「卵粥と葡萄酒を二杯」
四人の注文に「あいよ」と応えて料理の用意を開始する。
まずは葡萄酒を四杯。わたしの能力は料理する過程を必要とするため葡萄酒を注ぐだけでは毒を盛ることは出来ないのだが、ここで一つの疑問にぶつかることとなった。毒を盛る……というか殺すように依頼される際見せられたのは少年の顔だけである。しかし、その少年は他に三人の男女を連れて来た。では残る三人にはどのような対応をすれば良いのだろうか。端的に言ってしまえば毒を盛るのか、盛らないのか。
いや、いいや。
仲間の死、その直近に立ち寄った店には殺人の疑いの目を向けられるかもしれない。実力行使に出られるとわたしのカントリーマムでは太刀打ち出来ないことは単純明快でシンプルな結論になる……ならば仕方がない。彼らには何の罪も謂れもありはしないが、殺さなくてはならないだろう。
思考を巡らせながらも手は動かす。用意してあるビーフシチューを火にかけ、温め直しながらその隣でグラタンの用意を進めていく。
鍋に小さじ一の油を敷いて弱めの中火で熱し、鶏肉を炒める。玉ねぎは炒める前に塩ひとつまみと胡椒少々で下味を付けてあげるとヨシ。鶏肉だけで少し炒め、次いで玉ねぎを入れて炒める。そのまま玉ねぎが透明になるまで炒めていく。
空いた時間で鍋に水を入れ火に掛ける。
トウモロコシの実を包丁を使って取り、ビーフシチューに毒を盛りながら入れていく。毒はフグと同じ効果のものを使用する。安心と信頼の毒だ。
「はいよ。先に葡萄酒ね」
樽からジョッキへと葡萄酒を注ぎ、カウンターの四人の元に並べる。少年以外の三人は……もし少年を毒殺したのが私だとバレた時、少なくとも危険因子はわたしを殺しに来るだろう。それは、言うまでもなくリスクだ。わたしとこの店のリスクである。リスクは——極力減らしていくのが賢い生き方というもの。
「ありがとうございます」
ジョッキを受け取り、一口二口含んで口内を潤す面々。
この辺りで玉ねぎが透明になり始めるのでグラタンの用意に戻る。玉ねぎが満遍なく透明になったら小麦粉を小さじ二杯フライパン全体に振りかけるように入れ、同時にバター少々も加えて弱火に掛けながら馴染ませていく。白っぽい色合いが無くなるまで弱火に掛けたら牛乳百三十五ミリを注ぎ入れる。入れたら火を強め、具材と牛乳を馴染ませていく。
とろみがついてきたらまた牛乳百三十五ミリを入れ、これをもう一度繰り返す。三度同じ工程を繰り返しとろみが出てきたらフライパンの底や淵を混ぜながら少しの間火に掛け続ける。
この時、かき混ぜながらもビーフシチューに混入させたものと同一の毒特性を付与する。
フライパンにサッと線を引いた時に底面が一瞬見えるようになるまで火に掛けたら、塩と胡椒で味を整えればホワイトソースの出来上がり。最後に先程ビーフシチューにも入れたトウモロコシを適量入れておく。
ホワイトソースを耐熱皿に盛り、上にチーズを散らして窯に入れて強火に掛ける。あとは少し待てばグラタンの出来上がり。
この待ち時間で先程温めた卵粥用の水に塩をひとつまみ投入し、かき混ぜた後で米を投入する。米がくたくたになるまで煮込んだら卵を落として、黄身が偏らないように満遍なくかき混ぜる。卵を落とす際にグラタン、ビーフシチューに混入させたものと同一の毒特性を付与した。
「はい、お待ち! まずはビーフシチューね、このパンと一緒に食べな。次は卵粥、熱いから気をつけてね。最後はグラタン、容器がとんでもなく熱いから触れないように気をつけな」
各員の前に注文通りの料理を並べる。その全てにフグの毒、テトロドトキシンの特性が付与されている。
私は……どうしてこうなってしまったのだろうね、クロッカス。誰かのためって言い訳して人殺しなんてクズな行為に手を染めて、金を受け取って——今こうして自分の半分くらいの年齢の少年少女すらも手に掛けようとしている。エゴイストも甚だしい。
「いただきます」
溌剌とした透き通る声で食前の挨拶を行い、スプーンを手に持ってグラタンを掬い上げ、そして口に運ぶ。毒はここで死なれても迷惑だから遅効性に改良しておいた……いや、これは表向きの言い訳か。わたしは、ただ彼らの苦しむ姿が見たくなかった。そんなワガママのためだ。彼ら彼女らの目は見れない——食事する姿すら見ていられない。いかんな、相当に歳を取ってしまっているらしい……他者を危ぶむ人生は、一人目の……アスターさんを殺した時に捨てたハズなのに。
「ナンだこりゃ〜⁉︎ 野菜スープに牛乳と肉をぶち込んだだけの料理のはずかのに甘さと気持ちばかりの酸味が口の中で織りなすハーモニーッ! 例えるなら月とそれを彩る星々。湖と穏やかな魚達……ってな感じ!」
食ってみそ食ってみそ、と危険因子が少年に勧めて、掬われたシチューを少年は口を開けて待ち危険因子が少年の口内へスプーンを突っ込む。
「うはっ熱ゥッ——何だこれ、口の中で肉が無いなった! 凄い! 肉無っ! ほろほろ崩れるなんてレベルじゃないじゃん! 消えてるよ美味しい!」
刹那、
カントリー・ロードの脳内で再生され始めたのは青い春の暖かな記憶であった。
「カントリーさん……好きです、付き合ってください」
「カントリーさん、半分食べますか?」
「カントリーさん。綺麗ですね」
「カントリーさん。口の横、付いてますよ」
「カントリーさん⁉︎」
「カントリーさん……」
立ち返るは十五年前。
「グラタン食べる?」
「頂こうか」
「ユリウスさんも食べますか?」
「いや、悪いよ」
「いいからいいから」
「でも返せるものも卵粥くらいしか……」
「見返りを求めてるわけじゃないから、ね?」
「じゃあ、一口だけ……貰おうかな?」
「はい、あ〜ん」
「あ、本当だ凄く美味しい。じゃあ、これ卵粥」
「え、でもお皿ごとって……」
「こいつ、そんなに食べれないから」
精神的な涙が溢れ出る。
止めどなく流れ出る情報の濁流に脳を焼かれながらも、わたしはわたしの意思とは別のところに陣取る制服のわたしの意識で口を動かす。
「あんたら、どこから来たんだい?」
少年に問うてみる。
「へ? あー、西都からです」
「するってーと、南都に向かってるのか……」
「何でわかるんですか?」
「何でも何も、ここは南都と西都を繋ぐ街道の宿場町だよ。南都から来てるなら西都に、西都から来てるなら南都に行くと思うのは自然じゃない?」
「そうなんだ……」
初めて知った風に噛み締めて呟く少年。
そんなことも知らずにここまで来れたのは、予想するに隣を陣取る危険因子のお陰であろう。彼はまず間違いなくこちら側であり、そしてわたしなんかよりももっとずっと深くまで社会の闇に浸かっている。常在戦場、とでも言うのだろうか……常にワンアクションで攻撃に移れるように身構えている。わたしがそれを認識している訳ではなく、あくまでもそう感じるだけであるが……わたしに暗殺を依頼して来た者が横に侍られている奴は、大抵この雰囲気をまとっていた。
「頑張りな」
そう言って四人の前に容器をそれぞれひとつずつ並べる。中には白いぷるんとしたものが入っており、わたしはそこに"トリカブトの毒"を仕込んだ。トリカブトの毒はフグ毒のテトロドトキシンに対して拮抗する作用を持っており、互いの毒の効果を相殺する。
今まで二十余人もの人々の生活を終わらせておいてどういうつもりなのか、わたしにも何か何だかわからないけれど……生かしてみたくなった、顛末を知りたくなったのだ。彼ら彼女らがどのような選択を取り、どのような一生涯を遂げるのか。わたしは護りたくなったのだ、未来を。
「これは?」
スプーンで表面を突っついて、ぷるぷるとした動きを楽しみながら危険因子は尋ねてきた。
「新商品の試作品だよ。食べて、感想を訊かせて欲しい」
「そんじゃ、遠慮なく」
言うと、危険因子は何の疑心のカケラも見せることなく平然と平穏無事に薬を口に入れて、幾度か咀嚼し、少し首を傾ける。
「これって何です?」
「ミルクプリンってンだよ。ヤギのミルクを蒸して作ったもんさ」
「ほへー。美味しいですね、これ。何て言うか、優しい味がします。安心するような、そんな感じ」
しみじみと語る彼を見て、少年もミルクプリンを食べて口角をほのぼの上げ、幸せそうな表情を露わにする。男は少女にミルクプリンを食べさせつつも適度に自らの口にも運び、恍惚とした表情を浮かべている。
「ご馳走様でした」
食事を終え、規定の料金を払った彼らはこの店を後にした。白い世界に似つかわしくもない青い春の烈風が過ぎ去った店内には凍える停止の世界が再来する。
わたしは、この選択に後悔はない。
「やぁ」
気を抜いたのは一秒にも満たない極めて短時間。にも関わらず、フードの人物は先程まで少年が着席していた地点にいた。
今の今まで一度として肉体を用いての戦闘を行なったことが無いわたしであっても生物的本能に従って直感させられる。強烈な死の香り。それは否が応でもそいつの間合いである現実を語り聞かせてくる。
それでも。わたしはジョッキに葡萄酒を注いでフードの前にコトリと出した。フードは——わたしの能力を知っているであろうに——何のためらいもなしに葡萄酒を一息に呑み干し、ジョッキを傾けると共に上体をのけぞらせたことで目深に被ったフードがめくれ、初めてこの顔を目にするに至ったのだ。
雰囲気があった。
圧倒的なまでに底知れない腹の中に。
「ふぅ、ごちごち。……うん、じゃあまあ、少し話すとするか」
短く刈り上げられた縹色の髪。顔立ちは幼さを残しており無邪気な笑顔の良く似合うのだが、しかしそれでもどことやく、拭いきれない邪悪な荘厳さ。いくら可愛い気のあるフォルムをしていようとフグ毒があるように、眼前の男にもまた体表に斑点がある。
「毒……盛らなかったでしょ?」
「盛ったさね」
「じゃあその後で解毒したのかな?」
「いや、別の毒を追加で盛ったに過ぎないよ」
「結果は変わらないんじゃないの?」
「………………」
お見通しか。
鷹のような嫌な眼だ。
「沈黙は肯定と受け取ろう」
男が立ち上がる。
パリッと。女は糸が切れたマリオネットのように重力に従い木板の床へと崩れ落ちた。
その店は、今でも静かに佇んでいる。
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