第十九話/呪詛石櫃
手は前方の見える位置で合わせて、合谷と手首を通る形で八の字に縄で縛る。足は裏を合わせて足の甲と足首を通る形で縄を通して縛る。
「さてと、どういうワケか話してもらおうか。ユリウスさん」
捕縛したユリウスさんを見透かしてヴァンが語り掛ける。その姿を俺はただ外野として傍観するだけであり、手元の椅子に座るフィフテ・フィフティさんが逃げ出さぬよう見張り番をするなどという名ばかりの役割を演じる自身に恥じ入るばかりである。
今までどれだけ守られて生きて来たのかを実感する。同時に、自分がどれほど狭窄した視野で物事を考えていたのかも……。
もしも、あの宿で俺を殺しに来たのがヴァンでなければ、俺はとっくの昔に死んでいたことだろう。ヴァンが弱いとかそういうワケではなくて、きっと、たまたま能力というものを知らずたまたま諦めが異様に良くて、その上でたまたま話を聞いたり手を貸してくれたり、言い方悪いが適当に生きている人間であったからこそ、今俺は生きているのであろう。
「どうして僕らを狙った」
ヴァンがユリウスさんに問う。
てっきりボコボコにして訊き出したりするものだと思っていたのだが、あくまで紳士的な姿勢で行くらしい。紳士ではないか、なんて言うんだろう……取り敢えず丁寧な口調であった。
「……君らが持つ石櫃目当てだ」
ヴァンがチラリと振り返る。
ヤハウェオブジェクトが狙われた、とな? 何故に? そんな——いやまあ能力への覚醒は確かに意味のあるモノだが、彼もフィフティさんも既に目覚めているのだから不要ではないだろうか。
「誰かからの依頼か?」
「自らの意志だ」
「どうして狙ったんだ」
「諸事情だ」
「その諸事情を話せと言っておろうに」
「諸事情だ」
「諸事情か……そっか」
ヴァンは困ったようにそう言うと、ユリウスさんの髪を掴み左の頬へとナイフを刺した。そして、苦痛に表情を歪めるユリウスさんの髪を離したのだが、しかしナイフを抜くことはなかったのである。
「どうして石櫃を狙ったんだ?」
ヴァンが再び問う。
「……ほなら、一つ条ケッ——」
一つ条件がある、と言おうとしたのだろうが、その言葉は終えるよりも速くヴァンがユリウスの腹部を蹴り上げたことで途切れることとなった。
「自分の立場を測り損ねない方が身のためだぞ。お前は今、物の頼めるくらいにないし殺したとしてもこちらに不利益はない訳だ……アイツも同じくな」
親指で俺が支えているこの人を指す。ボロボロで、それでも必死に生きているこの人を。
これを受けて、ユリウスさんは押し黙った。
「なあ、ヴァン。聞いてもいいんじゃないか? 条件くらい」
「お前が良いなら、構わないケド……甘さが招く得だけじゃなくて、甘さが招く損も考慮に入れておいてよ」
言うと、不服さは一切見せずにヴァンは俺の方へと寄り、フィフティさんの肩に手を置く。俺はヴァンと目を合わせるに合わせかねてどこでもない床に視線を落とし、喉仏の辺りに手を当ててユリウスさんの前に移動した。
「ユリウスさん、条件というのを聞かせてもらえますか?」
有利にあることで神経が緩み、何か取り返しの失敗を招く実例を俺は目にしたことがある。だからと言って優しさを捨てる気はないし、だからと言って再び取り返しのつかない失敗を犯すつもりもない。
「君は……少し優しすぎるね」ユリウスさんにも苦笑されたが、俺は未だに人の心の光を信じたいと思っている。「条件は、君達の持つ石櫃を少し貸してもらうってだけだ……勿論盗んだりしないと約束する」
「信じられませんよ、でも……」
「石櫃はオレに渡さなくていいし、オレの拘束を解くこともしなくていい。ただフィフティの体に触れさせるだけで良いんだ。信用ならないなら、フィフティの義足を外してしまっても構わない」
「それをすると、どうなるんですか?」
最も重要な部分。
ユリウスさんは何度か言葉を選んで話し始めようと試みるが、なかなか適した言葉が見つからないのか少しすると諦め、俯きながらも語り出す。
「見てもらった方が早いが、危害を加えることは絶対にない。ケリィ・キセキに誓って、絶対に」
「ヴァン……」
助けを求めて、俺はヴァンに顔を向けた。
ヴァンは難しそうな顔をしたけれど、しばらくするといつものヘラヘラ薄っぺらい意味深に口角を上げた笑みを浮かべて「やるなら止めないよ」なんて言ってきたのだ。それが諦めなのか、プロ根性なのか、はたまた別の何かなのかはわからないけれど……ヴァンとて、彼らを心十割で疑っているワケではないのだろう。そう感じた。
「義足は外す?」
立ち上がりフィフティさんの元に迫った俺はヴァンに問う。
「うーん……なあ、ユリウスさん。これは外したとして何か特別な職種の人じゃないと付け直さないだとか、そういうんじゃないの?」
「いや、機構は複雑だがオレでも付け直せるから心配してくれなくて平気だ」
「だとさ、迷惑にならないんなら外した方が安全でしょ。取っとけ取っとけてばぁ♡」
「どういうノリなん?」
「勝利と深夜テンション。あとは僅かな寒さとあんさんの脱出時に破壊した窓への著しい不安」
「………………」
微妙な空気が電撃のように室内に響き渡った。
そこからは黙々と微妙な空気の中、微動だにしないフィフティさんの義手義足を取り外し、その胸の中心辺りに石櫃を軽く押し当てた。これで正しいのか、また何が起きるのか俺らは何も知らない状態でことを進めたが……確かにそれは口頭で説明されたとしてもとても信じられる光景ではなく、また自らの目で見た光景すらも疑わしく思える現象だったのだ。
「脚が……生えたのか、こりゃ」
初めに声を上げたのはヴァンだった。
俺は事態に混乱して口をわななかせるだけで、何も発することは出来ずに呆然と幻影とすら思える眼前のソレを眺めるに留まっていた。
「石櫃を狙った理由は、それだ」
ユリウスさんがどこか嬉しそうな、温かみのある声で囁くように漏らす。
まず、初めにヴァンが能力に目覚めた時のように、しかしあの時より光量は抑えられて光り輝き、分裂した。宙に浮遊し、回転する石櫃は二重螺旋を描き揺蕩うようにフィフティさんの左脚があるべき空間へと移動して、根本から、さながら粘土細工でもするみたいに速く/素早く本来あるべき脚を顕現させたのだ。
「これは……?」
ようやく事態を呑み込めないままに飲み込んだ俺が辿々しく質問を投げかける。
「石櫃の——呪いだ」
「石櫃の……呪い?」
「ああ、石櫃。いわゆるヤハウェオブジェクトが持つ力は、流石に理解してるだろ?」
「まあ、一応は。能力の覚醒、人の殻を壊す……ですよね? でも、それはどちらかと言えば祝福の類いで、呪いとは……一体?」
「あいつの身体は、石櫃に奪われたんだ。力の代償として」
フィフティさんを見下ろす。
フィフティさんの力——それは、あの治癒能力を指すのだろう。そして、代償は失った手脚、瞳、それらを総括して指しているのだろう。
だが、今まであまり経験が深い訳ではないが、ヤハウェオブジェクトが何か代償を必要としたところなど見たことがない。自分の時も、兄弟の時も、ヴァン・アストライアの時だって石櫃は何も要求することはなかった。ただそこに有って、ただ助力して一歩踏み出させるに過ぎなかった。
「……いや、まさか」
ならば、
俺たちが目覚めた際の石櫃の意思——分裂し内に秘めた輝く核を露見させなかったとしたら……。
「多分、考えている通りだ。フィフティ・フィフティは、ヤハウェオブジェクトを無理矢理に開封した——ッ」
「そんなこと、可能なのか?」
質問したのは、ヴァンであった。
「本来不可能だ。だが、フィフティ・フィフティの母親がどのような手段を行使したのかは不明だが、やらかした」
「どうしてそんなことを知っているんだ、実際に目にしたのか?」
「目にしてはいない。無論、語る口を持たないそいつから聞いた訳でもない」
なら、どうして。
無粋な質問を投げかけるよりも速く、ユリウスはされてもいない質問に答えた。
「わかるのだ」
到底信用出来る話でないにも関わらず、なぜだかその発言には魂がこもっているように感じられ、その魂は確証を持ってして俺の胸を穿つ。虚構かもしれない発言に、真に受けるだけの真実味が帯びるとは考え難い……ならば、あの発言は真実なのだろうか?
「まあ、なんだっていいわ」
ヴァンは興味なさ気に吐き捨てたけれど、その目線はフィフティさんへと注がれており、その瞳の奥には好奇心が煌めいているように見えた。けど、まあ、何も言わないとも。厳格な大人であることも、時には必要になるのだろうさ。
「ユリウスさん。フィフティさんは今までいくつの石櫃に触れてきたんですか?」
「恥ずかしながら、これで二つ目だ。そうそう、出逢えるものではなくてな」
「では、どうして俺達が持っていると考えたのですか?」
「フィフティが微かだが反応したからだ。ただそれだけだ」
「成る程……」
俺は、どうするべきなのだろうか。
いや、頭では衛兵でも何でもいいからそういった類いのモノに突き出せばいいのだとわかっている。だが、それでも、頭ではなく心で彼女らの力になれないかと……考えてしまう。
「前回……一つ目の石櫃に触れた時は、フィフティさん、どこを取り戻したんですか?」
取り敢えず言葉を紡ぐ。
深い意図は後から着いてくると信じて。
「皮膚だ」
前回が皮膚、今回が左脚。
石櫃の総数を知るべきところではないために後どれほどで本当のフィフティさんに戻れるのかわからないけれど、そう遠くはないのではないだろうか。
「ユリウスさんは、この石櫃についてどれほど知られていますか?」
「あまり知り得るところではないな。フィフティの家の研究資料を流し見したのと、後は教会で少し……」
「——教会が、石櫃について何か知っているんですか?」
いや、それはそうだろうけれどもそこまで明確に教会は、父は何かを知り得ていたのか? だとしたら何故俺に教えてくれなかったのか……は考えるまでもないか。親不孝者で面目ない限りではあるが、それでも、というヤツだ。
「石櫃は、教会の管轄だ。オレも南都でフィフティが反応するまで知りはしなかったが、そうらしい」
「話が通ったんですか?」
「不法侵入だ」
「不法侵入侵入ですか……いえ、有益な情報ありがとうございました」
告げて、俺は立ち上がってヴァンを連れて一度部屋を出る。
廊下は窓を破壊してしまった室内よりは幾分か暖かな空気を帯びており、しかしてそんなことには意識は向かず、俺は考え至った今後の方針をヴァンに提案する。
「南都に行きたい。危険だってのはわかってるし、ユリウスさんの言葉がどれだけ信用出来るものなのかも未知数だけど……それでも、信じてみたい。ヴァンの石櫃について知りたいって願いも叶えられると思うんだけど……どうだろう?」
「どうだろうも何も、僕はお前を守るだけだから。行きたい場所に向かえば良いんじゃない? 央都と南都、どちらへ行くにしてもこっからの距離的にはそう変わらんしね」
「ありがとう。それで、二人なんだけど……」
「二人についても、お前の判断に任せる」
「………………………………わかった」
話し合いと言い表すことすら敵わない話し合いを終えて、俺は再び部屋へと入る。俺が入室した後しばらくの間ドアを開けたままにしていたがヴァンが入ってくることはなく、きっとこれは言葉通り俺に全てが任されたのだと思う。全ての内には、言い訳のしようもなく責任も入っている。
「ユリウスさん……」
声を掛けて、近付く。
手脚は拘束されて、ヴァンにやられた頬の傷も酷いものだ。それでもポーカーフェイスを保ってゆったりとした、風に揺られた木々の葉のような動きで俺の方へと振り返った彼に対して、言い表しようのない不気味さを感じた気がする。
「ユリウスさん、身勝手なのは百も承知しています。ここまでしておいてまだ要求することがおこがましい行為だという事実も重々理解しています。ですが、どうかその命を貸してくれませんか? 南都に、一緒に来て欲しいんです」
俺の言葉に、彼は表情を崩さなかった。
けれど、瞳孔が見開かれたようなそんな微かな差異はあったのではないだろうか。
「まず、間違えを二点修正しよう。ソウルくん、君の要求は身勝手ではない。そしておこがましい行為でもない。先に仕掛けたのはこちらである上に、オレはヴァンさんとの決闘で敗北した。どのような要求にも応える義務があるワケだ」
背を丸めおよそ四十五度の角度に上体を折り、ユリウスさんは続ける。
「約束しよう、ソウル・ステップを必ず南都に送り届ける。盟約は必ず守るとも誓おう」
ユリウスさん、そしてフィフティ・フィフティさんとの出会いはとても良い事ばかりとは言えないけれど、しかし、正しく良い運命であったと胸を張れる経験ではあったと明言しておこうと思う。
あるいは、彼女らは俺達のもう一つの可能性だったのかもしれない——と。
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