幕間劇/妖刀鍛造・咲原天傑

 始まりの火に愛された男——スーロー・ダイバー、父が再婚し大森林に移住するにあたり新たに賜った名をサキハラ・テンケツと言う者はそのように呼称されていた。


 彼は、元はただ火を見るのが好きなだけの何の変哲もない子供であった。火は常に形を変え、水以上に人の在り方、世の移り方、そして何よりも自分の有り方を教えてくれるものであったために、彼は火を愛していた。火を眺め、火を扱い、金属を溶かし、精錬して、形を整えてただ一本の棒に加工する。その行為を誰も教えていないにも関わらず、彼は火に勧められるがままに鍛治を行い、結果として当時大森林内に存在していたどのような武器よりも硬く重く純粋な暴力性を孕んだ一本の棍棒を仕上げたのであった。


 妖刀に至らぬ呪物、七色宝物と呼称されるようになる始まりの一本である。


 しかしテンケツはその一本を封じ、誰にも触れさせず、ただ気の向くまま想いを寄せるままに火に向き合い続け、遂には刀剣鍛造にまで独学のみで辿り着いたのだ。竜の牙を連想させる凶悪な刃紋を携える、肉を裂き骨を断つ、ただ一点その思いだけが乗せられた刀剣を。


 父親はそれを誇らしく思った。

 義理の母親は曖昧に笑い、歩み寄ろうとしてくれた。

 何より、妹は幼くして誰も御すことが出来なかった彼の打った刀を使いこなしてみせた。


 そう、誰も御すことが出来なかったのだ——彼の怨讐の刀は。大森林にいたどんな剛の者であっても、彼の打った刀剣に振り回されて使いこなすことは出来なかった。それは彼自身が人が扱えるモノをハナから打っていなかったこともあるが、それ以前に持ち手の心がその刃に負けて、刀に乗っ取られてしまっていたのだ。気が、触れてしまったのだ。この時点で刀剣は妖刀の域へと一歩踏み込んでいたが、妖刀とは本来打ち手が望んだ力を付与するものであるために、妖刀の効力を持ちながらもその刀は未だ妖刀へと達さぬモノに収まっていた。


 しかし収まっていたとて不幸は広がり、彼の刃は御せずとも不充分なところはなく、幼くして大森林の大トカゲを両断する妹には及ぶまでもない実力といえど人を切断するには過剰過分なほどであった。


 逃れることはなく、戦争が起きた。

 炉を温めていれば良い火が、森に放たれた。


 テンケツはそれでも善いという思いはあったが、しかしその火が彼の手元にまで至ってからは早いもので、父や義母、何より義妹が戦火に撒かれるより数段前に戦場に在った自らの打った武器、その全てを砕いた後に大森林より姿を消したのである。父母に対して挨拶はなかったが、妹にのみ「また後日」と短かな再会の約束をして去っていった。


 彼は、物事に拘泥的なタチであったために多くの命を奪う結果となった刀剣鍛造を止めることはなかったのは幸か不幸か……鍛造の粋を収集すべく東の大森林を出たサキハラ・テンケツは先ず北都を目指し、続いて央都、次に南都、そして最後に西都へ足を踏み入れた。諸国を巡り、鍛造技巧を修得し、西都を出て二年——イワミ町に居を構え、焔の中に"真打"を築いたのだ。

 最年少での妖刀鍛造・当時二十三歳である。




 ミヤマ村を出たテンケツは雪礫吹き散る山中の広場にて足を止め、虚空をただ見つめている。その立ち姿は熟練の武芸者でなくとも一目見れば理解させられる力強さがあり、その瞳を虚空の奥に何かを見据えていた。


 白亜の世界は央都を囲む純潔な防壁を思わせるが、しかしあの防壁が持つ慈愛の他に明確なまでの殺意を含んでいる。木々がザワザワと喚くのは、テンケツに睨みを効かせられているためか、はたまた寒さ故なのか……真実は目線の先の森のみが知るところであろう。


「勘弁してくれよ……」


 相手が折れるまでどれだけ掛かろうが待とうと考えていたテンケツであったが、その時は想像よりもずっと早く、広場にはギリギリ掛からない木の影から無謀にも一人の男がその姿をさらけ出したのだ。


 男は白縫の狩衣に身を包み、腰には黒塗りの鞘に収められた紅革の柄の一刀が吊るされている。弓や矢の類いは見受けられない。


 テンケツとて武を根本に持つ者であるために、相手が尋常の者ではないことは察せた。同時にその姿が妹御と重なって見えたために、瞬間、頭が理解に追いつかず茫然自失の直立に転じてしまう。


 刹那、

 見透かした男は地を蹴り、柄に右手をかけて一刀目から喉笛を狙っての一迅一太刀を行う。


 テンケツはこれを難無く上体を逸らすことで避けたが、しかしその一閃にもどことなく妹の影を幻想して、接近を許したが故に発生した超高速での太刀と徒手の応酬に転じたというにも関わらず、口を聞き名乗りを上げたのである。


「サキハラ・テンケツ」


 これを受けて男も返す。


「アメミヤ・アマツユ」


 互いの名乗りを終えた次手でテンケツは胸元から取り出した脇差しでアメミヤの太刀を受け、そのまま刃を流して切先近くまで滑らせ強く弾く。刀を肩から戻されたアメミヤは反撃も防御もない体勢を取らされ、その腹を突きテンケツは一歩左足を前に出し、距離を整えた後に右脚を時計回りに向けて蹴り抜いた。


 よろめき五歩六歩と後退するアメミヤ。テンケツはその距離を詰めずにいた。


「もしあれが君の相方ならば釣り合っていないぞ」


 さながらアメミヤを庇うように左の森から軍隊で飛び出たのは蜂の大軍であり、背骨がすくむような嫌な羽音を幾重にも重ねてテンケツ目掛けて突撃した。テンケツはそれを来るものから切り落とせば何の障害にもなり得ないと考えたが、しかしテンケツの間合いの外まで辿り着くと、蜂の群はテンケツの間合いの外でぐるりと一周し、網や蜘蛛の巣のようにテンケツを囲んだのである。


 攻撃性はないが、しかし視界と気配も殺気すらもこれでは蜂の群れにかき消されてしまって感知出来なくなる。戦略としては面白い一手と言えるだろうが、しかしそれ止まりだ。どこからかこの蜂の群れに干渉しようとすれば近距離ならばその者が内へ入り込む隙間が生まれ、遠距離からであれば蜂の群れが逆にテンケツ自身の感知網の役割を果たして間合い外の時点で回避に移ることが可能となる。


 逃げのための時間稼ぎか、あるいは何かこの場を打開するだけの荒療治を持ち得るのか。


 まあ何とかなるだろう、とテンケツは考えていた。勝てる相手であったのは勿論のこと、アメミヤ・アマツユという男の相方は蟲師もしくは動物使いの類いと戦力としては力不足であり、この局面では役不足である。

 問題はない。


「児戯にも劣るな」


 テンケツを囲う蜂の檻……均等な厚さのように思えるが、三時方向だけが少し分厚く見える。なぜ厚くするか、十二時方向ならばそこにはアメミヤがいるので理解は出来る。だが蜂の檻が分厚いのは三時方向——そこから導かれる答えは、この蜂の先導者がその方向に存在しているからだ。


 観察・考察を終えたテンケツは自らを覆うヴェールを些事と切り払い、一息の内に見当を付けた樹上へ向けて刀を投げる。刀は一閃の雷の如く宙をさすらい、そして二秒と掛からずに見知らぬ男の脇腹に噛みつき、男を樹木の上から地上へと叩き落とした。


 その姿を見たアメミヤは、まず几帳面に檻を成した全ての蜂の頭と胸を切り分けた技巧に唾を飲み、続く投擲の正確性と冷酷さに感嘆の声を漏らすこととなる。自らの相棒が攻撃を受けたことなど栓無きこととしか受け取れない精神状態は、既に彼がテンケツのリズムに乗せられている証と言えよう。


「流石……ッスね」


「お前は妹から棒の振り方以外何も教わらなかったらしい」


「気付いてたんスか……?」


 アメミヤ・アマツユ。

 サキハラ・テンケツの妹であるサキハラ・キショウの弟子にして大森林の破壊者。刀の振り、足取り、間合いに至るまで全ての技巧を師匠から奪い取った男の戦いはおよそサキハラ・キショウそのものとの戦いと言っても過言ではないが、サキハラ・キショウの戦いの源流であるテンケツに対してそれはあまりにも悪手であった。


 アメミヤが平晴眼の構えにてテンケツの心臓をキッと睨みつけるのに対して、テンケツは刀を手放し徒手空拳となったままにその距離を緩やかに狭めて行く。


 弦から手を離した矢のように、放たれた突きは正確にテンケツの心臓を狙って撃ち出された。しかしテンケツはこれをほんの数センチ単位で身をずらすことで避け、ピンと張られたアメミヤの腕を捻り手首を捩じ切らんばかりに捻りほんの一瞬柄を握る手から力が抜ける隙を突いてアメミヤの刀を強奪して見せたのである。


 強奪した刀を右手は軽く握り、左手は柄頭を包み込むように握り直した後で大きく跳び退くアメミヤ目掛けて深い踏み込みと共に逆袈裟に切り掛かったのだが、刹那、圧倒するような殺気に頭を動かすと九時方向から猪が迷いなくテンケツ目掛けて突撃して来た。


 猪は気怠げに横一閃したテンケツの一撃で致命傷を負ったために危険性はゼロに限りなく近付いたが、首を捻り目を極限まで動かすことで真後ろを振り返り地べたに転がり恐れ慄いた表情で血塗れに成り果てた動物使いの男……テンケツは一歩、脚を進めた。


「………………ッ‼︎」


 そんなテンケツの足を止めさせようとアメミヤは胸元から取り出した残る武器である拳銃による発砲を行うが、弾丸は余りにも遅く強奪した刀によって弾道をずらされたことで無為に終わることとなる。アメミヤは自らの師にも同じ行為をされた記憶が刺激され、その特異な能力を持って生まれた二人の兄妹に対しての嫉妬心に薪が焚べられることとなった。


 テンケツの足は止まることを知らない。


 動物使いの男——『エゴノス・ヴィ・ヴァルディ』三十七歳独身。自宅は東都の外れにある小さな村落に持つが職業柄あまり良い隣人関係を築けていない。能力〈ヴァレヒヴェラ・アポストス〉は自分以外の生物と対話し、交渉が成立した際のみ自らの眷属としてその生物を支配する力を持つ。能力にあぐらを描いて身体を鍛えてはいないため近接戦闘は苦手とする。その穴を埋めるためにアメミヤ・アマツユとバディを組んだのだが、このザマだ。


 アメミヤの助けは期待出来ない。今のエゴノスとテンケツの位置関係では、テンケツに決定打を与えるに足るアメミヤの能力を発動することが適わないためである。かと言って今この状況を打開出来るだけの策も虫も獣も何もかもがエゴノスの手には残っていない。下手な生き物を突撃させたところで無駄死にさせて時間稼ぎにしかならないが、時間を作ったところでエゴノスの脚は最早エゴノス自身の脚と呼べるものではなく、ガタガタと慄いて言うことなど微塵も聞くことはなく、同じく腰も恐れから暖かな尿によってその感覚を先鋭化させている。


 それでも、と空を巡回させていた無数の鳥をテンケツに特攻させようと能力の行使に意識を向けるも、がらんどうな感覚だけが心を吹き荒んで、まるでハナから〈ヴァレヒヴェラ・アポストス〉などという能力は備わっていなかったように、何の反応も示さない。


 目の前に死が立って、刀を振り上げていた。


 バディの男は銃口を向けるが、死神は動じることはないどころか視線を向けることもせず——ふっと一息に——刀を振り下ろした。




      頭

     腕体腕—————

      腰

      脚




 使い慣れない打刀であるために普段は行わない相手の骨格のおおよその目安を組み立て、頸椎と頸椎の接続部を目掛けて振るわれた一迅は、無慈悲にもエゴノスの首に消えない傷を刻みつける。二度と治ることはなく、二度と立ち上がることもないエゴノスは最期に依頼主の顔を思い起こし唇を噛んで雪上に埋もれていった。


「……ッ」


 短な舌打ちが鳴り、山々に反射して響く。


 構えられた銃口の先には既に射出を阻む対象はなく、弾かれた人差し指には熱が灯る。


 響く銃声はさながら落雷の如く、しかし打ち出されたのは銃弾で無ければ銀の弾でもなく、テンケツにして回避不能と思しめた焔の陽炎であった。弾速と全く同じ速度で広がる炎の門を避ける手段は上空に跳び上がる他にない。左右のどちらかに避けたとしても避けきれずに炎に巻かれることとなる。後方に避ける選択はあるが、この炎がどこまで広がるのか判明していない現状、得策とは思えない。かと言って、跳び上がったところで初撃を避けられたとしてもこの炎がそこにあり続ける限り自由落下により地面に吸い寄せられるテンケツには命を一秒存えさせるだけの行為でしかなく……こうして考えている間にも炎門は距離を縮めている。


「すまない……」


 約束を破る非礼を詫び、テンケツはその身を大きく左に避けた。無論見立て通りに避けきれず半身が炎に包まれるが、覚悟が出来ていれば火傷などこれまで炎の中に人生を見つめた男にとっては親の手のひらの温かみに等しく、脚を止める理由にはなり得ない。


 進み出した脚は止まることなく降り積もった白き灰を巻き上げてアメミヤとの位置を深め、身体を弓に、右腕は大きく引かれて弓に違えられた矢の形を取り、放たれた矢はアメミヤの体の中央を貫いた。が、アメミヤは後退しようと地を蹴ったものの雪に足を取られたことで身体が仰反る形を取っていたために、幸運にも心臓に親指一本分届くことはなく、このような戦鬼に付き合っていられるかと尻餅をついたあとで急ぎその場を去って行ったのであった。

 勝利者はサキハラ・テンケツと言える。




 片目は炎に巻かれて形を失い、逆の瞳は沸騰して最早像を映す代物ではなくなっていた。

 満身創痍。不恰好も良いところだ。

 死ぬであろう事実は明確。


「………………………………」


 何かを考える頭は残っていない。

 だが、その身体が求めている。

 足は東に運ぶ。


「………………」


 無常に吹く風が焼け爛れた荒野の皮膚を刺激する。

 痛みはある。

 だが、この傷であの二人に危害を加える者を払えたのであれば十全だろう。


「……」


 あの二人に憧れた。

 俺も、もう少し器用だったならば妹と旅が出来たかもしれない。

 だから、あの二人には理想として進んでもらわなければ俺がそう成れない。


「帰ろう」




 大森林は生命成就の大地。

 森人と守護龍の住まう土地。

 魂は既に、

 帰るべき場所を見つけたか。

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