第十八話/積悪監情

 室内に展開された氷室の結界。


 狭い中で開かれたためか壁や天井に阻まれて多少歪んだ形になっているが、本来はドーム状であると予想出来る。


 まず、間違いなく奴の能力だろう。発動にはあの震脚と口上が必須なのだろうか――あるいは派手な演出で印象付けてブラフ張っているだけで本当はノーモーションで発動可能なのか……見るに、前者が大きいように感じるが決定的なものは何もない直感でしかない、過信し過ぎぬようにしなければ。


 相手は急いている。そうでなければ、あんな避けられたら終わりの技――いや、それ以前に彼が本来持ち合わせているであろう“高潔さ”とでもいうのだろうか、それがないところから見ても焦っている。僕らに見つかった時、驚きはすれどまだ心に余裕があった。


 ソウルが発動しようとする結界から抜け出してからだ、曇りが見えたのは。何を狙ってか知らないが、荷物を漁っていたところから見て僕らの荷物、それもその中に明確な探し物あっての行動と見た……しかし、そんな探し物以上のデカイ地雷が落ちているからな。


 ならば、僕がやるべきは一つ。


「かかって来いよ、黒狗」


 全力で足止めするのみ。


「いてこましたる」


 だが……違和感。

 この結界というテクスチャではなく、そこに付与されているシステム。さっき肩に受けた一撃、わざと体勢を崩して威力を落としたにしても見かけの威力と釣り合いが取れていない。もっと言えば、軽すぎる。


 相手の能力と考えるのが妥当ではあるが、自分を弱体化させて何が狙いだ? もしこの領域に閉じ込めるのが目的であれば、ソウルに逃げられた時点で解除すべきだ。ならば、そのマイナスを打ち消すだけのメリットがあるということか。今は情報が足らずに考察の余地が来たが、ルールは絶対にあるハズだ。見破る他に道はない。


「キャラ、ブレてんぞ」


 右手を軽く挙げて中指を立てることで目を引いて、逆の手を身体で隠しつつ氷の壁に近付ける。寒冷期の河の水の中へと手を付けた時のような、感覚を殺す類いの激しい痛みが指先から広がり、しかし何か物理的な壁に阻まれることは無かった。つまりこの結界には拘束力はなく、抜けようと思えばいつでも抜け出すことは可能というワケだ。ますますこの結界の意義がわからない……やはり内包されたシステムを見抜くべきか。


 左手は凍えて使えないだろうが、どちらにしても先の肩への一撃で元より快活にとはいかない腕なのだから大きな問題にはならないだろうさ。袖口にナイフを用意して、刃は未だ外界へは出さず、左脚を下げ腰を落とし一息の内に距離を詰める。敵は僕を向かい討つべく両の拳を軽く握り、手の甲は下に、肩の力を抜いて脇を締め、脚を前後に開いて構えを取った。


 正拳突きの構え?

 いや、少し重心がぶれている……蹴りかな。


 相手の鎌の如き左足が迫る中、遮二無二南無三と右足に力を込めて中空へと跳び上がり、横一文字に足を掬わんと振られた蹴りを避け、宙で前へと転じて左の踵を相手の肩へと落とす。僕の体重の乗った踵落としに敵さんは体勢を崩して尻餅をつくが、こちらも元より取る予定のない行動に出たため着地については考慮に入れていなかった故、尻餅をついた相手の近場へと不時着した。


 勢いを利用してさながら四足獣の如き姿勢を取り、手足で床板を蹴り再びその道を詰め寄った時には既に、手のバネを扱い後方宙返りなどおめでたい芝居を行いながらも立ち上がっていた相手は腰を落とし、膝を曲げ、両手を大きく開いた不知火型を持ってこれを受ける覚悟を見せた。


 袖口にナイフを隠し持ち、構わず懐へと飛び込む。確実性は高いものの今の体勢では狙い難い首ではなく、胸元——心臓に切先を向けて腕を突き立てて、勢いを活用しながら深く挿し込む。


 違和感——。


 骨を避け肉を裂いて進む感覚が冷徹な金属を伝って手中へと語ってくる。掻き分けて刺し込まれていく感触は、まさしく処女との性交渉的な響きを有している。


 故に、違和感。

 テンケツの打ったナイフを刺しているのに、これ程までに肉から押し返すような抵抗感があるハズがない。これが周囲を囲う結界に付与されている能力だとしたら、その本質は何だ……肉体の硬化だとかその類いの単純なモノじゃない。ナイフの柄から手を離し、身を捩りながら腕の範囲から逃れんと動いたが、一手速く敵は動き、短いながらも強烈な脚力を持ってして肩を入れたタックルを行い、逃げ損ねた僕の鳩尾に見事に喰い込んだそれは一時呼吸を忘れさせるモノであった。そのまま押し倒され、床に固められた僕は抜け出そうと身体を唸らせるもの一向に動く気配はない。今の姿勢で取り出せるナイフもない。


「イイね、野蛮だ」


「うっさいわ……こんの恥知らずがァ」


 より最上だ、命懸けなのに心臓が高鳴ってる。

 ならば、と腹に肩を押し付ける性質上右脇腹に有る頭に腕を回し、顎に手を掛けて力一杯に引く。抵抗して相手が体をずらすと力の加わる角度が変わり、ズルズルと押されて進む。


 床を掃除する雑巾みたく掃き進む。


 このまま進めばあの結界に行き当たる。


 するとどうなる?


 身体が凍てついてヤバい状態になるだろう。


 ならばどうする?


 そんなことになる前に首の骨をへし折ってやればいい!


「……何てね」


 ナイフは袖口からのみ出るものではない。

 肘が動くならばその動きで袖にしまっておいたナイフが動かせる。ならば、その位置・位相を調整して引いた弓のような姿を取った僕の左腕を放たれた弦が如き伸ばし、肘窩にナイフの柄頭を嵌めて、押し付ける。


 ナイフの切先が僕の衣服を内側から突き破り、敵のこめかみ目指して突き立てる。左手が未だ完全でないと言うのであれば、こういったところで使わなければなるまいよ。左手がナイフを握れるだけの熱を取り戻していない今、左手から腕、胸や腹筋にかけての筋肉を使って取り出す左半身のナイフは死んでいるも同然。こういうところで使わないとこれらはただの割と重めの錘でしかない。


「——ッ」


 うん、これは死なないな。


 次の一瞬で、予想通り固めを外して首を逆に僕のさっきまで押していた方向へとずらすことで刺突点をこめかみから頬に変更することで避けやがった。その上で軽く口を開くことでわざと刃を受け入れ、そして一気に歯を噛み合わせることでナイフを止めたのだ。


 マズイな、途方もなくゾクゾクする。

 いけない、本当にいけない。僕は今、ソウル延いてはこの世界のために闘っていると言うに、それなのに、個人的な試合をしようだなんて発想に至ってしまっている。良くないなぁ、救いようがないくらい良くない。でも仕方がないと思わないだろうか? 例えに遊戯を出してみよう。自分の実力を五として、相手が実力は二……褒めて三ってところなのにルールを破った戦法でその実力を七だ八ってレベルに持ち上げていたとする。気持ちのいいゲームにはならないだろう? そんなゲームの連続の中で、実力は素で七はあろうって奴が自分で実力を縛って五、堂々まで格下げしてやり合おうってんだ。そうなったらもう本気で自分の出せる全力振り切ってやり合いたくなるのがサガだろうさ、闘争本能が戦えって言うんだからこれを断じては……いけない。


 僕の身体が固め技から解放されたために今度こそ身を捩じ切らんばかりに動かして拘束から脱出する。脱出の後——相手も同じ思考に至ったのだろうさ——両手を着いて普通に立ち上がった僕らはさながら大通りでも歩くみたいに一般的に歩行と呼ばれる左右の足を互い違いに前に出して突き進み、丁度初めに相手が脚を振り下ろした地点を区切りに東西に別れて距離を取り立ち止まった。


「南部ヒルヴェーヌ村出身、ユリウス。家名は我が行いの非道故、この身に相応しくないと断じて捨てた」


「ヴァン・アストライア。熊撃ちアストライア家に生を受け、熊を撃ち人を討った。罪罰を断じる倫理を持つと言うのであれば、この身の罪深さは秤を壊す故討ったとて罪にはならぬ」


 脱力の立ち姿。

 僕も同様だ。


 左手はだいぶ温まってきたから十全にとはいかないが六割程度なら実力を発揮出来ることだろうさ。同様に肩も問題なしとは行かないまでも動かせる、不足はあるが補えない程の欠乏には陥っちゃいない。左右で過不足なくナイフは扱えるが、この結界内ではナイフのアドバンテージは低い。長年、具体的には十六年くらいかな? そのくらい長くこんな物騒なモノと戯れてきた僕の経験則にはないが感覚が、この数度の激突でアイツは切ったところであまり意味がないと語っている。だが突きは有効だった。斬撃への耐性とかではないし、肉体の硬化とか強化とかみみっちいモノでもない。こう、何と言い表したら良いのか……紙に指を滑らせたところで切れることはないが、指を突き立てたら破れるみたいなっ?


 変な話だが、例えるならば『平等』ってところになるのだろうか。力も硬さも結界内部に存在するモノを足して、その数で割った結果になる。硬いも柔らかいも無いから、ナイフでは切れない。しかし突きの一点集中した力ならばガードは貫ける。


 突き主体のナイフ術なんざ身につけてはいない。だからここはナイフというバレてる手の内を捨ててしまおうか。そんな訳で僕はナイフを隠し持つべく用いているコートを脱ぎ捨てる。重いのにビックリドッキリ要素の袖口からの取り出しがバレてて切れないとなったら、流石に旨みが少なすぎるからとっとと切り捨てるべきだろう。


「本気かいな……」


「体術もイケる口なんだわ、これでも。つってもここ最近負け続きだから……ここで挽回決めてやる奴だって印象付かなきゃね」


「まあ、何でもええわ」お互いの準備完了を理解して、悠然と距離を縮めていく。「計十手や。十手で終わらんかったら結界を解く。したら、わかるな?」


「野暮ったいこと言うなよ。縛り無しで死ぬまでってんだろ、乗ってやるよ」


「せや、そう来なな」


 互いに——

 親指を包まない形で両手を握る。

 右手は前に、左手は後ろ。

 脇を締め、腰を落とす。

 足は前後に開く。


 息を大きく吸い、吐くタイミングで左手を左足の爪先から足首、膝、腰、背骨、肩、肘、手首と捻りを戻す反動を用いたバフを乗せて打つ。

 一手目、互角。


 左手を曲げながら右手を抱え込むような形で構え右腕を肩から引く。左肩から上体を捻り、最大値に至った瞬間に放ったアッパーは相手の顎に当たる前に全く同時に放たれたアッパーに阻まれたことで停止。

 二手目、互角。


 腕を戻し、爪先は動かさないままに右足の踵を前に出し身体に対して足を直角に位置するよう調整してからの左脚での蹴り。互いに互いの脛をぶつけ合う結果となった。

 三手目、互角。


 ぶつかり合った蹴り。蹴りを行うという行為によって前に踏み出された左脚を勢い付けて踏み込みに転用し、同時に胸を張り、右肘は肩の高さまで上げて撃ち出す掌底。同じく掌底を繰り出したユリウスと伸ばした腕を接触させることになったが、今の攻撃で尺骨か橈骨かは知らないがどちらか確実に良くてヒビ悪けりゃ折れた……が、さっきの感覚的に相手も同じだろうさ。

 四手目、互角。


 折れたにしろヒビが入ったにしろ、もうこの試合で右腕は使い物にはならない。ならば気に掛かる必要は皆無——無理にでも右腕を引き、胸の中心に糸を通してそっから引っ張られたみたいに前進して、顎が外れんばかりに口を開き、首を狙って歯を立てる。噛み、喰み、口内が紅一色に染まる。


 ここで初めて、僕らの手組みが喰い違った。


 僕がユリウスの首筋目掛け、肉食獣と化し喰って掛かったのに対し、ユリウスは折れた右腕を直上に振り上げてムチの如く振り下ろしたのだ。致命性は僕の方が上ではあるが、速さならば劣る結果となる。


 肩の連結部と背骨の中央を線で引いた際の結合点、心臓の直上を背中からぶっ叩かれた僕は首筋を喰い千切り損ねて飛び回る蝿がそうなるように叩き落とされ一瞬気が途切れた。






 なんだかな。

 心臓の狂いから戻った僕が初めに目にしたモノは床板で、次に見たのがユリウスの履いていた靴、ズボンの裾。無様に地面に転がってるってワケだな、こりゃ、疑いようもなく、ダサく、転がってる。


 うんでも、問題ないか。


 僕の首をへし折ろうと振り上げられた足を、振り下ろすワンタイミング前、一番人体構造上バランスが取れないタイミングで足首掴んで思い切り引っ張る。体勢が崩れたユリウスは一瞬転ぶことを拒んで立ち姿を継続しようと拒むが、抵抗虚しく受け身も取らずに無様に背中から着地する。


「お揃いだなァ‼︎」


「気狂いが‼︎」


 体を半転して俯せの姿勢に、そこから踏み込んでユリウスに馬乗りになり、右腕……は使えないために左手を打っては引き打っては引き、顔が半面赤く腫れ上がるまで殴り続けたが、ユリウスは意識を保ち続けた。それはタフネスだとか脳汁が多いだとかじゃあ断じてない、ただの覚悟——負けたくないという、勝ちたいという渇望から来る麻薬によって自分の意思で自分の無意識を引き上げることによる気絶しながらに気を保つ術。


 気狂いはどっちだよ、バケモンが。

 埒が開かない。


 今までは肘と肩で引いていた拳を折らずに垂直に振り上げる。

 そろそろだろうからね。


「待て、ヴァン! 停戦命令!」


 いつの間にか綺麗さっぱり姿を消していた結界。

 開かれた部屋の扉のその向こう側には、フィフティ・フィフティをお姫様にやるように両手で掬う形で抱えたソウルの姿があった。

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