第十六話/非魔剣士
治療を終えた俺とヴァンは暇を持て余し、絶対安静を一旦横に置いておいて遊びを求めて街へと繰り出していた。
ハーミット川によって分断されているミヤマ村は小規模というには広く、中規模というには狭いような絶妙な広さで人の往来は少ないように感じるが、子供達が走り回っておりどことなく懐かしい心地がする。潜在的な望郷の心を刺激されるような、そんなむず痒さが心を過らずにはいられないようだ。
俺にとっては心地は良いけれど、チラリと横目に見たヴァンはどうやら苦手とするところらしい。仏頂面で嫌々歩いている様子。
「この後はどうする予定なの?」
横を歩くヴァンに問う。
「あー、服屋でも行こうかなって」
「ああ、穴空いちゃったもんね。俺も新調しようかな、いつまでもテンケツさんの服を借りている訳にはいかないからね」
イワミ町から着ている質素な、大地を総べる雪のような白き狩衣。旅の始めから着ていた服はとても続けて着られたものではないと判断したらしく、テンケツさんが処理してしまったそうで、代わりにと大森林特有の装衣を貸し与えてもらったのだ。
大森林は暖かい気候と聞いていたが、この服は断熱性に優れておりあまり寒さらしい寒さは感じなかった。動き易さも充分以上と来たのだから、ずっと着ていたいところではあるが、人に借りていたものだ、なるべく早く返さなければなるまい。
「そういや、テンケツはどこ行ったん? 僕らが傷塞いでる間に出てったらしいけど」
「知らないけど、元々の目的でも済ませに行ったんじゃない? 持ってきた刃物を売りに、さ」
「かねぇ」
「服屋、俺も着いて行こうかな」
「えー……」
「何だよ、その不満声」
「いやさ、野郎と服屋ショッピングなんて何が悲しくてするんだよ。え、ヤダ。一緒には行かないよ、知らないよ」
「あっそ、ワガママっ子め。じゃあ俺の分も買ってきて。前着てたのと同じようなのか、近いの。でも最優先は暖かさで」
「最近口悪くなったよね、お前。何の影響? やめた方がいいよ。まあ、ええよ後で金は払ってよね。んじゃ、僕こっちだからグッパーイ」
そう言って、ヴァンは軽快なステップで薄暗い路地へと消えて行った。ヴァンのあの足取りからして、何度かこの村に来た経験があるのだろう。着いて回った方が安全な上、迷子になる心配も無さそうなのが……着いてくるなと言われると、弱った。一人で回るしかないのか。一人だと初めての店とか入るの、ちょっと抵抗があるんだよなぁ。
あの反応からして、服屋っていうのはガチでありながらも別に用事があると見える……着いて来られると都合が悪かったんだろう、きっと。未だに底が見えない辺り、あいつもあいつで変なヤツだとつくづく想う。
路地へと消えていくヴァンを少しばかり眺めた後で、あてもない歩みを再開した。
まあ、小さな村だし何とかなるだろうと希望的観測で心に落ちをつけ、ぶらりと道なりに歩く。ぶらついていて気がついたのだけれど、山脈の向こうとこちらで家の造りが異なる気がする。山脈の向こう、つまり二つの山脈に囲まれた街道沿いの家屋は玄関扉がこの村の家で言うと一・五階に当たる高所に設置されていたのに対して、この村の家は玄関扉が一階、地面から上がることなく設置されている。土地柄というヤツなのだろう、あの山脈が雪を降らせる雲をせき止めていて降雪量に差が発生している——とかだったら面白いな。
きっと、家屋というものは土地と最も密に接しているものであり、生活を豊かで彩りあるものにするためにはまず先に家から変えるべきなのだろう。日常的に行うこと、あるいは自然から受ける影響を確認して、それに対して掛ける手数を減らすことで生活に余裕を持たせる。すると結果的に生活が鮮やかになり、人生の幸福度が上昇することになる、みたいな?
家……生活、そして家族か。
そういえば、実家にいた頃に一度お見合いをしたことがあったな。あれはどうなったんだったか、うろ覚えだ。父様達が身勝手に盛り上がっていただけだったから、相手から断られたとかだった気がするぞぅ——この記憶は悲しいものだからロックを掛けておこう。
「あ……」そんなところで、俺は雑貨屋から出て来たテンケツさんと目が合った。「こんにちは」
「……ああ」
テンケツさんの背負っている荷物が心無しか減っているように見えることから、刃物の売買は上手くいったのだろう。まあ、彼の鍛造したモノを買わないなんて選択は真の商人であるならばあるはずがないし、当然の結果と言えば当然か。
「売れましたか?」
見ればわかることではあったけれど、会話の種にと尋ねる。
「ああ、それなりだ」
平生と何ら変わらぬ淡白な反応が返されたけれど、もう三日以上の付き合いを結んでいる、彼の語らぬところ、省くべきではないにも関わらず——幼少に人間関係が希薄だったのだろうか——言葉にするべき意図・心を口にしないその語り口の真意も、おおよそ想像や考察によって補完することが出来るようになっていた。
「それはそれは、よかったですね」
思うに、半生を焔の中に見た彼は言葉以上に姿こそが本心を告げる際に用いる言語だと考えているのではないだろうか……そう、俺にはそんな審美眼はない、恥ずかしながらヴァンからの受け売りだ。さも自分の考えみたく表してみたけど……無理があるな、これは。
「ステップ」ハッと、今思い出したと言わんばかりに首を持ち上げたテンケツさんは、じっと俺を見つめて言葉を選ぶように何度か話し出そうという仕草をしてはやめてを繰り返した。「……もし、大森林に行く機会があれば妹に俺が生きている旨を伝えて欲しい。妹は俺に似ている、会えばわかる」
「はい、わかりました」
俺の返答に首肯すると、テンケツさんは着流しの胸元から一本の短刀を取り出して優しく右手を取り、包むように握らせてきた。短刀は薄く、全体的にその幅は十センチとない。
柄はツヤのある黒に染められた革を細く割いたものが密に巻かれていて、刃の七割程度の長さがある。余程手が大きくない限りは余剰が発生するこの長さが、長い時間妹さんと会っていない事実を口を閉ざしながらも語るようで、少し、悲しくなる。また、あの身震いする恐ろしげな刃を隠す鞘には特有の白さから白樺と思われる木材が用いられており、表面には独特な紋様が彫られていて不思議と目を惹かれてしまう。
「護り刀だ。妹に会ったら渡して欲しい」
「はい。確かに、受け取りました」
「だが、万が一にあるならば使ってくれて構わない」
「……よろしいので?」
「刀は、使うものだ」
預けられた短刀を狩衣の袖口に仕舞い込んで、再びテンケツさんへと視線を戻すと彼は荷を解いて、売れ残りだろうか一本の直剣を手に取り、俺へとその腕を突き出した。
「君の剣にすると良い」
鞘を掴み、柄に手を掛けて二割程度鞘から引き抜いて刀身を目にする。が、その刀身に磨き抜かれた刃はなく、自己の顔を反射する鏡のような鈍色の剣に限りなく近しい形に形成された金属塊が収められていたのだ。
氷中に沈んだような凪いだ精神が心中を支配する。
「刃が無いようですが……?」
「刃はいずれ出る。癖が付くように打った。使う度刃が現れる、進化する剣だ。御せ」
何と返すべきか一言として思い付かずに、ただ口から溢れた「ありがとうございます」なんて軽い言葉に留まった。心に言葉がついて来れず伝えたい感謝の気持ちの行方は、果たして何処なのだろうか。……心が感じても口に発して声にしなければ、伝わらないに。
腰に吊るした鞘を外し、今新たに手にしたテンケツさんの剣を吊るす。ずっしりとした安心感のある重みが腰に伝達され、その痺れは雷が如く身体の末端に掛けて駆け巡る。良きかな。
「預かろう」
と言って手を出すテンケツさんに、結果として盗むことになってしまった出店の剣を渡す。譲渡したからと罪が連れ立って行く訳ではないけれど、刀剣というものとそれ自体が持つ力というものはテンケツさんこそが万全に理解している。
ほんの少しだけ、俺の心の枷に亀裂が入ったのだ。
「銘は?」
受け取った刃の無い剣の柄頭に手を添えて、問う。
「銘は無い。剣とはそういうものだ」
使い手こそが剣を見て、知って、名を与える。
本来は「育み手こそが子を見て、知って、名を与える」という真たる親の有り様、心の在り方を語った輪書の二章に記された一節であるが、心無き刃物にも適用されるのだろう。いやさ、鍛治師にとって自ら打った刃物は子も同然か……磨きまでこなすテンケツさんにとっては、最早本物の赤子と区別のしようがなくなっているのではなかろうか。
「俺はこれより村を出る。皆によろしく伝えておいてくれ」
つっと、さながら「今日の夕飯はシチューにするわ」くらいの軽いテンションというか、日常会話的テンションでテンケツさんが言うので俺は一度「そうですか」と軽くいなしてしまったが、今一度頭に反響して戻った言葉を咀嚼し、理解した結果凄まじいことを言っている事実に気がついてしまった。
「ああ……いや、そうですよね。ミヤマ村まで、ですもんね」
そりゃ、そうだ。
護衛として着いて来てもらう目的自体、傷ついた俺達が安全に治療することなワケで、ミヤマ村に着いた上に治療を終えた今となっては彼はこの場にいる意味も意義も何も無いのだ。残る意味がないのならば、残らないというもの。人生とは有限なのだから、自分のために人生を使おうという意思に異議申し立てるのは知恵が足りぬというものだ。
なぜか、俺はテンケツさんがこのままずっと着いて来てくれるような感覚に陥っていた。商人故であろうか、こう……自分の中にある大切な人が座る席の座席と座席の間に足を崩して座っているような、そんな感じだ。未だヴァンが俺の背後に立ち、背もたれに肘をついてそっと首に手を掛けている感覚が拭えない中、テンケツさんは席に着く訳ではないにしても輪の中にいた。
違和感なく輪の中に入り込んで、今は役目を終えたからとそそくさと立ち去ろうとしている。これを人間関係が上手いと言うのか、はたまた人と人の輪に入り込まず一本異なる道で異なる見方をしていると表すのか……俺には判断つかないけれど、それでも彼は礼も義も持ち合わせている男である、そんな確証のない確信だけが胸を抉って出来た刀疵を埋めていた。
「えっと……」
何だか、上手く声が出ない。
彼の中にある礼と義、その確信。それが何か、とても恐ろしいものに思えるのだ。本来であればその二つは褒められこそすれど貶されるものではないのだけれど——あの、彼が荷を解いた時に俺が無意識下で救っていたモノ——今はただ、彼の内を埋め尽くす善心が彼自身を滅ぼす結果になるような予感がして、とても虚しい気持ちに包まれる。どのような結果が訪れるかなんて、司教様のように万物を見通す力を持たない俺にはわからないけれど、彼はこのままでは決定的に何かを間違える……そう、感じてしまった。
「……ありがとうございました。この御恩は永世、忘れることはないでしょう」
感覚を相手に伝えるだなんて、そんな高度な言語野を俺は有していない。だから、頭を下げて感謝の意を伝え、少しでもこの場にテンケツさんを留める他に直感的に感じ取ってしまった彼の覚悟の矛が振るわれるのを遅らせる手は見えなかった。
そんな中身が空っぽで、本質的には何も意味を持たないただの挨拶としての謝意を受けたテンケツさんは変わらぬ仏頂面で、しかし確かな真心の込められた意思を持って口を開きかける。
「余計な世話だが」心底言い辛そうに口を開き、一度閉じて、意を結したように瞼を一度ギュッと瞑った後に再び口を開いたテンケツさんは、俺と目線を合わせないためかやや右斜め上の辺りに視線を向けて言う。「盾を使うと良い。大きなものではなく、バックラーだ。余裕が生まれるだろう」
言い切ると、役は終えたと言わんばかりに翻り、舞台から降りるべくミヤマ村を囲う木製の防壁、その唯一の出口である門へ向かい始めた。
その背中に、俺は一時の逡巡の後に声を上げる。
「護衛の報酬は……」
掛ける言葉は何でもよかった。ただ、今最も告げなければいけない言葉が喉に刺さった小骨のようにつっかえて発せないから、ただ、何か彼の足を止めるために語り掛けたかっただけなのだ。
テンケツさんは——目の錯覚かもしれないし、きっとそうなのだけれど——優しく慈愛の籠ったように表情を緩和させ口元を緩ませて、
「依頼料だ。妹によろしく頼む」
なんて、そんなことを言って去っていったのだ。
俺はこれが最後と腹を決めて、再度声を上げてテンケツさんを呼び止める。
「どうする気ですか?」
テンケツさんは振り返らなかった。
返す言葉もなかった。
彼が俺達……いや、彼自身のためだろうか? どちらにしても、何か危険なことを行おうとしている事実だけはわかる。彼が俺に背負わせてしまったというのに、その事実に気が付かず、彼が何を為すために今動いているのかも、西都の霧の中、盲目に育った俺にはまるで見当もつかない。
俺はその背中が見えなくなるまで見届けると反転し、この村での宿と決めたユリウスさん達と同じ民宿へと舞い戻り、壁にもたれ掛かって気を抜かれる他に無かった。
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