第十五話/治癒賢者

 坑道を抜けて、と書き出してしまうのが一番手っ取り早いのだけれど、それでは苦痛苦悩して通り抜けた坑道での記録がすっぽり抜け落ちてしまうため、何か悔しいし折角なのでダイジェストで坑道を抜けるまでをお送りしようと思う。


 朝、おはよー起きたよ!


 昨夜の余りを食べる。尚、キサルキは食べれたものではないので昨夜の時点で捨てた模様。


 行くぜ! 坑道IN。


 ランタン片手に悠々と。


 僕が取り出したるは坑道の地図。


 こっちだ!


 こっちだ!


 そこ左だ!


 胸が痛んで一時休憩。


 何か傷口開いて傷止まらん。


 締め付け強めて強行!


 坑道通過! 時間ピッタァ‼︎


 そんな感じだ。


 やはり語らなくてもよかった気もするけれど、無理くり止めていた血がブシャって大変だったことだけでも伝えたかったのである。だって、結構辛かったんだもの……こんなこと零せるのは、僕の心中だけだからね。


 まあ、何はともあれ僕ら三人組は見事、誰も欠けることなくミヤマ村に辿り着いたのであった。死に体が二人ほど現存するが、死んでいないならセーフということで。


 ミヤマ村は山脈からの湧き水が流れて出来上がったハーミット川流域にある村で、約五十人が支え合って生活している。村の外周は三・五メートルを超える木製の柵で囲まれており、出入り可能な門はたった一ヵ所だけ。そこには常に二人門番が立てられており、この村では若者のなりたい職業ランキング一位となっている職業らしい。


 道無き雪中を進んで村の門前までやって来ると、そんな人気職に着任された二人はぎょっと目を見開いて現着した僕ら三人の元へと駆け寄ってきたのだ。おや、何か疑いを掛けられるような行為をしたかな……僕が以前この村でやらかした仕事がバレたかな、なんて思い臨戦態勢を取っておいたのだが、そんなことはなかった。僕の仕事は完璧だった。


「大丈夫ですか⁉︎」


 普通に心配され、何が何やらと思ったがその心配の源は考えるまでもなく坑道内で傷が開き出血した際に出来た胸元の血痕からだろうさ。胸元が全面的に血染めの赤色になっているのだから、人道的に心配くらいはするってものか。一瞬気が付かなかったのは、僕が染まり切っているからだろう——赤色に。

 ここで状況が良さげなことを察したテンケツが、


「山賊にやられた。医者を探している。入れて欲しい」


 なんてペラペラとよく回る舌で嘘を並べ、そんな嘘でまんまと騙されてしまった純朴ボーイ二名は僕らを簡単に通してしまい、更には心優しきもので片方が案内まで買って出てくれた。


「丁度今、凄い医者の方が村に来ているんです。チグマガ先生よりも腕が立ちますよ」


「そいつは上々」


 道を折れ、家と家の間を縫って進み、抜け出た小道を遡った果てに到着したのはチグマガ先生が働く村唯一の小さな医院ではなく、何ら可笑しなところもない平々凡々な民宿であった。旅の医者と聞き、黒髪に白メッシュの入った世を忍ぶ系の法外な値段請求してくる闇医者だと勝手ながら妄想していたのだが、想像なんてものは存外頼りにならないもので、僕の期待を下回る常識さにちょっちガックシ来た。まあ、門番なんて正当な役職に着いてる奴が案内してくれたのだから、暗い系の話題運んでくる訳がないか。


 旅の医者が変人であって欲しいというよりは、才覚を持つ者は狂っているべきだという押し付け。そうでも無いと、無才の人間は息もまともに吸えないし吐けない。世界は平等であるにも関わらず社会が平等じゃないのは、如何せん気味が悪いだろう?

 まあ、口には出さないけどね。


「すみませーん」


 付き添ってくれた門番が民宿の戸を叩き、人を呼ぶ。

 しばらく待つと戸が開かれて一人の大柄な男性が姿を現した。この民宿の主人は確か腰の曲がったやたら美味い魚の塩焼きを出してくれる爺さんであるため、この巨躯を持つ男は客だろう……すると、コイツが旅の医者だろうか?


 ブロンズの短髪は短く刈られていて、顎には豊富な無精髭が蓄えられている。目付きが鋭くちょい怖いが全体的な顔立ちは整っており、何というか大人の色気のようなものを感じられた。


 身長は百八十を超えるだろうか、かなり大柄だが首から下が脚かよってレヴェルで脚が長いためかとてつもなくバランス良く感じる。そして何より、服を下から圧迫する圧倒的筋肉。これは最早服への虐待だろ。一瞬そのプロポーションと何故か感じる芳しい闘気から殺気を放たれていると勘違いしかけたけれど、どうやら違うらしい。


 うーんいやぁ、強いだろうね。

 よーいドンで殺し合ったら、まず死ぬなこりゃ。


 自然と身を強張らせて様々なパターンで万が一にも襲われた場合の対策を頭の中にて行っている間に門番くんが事情(嘘)を話してくれたため、知らん間に話が進んでいて無言のままに着いて来るよう促す男の背中を門番くんを先頭にしてよちよちと追って民宿へと上がった。


 通路を進む最中、門番くんは頭だけで振り返って顔を歪めて、


「彼は先生の護衛で、ユリウスさんです。ちょっと強面な方ですが、話は聞いてくれていますのでご安心をば」


 と男へのフォローを入れる。


 まあ見ていたらわかるが、いかんせん反応に乏しい。ぼけーっと腑抜けている訳ではなく、不感症というか、どこか非対称で不安定な寡黙さを纏っている。厳しく自己を律しているのだと言っても良い。


 たった二部屋しかない民宿の手前側の部屋へと案内されて、言われるがままに室内へと足を踏み入れると、そこには、一人の女が姿勢を正して座っていた。相方である男を見ての予想で、てっきり四か五十代の老獪な医者でもいるのではと思っていた僕は呆気に取られて一時思考が停止したけれど、何とか持ち前——最近ことある毎に強化され続けている——スルースキルを活用し、導かれるがままに女と対面する形で腰を落とす。


 女は異様と言っても違いがないほどに肌が白く、正しく最初に僕の思い描いていた黒に白のメッシュが入った髪に優し気な目をしており、不思議な確信ではあるがこの女こそが医者であり、想像を絶する才能を持っていると感じ取らことが出来た。在り方、あるいは世界に対する姿勢とでもいうのだろうか……そういった類いのものがどこかソウル・ステップに類似しているように思える。それは同時に、使命を持っている人間である……とでも言えば良いのだろうか。取り敢えず、ゴールを見据えている人なのだろうと思ったのだ。そして悲しきかな、ソウル同様に痩身ということもあってか、医者相手に何を言っているのかと思われるかもしれないけれど戦ったら勝てる自信はあった。これは、充分な安心に繋がる材料になるだろう。隣の男さえいなければ。


「オレはユリウス、彼女はフィフティ・フィフティだ。よろしく」


 どこかガタついた男、ユリウスの挨拶に会釈を返すと、男は腰を下ろした僕に近付いて服を捲り上げて、包帯の上からではあるが目視による胸元の傷の確認を行いだした。何の事前連絡も無しの行動に動揺した僕を一瞥し「そう気張るな」なんて、軽口を叩いてきた男に多少イラつきを覚えもしたけれど、今手を出してこの傷の治療をされないって方が損だろうと考え、ぐっと抑える。短気は損気と言う、堪える時は山の如く。


「えらくエグい傷がついているな。だが処置は完璧に近い、それに少し古い血だな?」


「血は、一日ちょっと前のものです。傷自体は三、四日前でここに来るまでの道中にニチリングマの脂を当てておきましました」


「ああ、説明としては十全だ。問診の必要がないのは助かる。……そっちの坊主もか? あー、一人ずつ処置をするから廊下……じゃねえな、隣の部屋で待っていてくれ」


 門番の君頼めるか、と独特な重さを持つ声でユリウスさんが告げると「承知です」と門番くんは多少気圧されながらも答え、ソウルとテンケツを隣の部屋へと案内していってしまった。残ったのは僕とユリウスさん、そしてフィフティさん……ちょいと気まずかったり。


「今、布団を敷くから楽な姿勢で待っていてくれ」


「あ、わかりました」


 言われた僕は姿勢を崩して布団が敷かれるのを待つ。


 眼前の女、フィフティさん。この場を取り仕切っているユリウスさんが護衛なのだとしたら、この人が医師なのだろう。だが、違和感……ずっと鳩尾の奥を犇めいている違和感は何だろうか。わからないが、まあ深掘りする必要がないことだろうとは理解出来るのだけれど、どうにも気になってしまう。不安定さか? そんな気がするな。同じスタンスの人間であろうソウルとフィフティさんだが、フィフティさんの方は半分欠けた硬貨のような残りを想像で補えはすれど、または自然と補ってしまうが確かにそこにないモノへと思いを馳せるような、そんな感覚がする。伝え辛いな、もやもやする。


 例えば、本来左右対称である物があるとする。それを一度は確かに見たことがあるのだが、今眼前にあるそれは左半分が欠けている物だ。しかし僕は一度完全体のそれを見ているために左右対称に考えて完璧な形の物を想像出来る。だが、今目の前にあるものは右半分しかないため、左半分が本来どのような物であるのかは不明な状態……的な?

 ますます混乱するな、こりゃ。


「ままならないにゃー」


 思うままに嘯いてみると、


「どうかしたか?」


 とユリウスさんに反応されちまったぜ。

 恥ずかしいな。


「いえ、着替えを持っていないのでどうしたものかと思いましてね」


「ああ、成る程。それなら一本隣の通りに服屋があったはずだ。傷塞いだら、新調するといいさ」


「そうさせていただきます」


 苦笑交じりに応える。


 焦って適当な嘘をついたのだけれど、確かにこんな血塗れの服を着続けるのは気分が悪いし、治療が終わり次第買い換えるのもアリだな。折角イワミ町で新調したのに早速買い替えなのは残念無念ではあるが、どうせ元々街に寄ったら別の服に着替える癖があるからそう大した苦労でもないか。


 布団の用意が終わり、促されて僕はコートと血濡れの服を脱いで上半身包帯だけの姿となり布団の上に横たわる。うつ伏せになった僕の隣にはこの部屋に入ってから一切として動くことなく、ただ茫然とどこを見ているのか判断出来ない——あるいは何も見えてはいない虚な目をして座しているフィフティさんがいる。その隣にユリウスさんが腰を据えて、傷口の確認とその治療のため包帯を外したところで、彼はハッと手を止めた。


「秘密ですよ」


 包帯は上半身全面を覆うほどに僕を包んでいた。

 そんな中、露わになった背中に刻まれた大量の傷と傷跡の数々……乙女の秘密だ。


「わかった」


 肯定一つ返し、それ以上の言及はない。ユリウスさんは、人を思いやれる奴なのか。


 使い古した包帯が切除されていって、遂に生傷が姿を現す。冷え切った空気が傷を撫でてジクジク痛むけれど、痛みを嚙み殺すことには慣れているためにぐっと拳を握り締めて表には出さない。


「酷いな。山賊なんかじゃないだろ、これは」ツっと指を傷口に当てられて、驚きと痛みに体が反応してビクッと縮こまってしまう。「すまんが、少し動かないでくれ。今、縫い合わせる」


 何をしようと言うのか、見ない方が得策であるにも関わらず興味から頭をずらして視線をやや後方へと動かしてみる。そこには、フィフティさんの手首を握り、その小枝のように細く今まで恵まれてきたことを思い知らせる滑らかな指を傷口に沿ってゆっくり、ゆっくりと一センチメートルを進むのに一分近い時間をかけて指を這わせていく姿があった。


 自分の体のことだ、自分が一番理解出来る。指が這って進むにつれて、切り離された肉と肉、細胞と細胞がぴったりと隙間なく何もない、もしくは存在しているけれどあまりに木目細やかな糸で縫い付けられていったのだ。何を言っているにかわからないだろうが、意味がわからんことなんてここ最近多すぎてもう慣れっこだろうさ――何のことはなくフィフティ・フィフティ医師は能力者ってこった。


 敵か、無関係か。

 追跡者か、どうなのか。


 現状では好意的な相手だが、僕を狙わずにソウルだけを確実に取りに来ている可能性もある。僕だったら目標を確実に殺めるために、先に護衛を治療してそいつに対して善人ですとブランディングするだろう。つまり、今はそのターンってことだろうか?

 信じていいのか?


 判断つかないから五部程度の警戒をしておくとしよう。


「怪我、多いな。身体は大切な資本なんだ、大事にするべきだぞ」


「今の社会じゃ、そうも言ってられないでしょう。毎日食べていくためにも、身をこなして働かなくちゃ……」


「何の仕事をしているんだ?」


「元は狩人を。今は、もう一人の彼を護衛しているんですよ……まあ、護り切れなくてこのザマなんですがね」


「襲われたのか。この火傷や傷もそん時のヤツか」


「えぇ、街中で爆弾なんて使うモンですから……流石に対応し切れないってんで厳しいですよ」


「傷は、全部塞いでおくからな」


「お願いします」


 胸元の刺し傷は傷跡も残ることなく塞がれて、細かな切り傷に指が移る。


「この治療はあくまでも傷口を塞いでいるだ、回復力はお前の自力に頼ることになる。健康な生活を心掛けろよ」


「善処します。ちなみに、どのくらいの期間ですか?」


「んー……胸の傷がかなりの大怪我だからな。それに細かい傷もかなりある、七日以上は確実だろうな」


「長いっすね」


「そんなだけの大怪我ってことだ、養生しろ」


 治療が終わったのかベシッと背中を軽く平手で叩かれたので、僕は体を起こして安座の姿勢を取る。手近にあった血塗れの服に袖を通した後で襟を引っ張って自分の胸元を見たところで、まるで元々傷なんて存在していなかったと言わんばかりにぴったりとつるんとした肌が広がっているのみだ。


「もう一人、いるんだろ?」


 ユリウスさんが言って腰を上げたところで、僕は「あの……」と声を上げてユリウスさんの動きを停止させた。


「あいつの治療、立ち会ってもいいですか?」


 この質問にユリウスさんはフィフティさんに目を返し、少し苦悶の表情を見せた後で快活に「護衛、だからな。構わんさ」と口にして、止めた足を再び前へ出してソウルを呼びに廊下へと消えていってしまった。

 部屋には二人、僕とフィフティ・フィフティ。


「フィフティさん……」


 返事はない。


 口が聞けないなんて、ままあることだ。

 座ったまま腕の力だけで布団から降りてソウルらを待っていると、一分と掛からずにソウルとユリウスさんが部屋へ戻って来た。ソウルも僕同様に服を脱いで布団に横たわる。


「ユリウスさん」


 同じ質問をするべく、口が聞けることが確定しているユリウスさんに話を振る。


「何か?」


「彼女、フィフティさんはどのような手段で僕の傷を塞いだんですか?」


「…………それは、どういう?」


「一から十まで、全部感覚の話にはなってしまい大変申し訳ないとは思いますが、傷を塞がれている最中、縫われているだとかそういったものとは違った変な感覚だったんです。だから……馬鹿な話だって理解はしているのですが、不明ってのは怖くて、それを護るべき人に受けさせるってのは……」


 最後は濁して、僕はさも何も知らない勘の良い奴を演じて腹を探った。


「成る程、言わんとすることはわかる。ごもっともな意見だ」ユリウスさんは安座の姿勢を正し、愚直な言葉を紡ぐ。「フィフティ・フィフティは、手で触れた傷を縫い合わせる力を持っているんだ」


 能力の開示……嘘や語っていない部分があるとしても、この言葉を信用するのであれば敵である可能性はかなり低くなる。手の内を殺害対象の前で晒す行為はそれが例えたった一つであったとしても複数用意するべきプランの二割以上を失うことになる。それを今、明かした……腹六分目くらいは信用してみてもいいのだろうか。

 何より、医者としての腕は確かだ、生き延びるならここで事を構えるよりは治してもらうのが最善策か——最善ならやるしかないだろ。


 だが、こっちの手はまだ一切明かさない。まだ、護衛の方を信用するに足るピースが手に出来ていない。腹ン中に何持っていようと信用出来る奴はいるし、信用出来ない奴もいる……お前はどっちだユリウス。片方信じられてももう片方が首元狙うなんて、しょっちゅうだ……薮から出るのが善いモノであることを願おう。


「治療、ありがとうございます。すみません、疑って……コイツのことも、頼みます」


「良いのか? とても信じられる話じゃ無いと思うが……」


 自分で言っておきながら苦笑混じりに嘲るユリウスさんに、僕は挑戦的なはにかみで返す。


「力は、半分信じてみることにします……でも僕は、あなたの話ではなく彼女の腕を信じるんです。命あっての物種、ですからね」


「それさ、きっとコイツが貰って一番嬉しい言葉だ」


 ふっ、なんて優しげな笑みを浮かべて顎を摩るユリウスを僕は心から愛おしいと思った。危うい子供を想う母親のような温かな気持ちが心を締め付けて、緊張が緩む。こんな厳しい世界の中で人を想う気持ちを持つ者が今も生きているなんて……そういう事実が、人の心の可能性を、見たかったものを見せてくれた。


 どうか敵対しないでくれ。


 そう願う他ない無力が、今は悲しい。

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