第十四話/獣陣演技

 道中、大したアクシデントも起きることはなく、日が暮れるか暮れないかの微妙な時間には旧イワミ町へと辿り着いた。


 木造の家屋が二十数軒立ち並び、所によっては屋根や壁から植物が生えており、樹木に取り込まれているものもある。閑散としていて人が住んでいる気配がないのは、数人で残ったとして生き延びることが出来ないためだろうか……或いは、山脈の南から来たる襲撃者のためか。きっとこの場合、わからないものはわからないで蓋をした方が良いものだろう。


 おどおどと結構ビビっている俺を気にせず、ズカズカと行ってしまう護衛二人を必死に追いかける。二人は迷うことなく一軒の民家へとへと入っていったのだけれど、俺はどうしてこの家が選ばれたのか理解出来ず、疑問を考察するべく外からこの家屋を観察することにした。


 見た目は他に並ぶ家々と変わらない。殊更取り上げるべき点は無いように見えるが、見方を変えるべく複数の家屋と見比べて、気付く。二人が入っていった家屋だけがツギハギだが修繕の跡が見受けられる。


「なあなあなあ」二人の後を追って、家の中へと入っていく。「どうしてこの家に迷わず入ったの?」


 俺の予想は、この街の坑道を使う悪い大人がこの家を修繕しながら勝手に使うようになり、それからこの家を使うのが一般化して――みたいな感じだ。


「あー……ちょっと前まで、ここで爺さんが一人で住んでたんだよ。ここの出身者で、生まれた場所を捨てられなかったんだろうね。そんで、一人で寂しかったのかその爺さんってば坑道使う僕ら悪い子ちゃん達をここに泊めたりしてたのよ、無償でさ」


 思っていた話とは大分違うけれど、これはこれで面白そうな話が飛び出して来たものである。


「それで、どうしたの? そのお爺さんは」


「ん? えー、いつ頃だったっけ?」ヴァンの質問に、テンケツさんが「三度前の寒冷期だ」と簡潔に答える。「――まあ、そん時にキサルキって知ってる? こう、赤毛に包まれてて額から二本ちっこい角が生えてるんだよ。んで、いつも世話になってるからってことで珍しく裏の奴らが集まってキャッキャウフフとキサルキを狩猟することになったんだけどね、一向に捕えられずに爺さんの家に帰って持ち寄った飯で軽い酒会でも開くかってノリノリで帰ってみたら、嫁の前で喉食い破られて死んでる爺さんが発見されたってワケ。だから今は無人なんだ……まあ、ここの家使ってんのは癖だよ、ほとんど」


「そうなの。それで、その……お爺さんが殺されちゃった後はどうなったの?」


「んー? いや、どうなったとこうなったもないけど? 爺さん死んじまったから残念だねって解散した」


「遺体は? そのままにしたの?」


「そりゃ勿論。キサルキが見せしめ作ったんだから、その見せしめに近付くような愚はね」


 犯さないって、と続くのだろうがその言葉はなかった。お爺さんに対するせめてもの心遣いか、ただ略しただけなのか……俺には判断しかねる。


 居間に荷を下ろして中身を漁るヴァンに倣い、その隣に荷袋を下ろす。ヴァンは荷を開いて早速夜食の準備に掛かっているようなので、することも何も思い付かない手持ち無沙汰な俺は「手伝う?」と声を掛けるが、ヴァンは俺を一瞥もすることなく「うんにゃ、いいよ」と否定を返された。


「食の楽しみは何が出るかの謎も含まれるからね、キッチンは禁足地だぜ〜」


 言って、行ってしまった。

 まあ、コック長の仰せの通りに台所には近付かないでおこう。下手なことをしてあのリス汁を作る奴の飯を逃すのは余りにも惜しい。


 とは言っても手慰みものがないのは辛いので、少々ばかり彷徨いた後、送りついでにミヤマ村で売るらしい刃物の手入れをしているテンケツさんの側に寄り、腰を下ろした。


「………………」


「………………」


 座ったはいいが、話のネタがない。

 こちらとしては刃物の手入れをしているテンケツさんを眺めているだけでも充足した時間を過ごせるのだけれど、それではテンケツさんが気まずいだろう。だがしかし、話に値する話題がない。


「……キサルキは、人を釣る」そんな俺の内心を見透かしたように、テンケツさんは手を動かしながらも語り始めた。「ここの主人は威嚇と餌に使われた。故に遺体を回収するリスクが高く、何も出来なかった。あいつに人の心が無い訳ではないんだ、許してやってくれ」


「……そうなんですね。教えていただき、ありがとうございます」

「教会の使徒としては不服だろうが、緩冷期には遺体を回収、埋葬した。墓石は転がされたがね」


「賢いんですね、キサルキ」


「だからこそ、死人が多い。被害者の一人というだけ、という考えもある」


「それでも……駄目ですよ。だって、それじゃあ死んだ人が報われないでしょう」


「そうだな」


「………………」


「………………」


「剣はどうするんだ」


「剣……ですか?」


 左腰の剣を見る。

 あの屋台の、結局金を払っての取り引きを行わずに結果としては盗む形となってしまった物だ。


「どう……しますかね」


 低位とはいえ聖職にある者として、盗品を使うことには抵抗がある。拭うことなど出来ない罪ではあるが、仕方ないで済ませられる心の強さ・優先順位の確率は未だ成っていない。俺の愚かさが全て悪いのだから言い訳も自尊心も振り切れたら良いのだけれど、最高速度で走り抜けられず常に背後を取られているような嫌な感覚が背筋をそっと指で撫でているのだ。


「借りるぞ」


 言うと早く、テンケツさんは俺の腰から剣を抜き取り、十数秒刀身を確認した後で丁寧に力強く磨き始めた。その様子はどこか厭世的で、彼がこの剣に対して果てしない憎悪を抱いているように……いや、この剣だけではない。今まで磨いていた刃全て、テンケツさんは同じ面持ちで磨いていた。全ての刃物が憎いと言わんばかりに、それなのに、この人はどうして……?


 俺は彼のような慧眼を持ってはいないため素直に声に出して訊くことにした。


「テンケツさんは、どうして鉄を打つんですか?」


 手は止まらない。答えもない。しかし、それは無視しているのとはどこか異なる、それこそ最も考えるという行為に適している姿勢だからこそ磨き続けている。そう見えた。


『——————』


 暇はなく、彼の答えが出るよりも早く、屋外から響いた獣の声に意識が持っていかれてしまい、俺は反射的に扉へ顔を向ける。遠吠えではなく、生命の危機に陥った時に発するような後先を考えずにすがるような悲痛な叫び。


 声に驚き硬直した数刹那後、今度は家の内側で大きな物音が響き、反射的に振り返った。すると、視界には厨房と居間を繋ぐ敷居の戸を勢いよく開け放ったらしいヴァンが、息も吐かずに滑るような足取りで家の扉へと接近していく姿が映る。


「キサルキだ、近いぞ」


 何を問うまでもなく答えたヴァンはこちらに視線を寄越すこともなく居間をズカズカと移動して、外はと出て行ってしまったので、俺はテンケツさんを一瞥した後で何の気なしにヴァンの背中を追ってみた。家を出ても迷いなく歩を進め続けるヴァンを不思議に思いながらも、下手に口を出せる雰囲気ではなく、ただ、何か迷惑を掛けぬように細心の注意を払って一定の距離を保ちながら着いて進む。


 家を出て、付近の藪の中を少し進むと、ヴァンが突然腰を屈めて俺にも同じ姿勢を取るように合図を送って来た。慌てて腰を屈めてみると、ちょいちょいと手招きして薮の向こうを指差したので、なるべく存在を消しつつ隣へ寄って指差してる方へと目をやる。


 今日も今日とて月明かりは眩しいくらいに降り注いでいるために視界に不便はしないというのに、指で指し示されて、目を向けて、見て、一度疑問符を頭に浮かべて、ようやく始めてその存在に気が付いた。


 息を呑む。


「あれは……」


 虫のまつ毛が落ちた程度の声量で、答えを知っている問いを投げ掛ける。


「キサルキだ、死んでいるな」


 赤毛に人型。長い腕は山林の中での強みを見せつけるようであり、だらりと開いた口から覗く牙の数々は凶悪な野生味を振り撒いていたことだろう。


 だが、今は——


「——そっちじゃない」


 その、更に奥に蠢く影。

 成人男性が縦に並んだ程度の全長をに、がっしりと肉付きのよい体格。鼻先は先に伸びており、瞳は亡霊の魂が如くゆらりと彷徨っている。そんなら生き物がキサルキに牙を突き立てて、喰い違って、貪っているのだ。


「胸元、ちょっと見えるだろ? 黒い体毛の中に、そこだけ白い円がある。それを太陽に見立てて付けられた名前だから、ニチリングマだ」


「あれが……?」


 旧イワミ町の山脈を穿った坑道。その坑道を辿って南から流れて来たという外来種。ニチリングマ。まさか、実物に出会うことになるだなんて……旅を始めてから常に思っていることだけれども、どうにも運がないな、俺は。


「休みも切り上げて、坑道を抜けちゃう?」


 言いかけて、ヴァンを


「え?」


 立ち上がって不敵に口角を釣り上げるヴァンを見て、脳内を巡った疑問符が意図せずに口に発して声に漏れた。ニチリングマが出て危ないから逃げようってンじゃないのか? 何で立ち上がったの? 何で笑っていられるの? 何で進み出したの? 何? 何なのコイツ?


「ニチリングマは美味いぞ。ちょっち独特の臭みはあるけど、ネコワラビで揉んでやればそれも和らぐ。キサルキは……癖が凄い。弾力もアクも凄くて鍋にゃ向かないから燻製が一番なんだけどなぁ、今出来るのだと蒸し気味になっちゃうから携行にゃ向かないんだよなァッ」


 走りもせず、上体を左右に揺らしながら歩き、ニチリングマへ接近する。ヴァンの接近に気が付いたニチリングマは唸り、キサルキを口から離して前足を挙げることで威嚇した。


 立ち上がったニチリングマは背のあまり高くはないヴァンの二倍以上ある巨躯ではあったが、遠くで待つ俺を戦慄させようとも近付くヴァンはそれを無視して、優々とニチリングマの間合い内へと入って行く。前足を戻す動作と同期して攻撃に転ずるニチリングマ——であったが、体勢を屈め鮮やかな回避を見せたヴァンは回避と同時に袖から刀身の長めなナイフを取り出して一息に大地を蹴り上げ、切先をニチリングマの胸に突き立てることで何のことは無さ気に打ち勝った……圧倒的な勝利であった。


 受けた返り血を手の甲で拭ったヴァンはバッとこちらを振り返ると、満面の笑みを浮かべながら俺に対してブイサインを作り、その後でまたしても手招きをしたのである。ニチリングマをものの一撃で討伐したことへの驚きも、無邪気に俺を呼ぶ姿への呆れもごちゃ混ぜにした不可思議な心地でヴァンの元へと歩み寄る。最早、考えを停止させていたと言ってしまっても何も問題はないだろう。


「ちょーっと待ってな」


 俺に手招きをしてすぐにニチリングマの解体に取り掛かっていたヴァンの姿をぼーっと見つめていて、気付く。


 ヴァンの戦いの起源は、狩りなのだろう。


 元々が対人ではなく対獣であるために人殺しにはどこか似つかわしくない、しかしそれを差し引いても余りある適応能力がそれ補っている。どちらも狩りの中に含まれるものではあるけれど、簡潔化された行動はパターンを決めてしまうために、対獣戦闘は対人に際してほとんど死んでしまっている。真に危険なのは適応能力、ということだろう。


「そういえば、あの水飛ばしてくる人が〈熊撃ち〉って言ってたけど、あれってこれなの?」


「ん? ああ、まあそうね。アレよアレ。アストライア家の蔑称なんだけどね。ウチは元を辿ると狩人でさ、今でもそっちの側面も残してんだけど、殺人専門の奴らかは見たら変なんだろうね」


「どうしてアストライア家は殺人に手を染めたのか、知ってるの?」


「んー? まあ、ね。色々よ色々。たまたま偶然が重なったのと、結局は食っていくため」


「そぅ」


 何となく、沈んだ気持ちになると突然ヴァンに何かを投げて寄越され、受け止めきれずに顔面で受けることになった。ヌメヌメして臭う生暖かいそれは、手に取ってみれば何のことはない目の前で解体されているニチリングマの脂身であり、何故これを渡されたのか、まるで見当もつかない。嫌がらせか?


「傷口に当てとけ、傷が残らなくなるから」


「民間療法?」


「ミヤマ村まで僕らの体が保つか賭けなんだ、やれることはやっとくべきでしょ?」


「違いない」


 折角今貰った採れたてホヤホヤの脂身なので、解体中のヴァンから少しだけ距離を取ってその場で装備していくことにした。傷口を塞ぐ布とそれを固定するための布の両方を一時的に外して、脂身をセットし、布で固定する。凄い違和感がある上に獣臭も強く肌触りはやはりというか何というか気持ちが悪いけれど、人からの好意、無碍には出来ない。


 だが仕返しはさせて貰うぞ、ヴァン・アストライア。


「ヴァンも穴空いてるんだし、着けたら?」


「僕は厨房でやるからいいよ」


「そう……」


 無理矢理……という選択肢は、お互い傷持ち故よしておこう。無茶してそこの熊と同じく殺され解体されて恨み言の一つも言えなくされたら元も子もない。


 ちょっと膨れてぶー垂れてあると、


「あっ‼︎」


 唐突に割とデカい声でヴァンが声を上げた。

 大きな声を上げたとなると、野生生物の類い等々の生命活動に危機的損害を与えられる可能性を内包しているものではないと見るが。


「どしたん?」


 ヴァンの様子から安心して、適当に事情を問う。


「そういや、どっかに猟銃忘れて来たわ」


 そういえば、コイツと初めて会ったあの酒場では猟銃を肩に掛けていた。銃は確か、東部で製作が盛んだったはず……それなりに値が張る上に使う機会にも恵まれなかったので使うどころか触れたこともないけれど、アレは男心をくすぐるよなぁ。


 結構がっくしきているヴァンを横目に、俺はしみじみとそう思う。




 余談だが、ニチリングマの肉はぷりぷりで多少臭みはあるものの俺の人生肉ランキングトップ五に入るレベルで美味かったのだが、キサルキの方はとても食べられたものではなく、申し訳ないが、三人全員がギブアップして爺さんの墓への貨物として大地に捧げられることになった。

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