第十三話/望郷酩酊
思い返してみると、僕とテンケツとの出会いは幼少まで遡ることとなる。
*
南西の切り立った山々に囲まれた、教会が発行する世界地図にすら載っていない小さな村。掲載されていない理由は……というか、削除された理由はこちらにあるが、それはまた別の話。あいつとの出会いよりも長くてグロくて色々な因果関係がぐちゃぐちゃに入り乱れてる話だからここでは語らないでおこう。
八歳の極冷期。村のおっさんが一人、熊に殺されたため、アストライアのメンツを守るためにも村総出でその熊を殺すべく山狩りが行われ、僕と親父も参加して、共に山に出ていた。
「親父、チョロチョロがいるぞ。捕まえて良かか?」
「やめろ、下手な音出させんな。腹減ってんならイロリせんべい食ってろ」
別に空腹故に言った訳では無かったが、許可が降りたならば遠慮無く食べさせて貰おうと、腰のポーチから胡桃を潰して米と一緒に混ぜたものを軽く焼いて作った狩人の味方、緊急カロリー完全栄養食イロリせんべいを取り出して、ちびちび食べながら父親の背中を追っていく。余談だが、このイロリせんべい味付けとか気にして作るタイプのものではなく、山の中で遭難した時用の飯だからあまり味がしなくて美味しくはない。
僕の親父は、殺し屋をやってはいなかった。
村に住む九割の人間が殺しの仕事をやっていたのに、父は人だけは絶対に殺さなかった。理由は、何か本能的に抵抗があるみたいなぼかし方をされた気がするけれど、生来人殺しの技を教えられて、この時既に人を殺した経験があった僕にとってはよくわからない感覚だけれど——今でも少しわからない感覚だけれど——きっと、それは大切なものなのだと思う。
でも、熊だの猪だの野生生物とやり合う際の父は僕ら一般人殺しーズが殺人やってる時みたく生き生きした表情だから、村人達からは「あー、こいつ対象が人じゃないだけでちゃんとアストライアだわ」と認識されて、迫害とかそういうのとは無縁だった。つか、山に入ったらメンタルガチハンターの父に誰も勝てなかったから、喧嘩売らなかったんだと思われる。
ぼけーっとイロリせんべいを半分まで食べた頃、突然足を止めた父の背中にぶつかってしまい、囲炉裏煎餅を雪上に落っことしてしまった。イロリせんべいを拾い上げて、父の背中から顔を覗かせて父の視線を追ってみると、その先には、雪から二本の人の脚が生えていたのだ。結構シュールだが、笑えない状況だ。
「土団子?」
父に問うと、父は何も答えずにそれに近付いて行き、確認した後で首を横に振って僕に返した。土団子……熊のおやつでないことがわかり、安全だと証明された後で僕はその奇怪なものに接近する。
既に発掘作業を進めていた父を手伝い、それを掘り返してみると、どうやらここで一晩を明かそうとして雪に押しつぶされたらしい若い男が掘り出されたされた。歳は当時の僕よりも高いけれど、しかし父よりは幼い、思春期辺りに見える。
「死んでる?」
確認しようと手を伸ばした僕の手首を父が掴み、僕に変わって父がその男の首筋に指を当てて脈を測った。今思うと末恐ろしい行為だけれど、僕はこの時デフォルトで、ニュートラルの思考で、頸動脈を切断して生きていたとしても確実に殺し、それが遺体であるという結果を残そうとしていたのだ。そんなもの、父で無くとも社会常識を持った人間ならば誰であっても止めるだろう。
「生きてるな、連れて帰るぞ」
言うや早く、父が自分の着ていた羽織りで背中に男をがっちりと固定して、僕をその場に置いてそそくさと来た道を遡って行ってしまったので、僕は少し迷った後で男のものと思われる荷袋を手に取り父を追いかけた。荷袋からは金属が擦れ合うガチャガチャとやかましい音が聞こえ、そして何よりやたらと重い。結構大変げな感じだったと記憶する。
父は村人が手を出さない程に雪の降り積もった山を歩くのが素早かったので幼く、歩幅の狭い僕では追いつくのに苦労したけれど、幸いそれ程深くまで潜っていなかったために、父を見失っても何とか家まで辿り着けたのだ。普通に心細かったけれど、今は思い出だろう。
親父がそれだけ急いだということは生命のリミットが近かったのだろうが、実の子を置いて行くとか正気とは思えないけどね。その後も謝罪とか無かったし、いや信頼されてると考えるとちょっと嬉しいけどさ。まあ、もうどっちでもいいか。都合の良い信頼されてたって認識でファイナルアンサーとしよう。
そんなこんなで我が家、木組みの一軒家。屋根の雪を見て「午後は雪降ろしかな」なんて思いながら戸を開き、帰宅する。
「ただまー」
いそいそと外套を脱いで放り投げ、居間の中央に構えられた炉の焔に当たり、外気で凍え切った身体を暖める。四辺ある枠組みにそれぞれ右に父、左に妹、そして向かいにあの雪に埋まっていた男が寝かされていた。母の姿が見えないのはまだ昼下がりだったから村でもうろついてたのだろうさ。父にその男の荷袋を渡すと、父は男の足元に荷を置いて一言も喋ることなく火に当たり続けた。
様子からして、既に家族への事情説明は終えているのだろう。埋まっていた男が眠っている以外は何も可笑しなところも無い日常だ。
「せんべい焼いて〜」
イロリせんべいを焼くのが苦手だった妹が、僕に生せんべいを渡してきて、僕も何か落ち着かなくて手慰みが欲しかったために生せんべいを受け取り、炉に近付ける。イロリせんべいは胡桃が混ぜ込まれているために油分が多く、火に近付け過ぎるとすぐに焦げてしまうので、絶妙な距離感が重要となるのだ。経験の希薄な妹では、上手く焼けたり焼けなかったりする。
まあ、そのせんべいが上手く焼けたのかどうかは覚えていないので中略させてもらうが、埋まっていた男——面倒なので言ってしまうとこの男こそがテンケツなのだが、あいつが起きたのは、午後の雪降ろしを終わらせ日が完全に沈んだ頃だった。目を覚ましたあいつに事情を説明する際、僕と妹は裏で待たされていたために知るところではないけれど、親に呼ばれて対面した時には既に凛とした姿勢で座っていた。凛としたっていうかいつも通りの仏頂面って表現の方が合ってるけど、まあ、そこは論点じゃないか。
取り敢えず、その姿は、ここだけの話だが幼い僕の心を大きく揺さ振り、胸中に熱を持たせたのだ。恥ずかしいが憧れたのだろう。
何はともあれで、本当は明確に覚えてはいないだけだけれど、夕食になった。夕飯はシチューだったはずだ。
家族、円になって食事をする。
別にそれが我が家のルールというワケではなかったけれど、いつもそうだったから、自然と円の形を作った。家族の円の中に他人が入っているのはどうにも変な感じだったけれど、それ以上にあいつがどういう奴なのか知るための時間が出来て喜んでいたように思う。
「どこから来たんですか?」
「東から」
「どこへ向かっているんですか?」
「西都へ」
「何しに行くんですか?」
「見て回りに」
「観光?」
「修行かな」
等々、質問攻めにして面倒な小童をしてみたけれど、あの時は結局よくわからん変な奴としか思えなかった。今では鍛造にしか興味がない変態という認識なので、どちらの方が評価されて幸せかはあいつ次第だけれどね。
確か、最も疑問に感じたのは修行のために外へ出ることだったと思う。修行——というか襲撃?——なんて親や近所のオッサンオバサンが勝手につけてくれるし、自己鍛錬なら山に入れば常時死地で自然と鍛えられる。世界を回る理由が、この時の僕には無かった……小さな村というコミュニティで生活が完結していたから、大海原に出る必要がなかった故、疑問を抱いたのだろう。
ただまあ、あれからそれなりに経った今ならわかる。広い世界に出て色々見て、知って、回ると、人としていくらでも成長することになる。それは、何より手にすべき大切なモノのはずだ。
これも可能性というヤツなのだろう。知らんけど。
そういえば、いつか父が言っていた。
「円は縁を意味する。縁は『宴』や『艶』の側面も持つが、『厭』や『冤』の側面も持つ。だがそれは表裏ではない。廻っている。円は万物万象を意味する……」
だか何だか。
ソウルとの出会いは負の側面の縁から始まったけれど、今はバディを組んで共に旅をする良縁となっている。わからないものだ、人生なんて……それが楽しいと思える僕は、幸せ者なのだろうとしみじみ思う。
どのくらいだったか……四日から六日程我が家で療養したテンケツは、再び旅立つことになった。
その時、父に渡した山刀――その刃を見て、僕はようやく心惹かれた真相を知ったのだ。あいつが打ったらしい山刀は、未だ妖刀に至っていないというのにも関わらず、異彩を放っていた。
この刃で斬られたら確実に死ぬ。
確信だけはあった。
幼い僕は戦慄して、呆然と精気を抜かれた死人が如くただふらふらと雪中へ消えていったテンケツを見送ったのだ、怖い本物を見たと戦々恐々して。
でも、不思議と鼓動は高まって、僕は、どうしようもなく興奮していたのだ。
それが出会い。
あまり面白みのない話だったけれど、あいつと僕の奇縁良縁は理解していただけただろう。古く長い付き合いになっている事実にあいつの打った鉄を初めて見た時と同じくらい、しかしベクトルの違う戦慄を覚えるけれど、そういうのも大切なのだと僕は賢い子だから知っている。
こっから鍛冶屋として大成したテンケツと再会するのは八回後の寒冷期になるが、こちらは劇的な話はカケラもないからスキップしてしまおう。イワミ町で服屋の店主に面白い奴が越してきたと聞いて茶化しに行ったらあいつだったってだけの、面白みのない話。
全くさ、これがソウルの話だったらステップしてしまおう、と洒落た言い回しで閉められたのだが、残念極まる。スキップステップ、脚は軽く雪上を進む。
チャンチャン。
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