第十二話/石穿進見
思うに、ヴァン・アストライアが俺の護衛として付いてくる選択をしたのは彼自信がどこかで変わろうと考えていたからだろう。決して、俺に才覚があったために付き従ってくれていることはない。
だが、ついつい思ってしまう——自分が特別な奴なんだって。
*
朝、テンケツさんの工房横に構えられた簡素な居間でテーブルを囲む。テーブルクロスも何も無い木製の板の上に並べられた朝食はコッペパン一つと飲み物に葡萄酒、コッペパンに追加分はないが葡萄酒は飲み放題らしい。
久しい普通の朝食。十全に楽しみたいところではあるが、今の俺に、それは許されない。許されないが、争い難い欲望というものに人はどうしても強くはならないのでここは敢えて、逆に楽しませてもらおうか。
「いただきます」
食事への感謝を述べて、パンを手に取る。
柔らかな西都のパンとは打って変わって、少々硬いように感じられる。歯で噛み切るとなると力がいりそうなので、手で小さく千切って口へ運ぶ。奥歯ですり潰すように何度も噛み、それでも飲み込むには難があると見て葡萄酒を口に運び流し込む。
「相変わらず何もかんも不味いなァ、ここの食い物は」
「なら食べるな、ヴァン」
「お前も腕はあンだから街に出ろよ、もう少し大通りに出るんでも良いし五都にでも店を構えりゃもっと稼げるだろうに勿体ねー。こんな埃っぽい所に留まってる意味なんざねぇだろうに」
「意味のないことは、この世に無い」
無表情のままにパンを食べるテンケツさんだが、その姿はどこか自信に満ちており、その顔は崇高な目的を持っている者にしか出せないような厳しさのようなものを感じさせた。
「意味なんざ後から付いてくるものなんだから、先に求めんなよ、阿保らしい。いや、後から付いてくるのに先にあるのか、お前の場合……どっちにしろメンドクセー」
「テンケツさんは、どうしてイワミ町に居を構えたのですか?」
「イワミの鋼は正直な話あまり褒められた質をしていない。だが、それは滓が多いからに他ならない。俺にはその滓を極限まで出す技がある。ならば多種多様な金属が集まるここは都合が良い。それだけだ」
「嘘だよ、ソウル。こいつキショいレベルでシスコンだから、妹に最も適した刀を用意するために最高の刃を作るに足る場所としてここを選んだだけだぜ」
「妹さんがいるんですね」
まるで想像がつかない。
木の股……というか坑道の壁から産まれ落ちたと言われた方が納得が行く程に、家族のヴィジョンが見えない男に、テンケツさんは見えてしまっている。
「ああ、君にも頼んでおこう。もしも大森林に行く機会があったら、俺の妹によろしく伝えてくれ」
「妹さんの顔、知りませんよ?」
「俺に似ている筈だ。それに、剣筋が良かったからな……大森林で最高の剣士に会えば、何の問題もない筈だ」
な? みたいな顔で俺を見てくるヴァン。
俺に同意を求めないでいただきたい。人のことを悪くいうのが嫌いだなんて、偽善的な発言をする訳では無いのだけれど、流石に出会って一日も経っていない相手を酷評するとなると気が引けるよね。
だから敢えて無視しよう。見なかった見なかったー。
「機会があれば、お伝えしますね」
「数年前からヴァンに頼んでいるんだがな、未だに達成されないんだ。どうか頼む」
「いや、そうそう大森林なんて行く機会ないだろ。下手に入ったら襲われるじゃんあそこ、野蛮人共め」
「行ったことあるの、ヴァンは?」
「あるよー。んでちょっとした集落の長をサクッた」
「……ズコフ地区か?」
心当たりがあるのか、テンケツさんが割って入った。
「だっけか? そんな気がする」
「お前だったのか。ズコフは長が有能だった故成り立っていた節がある。長の死後、時期を読み間違えたことで生活が成り立たなくなり、地区解散になったと聞く」
「へー、そうなんだー興味ねーわ。お偉いさん一人死んだら生活が出来なくなるってんなら元々時間の問題だし、早いか遅いかってだけじゃん。阿保みたいな生活してんのね」
「あんな狭い森の中で何十年も殺し合いをしているんだ、考えも風習も古いまま拭えないんだろう」
「……まあ、あれだな。石櫃手放した後で時間があったら大森林でも行ってみれば良いんじゃないか? ソウルにとっちゃ初だから、色々面白い体験出来ると思うよ。例えばデカい二足歩行のトカゲとかいるから」
「何それ⁉︎ スゲー気になる」
「一度行ってみると良い。ヴァンがいれば一般人相手の安全は保障されていると言って支障はない。転変している人間の相手は、どうやら苦手らしいけれどな」
「爆発に巻き込まれて怪我してたからですー! 普段ならあんな攻撃避けられますー! 背後刺しなんてなんならやり返してやりますー!」
騒がしい食卓。
俺の実家には、無かった光景だ。
パンを食べ終えて空っぽになった手中は、さながら俺に踏み出すことを強制してくるように見えた。俺も踏み出さなければいけないのは百も承知だから、せっかく背中を押してもらったので勢いそのまま、葡萄酒を一口飲んで意識を切り替える。
腰を軽く浮かせて座り直し、彼の方へと身体ごと向き直った。
「テンケツさん……」俺は、口籠もりながらも必死の思いで言葉を紡ぐ。「お話があるのですが」
昨夜、二人の会話を俺は盗み聞いた。今後の方針をヴァンと話している際に違和感を覚えたために心配からそのような行為に及んだのだけれど、しかし、心配は徒労に終わり、心配されているのは俺は方であるという——そして何より、心配より先に俺が考え動くべきであるなんて、修学院の子供が身につけることを求められるレベルの簡単な真相に気付かされることとなった。
動くべきとわかったのならば、すぐに動くべきだろう。
「何か」
俺の覚悟に、テンケツさんは平生通りの無表情で応えた。しかし、その無表情の内には穏やかな正解の意を感じ取れる。
「まずは感謝を。あの時静止して頂いたこと、その上で私達を窮地より救って頂いたことへ、この上ない感謝を」
「身に余る光栄。当然のことをしたまでにございます」
「この上お頼みするのは失礼と心得てはいますが、どうか、ミヤマ村まで続いてのご助力をお願い出来ないでしょうか」
「お話はわかります。お気持ちも。しかし私も商人の端くれ、どうかお察しください」
弾きなれた楽器を扱うように、テンケツさんは用意していたらしい言葉をスラスラとなぞる。
「すみませんが、いくら察することが出来てもそれ以上の気持ちでお願いしているのです。引くことは、出来かねます。……充分な報酬はお支払いするつもりですが、それでも厳しいでしょうか」
「我儘ですね」
「自覚しています」
テンケツさんは卓上へと視線を下ろし、しばし考えた後で俺の瞳を見て語る。
「報酬次第、と言っておきましょう」
感謝はまだ述べない、ここで相手よりも立場を弱いことを表すのは好手とは言えないと直感的に感じたからだ。そのため基準点を求めてヴァンに目配せすると、これに気付いたヴァンは真下よりほんの少し右を向いた後で真左に顔を背けた。
「七……いや、十万ではどうでしょう」
「倍は欲しいところですね」
「十二万では?」
「十八万」
「……十五万、それ以上は出せません」
「では、それで行きましょう」
何だか、ピンチに漬け込んでしてやられた気がする。でも、ヴァンが止めてこなかったと言うことはセーフラインってことだろう。気にするのはやめておこう、疑心は善いものを退けるからね。
いやしかし、十五万……財布がほぼ空ッ欠になるほどに手痛い出費だけれど、仕方がないだろう。彼に手助けをしてもらわなければ、ミヤマ村に辿り着くことは困難となるだろう。今の俺達は手負であり、狼に狙われている状況にある——かと言って、生半可な戦力なんてどれだけ集めようと狼には敵わない、見て体験してそう感じた。
何であれ、金額オーバーせずに契約を取り付けられた喜びを分かち合おうとヴァンへ顔を向けると、あいつはにこやかに俺に笑い掛けると、転じてテンケツさんへと視線をずらした。
「テンケツ、お前さ〜久闊だったけど
「勁兵の君だ。争いたくはない、が、今はステップくんが正しい。刃は仕舞え」
威圧、というものを俺は初めて目にした。ただ会話をしているだけの二人を眺めていただけなのに、人体の末端から中心へ向けて筋肉が痙攣する。必死で脚の震えを止めようと努力するが、吐瀉している最中のように、膝の震えが止まらず結果的に自分の意思とは裏腹に貧乏揺すりを強要される。
言われたヴァンは返す言葉を持たないのか「ケッ」なんて悪態を吐き、片肘の体勢を崩して卓に突っ伏した。瞬間、どこか張り詰めた空気を醸していたヴァンから毒気が抜かれて、何だかぶーたれた幼女みたいな仕草をするヴァンがそこには転がることとなったのだ。
「ヴァン、行儀悪いよ」
「知ったことか〜」
「いいんだ、ステップくん。そいつはそうするんだ、昔から。気に入らないことがあるとあからさまに慰め待ちをする」
「へぇ〜……ぷっ」
あまりにもあまりなことに、飲み込んであげようと思った笑いが許容値を超えてしまい、吹き出す。そんな子供っぽいところがあるだなんて想像もしていなかったのに、目の前でそれをしているヴァンに昔馴染みらしいテンケツさんが懐かしみの籠った声で解説されたらとてもじゃないけど耐えられない。
「ふっふふふ……ごめん、ヴァン…………駄目だ」
俺の笑顔に反応したか、体勢を直さないまでもヴァンが顔を上げて、不服そうに「お前テンケツさぁ〜本当やめてくれるかなぁ。僕ってば綺礼売りってーかイカしたキャラだと思われてんだから」と不平不満を述べている。
「大丈夫だよ、ヴァン。ヴァンが俺のために動いてるって、知ってるから」
「うううううぉぉぉぉぉ反応に困る! いやまあ、褒めを受け止めるのはやぶさかじゃないが……照れるからやめれぇ」
うーむ、一瞬で顔が蕩けた。
こいつ、どうしてこんなに殺し屋らしくないのだろうか。不思議な奴だとしみじみ思う。いやまあ、随所で仕事(殺し)してたよ的な話をしてくるけど十四、五歳の奴が口にする調子乗ってるテンションの言葉に近い雰囲気を受けて、そのまま流してしまう傾向にある。深く考えさせないためのヘラヘラした態度なのだとしたらかなり考えられたキャラクターだが、あいつの場合多分あれが素で、殺しを仕方ないこととして昇華していても可笑しくないために判断に困るな。
「テンケツさん、ヴァンとの付き合いって長いんですか?」
「それなりだ」
「何か面白エピソードとか無いんですか? お漏らしとか、失恋とか」
「ちょいやめてね」
「故郷で暴れ回って大変だった話でもするか? コイツの故郷が滅んだのは大体コイツのしでかしって話なんだが」
「何です、それ。気になります」
「やめろって⁉︎ ねぇ、やめろやッ‼︎ 人のやらかしで楽しげなトークぶちかまそうとすんな‼︎」
そんな、良い感じの楽しげなファミリー感じる和やかな雰囲気で朝は終わったのであった。
コートを羽織り、グローブを嵌める。剣帯に鞘を吊るし、柄にポンと一度手を添える。荷袋を背負い、恐る恐る服の上から胸の傷を撫でてみるとジクジクと傷の辺り一面が痛みを発して、余りの痛みに全身に鳥肌が立つ。
生きてる。
生きてるを、実感する。
倉庫を出て工房を抜けると、そこに二つの背中が見える。片方は少し頼りない部分も見たが、確かに人として正しいことをしようと歩み出した背中。もう片方は大きく絶対的な意志を抱えた、生き辛そうでありながらも尊敬に足る背中。
「よし、行くか」
ヴァンの掛け声で、全員が足を踏み出した。
坑道と差別の街・イワミ町。
旅人である俺達にはこれといった負の側面を見せない狡猾さが薄気味悪く、しかしそれでいてどこか決定的に食い違った歯車が見透かせる。
もし叶うのならば、今度は血も争いもなく街を見て回りたいものだ。
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