第十話/悉有仏性
大気が、地面が振動する感覚を俺はその日初めて体感した。山が震えて、地面が滑るように振動して、空気が俺の肉体をバラバラにせんと揺れる感覚は初めてにしてもう二度と体感したくないと感じるものであり、とても、とても不快な感覚であったことは言うまでもないだろう。
「痛ゥ……」
土手っ腹に穴が空いて、身体のあちこちを火傷しているヴァンはその揺れに傷口を刺激されて悶えている。応急処置はヴァン自身で既に十全に済ませていたが、一度しっかりと医者に見せなきゃならないと思うのだけれど——「この町に僕らがいるって相手さんにバレてるんだから、医者に掛かるにしても別の村なり町なりを頼る方が得策かな。即死するような怪我じゃないんだ、モーマンタイとは言わないまでも四日くらいは噛み締めて我慢してみせるとも」なんて当の本人に言われた上にふらふらと歩き出されてしまっては、弱ってしまう。
「大丈夫、ヴァン?」
「ナントカネ……」大丈夫そうじゃない曇った声で答えるヴァン。「揺れは土地そのものを揺らしてて位置を特定しにくかったけど、音的に坑道——山脈の方での爆発かな? 悩むまでもなくアイツらだろうね、犯人」
「やっぱり……逃がさない方が良かったかな」
「知らね。未来なんて来てみなきゃわからないんだから全ての行動が最善手なんだよ、そん時にゃ」
慰められているのだろうか……わからないけれど、ありがたがっておこう。ありがたや、コイツ多分暗殺者よりカウンセラーとかのが向いてるだろ。あるいは、これも暗殺技術の一環か?
「坑道で爆発と来たら崩落してると見るべきか。通れなくなったと見て行動指針を決める方が得策か。いや、それ以前にソウルの剣だな……」
「そうなの?」
「僕、ナウ、戦えない。誰が、僕、守る?」
「成る程」
「んー。と、な、る、と……そこの店だな」
指差されたのは、ご老体が今にも店仕舞いせんと重い腰を上がるか上げないか迷ってダラダラとしている出店であった。遠目から見て武器の品質が劣悪ということもなさそうだけれど、そんな即決できるほどのものでもないように見える。
「んーっと、何で?」
わからないことは積極的に訊いていこう、と首を傾げつつヴァンの方を向く。
「店仕舞い間近で値下げ交渉を粘られたら?」
「面倒だね」
「しょゆこと。ガンバー、ゴーファイゴー!」
有無を言わせぬ雰囲気に流されて、俺はヴァンが指差した露店に足を近付けた。近付いてから扱われている武器の類いを見て確かめてみるが……おや? これは悪くない品揃えの数々では?
「あーすみません、これください」
刃渡が丁度今持っている鞘と同じ統一規格品を選び、指定する。そして気付いた、今、俺が財布を持っていない事実に。荷物は全て部屋の中、つまりジャック・Jの宿屋爆発でどこぞへ吹っ飛んだ!
どうすれば、とヴァンの方へと視線を向ける——
「——ヴァン⁉︎」
見間違い……とはいかない。
目線の先に捉えたヴァンは、胸の中心を刃で貫かれていた。背後に人影が見えるが、ヴァン自身が障害物になっていて顔が見えない。いや、それよりもヴァンの刺された場所……心臓はずれているように見えるが、肺は確実にやられているだろう。生きてはいるか? あの傷に更に攻撃を受けてどれだけ持つ? 貫通していて、どれだけ持つんだ? ああもう頭ン中ごちゃごちゃで考えがまとまらない、どうしろって言うんだ俺に。
「オヤジ、ツケといてくれ」
言って、露店の直剣を手に取りヴァンの元へと駆け寄る。その時点でヴァンは上体を捻りながらの肘打ちで背後の襲撃者への反攻を行なったが、躱されるどころか圧倒的なスピードで身を暗ませられた。しかし、それでもヴァンは打った肘と逆の手で自分を貫いた刃をガッチリと固定して離さなかったために、剣を回収されることと出血の多量化を防いだ。
「無事か?」
「チックショー、僕は案山子かってんだ。……お? この剣、市販品か……持ってく?」
「いや、刺しとけよ。刺しとけってのもおかしいけど、抜いたら血が——ッ」
ゾワッ、と。
全身の産毛が総立ちするほどの殺気を受けて、ほぼオートで身体が動き、剣先を水平より少し下げた形で構えを取る。受け身の姿勢を取ると同時に、加速も開始することであるかもわからない襲撃に向けてカウンターを狙う。
刹那、影が駆けてくる。相手の速度はあるが、目で追えないほどではない——なんて慢心を嘲笑うかのように、影は袈裟の構えを取りながらも斬撃を俺に浴びせることなく姿を消して——次に気配を感じた時には既に、俺を通過して背後に立っていた。
それでも目で追う。
手に握られた短剣は、逆手。右手で柄を握り、左手は柄頭に添えられている。まずいマズイ不味い不ズい——避けられるか? 否、今から動いたところで加速を込みで考えたところで避けられない。確実に奪られる。じゃあどうする? どうにもならない。もう剣尖が薄皮を裂き始めている。時間はないぞ。だからってどうすれば……いや、もうどうしようもないな。ならば俺の最後を飾ってくれた野郎の顔ぐらい、拝んでおこうじゃないか。
辛うじて金属が身体を貫いて昆虫標本みたくなる前に頭を後ろに回して、俺の背後の相手を見た。
短く刈り込まれた頭髪は墨を煮詰めたように黒く、同色の瞳は鋭いナイフのように純粋な殺意のみで俺を睨みつけている。口角は吊り上がっており、さながら悪魔のようであるにも関わらず、そこから受ける印象は赤子が積み木で塔を作り終えた時のような安らかな気持ちと虚しさだけだ。
「……アズマジロ………ッ」
遂に胸中を突破してヴァンと同じ姿になった俺は、痛みによる熱と出血による寒さの中でも確かに残っている五感によって絶えずアズマジロを認識し続けていた。加速は解除する。発動させていたところで自分の死期を早めるだけだからだ。
「良いじゃねェの二人お揃いで。ペアルックってヤツか、若いなァ」
まだ死ぬような傷じゃない。身体も動く。
手に握った剣をグッと握り直し、左脚を軽く引く。上体を左に捻る形で振り返りながらも同じく左回りで剣を振るう。が、剣速が足りず——いや、それよりも何よりもこんな悪足搔きは最初からわかっていたように大きく一歩後ろに下がったアズマジロに、刃は掠ることもないかった。
「動くなよ、血ィ出てんぞ」
この怪我ではどれだけ良い医者に見せたところで助からないだろう。自分の身体のことは他人よりも自分自身が一番良く理解している。
下げた左脚を軸に体重を移動しつつ下半身を捻り、今度は右脚を前に出す。切先は敵へ。同時に更に上体を左方向に巻き込み、左手を柄頭に添える。
右脚の着地と同時に重心を前方向に全てずらし、右手は軽く添えるだけに留め柄頭に添えてある左手を強く押し出す。狙いはアズマジロの胸の中心一点、突き返してやる。
「無理だよ、それじゃあ」
憐れむような、荷車に轢かれて死んだ犬でも見るみたいな無機質な憐憫の瞳で俺を見るアズマジロは、ただの指二本、人差し指と中指で刃を挟むことで俺の剣を受け止めた。それだけで、刃は進むことをやめて、停止した。血液なんて一滴も垂れちゃいない。圧倒的なまでの敗北。
「外道めが……」
なけなしの空気で発した声は虚しく、俺の意識は中空に飛ぶ。
「お前が悪いんだ」
GAME OVER
Tenk You For Playing!
*だがしかし、問題なし*
目を開くと、俺は火の灯された暖炉の前で安楽椅子に座っていた。眠っていたのだろうか、頭の中に霧がかかったみたいにぼやけて見えるが、間違えるはずもない……ここは、忘れもしない俺の生家だ。
落ち着く。調律された楽器のような一定の心音からくる安心感は、とても懐かしい気持ちを俺に与えてくれる。
外から聞こえてくる風の音は不思議ととても強くて、窓枠もガタガタと揺らしている。外はきっと吹雪だ……だからだろうか、暖炉から溢れ出る熱がやたらと心地良くて、うとうとと再度俺を眠りへと誘う。再び夢に沈むべく、重い瞼を降ろしたその時、瞼の裏から声がした。
「ソウル、わかっているんだろ」
聞き慣れた声。
優しくも頼もしく、大きな父の声。
「わかっているのなら、やりなさい。ステップの血筋として、悔いの残らないように」
………………わかっている、やるべきことは。やり方も。でも怖い。このまま気を失っていれば、命は助かるかもしれない。胸が熱い。身体が寒い。立ち上がっても負けるかもしれない。ヴァンを助けられないかもしれない。痛い。苦しい。だからもう立ち上がりたくない。誰かが助けてくれるって、信じさせてほしい。諦めさせてほしい。ヴァンに助けてほしい。必要としてほしい。引っ張り揚げて欲しい。戦いたくない。傷つきたくない。父さんに助けてほしい。
「それ、でも……ッ」
立ち上がらなきゃいけないというのが、今の俺に科された使命だからなのか、はたまた俺自身の意地なのかは知ったことではないけれど、それでもきっと、ここで立ち上がったら俺はカッコイイ。
瞼を持ち上げて、立ち上がる。
喉にへばりつくような何かの感覚にえずくと、口の中が血の味で満たされた。鼻に抜ける息も鉄臭い。一息が意識し行っても浅い……一息で全身がズキズキ痛む、辛い。辛い、苦しい、死にそう、殺す。
加速を始めたせいで出血が増える——
「だがしかし、問題なしッ‼︎」
意識は朦朧としていて目の前の景色も一寸先はモヤな世の中だが、敵の姿は見えているのだ——五メートル程だろう、見間違えるはずのない敵の姿が写っている。
手近に落ちていた剣を拾い上げ、天に掲げる。肘を引き、腋を締めながらも軽く肘は開く。右足は軽く下げて、腰を落とす。
重心を前傾に移動し、右脚に力を込めて大地を蹴る。
「キエエエエエェェェェェアアアアアァァァァァ‼︎」
全身全霊は今ここで、自分自身を一本の剣と見立てる最悪の剣技。許されない剣と父が言っていたけれど、ここで使わずして今後生き残れたとしても使う機会は訪れることはないだろう。
使ってみたい、なんて危険な興味心が俺の内にあることは否定しないどころか、肯定していた上であえて言おう——残酷に殺したいと。
坑道を爆発することによって俺を足止めしようと考え、行動したのは紛うことなくアイツらだ。それなのに責任の源泉を俺達に求め、尚且つ一度見逃した俺達を凶刃に掛けるだなんて到底許せる行いではない。
大上段の構えからの剣撃。
それはイコールで、ノーガードを表す。それ故に、命を大切にしない邪剣として教会では非推奨とされている。
しかし父はこのこの剣を俺に教えた。それはなぜか。それは、邪剣であっても、邪剣であったとしても正しく有る時が来るから。そして今は、その時だ。仲間の命を守るという大義が俺にはある。
右脚を、前に踏み出した。
直後、背面の腰辺りに強い衝撃を受けた俺は、ゾクゾクと、アズマジロに刃を向けられた時以上の何かを肉体だけに留まらず精神・霊魂にまで問答無用で叩き込まれて、次の一手を踏み出すことが出来なくされた。脊髄から熱を取り除かれたような感覚……喜びも怒りも哀しみも楽しみも根こそぎ全部抜き出したみたいに、今はただ安心という穏やかさだけが俺を包んでいる。
「それは、いけない」
男が一人、前に出た。知らない男だ。
同時に、俺達の喧嘩を観戦していた住民がそそくさと立ち去っていく。
男は左手には身の丈を超える大太刀を肩に担いで持っており、俺はあの大太刀の柄も鍔も付いていない茎丸出しの茎尻を腰に当てられたのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいくらいに今、俺は膝が笑っている…………疲れもあるが、あの大太刀の刃の煌めきを視認した瞬間に、俺は、スーッと血の気が引いていくのを感じる。決して胸の怪我からの出血の結果ではないことを断言しておこう。
大太刀の刀身を見たことで意識を無理矢理引き戻された俺はクリアとなった視界で男を見る。目元まで隠れるほどの大きな笠を被っている上に背後から男を捉えているために顔は伺えないが、後ろで結われた髪の黒色がやたらと印象的で網膜に焼きつくようだ。身体を覆う衣服は珍しく、文化学は収めていない俺には何と言う衣服なのかはわからない。
足跡のほとんどしない藁を編んだような奇怪な靴を履くその脚で練り歩いた男は俺とアズマジロの間に立ち塞がり、独特の色気を感じさせる低い声色で告げる。
「手を引け。今ならばまだ後は追わないでおこう」
「……お前、それは妖刀か? 冗談じゃない、が、俺もおめおめと逃げ帰るワケにゃいかないのよ」
妖刀……とは、何だろうか。
あの大太刀——あの男の身の丈を超えるどころか、三メートルにすら届こうとするあの大太刀は、確かに奇形の部類ではあるが、【妖刀】なんて字面から受ける程の曰くのようなものは見受けられない。ただ純粋な美しさと、それ故に秘めているであろう破壊能力が刃の全てを覆っているだけである。
「もう一度言う、手を引け。空虚を友の偽物で埋めた程度の男には、負ける謂れが無い」
刹那、アズマジロが動いた。
勢いよく走り出したアズマジロは俺の時のように絡めてなしの真正面から突撃を行うポーズを取っているが、次手は透けない狡猾な手段を取っている。男はそんなアズマジロをただ眺めるだけで動かない……あるいは、動けないのか?
思い至った瞬間に俺は助けに入るべく動くが、そのために一歩踏み出そうとした瞬間、肩を掴まれる。警戒して一気に振り返るが、そこにいたのは何のことはなくヴァンであった。胸の剣は引き抜かれており、万全ではないとは言え救命救急的な一時凌ぎの手当ては済ませているのが伺える。
「ヴァン」
大丈夫か、と言うよりも早くヴァンが辛そうに口を開く。
「よく見ておけ」
何を見るのか、そこに疑いはない。
俺は振り返った頭を戻して、男とアズマジロの戦闘に視線を戻す。
刀の間合いまで距離を詰めたアズマジロが袈裟の構えままに自らの間合いに相手を入れるべく更なる猛進を掛けると、対する男は刃を垂直に天に魅せ刀身を水平に構え——そして払った。
刃はさながら三日月の如き優美な円弧を描き、逆袈裟の切り口でアズマジロの肩目掛けて振るわれる。だがアズマジロは予見していたようにその斬撃に合わせて振りかざされた刃に自らの刃をあてがい、自身の移動経路から刀身をずらす形で刀を防ぐのではなくいなしてみせた。いなされた刃は虚空を切り進み、絶世の刀身から抜け出したアズマジロは柄を両手で握り、垂直に斬り降ろす。
が、しかし。結果から述べてしまうと先に刃が相手へと到達したのは男の方だった。
刃をいなされた男はアズマジロが自身の斬撃を予見していることを予見していたのか、いなされたその刹那には既に次手を組み上げており、左脚を軸としていなされた刃を左上へと切り上げながら自らも回転する旋風が如き剣撃を繰り出し、その長身が導いた結果かはたまた別の要因が働いたのか、刃は吸い込まれるようにアズマジロの横っ腹へと叩き込まれた!
避けられないことを悟ったアズマジロの表情は曇りの一途を辿り、それでもアズマジロは諦めず、刃と逆の左へと跳躍しつつ上体だけでも捻り振り下ろした剣を刀へとぶつけることで致命傷を免れる選択を取った。剣の耐久力と遠心力すらも味方につけた大太刀との勝負、最終的には技術を含めた運による勝負。
勝利者は、アズマジロであった。
とは言え、アズマジロもタダで済むはずがなく、防御に際して取った行動の結果として剣を半ばから破壊された上吹き飛ばされることとなった。
〇・二秒にも満たない失神後即座に起き上がったアズマジロは自らの勝利と敗北の両方を理解し、剣を手放して走り去っていく。追う者はいない。
アズマジロの妖刀破りは、敵わなかったのだ。
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