幕間劇/ベイビーボムと合作座心

 ジャック・Jとアズマジロの関係を語るには、まずその生い立ちから話す必要がある。彼らの関係は彼らと人格をそれぞれ形成する程に根本的なもので、深く深く互いに絡まる藤の花のように、生まれてからずっと一度も互いを理解しなかったことがないくらいにそれぞれはそれぞれのパーツとなっていた。


 ジャック・Jは、北都の商会の家庭に生を受けた。優しい父と苛烈な母、そして内緒でお菓子をくれる姉の元でジャック・Jは幼少期を過ごしたのだ。


 アズマジロは、そんなジャックの家が外に運ぶ際に荷車の護衛をする一家に一人息子として産まれた。そのため、二人は小さな頃からの顔馴染みであり、最早兄弟と言っても障りない程の関係となっていた。


 寒冷期前最後の配達、その日アズマジロの両親が亡くなった。荷車が盗賊団に襲われ、その際必死の抵抗を行ったアズマジロの父は頭を鈍器で割られて死んだ。アズマジロの母は盗賊に辱めを受けた後で股に松明を入れられて内臓から焼かれたと言う。後に教会によって派遣された討伐隊が見たその光景は、あまりにも凄惨であり、これにより討伐隊の過半数が職務を降りたそうだ。とても人の死に方ではないと、そう言って。


 アズマジロの両親を殺した盗賊はまもなく討伐隊によって掃討され、頭領の男は、北都の中央広場にて絞首刑に処された。幼いアズマジロはその死に様を見て「生温い」と感じたが、しかし、どのような死に方をしたところで両親が帰ってくる訳ではないのだと目を逸らすことで考えるのをやめたのだ。


 二年も経った頃、後にスパロウの乱と呼ばれることとなる農民反乱が起こり、その煽りを受けてジャック・Jらの商館には火が放たれた。両親の尽力によってジャック・Jの姉共々二人は燃え盛る商館からの脱出を果たしたものの、ジャック・Jの両親は逃げ遅れ灰と化したのだ。


 ジャック・Jの姉は幼い二人を食べさせていくため娼館に入り、身売りを始めたのだが、二人はそんな姉の姿が儚げに見えて、どうにか自分達だけでも食べていけることを証明しようとこの頃から悪事に手を染めるようになった。両親と同じく腕っぷしは強いが自身に欠けるアズマジロをジャック・Jが鼓舞して、報復屋まがいの行いをしていたのだ。そうは言っても人殺しはしなかった、やったことと言えば依頼された相手を二月程歩けなくするまで痛めつける程度であった。


 この時、二人は十五歳。

 ジャック・Jの姉は十八歳である。


 三年後、ジャックの姉に身請けの話が入ったが、彼女は弟達を残しては行けないと食い下がるも、男は弟達も共に来れば良いと快く彼らを迎えてくれた。男は出来た人間で、本来養う義務のない二人も差別せずに扱い、ジャック・Jには書士隊に推薦し、剣才に恵まれたアズマジロには銀楼嶺斬流の門戸を叩かせ、二人を真っ当な道へと引き戻したのである。二人は彼に心からの感謝をして、自らの全てを捧げる勢いでのめり込んだ。


 二人はそれぞれの分野で四年という短期間で目紛しい活躍を見せた。


 ジャック・Jは書士隊の三番隊隊長にまで上り詰め、更には北都と央都を分断する北壁に住まう魔狼ヤーティヌトゥの生態調査を敢行——成功を収めてみせ、書士隊の新星として名を轟かせることとなる。


 アズマジロは銀楼嶺斬流の免許皆伝を収めた後、道場を出て道場破りまがいの行為を始めた。しかし礼節は弁え、あくまでも他流派との交流という体で剣を交え、そのことごとくを凌駕せしめたのである。着いた渾名は『北方無敗』、"傾城の鬼人"とも称されるまでに成長した。


 ある日家に帰ると、ジャック・Jの姉と義兄は殺されていた。アズマジロの道場破りが師範代の心根を折り、怨みや憎しみを集めたことで門下生からの報復を受けたのだ。凡人からすれば、彼の圧倒的なまでの強さはあまりにも眩しく輝きを放っており、耐え切れたものではなかった——それ故に、それをひけらかしたが故に、不幸に見舞われた。


 この時、同時にジャック・Jは立ち上がるための足を失った……アズマジロの心に火を灯したのは、ジャック・Jの姉や義兄の死よりも何よりもジャック・Jの足が失われたことにある。


 アズマジロが初めて人を殺したのは、奇しくも彼の両親の命日であった。皆殺しだったのだ——四肢を跳ねた後で首を斬り落とし、道場の看板の上に並べられている姿が翌朝発見されたのだ。


 しかし、翌日憲兵が彼らの家に赴いた時には既に遅く、二人は陰に身を隠した後であった。


     *


「一応、言っておくよ。今からジャックがやろうとしているのは父さんが、母さんが、叔母さんが、叔父さんが、姐さんが、義兄さんが、みんなが繋げてきた思いを無碍にする行為だから……ね?」


 イワミ町の大通りの果てにある坑道。その内部を歩きながら、漏れはジャックに対して口にする。


 ジャックから説明はされていなくとも、何をしようとしているのかはわかる。わかってしまう。以心伝心というよりは経験則で、間違っている可能性だって微レ存だけれど、でも、それは違うって誰かが漏れを嘲てくる。


「わかってるさ」耳元で聞こえる声に力はなく、それでも漏れに心配させないためか明るさだけはふんだんに含まれていた。「でも、このまま帰ったって逃げるにしたって情報持ってる俺らを奴さんらが流してくれる訳がねぇ。なら、何かしらデケェ一手打って、働きはしましたって証が必要だろ?」


「でも、だからって……」


「大丈夫だアズマジロ、お前を信じる俺を信じろ。……違うか。まあ、アレだ。たまにはカッコつけさせてくれよ、お前はいつも俺の前を走ってんだからさ」


 何を言っているんだ。

 前を走っているのは常にお前だ、ジャック。お前が示してくれた道を漏れは辿っているだけだ、お前が踏み固めてくれた道路を漏れは走っているだけだ、お前の家族が繋いでくれた命を漏れは全うしているだけだ。全部全部全部全部お前のお陰なんだ。


 漏れの行動はいつも駄目な選択をする。

 お前の行動は常に良い結果を連れてくる。


「今だから言うんだけどさ……俺、お前が姉ちゃん達の仇を取ってくれて、嬉しかった。あの時はお前に罵詈雑言浴びせたけど……今じゃ、うん、感謝してる。馬鹿は死ななきゃ治らないって、この七年で身に染みたんだ。ずっと言おうと思ってたんだけど、恥ずかしくてな、言えなかった」


「でも、漏れが何も考えないで殺しちゃったせいで、ジャックも表で生きていけなくなっちゃった。書士隊で上手くやってたのに、引き摺り込んじゃった……」


「なーに言ってんのよ、アズマ馬鹿。いいんだ」


「……ありがとう」


「アズマジロ、後百メートルも進んだからそこで降ろしてくれ」

「ジャック……」


「駄目だ」


 漏れが言葉にする前に、ジャックは言葉を被せてきた。これが覚悟の差なのか、はたまた別の違いなのかはわからないけれど……ジャックはきっと、ここが役目なのだと踏んだのだろう。

 喋れなかった、それ以上。


 百メートルなんてあっという間で、それでいてずっと遠かった。辿り着きなくないって思ったのに、遠いことは漏れから溢れでた幻想で、辿り着かなければ良いのにって思いは踏み躙られて、踏み躙られ続けてきた人生だから……だけど、慣れないもので。

 ジャックの指示に従って、背から下ろしたジャックを地面に降ろす。ゴツゴツとした岩の上にボロボロのジャックを降ろすことには抵抗があるが、贅沢させてあげる余裕が、漏れみたいな人間にありはしなかった。


「アズマジロ、生前葬やってくれよ」


「え、何? どうすればいいの?」


「そうだなぁ……どうしよっか? あー、アレだアレ。取り立て屋やってた時の夜みたいにさ、手ェ握り合って話そうや」


 笑顔が痛かった。

 それでも漏れは、躊躇いながらも手を握る。


「覚えてるか、アズマジロ。姉ちゃんの晴れ着。良いよな、結婚てヤツ。結局俺ら二人とも女と縁がなかったなぁ」


「それはジャックの趣味が悪いからじゃないかなぁ。捨てられるのに快感覚えるのは、ちょっと可笑しいと思うよ」


「お前が雑食過ぎんだよ。NTR以外何でもござれはバケモンだぞ。アルビノリスで擦ってたの、知ってるぜ。流石に友情にヒビィ入るかと思ったわ、俺が善人じゃなかったらお前終わってたゾイ」


「見られてたか……気になっちゃってさ。でも、捨ててくれなくてありがとう。今生きてるのは、ジャックのお陰なんだ」


「残念だが俺も同じだ。今俺がここにいるのは、お前が俺を生かしてくれたからだ。助けられて、助けてた……最高の関係だろ、俺ら」


「最強の関係だったよ、漏れら」


 あの時見えていた空には星が降っていたけれど、見上げれど星なんて見えなかった。でも、代わりに、洞窟全体をヒカリゴケの淡い光が包み込んでいて、まるで空に打ち上がったようだ。


「そういや、一回生き急いで道行く女の人に声掛けて適当にやろうとしたことあったよな」


「あったね、漏れは声掛けられなかったけど」


「そうそう、俺が声掛けたのがちょっと良いトコのお嬢さんでそのクセいい具合に発展しちまってさ〜」


「ヤベェって逃げたのに半年くらいストーキングされたんだよね」

「喧嘩してっかな、モリアーティの嬢」


「可愛かったよね、大きかったし」


「デカかったな。顔も良かったし、性格も良かった。生まれる家さえどうにかなってりゃね」


「辛いよね、身分社会」


「義兄さんも結構高い地位の方だったんだがね、関係あんのは姉ちゃんだから……その恩恵を俺らが使っちゃあきまへんよ」


「使ってたら今頃結婚できてたかもよ?」


「そしたらお前一人でこの世界入ってたんだろ、見え透けとるわ。お前は悪人は許せん悪人だからな、何度あの時に戻ろうとも絶対に鏖殺パーティはやめなかったろ?」


「後悔はないよ」


「必要経費なんよ、未婚なのは。それに、俺なんかより良い男と出会えるだろ、あれなら」


「後悔してるでしょ」


「一発くらいはやりたかった。手ェ出しときゃ、今からでもそこ逃げりゃ何とかなったかもしれんなぁ」


「でも、もしそうなってもジャックはやらなかったと思うよ」


「その心は?」


「ジャックは優しいから、関係ない人は巻き込まない」


「バリバリ巻き込むぜよ。今日だって金のために人殺そうとしたし、今だって……」


「他人って、優しさの対象内なのかな?」


「違いない」


 そこで、ジャックは漏れの手をするりと抜け出て行った。漏れも呼吸が整えられたからか、視界が明瞭になっており、このジャックの選択が正しいことなのかどうかは抜きにして、最善手であることが紛れもない事実だと認識することくらいは出来てしまった。


「三百秒後に俺は俺自身を自爆させる。アズマジロ、お前なら出れるだろ?」


 不可能だと言って、一秒でも長く彼をこの世に留めることは出来るかもしれない。でもそれは、彼からの信頼を裏切る行為にはならないだろうか。わがままだけれど、漏れは、彼との信頼・友情を最優先に考えて——その他の全てを裏切りたい。間違いでも良い、後で死ぬほど後悔しようとも、漏れは今考え得る全霊を持ってしてジャック・Jに献身したい。ただもう、それだけで良い。


「余裕だV」


 返答は、待たなかった。

 待てなかったと言っても良い。

 だって、今更だけど怖くなったから。捨ててけって言う漏れもいるけれど、それでも、理性で感情なんてコントロール出来る訳もなくて、心はいつも絶叫していて、アンコントローラブルで、一秒前に決定した覚悟も次の一瞬には霧散してることもあって、小説の主人公みたいにコレと決めたことを貫くことなんで出来っこなくて、いつも自分を騙していて、他人を騙していて、積み上げた自分の感情の死体の上であの時こうしていればってずっと後悔している漏れがいて、でも今後悔してもしょうがなくって、わかっているけど後悔して、前に進むのが怖くなって、ジャックに選択を頼って、ジャックだって選ぶのが怖いんだってわかっても、ジャックならって期待して、いつも全部任せきりで、自分が嫌なヤツだって自覚して、変わろうとして、それでもって弱い心が漏れを支配して、頼り切ってきた。


「アズマジロォォォォォ! 俺は、この命に変えて坑道を崩落させる! ………………生き延びろよ」


 坑道の奥から響いた声を、俺は、背負っていく。

 父さん、母さん、叔母さん、叔父さん、姐さん、義兄さん……ジャック。ごめん、俺行くよ。


 ——背中に、熱を感じた。

 手のひらの熱を。


 鮮烈な赤。

 光が世界を包む。

 岩が崩れる音はどこか悠長で、

 俺の脚は、濡れながらも坑道を離れていった。

 夢はなく、希望もない。

 光の時、これまで。


「わかったよ、ジャック。お疲れ様、おやすみ」

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