第九話/君破爆発

 何がなんだか理解できぬままに野外に吹っ飛ばされたが、ただ一つわかることもある。攻撃を受けている、という純然たる真実だ。

 俺を庇って受け身に失敗したヴァンは重傷を負い、大通りの大地に止めどなく血液を流し続けている。


「無事か?」確認しながらも、止血せんと手を動かす。「無事だな、よし」


 しかし、動かした俺の手首をヴァンはぐっと掴み、引くことで俺の体を近付ける。その意思を汲み損ね、なされるがままに前傾姿勢になると、か細い、顔を近付けた俺にだけ聞こえるような声で話を始めた。


「九門屋、右の通路。二人組に……見えたが、違うかもしれない」


 ここでようやく俺は、俺の為すべきことは定められる。

 言われなければ動けない、いやはや、あいつの言うボンボンって言葉がのしかかるな。父や母に素直に生きてきたツケがこれか、良いも悪いも好いも甘いも人任せにして……俺は、俺はなんて愚かなのだろうか。

 自責の念に伏せる俺の胸に、こいつは逆の手に持った剣を押し当てる。それは正に、今日新調したものであった。


「どこぞに吹っ飛んだヤハウェオブジェクトは僕に任せろ」


「うん。俺は二人を叩くんだな」


 剣を受け取り、立ち上がる。ぞろぞろと集まってきた野次馬を押しのけつつも剣帯に鞘を吊るし、九門屋の右に空いている路地に向けて足を進めた。歩速は、次第次第に上がって行く。


 俺の接近に気がついたのか、影——俺にはどうにも一つに見える——はビクッと身体を振るわせた後でそそくさと路地の中へと走り去った。俺も次の踏み込みを強め、影に追いつくべく一息に走行する。路地に至り、忙しなく視線を揺らして影を探すが、見つからない。にも関わらず、路地の奥はT字に分かれており、右か左か、俺に問う。


『自ら行く道を選ぶ行為は、老若男女どのような者でも行う。これを怠る者、常に人の下に有り』——輪書:二章三節より参照。


 前進する選択の一つもしないのならば、こんな力を持つに値しない。祖は、進み続ける人生を送った——俺もそう在りたい。

 曲がり角の壁も迫ったその時、俺は精一杯の力を込めて跳躍を行い、左の足で壁を蹴ることで右折する。これにより右折時の減速を極力抑え……更に、選択を行ったことで二人組との距離を大きく詰めた。


 しかし、俺はその二人組の姿に目を疑うこととなる。

 片や、長髪を乱雑に結んでいる男であり、それなりに肩幅のあるのだが——そんな体格の良さよりも何よりも、男の姿で最も目を奪うのは腰から下が"無い"という純然たる真実であった。


 もう一人の男は下半身のない男を背負っている。下半身のない男が苛烈な、さながらこの世に恨み言を流布しているが如き形相であるにも関わらず、真逆の、怯え切り、この世の全てを恐れているように強張っている。


 一見するだけでは噛み合わない二人だけれど、逆接的に噛み合っている。半身のない男が全てを憎しみ、その男を支える下の男は半身のない男の憎しみ……転じた破壊によって安心感を得る。

 そんな二人の姿を視界に捉えて、柄に手を伸ばした俺であったのだが、逃げ出そうとした下の男を半身の男が引き留めてまで行った胸の中央に握り拳を当たる行為——簡易的な決闘申請に手を止めざるを得ない。


 勢いを殺し、ある程度の距離を取って立ち止まる。


「まず、決闘の申請を受けていただいたことに感謝を」半身が欠損している男が、悠長を語る。「俺はジャック・J。俺の足になってくれている彼は……ほら、挨拶しろよ」


 言われると下の男はもごもごと口を動かし始めた。蚊のまつげが落ちるような微かな声であったが、決闘を申し込まれた以上彼の名を知らない訳にはいかないだろう。


「漏れは……アズマジロって言います。よろ……よろしくおなしゃす」


 これらを受けて、俺も習って挨拶を返す。


「ソウル・ステップ、今は他に持ち合わせるものはありません」


 腰の鞘に左手を添えて、右手は柄に掛ける。

 腰は落として、左足は軽く下げる。


「よろしく、ソウル・ステップ。でもなァ、真面目過ぎィなのはよろしくないんだなァ‼︎」


 俺を嘲笑い、腰から何かを取り出すと同時に投擲をした。下の男ことアズマジロが壁になって投げられたものが一体何だったのか、確認できなかった。だが、直接俺に投げるのではなく上部に向かって投げたこと、投擲後すぐにアズマジロが駆け出したこと、落下予測地点が俺の現在位置のやや前方であること。

 つまり、爆発物の類い。


 気づいたらコンマ0・一でも速く地を蹴り、宙空を駆け、そして天で何かが爆発した。


「や、やったか⁉︎」


「ジャック〜そういうの言わない方が……」


 YES、その通りだろうさ。

 爆発とて当たらなければどういうことはない。余波や土煙には巻き込まれたが、それが良い方に転がった——人間、やはり前進するべきか‼︎


「生き過ぎィ!」


 叫んで、ジャックはアズマジロの背を押して地面に転がる。上手いこと受け身を取って地面に落ちたジャックは、匍匐前進の要領でアズマジロを挟んで俺から離れていく。ならば、アズマジロを斬り、次手で逃げ足の遅いジャックを討つか。


「やっちまえ、アズマジロ!」


 鞘から抜刀すると同時にアズマジロの胸元を横一文字で切り裂かんと腕を振るうのだが、しかし、俺の刃はアズマジロの肘と膝によって赤子の手を潰すようにいとも容易く固定されたのだ。


「んなぁ⁉︎」


 あまりの驚きから、変な声を出してしまった。


「流派、合作座心は……天然の息吹。諸行……無常ッ。赤熱外殻。秘辛讃歌の鬨を聞け」


 状況は、言わずもがな非常にまずい。剣士が剣を封じられた、押しても引いても抜ける気配はない。あちらは今も地を這って逃げるジャック・Jを逃走させれば勝ちで、こちらは逃げるジャック・Jの捕縛……あるいは殺害で勝利となる。


 剣から手を放すか?

 無いな。このアズマジロという男に拳で勝てるヴィジョンが見えない。確実に逃げられる。頼みの綱はアストライアだけれど、充分すぎる重傷を負っている。都合よく助けに来てくれるなんて、夢物語だ。


「ええい、ままよッ!」


 希望も期待も考えもするだけ詰みを自覚させられた俺は、掛け声ひとつ上げて思考をかなぐり捨てて行動を決意する。両手で握っていた剣は右手だけに任せると、アズマジロはその隙を見逃してくれるはずもなく、刃の固定を解除すると同時に固定に使っていた左手で刃を叩いて剣そのものを落とさせようと画策する。一瞬のことで剣を手放せず右手から剣に引きずられて崩れた体勢に大きく後ろに引かれた左脚が鞭のようなしなりをもってして、襲い掛かる。よもやこれほど次手が素早いとは考えもつかなかったが、速度の一点において負ける訳がないんだ、俺は!


 柄から放した左の手は、既に腰の鞘に伸ばされており、剣帯から抜かれた鞘は防御のため、右腕の下を通して向かうアズマジロの脚の前へと持っていく。


 衝突。左腕から肩を通り、肋骨にまで鈍痛が走る。

 元が崩れた体勢であったこともあり、そのような駄目押しを受けてしまおうと転倒はまぬがれない。ならば、自身の被害を最小限に抑えることだけに尽力するべきか。


 まずは肩を接地させ、次いで丸めた背中で転倒の勢いを殺さず扱い、最後に着地する足で地面をしっかりと掴み、殺さず取っておいた勢いを十全に生かして上体を引き起こす。

 これにより狙いそのままドンピシャでアズマジロの隣を通り抜け、俺は結果としてアズマジロの背後を取ることに成功した。かと言って背後からアズマジロを攻撃することはしない、最優先はジャック・J一人だ。


「なはぁ……!」


 情けない声を背後に、俺は諦めきれず地を蹴り、生き汚く匍匐前進をするジャック・Jとの距離を詰める。


「チィッ、恵まれた者が弱い者いじめなどと!」動きを止めることはせず、振り返りながら何かを投げてきたジャック。「それにその力! 名付けるなら、そう――”ファストドライブ”‼︎ ずるいじゃないかぁ!」


 投擲物……また爆発物だろう。距離は五メートルあるかどうか。どのくらいの爆発範囲かわからないが、避けられるか? いや、無理だ。今こうして考えている最中も爆発物が近付いている——ヤバ、死ぬ——眼前で何かが爆発する。爆風が肌を刺す。刺すと言えば、網膜も爆発に際して発生した強力な光によって焼けたのかジンジンと痛む。


 流石の俺とて爆発に突っ込むほどの愚かさはない。しかし、だからと言って足を止めると背後から迫るアズマジロにやられることだろう。ならばどうするか……跳び越えるか? いや無茶だな。こうして考えている間にも爆破に肉体は接近している。

 まあ、いいか。


 差し迫る爆発に巻き込まれる刹那、俺は覚悟を決めると、左脚を落とし右脚を突き出してスライディングの姿勢を取る。ジャック・J自身が爆発に近しい位置にいるためだろう、爆発と地面には人が横になれば辛うじて突破できる程度の隙間があった。


 ならば、突破させていただく。


「ジャック・J、覚悟」


 幾許かの火傷を受けながらも命からがら爆破を滑り抜けた俺は、脇を閉じ、腕を引き、刃を担ぐ形で構えを取る。


「……この身、未だ拙きものならど。拝命、確かに受け取った」


 ファストドライブ——この加速能力に付けられたその名を受け止める。


 肩に担ぐ形に構えた剣を、再び逃げ始めたジャック・Jの背中を振るう。しかし、片手持ちであることと相手が低姿勢であることが合わさり、深く斬り込むことに失敗した。十センチ、いや十五センチ斬り込めただろうか……ただ確実に言えることは、明らかに致命傷にはなっていないという事実だけだ。


「まじめっ子め!」


 斬り抜けた腕を捻り、返す刃で追撃を試みる。


「命取りは、お前自身の行動で始まるッ‼︎」


 次の一瞬、刃が爆散した。なぜかはわからない——わからないけれど、ただひとつ確かなことはその突然の事態に気を持って行かれた隙をつかれ、アズマジロによってジャック・Jを回収されたことのみであった。


 剣の刃は、半ばから先が砕け散ってしまっている。充分か? 充分だろう。まだ、充分戦える。剣はある、脚も生きてる、息は……深く一息吐いてこれで整った。


 考えろ、ジャック・Jその人の能力を。いや、考えるまでもないか……何度も体験したのだから、何より感覚でわかる。まず『爆発を発生させるもの』である、これは間違いがない。次に何が爆発しているのか、そのアンサーは宿屋の時点でわかっていた——『アイツ自身の肉体が爆発している』のだ。宿は歯やその他、追い掛けている最中に投げつけてきたのは髪の毛の束だろう。だから、その両方に気を配り爆破の余波を受けない距離から確実に殺す。


 剣帯に鞘を戻し、半ばから先のない剣を収める。

 両手は地面に。左脚は大きく後ろに引いて、腰は気持ち上がる。

 自分の心臓の鼓動と意識が完全にリンクした瞬間に左脚で力強く地面を蹴り、俺は、俺から逃げ仰せたジャック・Jとアズマジロの二人組を追うべく走り出す。背筋は伸ばして脇は締め、腕は大きく振って歩幅は広く。呼吸は鼻から二拍吸って、口から二拍で吐く。


 俺の全力疾走を持ってすれば、一分とせずに先に走り出して大通りを疾走するアズマジロペアに追いつくことは余裕だ。


「おい! ヤバめだぞアズマジロ! ソウル・ステップがノットステップでランナウェイしとる! また鼻の先だ! 赤組早いです! 城組頑張ってください! ファーーーーーッッッ‼︎」


「どうする、ジャック? ジワジワ距離詰められてるから多分三十秒持たないよ」


 走りながらも抜剣して、腕を上げて狙いを定める。膝の位置は肩と並行になるくらいで良いでしょう、肘を下げて——手首のグリップを意識しながら右脚が前に出るタイミングで投擲する。当たる予感など微塵もなかったのだが、なんか上手いこと縦回転しながら飛んでいって、何とアズマジロの背に担がれたジャック・Jの左耳を切り落としたのだった。


「ジャック! 耳が!」


「痛いですね……これは痛い……あ、まあ適当にボム」言う通りこっちが適当に投げた剣で切り落とした片耳を適当に爆発させたジャック・Jの迷惑さ。しかし、耳が爆発するより早く剣帯から鞘を抜き取って、打ち上げる。「んなァァァ‼︎ 俺のベイビーボムを! 貴様、美しさの欠片もないのか! つーか何で今のを回避できんだよアーユーヒューマン?」


「イェス、アイアム! 無茶だろうと、やってこその人間だろう?」


 より一層、強い力で地面を蹴る。

 距離はもう……すぐそこだ。


「ジャック、もう無理だ! 離すよ!」


「いや、戦うなアズマジロ。お前の上を行く更なる脚が来た……二、一ッ飛び乗れ!」


 ジャックの合図と共に、俺の隣を走り抜けた四足獣の背にアズマジロは飛び乗った。鞘を振り抜いた俺の手は虚空を打ち、ビュッなんて空を切る風の音だけが愚かにも駆け抜けた。


 俺は、家畜化されたヨツツノジカの背に乗って走り去るジャックらの姿を呆然と眺めることはせず、空を切った次の刹那には彼らを追って駆けずり回る。


「シャナクシャァァァァァッ‼︎」


「うわっアイツ怖っ! 見てアズマジロ、あらやだわぁ……獣かしらスゲェ顔でスゲェ声出してスゲェ速度で追ってくるんだけど‼︎」


「凄いね、彼。鬼とかそういう類じゃないかな」


「仮称チデジカ殿、頑張ってくれ! あのやべべに対抗してジャスコにクイックしてくれ! 君ならできる、チデジカァァァ‼︎ 走ってくれ、頑張って!」


 迷惑千万な事この上なく、その声に応えるように仮称チデジカ殿はあと少しで追いつけるほどの加速になるというのにここで速度を上げたのだ。何だこのヨツツノジカ、賢過ぎるだろ。

 何より、さっき俺の能力をずるいって言ってた奴がズルしてるのが気に食わんな。


「そう、気に食わないよなソウル。気に食わない、あっちゃならない、そりゃいけないよな。何てったって自分の脚で進むことをやめちゃあ、それまでだからね」


 どこからともなく声がした。

 走るヨツツノジカの足元が、爆発する。丁度ジャック・Jの能力ベイビーボムが発動したその時のように、軽快に走っていたジャックらを乗せたヨツツノジカの足元が爆発した——爆発して、膝から下が弾け飛んだヨツツノジカは崩れ落ちて地面を転げ回り、乗っていたジャック・Jはアズマジロに抱えられてことなきを得た様子だ。しかし、移動の脚が潰されたのだ、アズマジロの移動速度はガクッと落ちる訳だ。


「流石、ヴァン。上手いことやったね」


 ふらふらとした足取りではあるけれど、しかし、確かに俺の隣にはヴァン・アストライアが立っていた。宿屋の爆破で重傷を負ったヴァンが、俺の隣に立っていた。


「そっちだって、僕の能力を正しく認識して宿屋から吹っ飛ばされた時に作った血溜まりに追い詰めるなんて、粋なことをするじゃない? 期待には応えなきゃね」


 そうは言ってもやはり、ヴァンはどうしようもなくやはり限界ギリギリの様子だ。動くに動けない、ここから先はまたしても、というか元より俺の仕事でしかないはずだったのだからども、何にしろ、あの愉快なジャック&アズマジロコンビとの決着を、俺はつけなくてはならないのだ。


「そんじゃ、僕はまたしてもダウンするんで。後のところはよろしくね〜」


 言うと、ヴァンは盛大にぶっ倒れた。


「ん、お疲れ様。俺は行くよ」


 走る。

 ジャックとの距離を詰める。

 そこで剣を失っていたことに気がついた俺は、まあいいかと鞘で殴り殺すことに決定する。一撃で仕留められれば良いのだけれど、いやはや、何度も殴って殺そうとするとなると嫌な手応えを覚えることになりそうだね。

 走りながらも鞘を大上段に構える。


「アズマジロ……待機だ」


「……了解」


 距離は着実に詰められる。

 残り十歩で間合いに入る。

 アズマジロは動かない、ジャック・Jすらも動かない。


「どうして……⁉︎ 君達は、死にたいのか⁉︎」


 腕を降ろす。俺には、無抵抗の敵を討つ勇気が……足りなかった。

 とぼとぼと憂鬱な足取りで加速を取りやめた俺は、地面に転がるジャックを見下して口にする。いつでも攻撃可能な範囲にあるというのに、アズマジロは動かない。


「お前は……何なんだ」


「何って何だよ、チミィ。質問はちゃんとやらなきゃ、伝わらないものさ」


「どうして今爆発しない」


「この距離じゃ俺自身も巻き込まれるだろ、わかれよ」


 馬鹿にするように語っているが、事実でありながら真実ではないと見え透けている。コイツもアイツも、どうして俺にこんな疑問を強制するんだ……俺は、お前達を理解したいだなんて思っていないのに、どうして、お前達は俺に理解させようとするんだ。


「アズマジロ、君に質問だ。どうして俺を攻撃しない」


「どうしてって……ジャックが待機って言ったから……」


「アズマジロ……君はジャックに言われたら死ぬのか?」


「まあ、ジャックが言うってことは必要ってことだから。漏れの命は、全部ジャックに救われたものだから、ジャックのために使わなきゃ」


「へっ、何を……」


 俺は、彼らの出会いについて何も知らない。

 しかし、彼らの関係が歪んでいることだけは——わかる。


「そんで、えーっと……ソウル・ステップくんよ。俺達を殺さなくて良いのかい? 最悪、俺はここで自爆することだってできるんだぜ?」


「……もう、知ったことか。逃げたきゃ逃げろよ。死にたきゃ、俺も誰も知らないところで勝手に死ねよ。俺はもう、わからないんだよ。わからないから、何も選びたくないんだよ」


 覚悟も勇気もあるつもりだった。

 右と左を選んだだけで、勇気を得たつもりになってた。そう言わなければ、自分を奮い立たさねば、闘えなかった。


 あの夜の日だって——ヴァンと出会った夜の日だって、盗まれたら嫌だからって剣を持って寝ていたんだ。たまたま命を守ることができて、たまたまヴァンが敵を倒して、たまたまヴァンが心変わりして、たまたま俺のことを護ってくれることになった。俺はこれまで、何も選んじゃいなかった。壊れた剣だって、売り子が選んだものだった。鬱陶しいかもしれないけれど、俺はずっとずっと鎖に縛られたままなんだ。十歳の時から何も成長しちゃいない……何かを選ぶ勇気もない。


「最後に、依頼主の名前だけを教えてくれ」


 辛うじて残っていた冷静な頭が、ジャックを抱えて立ち去ろうとするアズマジロらに語り掛ける。


「漏れは知らない。……ジャックは?」


「俺も知らんな。えらい別嬪さんが世界を変えるがどーのこーのって誘ってきたから、ちょいとでもいい世界になるならってんで乗っただけだ。すまんね」


 アズマジロもジャックも、嘘を吐いている風じゃない。相手が嘘を吐いているかどうかを見分ける術なんて持ち合わせてはいないから、単に二人が嘘を吐いているだけなのかもしれないけれど、それだって構わない。


「そうか。なら、良い」


 言って、俺は振り返って道を戻る。

 倒れているヴァンの元に戻るために。

 だからその後のことは何も知らない。

 その後、十分もしない内に大通りを抜けた先にあるらしい坑道が何者かによって爆発されたらしい。まず間違いなくあの二人組だろう。


 なぜ逃したのかとヴァンに問われたが、俺は、何も答えられなかった。

 弱い人間だって、ヴァンは笑って俺を許した。

 俺は許されたことで更なる罪悪感に押し潰された。


『人は時に全てがわからなくなる時がある。それは、大人になるべき刻が来た子供だけの特権だ。大いに迷い、悩みなさい。答えを得ることこそが人生だと、大人になると考えることを諦めてしまうのだから』——輪書:一章十四節を参照。


 自分の手を汚したくないから、それだけのための言い訳だった。

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