第八話/新調跳躍
正面には金属板を組み上げて築かれた鉄柵を持ち、背後には巨大な山々を構える。
堅牢に守られているこの町こそが数多ある鉱山の町の中で最も社会的な歪みを目に見えるイワミ町である。少しでも彼の成長の糧になれば良いのだけれど、さてはてどうなるか楽しみだ。
「さてと、ソウルくんよ。一目見て、君はこの町がどう見えたかな?」
町を西東に分断する大通りを歩きながら、僕は早速第一印象を質問してみる。第一印象の確認、体験及び体感、そして結果として得る歪みの認知が、きっとソウル・ステップを一段階上の男にすることだろうと信じて。
「街道からかなり距離があるのに、結構栄えてる……とかかな。でも、アストライアが言っていた格差ってのに注意して町を見たら、この大通りを挟んで右側の区画は……なんて言うんだろう、小綺麗って言うのかな。そんな感じがする。逆に左はワイワイと、人が溢れかえっているね」
そんな感じ、と締めたソウルに対して今まで抱いていた蔑みの心を、どうやら再検討する必要があるらしい。こうして何度も彼の評価を変えていると、少しばかり自分の目が心配になるな。見る目がないのだろうか。
彼は人——いや、より広く街を認識する能力がある。人を読み、人流を知る術を持つ。区画を理解し、街を織る力がある。
「それなら安心か」
劇的に声に出し呟いて、寂しさに心躍らせてみよう。人に期待してばかりの人生というに、これまた期待出来るな。
「うん、よし。別々に行動するとしようか。集合は大通り沿いの九門院って宿でヴィンセント・ジョージの連れを名乗ってくれりゃ部屋を教えてくれるはずだから」
進言してみると、ソウルは足を止めて、裾を引かれて大通りの端に連れられた後で問われる。
「別行動の理由は?」
「一つは僕の企業秘密のため。二つ目の理由は君には自由な体験をして欲しいからに他ならないとも」
「……うーわかった、九門屋だな。了解了解」
つまりあれだな、剣をどこまで値切れるかとかそんなところで俺を試そうって魂胆だな——とか、そんなこと思っていそうな、極めて不服そうな態度で了承した。
「トピックを伝えておくと、右の小綺麗な方は金を。左の血気盛んな方は金と物を上手く使い分ける必要がある。奥に行くと行くほど物の価値が上がることをお忘れなく」
「頑張ってみるさ」
「うん、やってみせろ。あと少々金をおくれ、経費を」
「良いけど、何に使う気?」
「信心深い君は知らない方が良い気持ちがいいコト」
「さいですか。いくら欲しいのよ」
「それなりに欲しいところかな。五万モンクほどあれば十全! 最低でも三万は欲しい」
ウーウーと一分前後唸った後に、ソウルは荷袋を下ろして四万を僕に手渡した。
「それが限界だ。お前はボンボンだボンボンだって言うけど、今の俺だってそう金は持ってないんだよ」
「ノープロブレム、上手くやってみせるさ」
「何するか知らないけど頑張ってくれ、俺のために」
「おーす! そんじゃま、また後で」
軍資金も受け取ったため、僕は一言告げて目的地に向けて走り去る。ソウルも後ろ手を降る僕を見てガシガシと頭を掻いた後で、適当に町を散策するべくどこぞに向けて歩き出していった。
少しして、第一目的地の宿場で、ある九門屋に到着する。ヴィンセント・ジョージの名義で部屋を借りて、後でもう一人来る旨を伝えておく。部屋に入ったならば背負っていた荷を下ろし、財布やナイフといった町中での最低限キットのみを持った後でソウルと二本ずつ分け合ったヨツツノジカの角を手に取り、宿を出た。僕の場合、彼と違って取られて困る物は命以外にゃありゃしない。こうして無駄なモノ背負わなくて済む訳だ、気楽だねぇ。
次いでこの足を左半分に向けて、行きつけの服やへ向かう。そこで外套以外の全ての服を買い替える。
「また可笑しな仕事でも受けたのかい?」
店主の老婆が嘲るように僕に言う。
「まあね。今度こそ死ぬかも~」
「お前みたいなのが社会のためになれるんじゃないかい」
「うん。成功しても失敗しても、って点だけ違うんだけどね」
「ほぅ、つまり政治的力を持っているわけかい。誰をやるんだい?」
「秘密だよ。長生きしたいなら聞かないことだ、ばーさん」
「充分生きてんだよ、若造が」所々抜け落ちて、残るはも黄ばんだ口をニカッと見せびらかすように歪めてみせた。「殺すこともしなくなったくせに、生意気だね」
言われて気付く。以前の、故郷に生きていた僕ならば、既に老婆の首元にナイフを突き立てていただろう。
「そんなことなくない?」
古くからの知人であるという点を考慮して、軽口ついでに訊いてみる。
「そうさねぇ。でも、明らかに選択するようになっただろう?」
「そうかい、ありがとう。そんじゃ、更生記念にこの服、無料にしてよ」
「ふざけるな甘えるな千五百モンクな」
「言っても半額かい。おありがたいことこの上ない」
ポケットから財布を取り出して、千五百モンクぴったり、銀貨三枚投げつける。文字通りに脇を閉め、肘を引いて老婆に向けて放り投げる。当の投げつけられた本人は老人とはとても思えぬ機敏な動作を持ってして三枚すべて、一枚も欠くことなくキャッチして、心底楽しそうに手元にしまい込んだ。
守銭奴とは言うまいよ、この町じゃ命よりも何よりも金が要る。人生を豊かにするのも、明日を夢見るのも、その日の夜に焚く暖の灯を得るにも金が要る。金がないヤツは落ち葉の下の虫みたいに寄り集まってゴミを燃やして暖を取る――そんな事実も露知らず、経営者や商人どもはのうのうと買い取った肉を喰らう。命の重さも懸けた思いも知らずに、命を肉として嚙み千切る。
そんな町なのだ、ここは。
あるいはこの世界か。
ここはただ、明確化され、縮小された社会に過ぎないのか。人の世の格差、その全容……偽言ならばどれほど良かったことだろう。
まあ、何にせよ僕にゃまるで関係ない遠い国のお話だからどうでもいいんだけどね。知ったことじゃないよ。
「そういやさ、ヴァニキんとこのアイツってまだ生きてんの?」
「生きてるよ。朝も夜もトンテンカントンテンカン騒がしいからね、この目で見て確認するまでもないさね」
「そう、あんがとさん」
再度、今度は親指ではじいて銅貨を渡す。
「この話は二枚のハズだよ」
「半額だろう?」
言い残して、僕は脱兎の如き走りで服屋を後にする。この足はそのままヴァニキ――Vacancy Nicety KIAなる名を持つ暗器専門店へと向ける。何と言うべきか……あまりにもあまりな店名であるのだが、作品の質は確かだ。切れ味、耐久性共に一級品。お値段がちとネックだが、手土産があるから何とかなるだろう。
貧民街を右へ左へ進み続け、さながらウロボロスの終わりを見つけるような複雑奇怪な道程の末、それはもう質素な黒色の扉の家屋が立っている。中から響いて出る気味の悪い金属同士が擦れる音は、さながら獣の唸りにも聞こえている。
薄気味悪い貧民街の中にある、不快感あふれる音をひり出す家屋。そりゃ、人も寄り付かないだろうさ。
だが、古き良き知人に対して改めてそう感じ入る心なんざ持ち合わせてはいない僕は、ノーガードでひょいひょいと店内に入っていく。重厚な金属の扉には鍵が掛かっていたため、換気の都合で聞かれていた窓からではあるけどね。
「うぃーす、おひさ~」
そんな気楽な、旧知の友人に再会した時もような安楽的なノリで入店したのだけれど、店内はそんな僕とはまるで違う世界に生きているように真剣そのものであった。正に、扉が語った通りの内部である。
炉に金床、鎚。人影は一つ、砥石に向かっている。
男は中肉中背。髪は後ろに持っていき、根本で結われている。
その身は東の大森林に住む者が着用するらしい、伝統衣装のユカタなるものを着ていた。しかし、ユカタの袖に腕を通すことはしておらず、上体を包むはずの布は腰に垂らされている。炉に灯された炎が発する熱のためだろう。
「……アストライアか」
男が、刃物の研磨を止めずに口にする。
「待て」
続く一言に、僕は外套を脱ぎ、壁に背を任せる。
十分か二十分か、あるいはそれを超えていたか。男の研磨音に耳を傾けて待つ時間は、自然林の一時の如く過ぎ去り、気に留まる間も無く終結した。
「要件は」
刃物の研磨及び後片付けを終えた男は、床に直接腰を下ろして僕に問う。僕は、格好を変えずに求められた通り必須事項を口にする。
「刃渡り十五までのナイフを三本。金額に糸目はつけない、僕に合ってるのを見繕ってくれ」
男は、向かいの壁に掛けられた多種多様な暗器の数々に近寄り、自信作と思われる三本のナイフを手に僕の元へと戻り来た。
「仕事か」
まず一本手に取る。鏡のように全てを反射する銀のナイフ——一点のムラもなく、打ち損じも見られない。素人とは言わぬまでも、玄人目から見ても究極の一本と表して触りない逸品だ。
「まあね」
続いて、二本目を手に取る。これも同様に真打ちの一品であるが、刃先に無数の返しが刻まれた奇怪な形状をしている。肉を抉る刃、大いに結構。
「東に行く用事ならば、妹を頼む」
三本目は、またしても奇妙な形状である。菱形の刃、刃先は限りなく細く、指をそっと置いただけでも肉を立つことだろう。
「わかってるって。本当、毎度それだねぇ。何だっけ? お前に顔が似てて剣才のある奴、だっけ」
「ああ。きっと美しく育っているはずだ。一言、オレが生きている旨だけを伝えてくれ。あいつは聡い子だから、それだけで伝わる」
「ま、残念至極なことに今回は央都行きなんで、また今度の機会に」
「良い、急ぎでもない」
受け取ったナイフを袖の内側に格納する。
「二万と五千くらいかな?」
「もっと払ってもいいんだぞ」
「二万とヨツツノジカの角一本」
「手を打とう」
先に角を譲渡して、次いで財布からモンク金貨二枚を取り出して男に手渡す。こうして残る金貨は二枚、軍資金も半額の二万モンクに落ちた……足りるか? まあ、後で追加請求すれば収支マイナスにはなるが、いささか懐が寂しいな。
何とでもなるさ、と気持ちを軽く持ち、「そんじゃ」なんて気楽な挨拶を交わした後で同じく窓から外に出る。
これで僕の準備は大体バッチリ整った。あとは少々仕事の方を進めるだけだ。
こんな廃れた貧民街からは早々に抜け出してしまって、持つ者と持たざる者の境界線に舞い戻る。目が腐った後に改めて見ると、酷い景色だ。跋扈するのは金持ちばかり。仮に貧民が迷い込んでみろ、みるみる内に豚の餌だ。
いやぁ、愉快な町なことで。
そんなことはどうでも良くて、だ。
僕は大通りを壁とは真逆の、つまり山の方向に向かって歩を進める。中途で饅頭を一箱購入して、手を加えておく。隠し味、俗に言う愛ってやつだ。
大通りの最奥には今も尚掘り進めている第三の坑道がある。この坑道、三代目にして最大の鉱床を発掘しているのだが、面白いというか頭が悪いというか、何と初代の坑道にぶつかったのだ。例の、山脈を掘り抜いて生態系に決定的なヒビを入れた悪名高い坑道に。
奥行きよりも横に大きな町ということもあり、坑道の入り口までそう時間は掛からない。しかし、当たり前の話なのだけれど、木枠で補強されている坑道の入り口には守衛が立っている。楽に山脈を抜けられるからと一般人が入ってガス溜まりに入られても迷惑だ、とか何とかで立たされているという戯れ言だ。人を牛や馬のように使っておいて、安全などと嘯いてみせるのだから。
それでも、僕は堂々とした歩みを止めず、守衛の前まで行ってようやく足を止める。
「お疲れさん。山は震えているかい?」
そんな不審者である僕を訝しむこともなく見る彼女の立ち姿を見て、僕は止まることなく不審行為を続ける。
「ああコレ、差し入れです」
行きがけに買った饅頭の箱を手渡すと、守衛は何を躊躇うこともせず、何なら少し嬉々とした雰囲気で饅頭の箱を開く。
次いで、「いくつ食べるので?」なんて、薄気味悪い声色で僕に問われたため、「二つ」と返答する。
「二つじゃあ、足りないですね」
「そうかい。じゃあ、押し通らせてもらうだけだ」
「できるとお思いで?」
「うん。まあ、何度かやってるし」
薄ら笑いで少し気取って答えてみる。
「……一番坑道には」
「ムジナいて」
「二番坑道」
「ガス溜まり」
「三番坑道」
「またムジナ」
「成る程……わかりました。差し入れ、確かに受け取りました。いつ頃に?」
「明日、陽が登るよりも早く」
饅頭の箱の蓋が閉じられたのを合図にして、僕と守衛の関係は再び赤の他人に戻る。一時的な僕らの関係がどのようなものだったのか、それは言わぬが花のものだけれど、あえて言おう、共犯者であると。
共犯者兼他人の職務に忠実な守衛と別れて、僕はようやく帰宅の途に着く。
大通りを遡り宿に戻る。受付で預けていた鍵を受け取ろうと声を掛けてみると、何と既に連れが鍵を受け取っているときた。
受付に感謝を伝えて、借りている部屋へと向かう。
戸を二、三度ノックした後でノブに手を掛け、生返事が返ってきたのを確認してからノブを捻る。戸の向こうから気の抜けた返事が返ってきたことから何の事件も発生しなかったと見て、意気揚々と扉を引き、部屋へと無事何事もなく帰還を果たした。
見ると、ベッドの端に腰掛けて間抜け面晒したソウルが何やら背中を丸めて手に持っているものを観察している。
「何してん?」
不思議に思い、手に持っているものを無理に奪い取ってやろうと野蛮な気持ちに駆られるが、クールでウィッシュな僕はそのような行為には走らず、大人しく近付きながら訊いてみると、ソウルは同じく不思議そうな顔をして持っていたものを僕に示すため人差し指と親指で摘み、見せてきた。
「ベッドに落ちてたんだけど……」
白い……石だろうか。一・五センチ程の白く、硬いもの。どこかで見たような気もしなくもないが……どこだ? これの正体を、僕は確かに知っている。同時に、僕のものではなく——恐らく彼のものでもない第三者のものであろう。
『町中で爆発? やっちゃうんだなぁこれがァ‼︎』
「まさか⁉︎」脳内で一本の線として完結した思考が、それの危険性を訴える。「歯か! 気持ち悪りぃ捨てろ!」
ソウルの手中から白い石こと誰かの歯を強奪して、一瞬の逡巡もなく窓に向けて投げつける。次いで、ソウルの腕を力一杯引き、できるだけ長く距離を取ろうと試みる。
『ベイビーボムは今、炸・裂するッ‼︎』
爆ぜる歯、歯以外の複数箇所でも爆発する、巻き散る木片、響き渡る轟音、吹き飛ばされて野外に飛び出る二人、揺れる脳、せっかちに巡る光景、じんわりと熱を持つ全身……不透明な視界に動く影がある。
ソウル・ステップは、無事らしい。
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