第七話/愛苦離別
移動を開始して一日と半分が経過して、俺たちは目指す『山脈ぶっこ抜いて鉱石掘ってる街』ことイワミ町を目前にしていた。
「さて、イワミ町も残すところひと踏ん張り。そんな訳で問題です! じゃ〜らん! 僕らが向かっているイワミ町、金は使えるでしょーか!」
そんな時、雇って以来やたらとハイテンションなアストライアは唐突に質問を投げかけてきた。
「鉱石を掘って収益を得ている町なのだから、金は使えるんじゃないの?」
「うん、まあ使えはするね。じゃあその貨幣価値の方を考えてみようか」
「低くはないんじゃないのか? 普通……あるいは少し高いくらいでもおかしなところは無いと思うのだが」
「半分正解半分外れ。残念だったね、これじゃあアストライアスタンプは授与できないなぁ。正解は町に住んでる住民、その人々で違う。より正確にいうならば、職業ごとかな? 地位が高い奴とか外部にもパイプ持ってる商人とかなら金のが交渉しやすいけど、あの町で生まれてあの町で生きてる奴らは金よりも物のが喜ばれる」
「それで、町は成立しているのか?」
「うんにゃ、しとらんよ。町は完全に二分されてるよ、搾取する者と搾取される者にね。搾取される側は鉱石を掘って物を得る、搾取する側は掘られた鉱石を売買して金を得て、その売上で町じゃ手に入らないような物を買う、その物が欲しくて搾取される側は鉱石を掘る。上手いこと組み上がっているのさ」
ひとつの町で社会全体の縮図を作ってる訳だ、とアストライアは楽しげに語る。
ただ、俺はふとひとつの疑問を覚えた。
「自分たちで外に、金を使って買うんじゃダメなのか? その、欲しい物ってヤツを」
「流石坊ちゃん、お目が高い!」アストライアは足を止めて、俺の肩をちょいちょいと突いた。「こいつ見てみんさいよ」
そう言って指差すアストライアの先には、立派な木が生えていた。今歩いているのは森林の中のため、木が生えていようと何もおかしなところはないのだが、どうにも、その木にはかなり上方五メートル程の高さにまで何か巨大な生き物が爪で引っ掻いたような痕が残っていた。目線を上から下にずらして行くと、木の根元には乾燥した大盛りの糞がこんもりと横たわっている。
「今のあの町は実は三代目でね、少し離れたところに一、二代目のイワミ町があるのさ。今じゃ廃村だけどね。問題は旧イワミ町を捨てた理由でね、鉱石が出なくなったのさ。それでいながら山脈を文字通りにぶち抜いて、向こうの南側まで開通しちまった。元はそれをトンネルとして活用し、金を稼ごうって話にもなったらしいんだがね……当たり前っちゃ当たり前なんだが、閉ざされていたハズの場所が通行可能になった結果、山脈の南にしか生息していないハズの生き物すらもこの山脈間に侵入してきた訳なのよ。それがこの爪の持ち主、南西名物ニチリングマ様だ」
ニチリングマ……体長四メートルを優に超える巨大な熊で、西都に報告されている資料を確認しただけでも年間で百を超える被害を出している。行方不明の三分の一もこれの仕業と考えられているが確証がなく、捜査をしようにもその凶暴性と執念深さから調査が難航しているという。
特徴は胸元にある日輪のような白い円であり、名前の由来もこれとされている。鋭い爪と牙を持っており、縄張りには爪による引っ掻き傷と糞を撒く。
「ちょっと待ってくれ、つまり、現状俺たちはニチリングマの縄張りにいるってことか?」
「かなり前からね」
「言えよ!」
「大丈夫大丈夫」
まるで信用出来ない安全保障を受けて、それでもアストライアの自然を生きてきた実績そのものを信用するとどうにも安全であるかのように錯覚してしまう自分がいる。
「まさか、コイツを狩ろうってんじゃないだろうな……俺は本物見た瞬間動けなくなる自信があるが?」
「アホいうなバカ。立ったらあそこまで手が届くニチリングマなんぞどうやって町まで運ぶっていうんだよ。熊じゃない、鹿を狩るんだ。ニチリングマが縄張りにするってことは一定以上の条件を満たしているってことだ、ヨツツノジカくらいなら探しゃ見つかるさ」ピースの形を作った拳を頭の左右にくっ付けて、ヨツツノジカの真似をして見せるアストライア。「まぁ、熊を撃ちたいならそれでも良いけどさ。このうんこ焼けばすぐよすぐ」
「鹿でいいよ、鹿で。それで? どう探すのよ」
万が一にも熊に遭遇したくない俺は、急かすようにアストライアに向かう。
「それじゃあまずは……」
アストライアは辺りを見回して軽く唸る。
「こっから移動するか」
そう言うが早い、俺のことなどまるで気にせず、お構いなしに林の中に足を進めていくアストライアに、俺は何とか追走する。
どうして深く柔らかい雪の中であるにも関わらず整備された道を歩く際とさほど変わらぬ速さで歩けるのか、今回の狩猟でアストライアから盗む技能課題はこれにしておくとしよう。
「目的地ありで動いている?」
「な訳〜。痕跡探して歩き回って、追っかけて、撃つ……痕跡さえ見つかれば一日二日、三日四日程度で仕留められるさ」
「掛かるな」
「まあ痕跡もないからね。手っ取り早い策で行くと熊を狩っちまうのが良いんだが……きっと労力に見合わない結果になる」
「そりゃまたどうして」
「命がね」
「成る程」
自然と共に生きるということは、イコールで自分の命と相手の命を秤にかけ続けることだ。自分の命よりも強大な命を前に、心臓の重みで勝たなくてはならないのだから……人は本当に死ぬ生き物でしかない、って話か。単純なくせに嫌味が多く含まれている。
「嫌ならば答えなくて構わないのだけれど……君は、俺に付き合ってくれたせいで死んでしまったら俺を恨むかい?」
ふと、首筋にかけられた死神の鎌に恐れをなして、俺は自分でも真意を掴みかねる質問を投げかける。
そんな、何を求めての質問なのかすら出題者がわからない謎に対して川を跳躍しようとする足をわざわざ止めて真剣に思考する素振りを見せたアストライアは、何か答えを見つけたのか右手で微かに今までのリズムとは異なる動きを行い、振り向いて、袖口から出したナイフを俺に手渡した。
「僕が死ぬとは思えないけれど、もし何かしらヘマをして死んだら俺の首をそれで落としてくれ。その後で首は適当に埋葬なりなんなりしてくれたら助かる……ナイフの方は心臓に突き刺しといてくれ」
俺は、不思議な魅力に圧倒されながらもナイフを受け取る。
墨汁を煮詰めたような曇天の如き黒。刃も歪に蛇行しており、どうにも生理的不快感をくすぐる形状をしているのだが、それでいて刃先がこちらを向くように持ってみるとさながら黒曜石のような無類の力強さが窺える。
「結局のところ危険を判断し損ねた僕の方に非はあるんだけど……誠実な正直者な君にゃ通じない理論だし、そうでなきゃ力を貸すなんざしていないとも。そっちのが、素直に自分を罰せるだろう?」
言うが早く、前を向き直ったアストライアはほぼノーモーションから立ち幅跳びの要領で三メートル近くある川幅を飛び越えて見せた。無論、俺も追いつくべく抜き身のナイフを胸元の内ポケットに仕舞い込んだ後で軽く助走をつけた上に加速の恩恵を使用して、力強く左足で大地を蹴って川を飛び越える。
「冷てェ‼︎」
「ぶっァーーーカ! ふっひっはァ、腹痛ェ! 片足だけ着水とか、ダッセェお前! おらそら、沈没した方の靴も靴下も脱いで、そして拭け。最悪切り落とすことになるぞー」
命からがら生き延びた落武者のように腰を抜かしへたへたと四つん這いで近くの河原に上がり、腰を下ろす。アストライアの脅迫に従って川に落下した左足の靴と靴下を脱ぎ捨てる。
腰のベルトに挟んである布を引っ張り出して左足を拭って、そのまま上手い具合にその布で足を包みずぶ濡れの靴に突っ込む。
「オーケー。進める」
「うん。進もうか」
先程までの注意喚起が嘘であったみたいな、冷ややかな声。
警戒と秘匿、隠し味にしたり顔あたりだろうか。
「どんな話してたっけ? ああ、そうそう。まあ、僕の生き死になんざどうでも良いとして、だ。ソウル、お前の足と違ってホットなニュースが二つ程」
「うるさいなぁ、もう。良い感じに足元が崩れただけだろうが」
「川の近くだとよくあるぞ、あれ。傘みたいになってる上に雪が積もってて上からじゃ見分けがつかない、ギリよりも足ひとつ分後ろくらいで踏み出すのがおすすめ」アストライアの手が、視線をずらすなの合図を送る。「……じゃあ、アレでいくか。良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」
「悪いニュースから」
「同業者、猟師さんだ。ニチリングマのうんこ見つけるちょっと前、道を外れる以前に気がついてたんだが、川を境にして道の方に戻って行った。デカい声でうんこの話してたからあちらさんにゃ狩りに行くって伝わってくれてるハズだ」
「頭数は?」
「一人だと思うんだが、どうにも自信がない。やたらガタイがいいのか、あるいは大荷物か。川を境に追ってこなくなったのもそれが原因だと思う」
「引き返して……」
「そりゃ、イワミ町に向かうだろうな。町に入ってから気が抜けなくなっちまったなぁ、犯罪者かってんだ僕らは」
「少なくともお前は犯罪者だろ」
「嫌だなぁ、十四個の肉塊にするのにどんくらい時間掛かるかなぁ」
「全力で走ったらそれなりに時間稼げるかも?」
「森ン中で全力疾走出来るもんか馬鹿」
「ちぇ、夢の無い。で、良いニュースは?」
「ちょっと前に痕跡を見つけた。今追ってる。古くはなかった……一時間圏内」
「早く言えよ」
「言ってどうなる。結局僕頼りのボンボンが」
ぐぅの音も出ない以上に腹立たしいことはないだろう。
反論の! 反論の余地を俺にくれ!
「……すまん。現実って、時また人をかなり傷つけるよね」
「バッカ、バーカ。バカバカバカバカバカバカ」
「おい静かにしろよバカ。ほれ、いたぞいたぞいたぞいたぞ」
割と強い力で肩を押さえつけられて、その行為の真意を掴んだ俺は中腰になる。俺の隣に同じく中腰のアストライアは粛々と腰回りを漁って準備を進めている様子だが、何の説明もなく準備を進められても俺は何をすれば良いのかまるでわからずただ百メートルあるかないか先にある少し開けた場所で呑気に木の皮を剥いで食べているヨツツノジカの姿を観察する他ない。
本で読んだ知識でしかないが、鹿というものは大きく分けて二パターンに分類出来るらしい。
片方は眼前にいる頭から棚が四本生えている鹿のように、角が控え気味で身体自体も小さめな森林系の鹿。森林内で雄一匹に対して雌が四から五匹のグループを形成して生活する。
もう片方は角が横に広く身体付きの良い平野系の鹿。平野で基本は一匹で、つがいが出来ればつがいと共に生活する。
「どうすんの?」
「縄を低い位置に張ります。追い込みます。転げた鹿の脚を縛り上げます。ウェーイ」木と木の間に、地面から十五センチ程の高さで縄が張られている。「鹿を縛り上げるのは僕がやるよ、君は向かいから回って追い詰めてくれないかい?」
「構わないよ。対角の位置から走ってくればいいの?」
「うんにゃ、それじゃ三時方向に逃げられる。九時方向から二時方向までぐるりと回った後でこっちに向かって走って来てくれ」
「加速は?」
「一・二五倍維持が可能ならそれで。無理なら思うまま加速するがいいさ」
「タイミングは?」
「そちらに合わせるとも、僕ってば結構デキるタイプだから。つーか故郷じゃ歳下に合わせて来たからそっちのがやり易い」
軽く手を挙げた後で中腰のままよちよち移動して、言われた通り左回りに移動する。移動しながらも、止まりそうになる脚を無理矢理に動かす。
今一度考えてしまったのだ。僕は、今初めて狩りという行為を行っている事実に気付いたのだ。西都からアストライアと出会ったあの町までは、持参した食糧で食い繋いだ。町からこれまではアストライアが飯を用意してくれていて、自分から手を汚すことがなかった。
『人の一生は、常に試練の中にある。より多くの試練を克服した者こそが【覚者】たる資格を得る』——輪書:五章一節より。
これが試練か……ならば、俺は乗り越えなくてはならないだろう。敬虔なる信徒として、始祖の目指した人の可能性を人々に見せつける光になるためにも、俺は。
「一・二五倍固定……行けるか?」
いや、一・一五から一・三〇の間を調整しつつ極力期待に沿う形で行こう。
鳩尾の少し下の辺りに力を込めて、脚から全身にかけて血の巡りが加速し出す。逆に世界の方は動きが緩やかになってゆく。
動きは緩慢に、それでいて鋭く。立ち上がる動作に付随する形で駆け出して、俺はヨツツノジカの前に躍り出る。驚いたヨツツノジカは一時方向に逃げようと走り出すが、俺のアストライアはそれすらも読んでいたために既に地を蹴って時計回りに二時を目指して走り出していた。
コイツ正気か⁉︎ みたいな衝撃顔をし必死に四つ足稼働させて六時方向に方向転換後駆け出すが——そちらには勿論アストライアさんが待ち構えている訳だ。逃げ回り駆け回る鹿の一匹、目的の雄鹿はアストライアが仕掛けた縄に脚を取られて顔から地面に叩きつけられる。
「捕縛班行きます!」
なんて、変な掛け声と共に飛び出したアストライアが転げた雄鹿の前後の足をそれぞれ縄で結ぶことでミッションコンプリートだ。
「ナイス」
「ありがと」
加速を解除して、どっと疲れに絡まれた体を稼働しつつアストライアの元に舞い戻る。
「で、どうするのこの鹿。血抜きとか?」
「うんにゃ、今回は角だけ貰ってく。四本あるから二本二本な」
「皮とか肉とかはいいの?」
「本当は欲しいところだけど、高く売れないのよね、あそこじゃ。だから持ち運ぶ労力に見合わない。熊を狩らないのもそれが一因だね。持ち運びやすくて一番価値ある角だけでいいのさ」
袖から取り出したナイフをクルクルと回して楽しげに語るアストライア。
抑えといてと指示された頭を押さえて、暴れる鹿を抑え込む。
「……そういえば鹿って角がデカい方がモテるんだっけか」
「彼は……一年非モテになるんだ、僕らのせいで。でもヨツツノジカは年一で角が生え変わるから、来年にはまたモテるって。いや、その前にB専的な角なしラブな鹿が……つーか、角の有り無しで愛が変わるならそりゃ元より愛じゃないのよ」
「すまん、鹿」
何度も何度も角に突き立てたナイフを押して引いて繰り返し、遂に角を一本切り離した。切り離した角は側に置いて、次の角の切除に移る。そうして四本切り取った後に、足の拘束を解いて俺たちのために今年非モテが確定した鹿は森の中に消えていった。
脚を拘束していた縄をリサイクルして荷物に鹿の角を括り付け、町に至る準備が完了した俺たちは道に戻るため森を逆行し始めた。ありがとう鹿、君に良き奥さんが出来ることを願っている。
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