第六話/出発執行
狩猟小屋で一夜を明かし、翌日。
太陽が上がり切る前に目を覚ました僕は、隣で無防備な寝顔を晒して眠っているソウルを起こさないよう細心の注意を払いながらも外に出る。
冷え切った空気は肌に剥ぐような痛みを僕に与え、曙の陽光は降り積もった雪の白に反射して眩しく輝く。眩しさに目を細めて、太陽を隠すように腕を掲げてみた後に、心機一転して前に向き直り近くの小川を目指して足を進める。
小川に到着したならば、冷え切った水を手で作ったの器で掬い上げて顔を洗浄する。寝惚けも全てを洗い流したならば、同調して意識も引き締まるものだ。
小川から数歩足を引き、大きく息を吸ってゆっくりと吐く。
本日も晴天で、本日も僕の身体は好調だ。先日の襲撃及び掃除屋との果たし合いによって体に空いた穴がそう簡単に癒える訳もなく、絶好調ではないのが残念でならないが、まあ、このくらいの傷であれば大抵の人間とはハンデ程度で済むだろう。死ぬ以外はかすり傷の心構えだ。
気取ってる?
気取っているともさ。これ程までに面白おかしいことはそうそうないぞ、逃す手など小指のつま先ほども無かろうて。
「………………ふッ」
とひとつ切り替えの呼吸をして、袖口からナイフを取り出す。くるくると手元で回してみたり遊びを入れて、寝起きで鈍った指の一本一本に至るまで入念に下準備を行う。
腕を軽く引き、脚は前後に開く。
心臓の鼓動と呼吸が交わるタイミングを測り——全く同期した瞬間、最小限の動きで最大限の推力を付与して投擲する。発射された銀の凶弾は空を切る雷電の如く、目測で二十五メートル先に立つ川向こうの木の幹に突き刺さるまでの数秒を駆け抜けた。
ナイフの着弾を見届けた後で腕を戻し、脚を閉じる。ひと心地着く前に再度腕を引き、脚を開く。
このワンセットを左右十回ずつ。それが僕の朝のルーティンである。
*
「うぃー、けえったよぉ」
狩猟小屋に帰投すると、丁度小屋の中からソウルが起きて出て来ていた。大きな欠伸をして、ボサボサの髪を手櫛で整え、今起きましたと言わんばかりの形相である。
「おまようござ……どこ行ってたの?」
「罠回り。最後だからって手を抜いて設置したものだったが、それなりの収穫はあったぜぃ。見てけろ見てけろ、ミミクロウサギ! 朝から肉とは贅沢よのぅ、こりゃもう央都の司教クラスなんじゃないか?」
収穫物のウサギを見せびらかし、お褒めの言葉を乞うてみる。
「おお、良いね。薪でも拾ってくるか?」
「うんにゃ、要らない要らない。薪は小屋の中の余りで足りるから。それよか、火の準備をしておいてくれ、僕は此奴の解体に当たる」
「了解ですっ」
今まさに出てきたところ悪いが、彼には再び小屋内に戻り火を焚くという重要任務に移ってもらった。生まれ育ちが良い奴というのはどうしてこうも順応が早いのか、富める者が悪役になることなど現実に起こり得ないだなんて話、どこの阿呆な脚本家のプロットだって話だ。悲惨すぎるよ。貧民に救いを。
適当こきながら移動して、切り株のまな板上にミミクロウサギを設置する。首を切って血抜きは済ませてあるのだが、見開いた目で僕を見られるとどうにも乗り気にならないものだ。
「さらば」
最後に一言告げて、ミミクロウサギの解体に取り掛かる。同時に、脳内で献立を組み上げる。ミミクロウサギの肉は柔らかめだが特有の臭みがある。ハーブで誤魔化せる程度だが……いや、ハーブで誤魔化せば良いだろう。棒味噌は出来れば節約していきたいから使わないとして、スープの味付けはどうするか……まんまでいくか。
骨はスープに突っ込むとして、内臓は別途に使用しよう。肉は残しておきたいが干すには塩がないし燻製にしたってそんな時間はない、食べ切るか。皮はどっかで交換に使えるだろうから木枠にはめて干しながら歩くとするか。
「うし、流石僕。殺してバラしてはお手のもの」
殺し屋の前に熊撃ちで、熊撃ちの前にマタギ様だ。山で飯を作らせれば最強よ。
食べる部分だけを板に乗せて、小屋の中へと軽快な足取りで入る。流石のボンボンと言えども火を起こすくらいは出来るらしく、任命した通りに火を起こして一人で暖をとっていやがった。
僕が寒々とした空の下でウサギを捌いていたというのに。これだからボンボンは、言われたことしか出来ない、自主性に欠けていて手に負えん。下手に自主性を持っていられても困るし、正直僕が同じことを命じられたとしても同一の行動を取るから口じゃ何も言えたものではないのだがね。
まあ良い、クッキング!
昨日も使った鍋に綺麗な雪を五分目まで入れて火にかける。溶けて水になったら先にハーブとウサギの骨を散らして香り兼味付けをして、沸騰したらハーブを取り、逆にウサギ肉を入れる。あとは煮込む。肉に火が通ったら完成!
「さてと、朝食を食べながらにはなるけれども、予定の組み立てと行くか」
脂と香草が鼻を突く大自然を直に感じることのできる稀有な料理を口にしながらも、僕はソウルに声を掛ける。
「目的地は央都で良いんだろう?」
「ああ。央都に、石櫃を届ける……それが俺の目的だからね」
「元の予定は?」
「街道を辿っていく予定だけど?」
「この時期に?」
「この時期に」
呆れというか、わかっちゃいたが金持ちは所詮鳥籠の鳥よ。不自由も無ければ命の危険もなく、それでいて余裕も教養もある。だが、圧倒的に経験が足りない……経験のない頭でっかちは、ふとしたところで脚を救われるものだ。
「この時期は街道沿いなんて歩いて行けないぞ。お前も何度か食らったんじゃないか、ホワイトアウト。目の前がバーっと真っ白になるヤツ」
「ああ、二日に一度程のペースで。あれのおかげで進行ペースがかなり下がっている」
「ありゃ、西部を南北に割る二本の山脈からの吹き降ろしに粉雪が舞って起こるんだ。んで、街道は山脈と山脈の中間にある。今僕らがいるのも、当然山脈間の山中だ。このまま街道を進むのなら、極冷期を抜けて雪が薄くなり始める頃まで待機する必要がある。それでも危ないくらいだが、最低限一ヶ月、確実性を持つなら三ヶ月は待つ必要がある」
「だが、急いでいるんだ。何か足を止めず進み続ける方法はないのか?」
「勿論ある。単純な話、山脈の中間に居なきゃ言い訳だ。北風の吹き降ろしを喰らわない、山脈の南に出れば良い」
「南? 北じゃなく、南にか?」
「ああ、問題は北風な訳で、北に出ても平野で視界不全を起こすだけだ。ひとつ山脈を越えれば風だって弱まる、そこに二本目の山脈ぶつけりゃもうそよ風よ」
「成る程な……それで、登るのか?」
「な訳〜。アホじゃないのか、それこそ死ぬぞ。こっからちょいと進んだ先に、山脈ぶっこ抜いて鉱石掘ってる街がある。僕達がよく使う手口なんだがな、そこン従業員にちょろ〜っと金掴まれば何があっても自己責任にゃなるが、坑道に入れてくれる。あとは中にあるトロッコ使ってバーっと走ればそう長く掛からずに山脈の南に出れる訳よ。ちな、こういう街はそれなりにあったりするのよね〜鉄に石炭、金銀財宝ざっくざくってな」
「では、そのプランで行こう」
「よし来た」
山脈の南に出てしまえば、後は西部地図を頼りに街から街へと進んで行けば二ヶ月とせずに央都に着くだろうさ。順当に行けば、の話だが。
あいつが未だに狙われている可能性は高い。そうなると、同業者共の追跡を撒きながら進む必要がある。撃退ばかりできればいいが、あんな馬鹿みたいな非現実を見せられると生き残るのは至難の業となだろう。賭けは無駄だ、安全策のみを取るとしよう。安全性なんざ証明できんが、まず自然の脅威から逃れ、次に人間の脅威だ。もし僕が追跡者ならば、と仮定……というか継続するとして、どこを張るかを考え、そして避ける。幾つかの地雷は踏み抜くだろうが、その程度の問題は努力義務だ。
「すぐに出るのか? それとも日を見るか? 俺はこの自然の世界について乏しい、今はアストライア……君が頼りなんだ」
「なんでぃ、母性くすぐるじゃないの」安全の追求は常に頭の片隅で行いながら、僕は身体を動かす。「出発は今日、昼には出たい。街までは……まあ、二日あれば余裕で着くな。あそこは栄えてる、物資の補給を十全にしてから山脈超えの予定で行く」
「わかった」
「ああ、あと飯が食い終わったら荷物全部外に出してくれ。この小屋は焼き捨てる。忘れ物しても燃えて消え去るから注意しろよ」
「成る程、木と葉で作ってあるのは隠滅を楽にするためか」
「そゆこと〜。影の実力者ルート、入っとく?」
「遠慮しておく、君が言うとマジで入れちゃう気がするから」
「押し上げならできるぜぃ、アストライア家舐めちゃいかんよ。だが、生き残れるかは結局のトコ運否天賦なのよね。実力があっても毒の前じゃ誰もが無力になるもんでね」
うちの一族で一番腕があったが傍若無人で猿みたいな奴は拾い食いの末毒で死んだ、と付け加えて語っておく。実際にそんな奴はいないし、殺し屋に腕もクソもないが毒に対する良い薬にはなってくれるだろう。元から拾い食いなんてしなさそうだけどね、念には念をの精神ですよ。
腹を崩すだけでも生死に関わることもある。自然というものは常に首元に鎌を突き付けているものなのさ。
「水筒! 必要。携行食! 必要。干し草! 地図! これ、今も合ってるのか? まあいいや、一応持ってくか。鏡! ソウルくんは持ってるかい? 男は外見を大切にしなきゃねぇ。ロープ! 用途色々。双眼鏡! レンズが死に始めたから新しいの買わなきゃね、ってことで捨て。コップ! 新調したばかりだったり。毛布! ニチリングマ製最上級の毛布様じゃい。ナイフ! 必須。これ無しに僕は語れないってものよ」
持ち物は……こんなものか。これを腰のポーチと荷袋に二分して、と。荷袋の外装にロープでミミクロウサギの生皮を固定しておけば上手い具合に乾いてくれるだろう、雪さえ舞わなきゃの話だがね。
「そっちの準備は?」
自分の準備が整ったため、ソウルの方へと顔を向ける。
「問題なし! ただ、剣が刃こぼれしてるみたいなんだが置いて行った方が良いものかどうか判断して欲しい」
「あー? 持ってっとけ持ってっとけ、最悪相手を叩き切ればいいだけだ。金物は人里に降りなきゃ手に入らん。木や草、あとは骨と皮で代用出来ないものはなるべく長く使え。そして変えが手に入るまで捨てるな。お前のその剣なら腰にぶら下げとくだけでも雑魚の山賊にゃ威嚇になる。にゃー!」
「成る程な……」
そういうと、ソウルは腰の剣帯に鞘を下げた。いやはや、よもやこれ程とはな……もしかして、かなり面倒なことに首を突っ込んでしまったのではないか?
まあ、だからと言って見捨てるわけにはいくまいよ。殺し屋が人助けなんて、どんな面白かって言われりゃそこで詰みだけれど、人間、どこまで落ちたらお終いなのかは知ってるつもりだ。最底辺の見本があれば、そこを避けて動くというものだろう。
「外に出てくれ、火を落とす」
ソウルに僕の分の荷物も持たせて先に外に出させ、僕は最後の一仕事をやり切るために一人小屋に残る。中央で揺らめく焚き火の中から一本、燃える木材を拾い上げて、そっと小屋に残した少量の薪に火を移す。
「さようなら、ゴーシュさん」
思えば、あの街での滞在期間はボンボンが自然の脅威に打ちのめされていたお陰でそれなりの時間があったな。そりゃ、酒場のおっさんにも情が湧くってもんだろう。
……何度目だろうか。こうやって、自分で手で縁を終わらせるのは。
「変われるか変わらないか。得るものがあるのか失うものばかりなのか。見殺しにしてほしいな、みんな」
故郷に想いを馳せ、新たな燃え盛る故郷に背を向ける。
暖かさから一転、人を刺し殺すような雪原の風が肌を撫でる。夢はなく、希望もない。人の暖かさもなければ、世界を包むのは純白のみだ……それでいて、大地が本来持ち合わせる熱だけが確かに存在している空の下に立つ。
「さてと、ちゃかちゃか向かおうかソウル。旅は道連れ世は情け、未来は先で過去は脚……ってな」
「……? どういうこと、特に後半?」
「未来は次の一歩を踏み出した場所にあるけれど、その踏み出すための脚を過去というものは掴んで離さないのさ。そんでもって足を掬われてすっ転んで崖の下、ってね」
「うぅん……すっげぇ嫌な話聞いた気分」
「嫌な話をしたからねー」
「嫌がらせ?」
「むちゃ嫌がらせ」
雪道には二人分の足跡が刻まれていく。
人はどこへ向かい、どこに辿り着くのか——僕は彼のそれが見たい。
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