第五話/正義希望

「ここは……」


 目を覚ますと、見慣れない天上が見えた。

 組み上げられた枝と葉。骨組みが枝で壁として葉があしらわれているようだ。壁を辿っていくと常に天上の一点に集中するところから、この超天然素材のテントが円錐形であることが推測可能だ。

 手をついて、寝そべっていた上体を起こす。やたら暖かいと思ったら、贅沢にも床には獣の皮が敷かれている上にテントの中央には火が焚かれているらしい。その火は俺を温めるだけには留まらず、上に乗せられた鍋をも燃しており、鍋からは食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。目を凝らして鍋の中身を見てみると、野草や肉団子が踊り狂ってみせていた。


「よう、おはようさん」


「ああ、おはようございます」


 火を挟んだ向かいに腰を下ろして鍋をかき混ぜる者が一人。

 黒髪は短く借り上げられており、その下に覗く顔立ちは中性的で幼い。こうして再度見てみると、声音も合わさって男女のどちらか判断に困るところだ。上体には革のコートを羽織っており、首元には毛糸のマフラーを。ズボンの側面にはやたらとポケットが多く付いていて、ブーツはどうにもくたびれている。


「ここは?」


 一度腰を据え直した後で、彼? 彼女? 取り敢えずは彼、の方へと体を向ける。

 彼はこちらに目を向けることなく、鍋をかき混ぜていたお玉でスープを食べ始めた。


「ここは……まあ、簡易的な狩猟小屋かな。あの町で狩人としてふるまっていた時の名残りだね。あのままあそこにいたら、ちと面倒臭そうだったからね、身を隠すには丁度良いだろ」


「何で俺も?」


 不意に溢れた本音。

 気が抜けてしまったらしい。どう考えたって彼にメリットは無いし、俺を救けたところで面倒事以外に何を得ることもない。事情を知ってるらしい様子からしても、救ける選択など元より無いだろうに。利益換算が出来ない奴には思えない。

 ならば何故——なんて、疑問の芽が育まれる。


「何で俺を救けてくれるんだ? お前は、俺を殺しに来たんだろう? ここに連れて来る前に……あの掃除屋に襲われている時に殺せば良かっただろう。そうしたら、危険を犯さず生き残れたんじゃ……」


 抱え込んだ足元に視線を向ける。

 俺は一体、何に怒っているのだろう。


「何故あんたを助けたか、ねぇ。まァ、何だ。きっと、あんたが良い人だって思ったからだよ。本当、それだけ。特別な理由も何もなくて心底混乱してるだろうけど、真面目な話、あんたが良い人で何か知らないけど重要な事をしてるんだって感じたから、その終わりを見たくなっただけなのよ。マジでマジで。本当、それだけ」


 その善人さを学ぶためって言った方が信用出来たりするか? なんて、彼は快活に笑って続けた。

 信用出来る信用出来ないを抜きにして感じるならば、これは彼の素の姿であり、この言葉は本心からのモノだろう。本心からの言葉を右から左へ受け流すのは、褒められた行為ではないだろう。かと言って、信用していない相手の言葉を感覚だけで信頼してホイホイ付いて行くのは些か警戒心が不足していよう。


 そんな疑心を心中で育んでいると知ってか知らずか、彼は俺の前にスプーンを出して一言「食うか?」と訊いてくる。その姿にウダウダ考えるのも馬鹿らしくなってしまい、大人しくスプーンを受け取って鍋に入れた。毒味は、彼自身が行なってくれている。


「ちなみにこれって何が入ってんの?」


「んー? デバナカジリスを骨ごとミンチにして捏ねた肉団子とネコワラビのザク切り、隠し味にトラロダケを少々。デバナカジリスの出汁が良い具合に出たんだ、美味いぞ」


 いざ食べるとなると急激に空腹に襲われて、がっつくようで行儀悪いが肉団子を掬った。口元へと運び、息を吹きかけて粗熱を取り口内へと流し込む。


「………………‼︎」


 スープはまろやかな舌触りで、確かに油はあるがあっさりとしていてしつこくない。しかしそれでいて鼻に抜ける香りは力強く、満足感に包まれる。

 肉団子もほろほろと崩れる程に柔らかいが所々歯応えがあり、食べているという実感が湧く仕組みになっている。骨ごとミンチにしたと言っていたが、この歯応えの正体はそれだろうか。


「満足って顔してるね。えがったえがった」


 ふっと微笑み、少々馬鹿にした様子でそう口にする彼。満足げなので、憎めない。


「さてと。そんじゃまァ、食べながらいいからちょいと話に乗ってもらっても良いかい?」


 お玉を鍋の蓋に立て掛ける形で置き、至って真剣な雰囲気でアストライアが語る。食べながらで構わないとは言っているが、食事を続ける事が許される空気感ではない……のだが、いかんせんどうにも空腹だ。礼には反するが、口を動かしながらスプーンを持つ手とは逆の手で続けるよう合図を出す。


 合図を受けて数秒。言葉を選ぶ様子で押し黙り、遂に意を決したらしく口を開く。


「まず、あの力は一体なんなんだ? あんたの〈加速〉だの、奴の〈液体操作〉だの……俺の〈反撃〉だの。とてもごく自然的なモノとは言えない、超常の能力は」


 アストライアは、広げた右手のひらを眺めている。あの石櫃の中で輝く光の結晶を砕きら取り込んだ手だ。


「何かって訊かれても……俺にだってわからないよ」


「わからないのかい」


「俺はまだ未完成だからね、真意は知らない。けれど、あの石櫃を俺に託してくれた人はこの力をこう言っていたよ。

『人の可能性。明日に進むための灯火。絶えず鼓動する星の愛と夢。全ての生物が持ち得るモノでありながらも全ての生物が持たざる本能にして叫び』

「あるいは魂の在処を示すもの、ってね」


「魂……」


 言葉を選び損ねたのか声を詰まらせて、積み上げられた言葉の中からこの一言をピックアップして口内で転がす彼は、妙に納得したみたいに顎に手を添えた。先の一言以降、口を開かず押し黙る姿を受けて、俺は続いて石櫃について語るべきか否かを測りかねる。


「何だか……変な事だってわかっちゃいるんだけど、しっくりくるんだ。いつからか知っていたみたく、失っていたはずの世界が広がって行くみたいに!」


 収穫祭の夜、初めて花火を見た少年のような、そんな、純粋さが瞳の奥に熱をチラつかせて——成る程、これが彼の本性かと本質的に身構える。

 彼は、俺なんかより幾分も事の真理に近いところに在るのだろう。


「君は……どう考える?」


 知りたいという欲求の何と恐ろしくも甘美なことか。別段、今の自分に不満があるわけではないのだけれど、成長の機会は見逃せんものだな。


「どうって……そりゃ、自分で感じなきゃならないんじゃないか? 偉そうな事を言えた立場じゃないし、どちらかと言えばこっちのが訊く立場だと思うがね」


「そうか、そうだよな。それじゃあ石櫃の話に移ろうか」


 心機一転、話題を変えて会話を続ける。

 それに際して現物があった我が理解が進むと考えて手近に置かれていた皮袋を手繰り寄せ、中から例の石櫃を取り出そうと口を開き中を確認する。が、まあ勿論皮袋の中に石櫃は入っていなかった。俺自身が彼に石櫃を託したのだから、当然だろう。


「あーそうそう。コレ返すわ」


 何を探しているのか気が付いたらしい彼は腰のポーチを開き、中から石櫃を掴み出してその手を俺の方など伸ばした。彼の手から石櫃を受け取り、両手で包むように持ち直した後で石櫃について一度頭の中でまとめてから話し始める。


「この石櫃は〈ヤハウェオブジェクト〉と呼ばれるものだ。詳しい話は……教えてもらえなかったからわからないけれど、確かな事は三つ。これは教会が御神体として扱っている物であることと、神のカケラと呼ばれるくらいには大切なモノであること。そして、進化を望む者に道を指し示すこと。だから……そんな大切なものだから、俺一人で管理するのではなく央都の大聖堂に持って行って納めようって訳なんだ」


「まァ、大体わかった——うん。いやしかし、神様のオカルトパワーが人を進化させるとか何とか言って、結局のとこ信仰ソレかい。やだねぇ、流石は聖職者様だ」


 嘲笑をあげて再び鍋を突き始めた彼に、俺は何だか無性に腹が立ち、口を尖らせて攻撃に出る。


「より正確に表すのであれば、教義上神は存在していないんだ。神と言ったのは伝わりやすく噛み砕いただけで、実際のところは伝導者——つまり人間なんだ」


「成る程なぁ。可能性こそが信仰対象……ってコトね。僕ってば宗教とか気にして生きてこなかったから、そんなコト知らなかったわ。じゃあ、行ってしまえば能力信仰なワケなのね……するってーと、やっぱ格差社会が生まれてくるのか。参加していない者としている者、教義的に目指す地点が見据えられているならば、そこに到達した者こそが信仰の対象になるハズだからなぁ」


「そんなことはないよ。能力は確かに進化ではあるけれど、伝導者様が見据えていた地点には遠く及ばないんだ」


「能力もまだ過程ってこと?」


「うん。伝導者様は人と人とが同じ目的を偽りなくわかり合い、手を取り合って世界と向き合える力こそが能力の本質だと記したからね」


「お優しいことで」


「真に人の事を考えているお方なのさ」


 悪態をつく彼ではあるが、決して嫌っての事ではないらしい。高すぎる理想に目を細めているのだろう。


「いやしかし、何にもわからんかったな。正体不明でしかないじゃねぇか」


「そりゃそうさ。神秘ってものは秘匿されてなんぼだからね……」


「そうやってお偉方で話し合って真実を隠すから、伝導者様の理想は永遠にこの氷土の土壌にしかならないんじゃないかよ」


 会話が止まる。

 俺は、何も言い返す事が出来ない。

 彼の言った言葉は的の中央を射ており、正しく俺達聖職者こそが真実を揉み消して偽装した正しさを強要する者なのだ。伝導者様の意思を汲んだフリをして、その実、俺達は俺達が自由に暮らせる世界に歪めている。折角まっさらに一新された純白の世界だというのに、火を焚き、変わる事なく汚し続けている。


 伝導者【ケリィ・キセキ】は人類に希望を見出して「『可能性』を体現する者」の到来を待ったというのに、その可能性を潰し今日一日の享楽の為に永遠の楽土を見放した。伝導者様が群衆を切り捨てて少ない仲間を引き連れて最果ての島へと向かわれたのも納得の愚かさだろう。


「まァ、何でも良いんだけど」さながら他人事のように、あるいは他者に期待する事なく、彼はどうでも良さげに口にした。「ああ、そうそう。気になってたんだけど、その……〈ヤハウェオブジェクト〉だっけ? ソレの中身、僕ってば叩き割っちゃったけど、よかったのか? 大切なものなんだろ?」


「ん? ああ、問題ないさ。実のところ、俺の〈加速〉もこの石櫃の中身を砕いて得た力なんだ。回数は知らないけれど、中身は定期的に再生しているんじゃないかな」


「そいつは良かった。僕は殺し以外の悪事は極力犯さない主義でね、器物破損なんてもっての外さ」


「そうなんだ」


 楽しげに笑う彼。

 何だかわからかいけれど、俺は彼——あの夜、アストライアと名乗った彼にどこか惹かれる気持ちがあった。それは彼の技を美しいと感じたからか、彼の心を力強いと認めたからか、彼の在り方をそれも一つの回答だと理解したからか……果たしてどれなのかは知らないし、どれなのかは関係ないのだろう。たった一つの単純なアンサーとして、俺の目指すべき地点は彼の中にだけある。俺は彼を知らなきゃならない。それこそが『可能性』に行き着く鍵だ。


「なあ、こんだけ話したんだ。こっちも質問良いだろ? 簡単なのを、三つくらい」


「えぇ……影に生きる者は痕跡を残さぬもの、下手な質問はするんじゃないZE☆ とか何とか言ってみるのも乙だけれど、答えられない質問もある事をご存知の上で質問するなら答えられる範囲で答えていくよ」


「うん、それで構わない。ありがとう」


 いつの間にか空になっていた鍋に目を落として、金属の光沢に目を向ける。


「君は、どうしてあの時最後まで俺に加勢してくれたんだい? あちらの言う通りにしていれば、無事に生き残れたかもしれないのに、どうして賭けに出たんだい?」


「そりゃ、信用に足らなかったからさ。人を殺す奴は、大抵の場合息をするよりも楽に人を騙す事をする。騙す意志なく騙して、切り捨てる覚悟なく使い捨てる。お前さんらが生きてる契約と性善こそが吉良とされる世の中じゃないものでね、騙される馬鹿が痛い目を見てしまうのさ」


「生き残る為の最善策を取っただけ、と?」


「いやさ、生き残るべき者に手を貸すのは当然さ。価値のある物に天秤が傾くのは当然だろう?」


 お陰様で得たものもあったしね、と快活に彼は笑った。まったく気持ちのいい奴である。


「それじゃあ、二つ目の質問。誰から俺を殺せと依頼された?」


「知らん、マジで。依頼者自体はローブ羽織った東の方の訛りの男の子だったけど、ありゃ間違いなく使者だから依頼元は知らね。使者の方は歳の頃二十後半くらいのイケてる奴だったよ」


「名前とかは?」


「スタンキス・ベスティン・ライリスタ。まず間違いない嘘っぱちでい。僕かて前金で報酬の五割ふっかけても呑んできたから受けたようなもんさ」


 親指と人差し指の先をくっつけて円を作り、俺の方へと穴を向けて語った。金で人の命が買えるように、金で人は人を殺せるのは……道理か。


「最後の質問は、君を雇うにはどれくらいの金銭が必要なんだい? 丁度、サバイバル経験豊富で俺を央都まで案内してくれる護衛が欲しかったんだ。いかに自分が生存能力に欠く人間かはここまでで嫌って程味わったからね」


「んー? 安くないぜ、僕は。そうだなぁ、旅費の全負担と旅の最後に〈ヤハウェオブジェクト〉周りの情報全て頂こうか。あとはあんたの『態度』次第では裏切られる覚悟をしておいてくれよ」


 可能性ってヤツを見せ続けてくれ、と彼は言った。

「確かに、お高く止まってるね。よろしく、俺はソウル・ステップ」


「毎度アリ、良い買い物をしたなソウル。僕はヴァン。ヴァン・アストライアだ」


 お互いに差し出した手は握らなかった。

 なぜなら。

 それはさながら。

 十年来の親友に今一度名乗りをあげるような。

 違和感に満ちた行為だったからである。


 こうして結ばれた同盟。

 それこそが聖職者おれ暗殺者かれの旅の始まりであった。

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