第三話/転禍為福-1

「痛ッ……」


 轟音が鳴り響くのと時を同じくして突き飛ばされた俺は、俺を突き飛ばした張本人であるアストライアと言うらしい暗殺者が障害物として選び転がり込んだベッドと床の隙間からその景色を見た。破壊された壁の向こうを、狭い隙間から。


 黒く分厚い空には満天の星々が煌めき、その下にある隣家の屋根には雪が積もっている。黒と白のコントラストは見慣れているためか、とても美しいとは言えず、更にこの雪中を行進して来た経験からか、いっそ恐ろしくも思えてしまう。


「何なんだ——⁉︎」


 あれは、という声は続かない。

 言葉を締める前に、突き飛ばすことであの破壊活動から俺の命を救ってくれたアストライアという彼が——あえて説明しようとした訳では決してなく、意図せずこぼしてしまった様子ではあるが——先んじて口にしたためである。


「掃除屋か……」


「掃除屋……?」


 苦虫を噛み潰したような苦い笑みを浮かべるアストライアはどうやったのか自身で拘束を解き、ベッド上に置いていた俺の鞄を回収して、地面を滑らせ渡してきた。大切なものが入っているため回収してくれたこと自体はありがたいのだが、未だその行為の真意を掴むことが出来ていない俺にとってはその行動すらも怪しく映る。


「ベッドを横に倒して壁を作る。この破壊力からして一発と持つようには思えないけど、こちらの正確な位置がわからないだけで万々歳だ。次、何か一発撃たれた時に部屋の扉から逃げるぞ。こう威力が高いから……そうバンバン撃たないものと高を括ってもみたいんだがねぇ」


 そうも行かんだろう、とアストライアは続けた。

 そりゃあ、相手の姿も装備も何もわかっていないので仕方がないとは思うけれど、そのような言い方をされるといささか心配になるな。


「室内に残った傷だとかそういうので、さっきの一撃が何によるモノなのかとかわからないのか?」


「まるでわからん。何より発射音がしなかったってのが可笑しいんだ」


 アストライアは脚の側を、俺は逆の頭側に当たるベッドの足を掴んで、力を込めて横に倒し、壁を作る。たったそれだけのコトなのに、ベッド裏の障壁としての性能は想像を絶するほどに高かった。この安心感、例えるのならば『森を散策中に熊と遭遇したけれどその熊は崖を挟んだ向かい側』ってな感じだ。確かにそこには危機感が存在しているが、同時に相反するハズの安心がある。


「で、お前。掃除屋ってのは一体全体何なんだよ? 今相手している"敵"について何か知っているの?」


「知ってる訳じゃないよ、掃除屋っていうのは聖職者とか暗殺者と同じ役職名でね。ただ目的はわかるかなぁ、手に取るように。何のことはなく僕とあんたの始末だね」


 眼前の彼は、何がおかしいのか快活に笑ってそう語った。


「掃除屋は、僕みたいな信頼出来ない実行者を消し去るための人間だ。マジに依頼主が情報残したくない時だけに使うアレコレ。そろそろ君を殺したと踏んでくれたんだろうさ……嫌だなぁ重い期待ってヤツは。ま、それよか何よりつけて来られたって方が問題か……気付かなかったナァ」


 これは……いや、コイツのことはあんまり知らないけれどわかってたヤツだ。その上で『ま、逃げられるな』なんて思って放置していたのだろうさ。


「掃除屋についてはわかった。で? それよりも、だ。お前は、その掃除屋って奴がどうやって攻撃して来たのか——敵が一体どのようにしてあの破壊を行なったのか——検討が付くのか?」


「あ? そんなもん——」


 火器に決まっているだろ。

 とは、続かない。火器でこれだけの大破壊をもたらすとなると、炸裂音もそれ相応のものになるハズだろう。それにしては静かな夜であり、鳴り響くのは、耳をつんざくのは静寂のみである。


「——何だ? ……オイオイオイオイ待て待て待て待て、敵の姿はわからない。敵の攻撃手段もわからない。これは、かなりマズイ状況なんじゃないのか?」


 今更ながら、この緊急事態を理解する。あまりにも遅すぎる認知ではあるが、最後まで気付かないよりはマシだけれど……それにしても手遅れ気味だ。


 そんな時、コンコンとあまりにもこの逼迫した状況に似つかわしくもない呑気な音が背後から響いた。部屋の戸が叩かれたのだ。


「お客様、どうかされましたか? お客様!」


 宿の女店主は呼び掛けと同時にノブが捻り——


「やめろ! 開くんじゃないぞ‼︎」


 ——扉を開いて室内へと一歩踏み入った。シンと静まり返った室内を月光を映した一滴の弾丸が滑らかに横切り、室内へと侵入したこの宿の女店主の額を穿ち抜く。


「走れェッ‼︎」


 一言の檄が空間を揺らし、俺は何を考える間も無く身体を動かしてこの絶海とすら表すに足る室内から脱出を図る。ただの一言であるにも関わらず幾重の言葉以上に物を伝えるその言葉に従って、足は女店主が開いてしまった戸へと伸ばされた。


 女店主を穿った一発目に次いで送り込まれる不明の散弾の中で三メートルにも満たない死線の上を駆け抜けて、星空のご加護か複数のかすり傷を受けながらも無事、廊下へと脱出を遂げる。傷の熱に浮かされた気分は呼吸を乱し、たった三メートルぽっち走っただけで上がった息は寒さから白いモヤとなり消えてゆく。


「やった! やった⁉︎ やりやがったぞ、あいつ‼︎ 無関係な奴巻き込みやがった」


 この場に存在するもう一つの命を狙う声に不思議と安堵し、開けっ放しの扉を挟んだ向こうで壁に背を任せ息を整えるアストライアに目を向ける。


「おまっ……!」


 苦い顔で左腹部を抑えているアストライア。その腹部の着衣には赤黒いシミが滲んでおり、それは、確かな被弾を物語っている。彼のものか、はたまた女店主のものかはわからないけれど、唐突に鼻の奥の方を鉄の匂いが刺してきて……どうしようもなく焦りが芽生えてきた。


「問題ない。貫通してるし、大切な臓器にゃ傷ついてない。今止血してるし。人間、割りかししぶといのよ」


 そう語りながらも、アストライアは傷口に布を当てる。その布を固定する形で腹周りに紐を一周させ、応急手当てとすら言えない手当てを施す。途中、一瞬だけではあるが手当ての動きが止まり、訝しげな顔へと変貌を遂げる。


「なぁ、賢い聖職者様にひとつ質問なんだけどよ——銃創の軌跡ってーのは、こう、弧を描いちゃいないよな?」


「さぁ、どうだろう? 別に描いてるんじゃないのか? 銃弾だって落下しているワケだし」


「ああ、違うんだ。そうじゃないんだわ。下向きにだったら、まあ、威力の低い銃だったんだろうなって思うだけなんよ。だが、あの攻撃は僕の腹の中で緩やかな左カーブを描いて撃ち抜かれて行ったんだ。元より銃火器による凶撃ではないと読んでいたが、今これで、確かに銃火器による攻撃ではないと確信した」


 壁に寄りかかりながらも立ち上がり、開きっぱなしの扉の先を覗くアストライア。俺はとてもそちらを向く気にはなれず、少しばかり視線をずらして冷気が包む暗がりの廊下を傍観する。廊下の壁は整えられた木材による板張りであり、部屋の壁を貫通したらしい不明の弾丸による銃創もちらほらと見受けられる。手近にあった銃創を触れてみてもその奥に弾丸は無い……壁も床も断熱のため分厚く切り出された木材である故、奥まで手で触れて確認出来なかったものの目視による確認では傷の奥には何も無かった。


「実際に……」その黙した廊下と冷えた空気に耐え切れず、口を開く。「攻撃を受けて、敵の攻撃の正体に予想だ予感だってものはないのか? 手っ取り早いのは着弾地点を確認することなんだが……どうやら残っちゃいないらしいし」


「まるでわからんな。予想も予測もあったもんじゃない。いいか、この際だしこんな二進も三進も行かない膠着状態だから言ってしまうけどね、僕は土手っ腹に三発受けた。全て緩やかに左カーブを描いている。二発は貫通、一発は体内で止まっていた」


「俺も、今そこの床の傷を調べてみた」


「何も無かったか」


「ああ、何にもなし」


 いい加減イライラして、ため息混じりに語るアストライアの顔に視線を向けてみれば、その言葉が紛れもない真実だと表される。

 敵の姿、攻撃手段、現在どこにいるのかすらも未だ不明ときた。詰みを感じるには良い頃合いだろうさ。


「一発、貫通はしちゃいない。貫通してないってことは攻撃に用いられた"何か"は残っていて然るべきだよナァ。だが、何も出て来なかった。頑張ってほじってみたが、どんだけやっても僕の汚ったない血くらいしか出ては来なかったよ……ヨヨヨ」


「じゃあ、どうすりゃ……」


 ここは、認めるしかない。俺はこの世界の何にも知っちゃいなかった。壁に囲まれた安全な世界の中で生きてきたために、この冷たく厳しい世界についての知識はアストライアを頼るしか他にない。

「どうするって……いや、いいだろう」


 ふっと、ひとつ息を吐き出したアストライアは、不意に、袖から一本のナイフを取り出して室内へと放り投げた。やたら派手な、真っ赤なナイフである。

 時間にして一秒後に室内へと着弾し、その後〇・五秒すると床に一つの穴が開く。


「——宿の外に出るぞ。僕とあんた、先に狙うのはまず間違えなくあんただ。今、現状で相手については全然わからないが、全くではない。敵の有利点は『僕らに知られてはいないこと』この一点に限る」


「それが一番問題じゃないの?」


「そりゃモッチロン。だが、知っていることもある。ひとつは部屋の壁を破壊した『爆発』。もうひとつは室内を滅茶滅茶にした『散弾』。そして、攻撃手段が銃火器ではないこと」


「だが、どこにいる誰なのかわからないんだぞ。逃げるにしても、どこに、どうやって逃げるんだよ。町中じゃ、どこから攻撃を受けるかわからないし、かと言って障害物の少ない町の外に出たところで、だぞ」


「左右に壁のある一本道に逃げる。走ってだ」


 常に見られて、狙われている可能性が限りなく高い中で室外へ出て、走って、一本道に逃げ込むだと? 誰が敵かもわからないんだぞ。例え、例え辿り着いたとしても左右が壁に阻まれた場所でさまともに動けたものではないだろう。


 いや、元よりこいつの目的は俺を殺すことだ。俺の首でも持って出れば、こいつの命だけは助かるのかもしれない。だから、殺しやすく見せびらかしやすい逃げ場のない場所へと誘い込んでいるのではないだろうか? そうしたら、今こうして共闘関係にあるのも俺の信用を少しでも得るため——。


「出来るハズがない‼︎」


 頭に浮かぶ暗い考えに背を押され、俺はあいつの提案を否定する。


「危険は否定しない。嫌なら来るな。だが、何も行動しない奴に良い運命は回って来ないぞ」


 そんなことは、わかっているつもりだった。だが、いざ言の葉として紡がれると辛いものである。自分自身の甘さ、甘えを突きつけられている事実——いやさ、自分自身の内に未だ甘さや甘えといったものが現存する真実が、二の足を踏む俺を突き離す。


「出て、どうするつもりだ?」


「敵ン首を取る。壁と壁に挟まれてりゃ、弾道が見えるだろ? 何か撃ってる訳なんだから。撃たれたら、それを避けて弾が来た方へ距離を詰め、また撃ってきたら距離詰める。そうすりゃ最後にゃ掃除屋の首元に喰らい付ける」


「それ……マジで言ってんのか……?」


 流石にドン引きの発案だ。

 そりゃ、最早諦めも同義だ。聖職者が鉄火だなんて冗談にもならんというものよ。だが、そういうものこそ新しい時代というものだろうか。新しい時代に吹く風、変革の翼を持って、飢えて生に喰らいつく。


「いいよ、やるよ! やってやるよ! 生きる、生きてやる、生き延びてやる! そうだな!」


「お、おおぅ……そだね」


 自分の胸を右手で作った拳で打ち、心臓の鼓動を無理に動かす。心臓から全身に駆け巡る血液は身体に熱を帯びさせる。熱は消え始めていた全身の感覚を蘇らせる。感覚は鋭敏に研ぎ澄まされた結果として少し先の未来を見据える。

 明日を生きる自分を、堅く信じるのだ。


「んだば、着いて来るってんで良いんだな? 良いなら、最期に一つ忠告ってーか情報だが……月光を頼れ」


「月光を……?」


「ああ、月光だ。さっきナイフを投げた時に、掃除屋が撃ったモノを見た。月光に反射した、透明の——液体だ。もうオカルトパワーだってサイコパワーでも信じてやる、知らないがお前の加速とも同じなんだろうさ」


「……これ、知ってたのか」


「相手したんだからわかるだろ。まあ、今の話はそこじゃないのよね。お前と掃除屋との相性は最高だ。反応して、避けられるだろ?」


「見えるなら、避けてやるさ」


 壊れたぬいぐるみの縫い付けられた口元を歪めるように、口早に覚悟を伝えて勢い任せに立ち上がる。今更ながらに剣帯に鞘を吊るし、納刀。柄頭をポンと叩いた後に俺の全財産が入っている皮袋の紐を肩に掛ける。


「で、どこから外に出る。ここは宿場町で、障害物に出来る民家は左右に一列ずつだ。外に出た瞬間に撃たれちゃ、避けつつ接近するなんざ出来ないぞ」


「そりゃモチロン、奴さんがわざわざ開けてくれたんだからそこの穴を使わない手はないだろうがよ」


 指差された先には、先程部屋の壁に開けられ、今もぽっかりと口を開いた穴がある。その穴からは凍える冷気が迎え入れられているために、先の散弾で破壊されたらしい水蒸気暖房では室内を温められはしない。


「行けるのか? 撃たれんじゃないの?」


「僕が先行する。さっきも言ったが、お前は殺されたと思われているだろうさ。僕ってば今まで結構な仕事してきたから、腕だけは信頼してくれているっぽいのよね。詰まるところあんたは僕らのウルトラCなのよ。裏から出て、回って、隠れて僕を観察しろ。そんで、居場所を特定しろ。したらば詰めろ。んで殺せ。以上だ」


 そう語りながらも大胆に頭を出して室内及び穴の外を視認するアストライア。未だに恐れを知る俺に対して、安全であるかを口説いている様子でもある。


 上がり過ぎて早鐘を打つ心臓の丁度真上の胸を拳で打って、同時に、深く浅く呼吸をすることで気を落ち着かせて意識をクリア化した。決まったと思っていた覚悟もこれ程のものかと己を恥じを知る。


 俺が、そんな忸怩たる思いに苛まれている最中にも、透明な世界の中に不透明な未来を写し、混濁した可能性の後を辿ったアストライアは女主人の亡骸を超えて外へ飛び出した。

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