第4話 異様
元日の朝に響き渡った、母の尋常ではない悲鳴。
ただ事ではないと飛び起き、階段を転びそうになりながら駆け下りる。まさか、母に何かあったのではないかと嫌な予感がしてリビングに入ると、勝手口からその悲鳴を上げた母が血相をかえて家に飛び込んできた。
「お、お、おばあさんが……。おばあさんが、外で――」
それ以上は、口がまわらないのか言葉にならない。俺の後ろから父の怒声が響いた。
「何があってん! はっきり言わんかい。お母ちゃんがどないしたんや」
父の剣幕に母は外を指さすことしかできない。父は、突っ掛けをはいて勝手口から外へあわてて出て行った。俺は玄関から出て、裏へまわった。父の姿を探すと、母屋の裏手にあるちいさな祠の前で立ちすくんでいた。
パジャマを着て裸足で突っ掛けをはくその寒そうな後ろ姿は、ちっとも動かない。何を見ているのか。近寄り、父の視線の先を見ると、小さな鏡餅と橙それに小さな陶器の器が落ちていた。
よく見ると地面には幾筋も指でほりおこしたような跡が残っている。そのすぐそばに祖母が倒れていた。
その姿は異様としか言いようがない姿だった。横向けに倒れている祖母の顔は泥だらけで、まっ黒な顔は唯一歯だけが白い。大きく開いた口の中は、前歯だけが見えていて後の空間は、大量の土で埋め尽くされていた。
ぎゅうぎゅうに土が口いっぱい押し込められているのだ。
こんなことをされたら、息ができなくて窒息したのだろう。見開かれた目は血走り、もだえ苦しんだ痕跡を残していた。
誰がこんなことを……。こんなひどい、人間とも思えない所業をするのだ。
数日前に祖母と言い争い、いい感情を持っていなかった俺でさえ、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
ふと、横の父を見ると拳を握りしめ無残な祖母を茫然とした様子で見下ろしていた。
「父さん、救急車と警察どっち呼ぶ?」
もう、完全にこと切れているが、一応救急車も呼んだ方がいいのではないかと俺は判断した。
父はのろのろと膝まずき、寝間着から出ているしわだらけの祖母の手にふれた。その手は土で汚れていて、爪の中まで黒くなっていた。
「もう、冷たい。あかん、死んでる。死んでるんや。なんでや、なんなんや――」
そう呟きながら、おいおいと突っ伏して泣き始めた。
俺は家に引き返そうとして、足をとめる。こんな大騒ぎになっているのに、六花が外に出てこない。おかしい。まさか、六花まで……。
俺はあわてて、母屋の勝手口へ行くと戸口は開いていて中へ上がりこむ。台所にも座敷にも六花の姿はない。
六花の部屋の襖を勢いよく開けると、ベッドの中で六花はまだ眠っていた。俺は心底安堵して、その場にどすんとへたり込んだ。その音で六花はゆっくりゆっくりと瞼を開き、ぼんやりしていた視点が俺をとらえた。
「お兄ちゃん、あけましておめでとう。うれしいなあ。今年初めて会う人がお兄ちゃんやなんて」
新年の挨拶をのんびりした調子で言う六花を見ていると、祖母の死を一瞬だけ忘れた。
「でも、どないしたん? 朝早くから」
俺は我に返って口を開きかけたが、言葉を飲み込む。あの祖母の様子を、どう六花につたえていいものか迷う。俺にとってはあまり思い入れのない祖母だったが、六花は違う。母親代わりだった祖母が死んだのだ。
そんなつらいことを、俺の口から話すのが嫌だった。
黙り込む俺を見つめながら、六花はベッドから起き上がる。ベビーピンクのパジャマがこの悲惨な状況とあまりにも不釣り合いで、かえって痛々しさが倍増する。
何も言えないかわりに抱きしめようと、六花へ手を伸ばすと、母の声が母屋の外から聞こえてきた。
「涼太、涼太! どこにおるんや。どこに電話したらええの? どこに……。どないしよ、普通やないで、普通や――」
混乱する母の声に、六花はようやくこの異常な状況に気づき顔がさっと青ざめた。
「なんかあったん? 晴子さん、なんかおかしくない? 何言うてるか意味わからん」
俺は伸ばした手をだらんとおろし、力なく六花に告げた。
「外で、おばあさんが死んでる」
言い終わった瞬間、六花は部屋の外へ走り出そうとした。しかし俺はその腕をすばやくつかむ。
「あかん、見ん方がええ。見んほうが――」
「嘘や、そんなん。嘘や」
六花のぶるぶると震える体を抱きしめ、背中をさする。寝ざめだというのに冷たいその背中は、ごまかされそうになるが六花ではないのだ。頭の芯で疑惑がムクムクと膨れ上がる。
祖母の死を嘆いている六花は、本物ではない。これは迫真の演技じゃないのか?
夢幻峡の公園で俺を包み込んだ、あの不気味な黒煙を出すという異能を持っているこの六花なら、祖母にあんなこともできるんじゃないのか?
この六花は、どう考えても普通ではない。俺は自分の罪に目をそむけ六花を受け入れているけれど、この状況が不自然なのだ。
不自然なものを何食わぬ顔で受け入れている。俺自身も、もう普通ではない。不自然に積み上げられた日常が崩壊する時、その上に胡坐をかいていた俺も当然堕ちるのだ。奈落の底へ。
腕の中にいる六花の手が、俺の腰から背中へ向けてじわじわとせり上がってくる。余計なことを考えるなと誘惑しているように、その手はなまめかしく優雅だった。
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