第3話 悲鳴
祖母は俺が返事をするのをまたず、納屋の中に入り後ろ手で戸口をしめた。戸口から入ってきていた光は遮断され、暗がりがひろがる。
俺は暗い納屋の奥へ、一歩後ずさりした。
「おまえ、いつまでここにおるんや」
前置きもなくいきなりな質問に、内心頭にきたがなるべく平静な声を出す。
「三日の昼にはここを出ていきます」
俺の返答を聞き祖母はうなだれ、首を激しく左右に振った。
「あかん、もっと早う帰れ!」
その有無を言わさぬ強い口調に、祖母に対する積年の怒りが瞬間的に爆発した。
「あなたに、そんな不躾に命令される覚えはない。あなたと血がつながらなくても、ここは俺の実家だ。帰るタイミングぐらい自分で決めます。あなたに疎まれていても!」
俺の突然の怒りに、祖母は目を丸くしてしばし固まっていた。しかし、こわばった表情は次第に溶けていき、口の端をにゅうっと引き上げたのだった。
「まあ、普通はそう思うわなあ。もう、いまさら言うてもしゃあないけど」
意味がわからない。俺はこの不敵な笑みを浮かべている老人を、もっと罵倒してやりたくなった。
「俺と、六花を引き離したいんですか。あなたの大事な孫を」
「ああそうや、おまえがそばにおったら、大変なことになるんや」
あまりにもストレートな物言いに、祖母は七年前の神隠しの真相を実は知っているんじゃないかと、一瞬たじろぐ。
俺と六花が付き合っていたことをこの老人は、見抜いていたのだろうか。そうであっても、従う気はない。
白髪のしわが深く刻まれた顔を、にらみつける。
「もう、飛行機のチケットは取ってあるんです。そんな今すぐになんて無理だ。けど、あと数日もすれば、あなたの目の前から消えますよ」
俺の棘のある皮肉な台詞ぐらいでは、祖母はひるまなかった。
「とにかく、一日でも早う帰れ。そうせんとイツキさまが――」
イツキさま? 祖母は六花のことを言っていたのじゃなかったのか。
「イツキさまって、なんですか。聞いたこともない」
俺の台詞に祖母はハッとしたように、口をおさえた。
「何でもない。その飛行機のチケットがどうにかなったら、早よ帰れ。悪いことは言わん」
威圧的だった祖母の口調は、だんだん懇願へと変わっていった。俺はあっけにとられる。いったい、祖母は俺に何を言いたいのだ。
「あの、いったい何を――」
俺は怒りの矛をおさめ、祖母に問いかけたのだが。もう、祖母は踵を返し戸口を開けて納屋から出て行った。
祖母の後ろ姿は、とても小さく頼りない様子だ。さきほどの餅つきの差配をしていた祖母の威厳など、どこにもなかった。
*
祖母に言われたことは心に引っかかっていたが、俺は飛行機のチケットを変更しなかった。翌日は大晦日で、母は朝からおせちづくりに追われ、父はお寺の掃除に行っていた。
家庭のことは顧みないが、隣近所の目がある行事に参加するのが父だった。ようは、外面がいいのだ。
煮しめの醬油と出汁の匂いのするリビングで、何もすることがなく母に手伝いを申し出たのだが、あっさり断られた。
「あんた、帰ってからずっと手伝ってくれてたんや。今日ぐらいゆっくりし」
俺はその言葉に甘え自室にひっこみ、ベットに寝ころび天井を見上げる。祖母がもらした『イツキさま』という言葉が頭から離れない。
スマホで検索しても、それらしいものはヒットしなかった。六花のことも気になるが、六花の中身がなんであれこの村では何の問題もなく生活しているのだ。
俺ひとり騒いだところで、何も変わらない。あと三日もすれば、俺は東京へ帰り元の忙しい生活に戻る。
それでいいじゃないか、元のまま、何も変わらず。たとえ異常な状態であれ……。
夜は父の晩酌に付き合い、日付が変わり新年になると集落の氏神神社と来迎寺へ初詣に出かけた。父はもう寝ていたので、母と二人で家を出た。ふと母屋を見ると、もうすべての灯りが消えていた。祖母も六花もつかれて眠ってしまったようだ。
坂を下り来迎寺を行きすぎ神社を目指して歩いていると、初詣へ出かける人たちが列をなしていた。この美山地区の住人のほとんどが出てきているので、いろんな人に新年の挨拶をしながらの道のりは、遅々として進まなかった。
「りょうちゃん、りょうちゃんやん。久しぶり!」
深夜のテンションではない明るい声に名前を呼ばれた。
声の方を見ると、六花の幼馴染の未希ちゃんとこの間会った未希ちゃんのお母さんが連れ立って歩いていた。
近づいて挨拶を交わすと、未希ちゃんはどんどん俺に話しかけてくる。
「今年は、帰ってるんや。東京で働いてるんやろ。ええなあ。一回遊びに行きたいわ」
未希ちゃんは、六花と同じようなことを言うのでおかしくなる。
「遊びにおいでよ。東京案内するよ」
未希ちゃんのテンションと新年と言うおめでたい雰囲気につられ、ついつい調子のいいことを口にした。
「ほんま! やった。イケメンゲットした」
「あほなこと言いな。こういうのは、社交辞令や社交辞令」
未希ちゃんのお母さんが、我が娘の浮かれようにツッコミを入れ笑いを誘った。
初詣から帰ると、俺はすぐにベッドにもぐりこんで眠りについた。最近眠れない夜が続いたが、不思議とその夜はぐっすりと眠れた。
翌朝母のけたたましい悲鳴で起こされるまで、眠り続けたのだった。
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