第25話 災い-2

 そんな中、土砂災害の被害は北森地区に限定されており、河川の氾濫の危険性は今のところ無いなどの情報が徐々に入ってきていた。状況としては広島の状況と似ているらしい。死傷者などが出ていなければいいがと春香は願っていた。

 時間も朝の九時を過ぎると、情報はかなり増えてきた。その頃には分厚いマニュアルをほぼ読み終えていたため、春香は指示された通りに手分けして旅館と取引をしている業者等への連絡を行った。

 万が一業者に被害があり、例えば食材などが旅館に届かない事態となれば営業に支障をきたす。その上従業員だけでなく避難して来た住民や、救援活動に来る人達への食事の対応もできなくなる。

 またお互いの安否を確認しあうことで、関係を密にすることも大切な仕事だ。やはりこうした非常事態時に大丈夫ですかと気にかけあう事は大事なことで、喜ばれることはあっても嫌な気分になる人はまずいない。

 中にはお得意先のお客様に、安否確認の電話を入れている人もいた。営業部門の人達が手分けをして、個人や企業に対して気遣いの連絡をすることも必要なのだろう。

 こちらから電話をする前に、先方から連絡を受けることもあった。旅館組合やその他の同業者、旅行会社からの連絡もある。そうしてお互いの持っている情報を交換し合い、今回の土砂災害についての被害を確認していく。

 手分けして連絡をしたり受けたりすることで得た情報は、マニュアル通りにそれぞれがパソコンの共通ファイルへと入力していた。そうすればより多くの最新情報を従業員同士で共有できる。加えて重要な被害情報を得た場合は、口頭でも逐一報告して伝えていた。

 するとテレビのニュースから、Y市北部の山間部に位置する北森地区一帯の映像が飛び込んできた。先程から聞こえていた上空を飛ぶヘリから捉えたものだろう。

 山の斜面にある一部の木々がごっそりと削り取られ、茶色の土砂が集落の一部を巻き込み谷を流れる川へと広がっている。同時に北森地区へと繋がる道路が土砂崩れなどにより寸断されたとも伝えていた。

 北森地区は旅館から少し山を迂回する道路を通り、十キロほどしか離れていない場所にある。地図で確認すると直線距離では七、八キロだ。

 そんなすぐ近くでこれほど大きな災害が起こっているなんて、にわかには信じられなかった。片山チーフがその情報を聞いて指示を飛ばす。

「北森地区はF川に流れ込む支流に沿って走る道路があり、集落が点々としている地域だ。この旅館の従業員で北森に住んでいる人間はいないから安心だが、親類縁者が住んでいる可能性はある。もう少し情報を集めてくれ。あと寸断された道路がどこなのか、詳しく確認してくれ」

 幸い旅館から駅前の市街に通じる大きな道路は異常が無く、宿泊客や今後訪れるお客様にも支障がないことが判った。

 ただ旅館の近くで土砂災害が起こったとなれば、予約をキャンセルする人が多発するかもしれない。旅館周辺は問題ないが、そう説明してもお客様にとっては大きな不安要素だ。しばらくは訪れる観光客が減少するしてもおかしくあにだろう。

 実際懸念通りとなった。テレビで被害地域が放送されてから、何本か宿泊を取りやめるとの電話が入ったのだ。宿泊直前のキャンセルは通常なら料金をいただくが、自然災害で今後の安全を確証できない場合はそうもいかない。

 客がいないとなれば事前に仕入れた食材等の処理に困る。新鮮な魚介類等がお客様に出せないまま大量に残れば大損害だ。しかしそんな心配が必要がなかった。

 片山チーフが説明していたように災害対策関連の団体からの問い合わせが相次ぎ、宿泊予約が殺到しだしたからだ。それがキャンセル分の穴を十二分に埋めてくれたのである。

 その最大の理由が同じ管理部門の浜野はまのと大川からの情報で明らかになった。二人は旅館までバイク通勤していたので、北森地区の被害状況を確認するため朝から出かけていたらしい。大きな災害の場合、道路などが陥没しているケースが多く車での移動だと制限されるからだ。

 その点バイクなら多少の段差程度は通過できる。また道路が渋滞しても、車両の脇を抜けて走ることも可能だ。その二人がお昼前に旅館へと戻ってきた。

 片山チーフが状況を確認する。

「どうだった?」

「北森地区の一部が酷いですね。ここから西に三キロほどま被害はありませんが、その先は土砂崩れで道路も陥没しています。途中まではなんとか車両も通れますが、北森の集落に入ると完全に寸断されていますね。F市と北森を繋ぐ南北の道路も、途中の橋が落ちていて通行できません。北森の西側も土砂崩れの影響で全く通行できない状態です。唯一北森へ通じているのは旅館の前を通る、東側道路だけですね」

 浜野がそう告げると大川が補足した。

「周りの損害状況が今言った通りですから、被害住民の移動や逆に災害状況を確認するための車両がこちらの道路に集中しているため、かなり混雑し始めています」

「だから先程から道路の交通量が増え始めていたのか。それにさっきからこの辺りの上空もヘリコプターが飛んで騒がしくなっている。こうなると、この旅館が現地に入る人達の前線になる可能性が高いな」

 片山チーフがそう唸ると浜野が頷いた。

「間違いないでしょう。ここから北森地区までの間に、富川園以外の宿泊施設はありませんし、ここが一番災害地域から近くて人を大量に収容できます。住む家が全壊した方々は、既にこちらへ向かって避難していますし、ここに泊まろうとする被災者も少なくないでしょう」

 片山チーフと浜野の予想通り、お昼を過ぎると逃げてきた住民達による宿泊依頼が増えてきた。そこで旅館では被災者達の為に宴会場を無料開放せざるを得なくなった。

 着のみ着のままの人達や経済的余裕のない住民が多くいたためである。さらに布団などを持ち込んで仕切りも作り、ゆっくり休んでいただけるよう手配することを決めた。

 中には軽症だが怪我をしている人もいたため、病院に連絡して医師や看護婦の手配も行った。通常時でも使用している救護室を利用し、仮の診療所を旅館の中に設けたのである。

 病院側もこれから怪我人や病人が多く出てくる可能性を見込み、被災地に近い旅館を前線としておけば対処もスムーズになると判断し、要望を快諾してくれた。

 こうした費用が増大する分は、他地域から企業や官公庁関連の救援部隊として正式な宿泊予約を依頼する人々から通常通りの料金を頂くことで賄うことができた。 

 春香はこの時研修時代に学んだことや、通常業務である管理部門の仕事が役立った。例えば普段から備蓄品の確認と管理や、災害などで停電が起こった際使用する自家発電設備の点検も行っている。

 その為管理部門を中心とした従業員の指揮の元、旅館の全従業員が総出で被災者の受け入れと、救助関係者の受入の手配に追われることとなった。

 そんな時に春香の携帯が鳴りだした。先程まで寮の部屋に起きっぱなしだったことを思いだし、取りに行ったばかりだ。慌てて出ると叫び声が聞こえた。

「やっと通じた! 春香! あなた大丈夫なの? 旅館の辺りで大きな土砂災害が起きたんでしょ? ニュースを見て念の為連絡したけど繋がらなかったから、何かあったんじゃないかって心配したのよ!」

 母からの電話である。うっかりしていた。従業員の安否確認が終わった後、遠隔地から来ている従業員は、無事であることを身内に連絡するよう言われていた。だがバタバタと忙しく走り回っている間に、実家への連絡を失念していたのだ。

「ごめんなさい。でもこっちは大丈夫。旅館も寮もビクともしてない。その代わり近くの集落の被害がすごくて、住民の受け入れや被災地に入る救助隊などへの対応で旅館は大忙しなの」

「無事だったらいいわ。でも連絡くらい入れなさい。心配するじゃない」

「連絡するつもりだったけど、バタバタしている間に忘れていたの。心配かけてごめん」

「そんな忙しくして、体は大丈夫? 無理したら駄目よ」

「そんな心配する暇がないほど忙しいけど、充実してるから大丈夫だと思う。また落ち着いたら電話する」

「判った。無事で元気だったらそれでいい。電話もしなくていいよ。被害に遭った人達は、大変な思いをしているだろうから、その人達の世話をしっかりしてあげなさい。そんな仕事、なかなかやりたくてもできるものじゃないから。でも無理はしないように。あくまで体が資本だから」

「大丈夫。それは痛いほど経験しているから。私が今倒れたら周りに物凄く迷惑がかかるし、無茶しない程度に頑張る」

「じゃあ体に気をつけて」

「うん、ありがとう」

 そこで電話を切った。慌ただしい中での母の言葉は心に深く染み込んだ。余計な心配をさせたことは反省したが、おかげで母の温かい気持ちを感じ取ることができた。胸に熱いものがこみ上げる。そこで頬をぴしゃりと叩いて気合を入れ直す。

「さあ、これからよ!」

 自分の仕事を全うしようと、常時備蓄してある災害時の為の避難道具一式を取りに行く為倉庫へと向かった。食糧は旅館の調理室などにもまだたくさんあり、今後も業者から定期的に仕入れることが可能だと確認しており問題はない。

 だが何も持たず避難してきた人達の為に少しでも役に立ててもらえばと、使えるものを配布するよう指示されたからだ。旅館では通常通り宿泊するお客様用の食事の他に、避難している方々への食事の手配もしていた。

 また飲食部門の一部の従業員が炊き出し部隊を編成し、地区に入る許可が出次第、被害の大きい北森へ行くことが決まったという。被災者や災害救助活動などを行う人々に対し、温かくておいしい食事を食べていただくよう支援するというのだ。

 時間が経つにつれてロビーではイスやテーブルをどけてスペースが作られ、電話やパソコンなど様々な機械が持ち込まれた。旅館は完全に災害救助活動前線基地と化していく。当然ながらロビーでの和太鼓のショーは自粛することになった。寂しい気はしたが状況が状況だけにやむを得ない。

 今旅館にいる人達は、観光目的でない方が多く含まれている。土砂災害の被災者や、被災地救助に駆け付けた人々が多く泊まっている場所なのだ。お祭り気分でショーを行う訳にはいかない。

 しかし従業員の勤務スケジュールは多忙を極めた。観光客がほぼゼロにもかかわらず、宿泊室の稼働率はほぼ一〇〇%で繁忙期の状態と変わらなかった。それに加えて正規の宿泊者とは異なる避難住民に対するお世話もあるため、災害から二週間程は特別にほぼ休みなしの勤務スケジュールが組まれた。

 時間が経つにつれ被害状況も明らかになった。幸いなことに怪我人は十数名出たが死者はいないらしい。ただ一名だけ、七十八歳のお爺さんが行方不明だという。雨が降った後、畑の様子が心配になり朝早く出かけたため被害に遭った可能性が高いそうだ。

 今回の土砂災害は、建物で全壊が約二十棟、半壊が約三十五棟、一部損壊が約五十棟という被害をもたらした。

 その被災住民の内、約五十名が春香達の旅館に一時避難している。他の人達は近くの親戚や市街地や遠くに住む子供達や親戚、友人、知人等の世話になっているという。

 またY県東部大規模土砂災害と名付けられ、防災対策本部を設置した県は旅館に対して避難住民の長期受け入れを申し出た。今回の災害で最も被害を受けた地域の近くにあるという理由からだ。

 もちろんそれぞれ被災した集落にも公民館などの避難スペースがあるにはある。だが一部損壊しているところもあり、また長引くであろう避難生活には適さないと判断したらしい。

 対して旅館は鉄筋コンクリート造りで頑丈だ。しかも多くの人を十分収容できる部屋数を持ち、また周囲には広大な庭がある。これから何度となく復興の為に住民達が通うであろうことも考れば避難場所としても最適だと言うのだ。

「もちろん一時的な避難所になるだけでも負担は大きいと思います。さらに仮設住宅変わりの居住スペースを提供するとなれば、かなり長期間に渡ることも覚悟しなければなりません。しかしいずれ取り壊してしまう仮設住宅一つ作るためには、三百から四百万円かかると言われています。そんなお金があるのなら、その分を住民達が元の家に戻る為の支援に使いたい。しかも仮設住宅を立てるには時間もかかります。そうなると住民達の不安感も長くなるでしょう」

 県知事は既に被災した住民に対し、第一弾の支援として家を建て直す人には五百万円、修繕には二百万支援すると表明をしていた。そのおかげで一部の住民達は元気を取り戻し、以前住んでいた家に再び戻ろうという前向きな感情が芽生えだしているらしい。

 早期に経済的不安等を取り除くことで被災後に孤独死したり、自殺者が出たりという悲劇を防ぐことができるという。さらに復興後の人口流出も防ぐ効果があることも、前例として証明されているそうだ。

「ただその為には財源を確保しなければなりません。ですから県としては少しでも無駄使いを減らしたい。それに今発表している補助金では足りないとの声もあります。よって更なる追加も検討しているところです。また何より被災した住民は集落毎にまとまった避難生活が送れることを望んでいます。それぞれが互いに励まし合い、力を合わせられるからでしょう。それができれば再び集落へ戻った際、これまで長年築き上げてきたコミュニティーを壊さず維持でき、より強固な復興の力となるでしょう」

 県の対策本部の面々がそう言って頭を下げた。もちろん無償提供して欲しいとまでは言わず、ある程度の使用料は出すという。ただそうした要望の受け入れは、旅館の経営として相当悩ましい判断だった。

 一時的な避難所の提供であれば、風評被害による観光客の減少もあるため、どうせ使われない部屋を空けておくよりも有効活用できる。よって協力は惜しまないと答えられるだろう。

 しかし仮設住宅代わりともなれば、下手をすると一年以上の長期に渡る滞在も覚悟しなければならない。そうなれば周囲が落ち着いて観光客が戻ってきたとしても、ある一定のスペースを住民達の為に確保し続けることになる。

 しかも今回の被災地域は限定的だったことから、長い間観光客達が離れるとは考えにくい。気象庁や国土交通省も今回の土砂災害の原因は、元々地盤が緩い地域に雨が断続的に降り注いでいた上、台風による集中豪雨が止めを刺したのだろうと分析していた。つまり比較的早期に通常業務に戻る可能性が高いのだ。

 一定の使用料が支払われるとはいえ、決して安いとは言えない一般の観光客から得られる程の料金を徴収する訳にもいかない。できる限り財源を確保したい県は余計な出費を避けたいと明言しているからだ。

 だが結局旅館のオーナーは知事の申し出を受けることにした。観光客も大切だがこの地域に居を構える企業として、周辺地域の住民達に対して支援するのは当然だと考えたらしい。

 また復興後における住民達の繋がりを保ち、人口流出等が起こらないよう協力できることは全面的にやっていく決断をしたという。

 そのためまずは避難住民を一部の階に集中して受け入れた。その中でも各集落の住民毎にブロック分けした部屋を提供し、さらに余計な心理的ストレスを軽減する為複数ある大浴場の一つを避難住民専用として確保したのだ。 

 また普段は最寄り駅から旅館までの間を往復し、お客様の送迎をしているマイクロバスの一部を、避難住民が片付けなどの為に被災した家へ戻る際の交通手段として提供した。

 その上屋外の庭園の一画には避難住民達が飼っていたペットや、飼育していた動物などを救護できる場所も作ったのだ。

 おかげで自然災害が起こる度に全国で問題になっていた動物達のトラブルもなく、引き取りを行う支援なども必要なくなった。なにより避難者達のメンタルケアの一環として大事な役割を果たしたという。これも広大な敷地を持つこの旅館だからこそできたことである。

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