第6話 決意
温泉旅行から帰った後、持ってきていた自分のノートパソコンをネットに繋ぎ、和太鼓のことを調べてみた。
パソコンを触ったのは久しぶりだ。学生時代はもちろん、社会人になってからも部屋にはネット回線を引いていた。会社でもPCは各自に支給されているため、当然毎日のように使用していた。
しかし体調を崩しだしてから開く気力もなかったことから、これまでずっと放置されていたのだ。そんな春香が僅かに気力を取り戻し、帰宅後どうしても頭から離れなかったことを検索してみたくなったのである。
すると驚いたことに色んなサイトがでてきた。また全国各地に様々な形態や目的を持って和太鼓を叩いているチームがあることを、その時初めて知ったのだ。
参加者が女性だけのグループもある。そこで実家近くにそのようなサークルが無いかを探すと、いくつか発見した。そのため一つ一つ、それらのチームの活動記録や様子を調べていく内に、興味を引く団体が見つかったのである。
そこは小人数でやっていて、知的障害者達が中心のチームだった。週一回、公民館で夜七時半から九時までの一時間半を練習時間に当てているらしい。時々地域の催し物がある場所で演奏を披露しているとサイトには書かれていた。
ボランティアの参加や一緒に練習する人を募集しており、参加者は知的障害の有無を問わないとの説明もされている。春香はここに強く関心を持った。
理由はまず練習場所が近く、しかも少人数であるという点だ。また主に知的障害者を対象に練習を行っているため、春香の知人や古い友人などはまずいないと考えた。
さらに和太鼓の練習もあまり熱血指導の所ではなく、初心者である春香にも優しく教えてもらえると期待できた事も、望む条件に合ったからだ。
大人数でやっている普通のチームでは、和太鼓の練習も厳しくまた春香の知人などにも遭遇する可能性が高い。そう思うとどうしてもまだ抵抗がある。それに体力が持つかどうかも心配だ。
また春香今まで、ボランティアなどしたことがない。だからこそこんな自分でも何か役に立つのではないか、基礎体力には自信があるため物を運んだりすることで手助けできはしないかと想像した。
また他人の力になることで自信が湧き、それが自分の心も救うのではないかとも考えたのだ。
自宅療養で休職中とはいっても、自分の意志で何かをやりたい、散歩だけでなくもう少し体を動かす必要があるのではないかと感じてもいた。そこで母や病院の先生に相談してみると、自ら興味を持ったことであれば無理のない範囲で始めることは良いと賛成してくれたのである。
早速サイトに掲載されていた連絡先にメールで参加希望を伝え、少し悩んだが正直に現在の健康状態なども書き添えた。
しばらくしてサイトを運営する代表者から今度の練習から参加してみては、との連絡を貰い春香は喜んだ。そして和太鼓が叩けるその日がとても待ち遠しく思えたのである。
代表者は普通のサラリーマンで、障害者支援のためにボランティアとして参加しているという。代表者の小学生の息子さんも生まれつき知的障害を持っているらしく、チームのメンバーだと教えてもらった。
実際に参加してみると予想以上に戸惑う事は多かった。健常者は代表である四十代男性の
しかし有難いことに練習の初日は田坂が春香につきっきりで、バチの持ち方からリズムの取り方など太鼓を実際に叩かせてくれながら教えてくれた。他のチームの練習方法をネットで見た時、いきなりは叩かせないと書かれていたサイトもあったからだ。
そこでは曲のリズムを口ずさみ、次に手で足を叩いてリズムを完全に覚えてから、やっと太鼓を叩く練習に入るらしい。しかしここではそんな心配は必要なかったため、とても楽しめたのである。
バチで太鼓の皮の中央部分を狙ってドンと叩き、間に太鼓の
それでも実際にやってみたことで音がバチを伝って手に伝わり、近距離で感じた空気の振動による脳を刺激する感覚は、また別の感動を産み出してくれた。
中学と高校の六年間テニスをやっていたこともあり、足腰や手首を十分鍛えていたからか筋はいいと田坂から褒められご機嫌になる。
また太鼓を叩くだけでなく、チームに参加することで色んな備品の片付けなど、体力のある若い春香の活躍する場があった。その為こんな自分でも必要とされていることが実感でき、それがまた嬉しかった。
練習の一時間半はあっという間に過ぎた。手には久しぶりにマメになる前の軽い水ぶくれが何箇所かできたが、その痛みすら愛おしく感じられるほど満喫した。
当然のように次回も練習に参加することを約束し無事一日目を終えると、すでに次の練習日が待ち遠しく感じられた。
間の一週間は我慢ができず、教えてもらったことを復習した。田坂達が作ったサイトには、これまで演奏してきた動画も掲載されている。そこで叩かれていた曲を何度も聴きながら勉強もした。
チームが演奏している曲目は主に三曲あったが、時間は余るほどある。その期間を利用してなんとか次の練習日までに、一曲だけリズムを覚えることができた。
その事を二回目の練習日の時、田坂に告げると
「せっかくだから、通しで一曲やってみるか」
と言って皆と一緒に叩かせてくれたのである。何度も何度もネット動画で繰り返し聴いた曲だ。リズムはしっかり覚えていたはずだった。
しかし実際にやってみると、複数人で合わせて演奏することはそう簡単でないことを知った。バチを振り降ろす内に他の人が叩く音に影響されてしまい、途中でリズムが飛んでしまう等、上手く叩けなかったのだ。落ち込む春香を彼は慰めてくれた。
「そう簡単には叩けないよ。他の皆もこれまでにかなり練習した成果だからね。初めてにしては、今日くらいできれば十分だ」
他のメンバーは当然のように拍子をしっかり捉えて、力強く叩いている。和太鼓の奥深さと皆で音を揃える難しさを改めて理解するとともに、それでも複数で叩く痛快さを味わうことができたのだった。
一ヶ月が経って他のメンバーとの意思の疎通が徐々にできるようになると、その内の一人、
代表者で忙しい田坂が、健常者である春香の面倒ばかりを見ている訳にはいかない。また障害者でも井上は叩く技術に関してはチームで一、二を争う
それに彼も健常者に教える事で、ハンデがあってもできるという自信を持たせられると田坂が考えたからであろう。最初は緊張していたが、言葉少ない井上は実際に太鼓を叩く行動を見せながら、丁寧に教えてくれた。
春香の叩き方がまあまあな時は、首を傾げて微妙な表情をした彼がもう一度叩いてくれという顔をする。駄目な時は太鼓の淵をコンコンと叩き、彼の機嫌が悪くなった。それでもいいリズムで叩けると、ニコニコととびっきりの笑顔を見せてくれるのだ。
彼から春香の病気や私的な話題に触れてくることは無い。ただ純粋に和太鼓を叩くことだけで交流できている関係性が心地よかった。
だが十一月に入り春香の体調も波はあったが少しずつ良くなっていくと、復職のことが頭にちらつき始めた。すると再び体調の優れない日が増える。
会社のことは考えないようにして、楽しいことをやっている間は症状が和らぐ。しかし新聞やテレビのニュースやCMを見たりして、保険関係のことに触れているとつい仕事のことを考えてしまう時には、体調が良くなかった。
一度だけ隣の部署にいた第二支社長の寺脇から、体を労わり何かあれば相談に乗るとの励ましのハガキを貰ったことがある。
基本的には会社関係の人達と連絡を取ることはなく、唯一太田だけが病院に付き添う時のみやり取りをしていただけだ。そんな中での寺脇の気遣いはとても有難かったが、それでもお礼の返事を書く気力は起こらなかった。
ただ借りたままでいる部屋の事も気になっていた。毎月会社から支給される明細が届く。給料は口座に振り込まれているが、同時に家賃に加え使用していない電気や水道の基本料金が請求され引き落とされていくのだ。
会社の事を忘れようとしても完全に忘れられるものでは無い。それに二カ月に一回は心療内科への通院時に支社長が同席し、症状の変化の具合などを質問される。
この十月末の診察時にも彼は来ていた。当然なのだが仕事上で知ったあの件も心に引っかかってる。それもあって彼と顔を合わすこと自体がストレスだったのだ。
そうなると調子が良くなってきたかと思えば、また体がだるくなり頭痛がする等の症状が出り。月末が近づくと楽しみであるはずの和太鼓の練習すら、休んでしまった程だった。
初めて春香が疑念を持った時の事が思い出される。最初は加納が担当していたプロ代理店扱いで、同じく彼が出入りしている企業の法人契約があることは知っていた。だから当初は仕事上の書類を渡しているだけだと思っていた。詳細な対応は基本的に田中が行っていたからでもある。
しかし彼が多忙な時には代理で書類回収だけ頼まれることがあり、そのような説明も受けていたからだ。
しかし窓口である真中以外の社員に渡してはいけないと注意された頃から、単なる書類ではないのではと疑うようになった。そして真中が勤めている企業が高畠と同じく保険を扱う代理店部門があるにも拘らず、一部の契約だけが高畠の扱いになっていること自体に疑問を持ったのだ。
そこである時その契約は何かと社内PCで契約確認をしたところ、真中の会社自体が契約者となっている生保の法人契約であることが判った。それから春香はある疑念が確信に変わり、悩み始めたのである。
結局十一月の診断結果で十二月以降も会社を休むことになり、同じような状態が十二月に入っても続いた。そこで春香は決断した。
このままでは十二月末も太田と顔を合わすことになる。これでは治るものも治らないと考え、母に尋ねてみたのだ。
「私、会社を辞めていい?」
すると少し間を開けて頷いた。
「そう決めたのなら私は反対しないよ。春香はまだ若いから、いくらでもやり直せる。体さえ良くなれば、大丈夫。何か本当にしたいことが見つかるまでゆっくりするのもいいと思う」
そんな母の言葉に励まされ、思い切って会社に連絡をした。支社長はただそうかという言葉を残し、それなら後は退職に際して必要な書類等を揃えるから一度会社に来られるかと聞かれたのである。
一瞬躊躇したがやむを得ない。春香は返事をして母に付き添って貰い、半年ぶりに会社へと向かうことになったのだ。
久しぶりに借りていた部屋に入ると、もうここは自分の居場所でないとあらためて感じた。そこには懐かしさなどなく、息苦しい場所でしかない。
そこで荷物を実家へ運ぶ為の段取りをし、会社に顔を出して太田と面談することになった。
ここでも母が同席し、実家で暮らした約半年間のことを詳しく告げて病状を説明する。後は退職に関する様々な手続きの書類を預かり、後ほど記入をした上で会社へ郵送するようにとの説明を受けた。
その後職場の人には簡単に挨拶をした。だが皆はただでさえ年末の仕事で忙しい。春香が辞めることを太田から既に聞いている社員やスタッフ達の、今更挨拶されても困るという態度が感じられ、雰囲気はとても冷たかった。
ただ藤本だけが帰り際に春香の体調を気遣ってくれた。それでも挨拶し終わると他の人達はすぐに日々の仕事へと戻り、慌ただしく動き回っていた。
その合間を邪魔にならないよう、自分の机やキャビネットなどに置いてある私物を片付けて持ち帰り会社を後にした。
ビルを出た春香は、もうここに戻ってくることはないと外から事務所を眺めたが、何の感慨も湧いてこない自分に驚く。
さっぱりしたとも思わないし、残念だと思う気持ちもなかった。ただ淡々と、会社を去る自分の身の回りの整理だけをこなしただけだった。
その後母と一緒に一泊だけ部屋で過ごした後、翌日の引っ越し作業を終えると実家に戻る為に夕方遅くの電車へ乗った。
しかしその途中突然胸が苦しくなり、動悸がし始めて激しい頭痛が始まった。
「大丈夫? 春香? 顔が青いわよ。電車から降りようか?」
様子がおかしいことに気がついた母が、そう声をかけてきた。
「うん、大丈夫。大丈夫」
胸を抑え、深呼吸をして落ち着こうとする。突然自分が社会から取り残されてしまったという不安に駆られ、孤独感に襲われたからだろう。ポロポロと涙が流れる。母が隣で眉をひそめながら、背中を懸命にさすってくれた。
しばらくして泣き止むと、少しだけスッキリとした気分になった。ここからまた新たなスタートが始まる。まだこれからだ。じっくりと自分のやりたいこと、できることを考えながら体をしっかり治せばいいという気持ちに切り替えようとした。
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