第5話 支社長の苦悩

 毎月行わる支社長会議だが、今日も支店長に散々絞られた。横にいた次席の加納もげっそりした表情をしていた。月初めに担当者から集めた今月の見込み数字を集め支社の目標数字をパソコンで入力し、支店長が在籍する支店長室へ報告しなければならない。

 太田が所属するN支店は、小曽根第一、第二支社の他、南第一、第二支社、東、西、北支社と七つの支社で形成されており、各支社が持ち寄った数字の合計が支店目標数字になる。それらが全て揃った後に会議が行われるのだ。

 支社長とその次の役職に当たる担当者が召集される会議では、ここ三カ月連続支店長室付きの室長が小曽根第一支社の出す数字が足りないと述べ始めることから始まっていた。

 全国のエリアを管轄する部店長達の持ち寄った数字が、全社目標数字となるはずだ。しかし最初に本社から各部店へと数字が割り振られ、その数字がまた各部支店の課支社へと割り当てられるという実態があった。

 つまり目標は既に決められており、その数字以上の見込み目標が上がってくることを期待されているのだ。

 しかしここ最近は各支社の持ち寄る数字が芳しくないため、支店長の機嫌は悪い。支店の数字が悪ければ、当然支店長達が集まる部店長会議で役員達から絞られ叱責を受けるからである。

 そうかといって、言われた通りの目標数字を報告する訳にもいかない。成果は翌月の月初めには速報として出る。それが目標数字を上回るか、ほぼ近い数字であればいい。だが大きく下回れば、何故そのような差が出たのかと理由を問われるのだ。

 数字が好調な時は良かった。各担当者の見込み数字が角度の高いものかを見極めた上で、割り当てられた数字以上いけるとなれば、支店長席に対して最初は抑え目の報告ができるからだ。

 そうすると精度の高い数字なのかを月初めの会議で確認されはするが、叱責を受けることはない。それどころか他に目標達成の困難な支社があり、支店全体として数字が足らない場合などはチャンスだ。

 自分の支社で貸しとばかりに数字の上乗せの引き取りを了承するのである。もちろん達成できると見込める範囲内に抑えた上のことだ。

 さらに翌月、上乗せされた目標数字以上の成果を出すことができれば支店長からの評価も高まり、翌月の数字は多少抑え気味であっても許される。だが良い波に乗った時はさらに目標数字を上回るため、支社の評価はもっと上がった。

 実際、今年の年度当初は順調だった。昨年度に仕掛けていた成果が実を結び始め、連月支店長からお褒めの言葉を頂いたくらいである。

 田中の担当代理店で、他社がミスしたことでこちらへ契約が流れたことにより新規の数字が好調だったことと、課長代理の加納が新規に取引を始めた代理店がいよいよ本格的に始動し始めた結果だ。

 しかし七月を過ぎた頃から、それまでの勢いが嘘のように数字が伸びなくなったのである。それでも九月末での上半期の成績は、前半の貯金があったおかげでなんとか目標数字を達成できた。

 しかし八、九、十月と連続して月初めの見込みは芳しくなく、昨年実績を割るほど悪化した。これでは支店長から叱責を受けても仕方がない。前半が良かった分、風当たりは急に激しくなった。

 原因は分かっている。一つは田中が稼いできた数字がここにきて鈍化したためだ。ミスをした他社の担当者や上司が連日代理店を訪れ、なんとか数字を戻してもらえないかと謝罪に来ていることは知っていた。その効果があったのか今まで移っていた契約が戻り始めたのである。

 もう一つは主任である後藤の責任だ。大事な契約書類の一部を紛失してしまい、契約書の再作成とお客様から捺印の取り直しが必要となるミスを犯した。当然代理店の怒りを買い、他社と競合している取引先だったため一気に契約が流れたのだ。

 幸い加納が稼ぐ数字が堅調だったため、なんとか二つのマイナス分を補ってくれたが、それでも他の代理店における不調の積み重ねからここ最近は実績割れを起こしていた。

 太田を含め総合職四人態勢の支社は、他部署と比較して扱う契約件数の割に担当者数が少ない。またメンタル面の不調を訴えている女性事務員がいたこともあり、何度も上に増員の要望を上げていた。その結果九月時点では来年度に一人配属するとの了承が得られたばかりなのだ。

 しかしこんな体たらくでは増員が取り消されてしまうかもしれない。会議からの帰り道、加納と二人で今後の対策を話し合った。

「このままでは十二月末はもちろん、三月末までの年間予算達成すら危ない。なんとかならんか」

「田中の担当での数字は、これまでが良すぎました。彼はまだ入社三年目ですし、他の担当も大幅な増収は見込めません」

「問題は後藤か」

「そちらは申し訳ありませんが、支社長にフォローして頂くしかありません。代理店さんの怒りを鎮め、少しでも早く数字の流出を止めるしか無いでしょう。彼には他の担当数字も減らさないよう、現状維持させる以上の役割を期待しても無理だと思います」

「全く使えない奴だ。口ばっかり達者で言い訳だけは一人前だから、いつまで経っても昇進できないんだ。早く増員してもらってそれなりの担当者が来てくれないと仕事が回らない。総合職が力不足な分、女性事務員にしわ寄せが行って皆多忙だからピリピリしている。体調不良の子もいるから事務員の増員も依頼しているが、この数字だから全く聞く耳を持って貰えない」

「他でも事務員だけでなく長期の疾病休暇を取っている総合職がいますから」

 会社で定期的に行われる管理職研修でも良く耳にするが、参加している課支社長の八割近くが、体調を崩すなどなんらしかの問題を抱える部下を持っている。よって毎年のようにカリキュラムには、メンタルケアの時間が組み込まれていた。

 バブル時代に大量採用した人材が管理職または管理職に準じる役職に上がる中で、その後は急激な不況により採用を控えてきた会社は人材の育成を怠ってきた。

 その皺寄せが今に来て響いている。最も働き盛りの中堅社員が不足し、その後に入ってくる新人の教育不足に陥っていた。

 そんな職場に嫌気がさした社員が大量に辞めだした為、会社は慌てて若手の採用を増やしたり中途採用を始めたりしているが、それでも追い付かない。心の病に侵された社員が、次から次へと湧き出ているからだ。

 その為人材不足となった現場に残された社員達は皆、若手を育成する余裕などなく多忙な状態に陥っていた。そんな悪循環の中でも営利企業である宿命を背負った上層部は、各課支社の管理職を叱咤してノルマ達成を促してくる。その影響からか、最近は心を病む中間管理職も増えたと聞いている。

「加納、お前だけが頼りだ。口煩い厄介な代理店ばかりを抱えて大変だろうが、その分数字も見込める大口の取引先が多い。この下半期で何とか挽回できないか。そうしないと総合職増員の約束すら反故にされかねない。そうなればただでさえ皆余裕がなく多忙で悪循環な状況が続いてしまう」

「損保契約の方は新設代理店の増収分がありますし、年度末は大口の契約が多いですから後藤担当の流出分さえ食い止めれば、なんとか挽回できると思います。ただ問題は生保のノルマですね」

 損害保険は長期や短期のものもあるが、基本的に一年契約がほとんどだ。その契約を更新して成立する数字が予算の八割から九割を占める。後は新たに契約を結ぶ新規契約や、更改する契約の増額で目標数字をクリアすればいい。

 ここで気をつけなければならないのがマイナス要因だ。更改されずに契約が落ちてしまう数字や、自動車保険のような無事故による更改後の保険料が安くなる更改減がそれにあたる。

 更改減はある程度止むを得ない数字だが、それでも特約の付帯や補償を厚くすることで少しでも数字の減少を防ぐといった地道な努力は必要だ。

 しかし影響が大きいものは、更改時に他社へと契約が移る更改落ちである。自動車保険だと安いネット通販に切り替えられることもあれば、身近な関係者が他の代理店にいるため取り扱い先を変更するといった理由などだ。

 しかしそれ以上に問題なのは、複数の保険会社と契約している代理店が、顧客の意向とは関係無しに契約保険会社を変更する場合だ。つまり契約が他社に奪われ流れてしまうケースである。

 顧客の中には保険会社を指名し加入してくれる人もいる。だがそれは多くてせいぜい三割程度だ。実情は保険会社名より、扱い代理店と契約しているとの意識を持つ顧客が半数近くいるのだ。残り二割程度はどこでもいい、こだわりの無い浮動契約である。

 そのため代理店と保険会社との間にトラブルが生じた場合、代理店が他社の保険を扱っていると、表向きは契約者の意向を確認した上で他社へと契約を移してしまうのだ。

 年度当初に田中の担当でこちらに流れてきたのがまさしくその恩恵を受けたケースであり、その後後藤の担当で契約が落ちたのはその逆パターンである。

 このように損保契約の予算は更改契約の維持、更改減の抑制、そして新規契約の獲得の三本柱で成り立っていた。

 しかしここで全く違う文化が、二十年以上前から入ってきた。それが生保の契約だ。生損保の垣根が無くなってから、生命保険会社も損害保険を販売し、損害保険会社も生命保険を販売するようになった。

 このことが後々、太田の人生を狂わせるのだった。

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