第2話 休職
「詳しい検査結果は後日になりますが、今診た限りでは脳や視力も特に目立って悪いところはありませんでした。ストレスで一時的に視力が落ちたりすることもあります。やはり以前申し上げましたが、一度心療内科を受診された方がよろしいかもしれません」
病院に駆け込むとこれまでと同じく複数検査をしたが、いつもの担当医からそう説明された。その為春香が住むマンション近くの心療内科への紹介状を書いてもらい、早速予約を入れたのである。
翌日、太田の指示通り休みを貰って診察を受けた。そこでうつ病と診断され、会社はしばらく休んだ方が良いと言われた。
しかし病名を聞いても既に覚悟していたからか、それほどショックは受けずに済んだ。それどころか体調不良の結果がはっきりし、本音では会社を休む大義名分ができたことにホッとしていた。
診断書を書いてもらい、診察結果や今後会社を休むことになる旨を電話で太田に告げた。一瞬言葉に詰まった彼だが、驚いたことに
「ゆっくり休養してしっかり治せよ」
と優しく声をかけてくれたのである。この時意外に感じたが、管理職だって実は辛いのだと知ったのは、ずっと後の事だった。
当時は彼の言葉を聞いた時も表面的で、単なる社交辞令程度にしか受け取ることができなかった。
心に余裕がなく、体の痛みに耐えきれず自分の事だけで必死だったからだろう。相手の立場に立って考える事などできるはずもない。しかも仕事上の厄介な秘密まで知ってしまったから余計だ。
あの時のやり取りが時々頭の中で
いつものように担当窓口の
説明によると、春香が先程預けた書類を受け取った社員が
「高畠さんのところから回収した書類を届ける時は、真中さん以外の社員に渡さないよう気をつけてくれ。彼が不在だといけないから、今後書類回収する際、今回同様の書類があった時は事前に電話連絡してから訪問するように」
と注意を受けた。その日の内に太田から経緯を聞いた田中から再び同じ注意を受け、釘を刺してきたのだ。
嫌な思い出が脳裏に浮かんだため、無意識に舌打ちをしてしまう。あの事は忘れようと何度も頭を振った。
結局春香は会社が借り上げた部屋の一室でほぼ一日中寝て過ごし、病院には一週間に一度の定期通院をしながら自宅療養することになった。貸出されていた仕事用の携帯も返却し、個人所有のスマホも留守電設定にすることで外部との接触もほぼ断ち切っていた。
といっても会社の関係者からは腫物を触るかのように扱われていた為、連絡してくるものはゼロに等しかった。
例外は第二支社長の寺脇が一度だけ心配しているとのメッセージを残してくれただけだ。隣の部署なのに気をかけてくれたことは嬉しかった。それでも折り返し電話する気力など無かった為、放置せざるを得なかったのである。
その後も体調は改善しないまま時が過ぎ、約一ヶ月の休養が必要と書かれた診断書の期限を超えた。そこでさらに一ヶ月延長されることとなり、事前に連絡し病院で待ち合わせをしていた太田が新たな診断書を受け取ったことで事態が動き始めた。
というのも春香の実家は小曽根まで片道一時間半ほどかかる距離にある為、通勤は難しいと考え一人暮らしをしていたからである。関東であれば通えない通勤時間ではないらしいが、東海圏でその距離を毎日通うには負担が余りにも大きい。
そこで東海本部の総務から借り上げマンションを紹介され、家賃補助もあったことから、支社から二駅離れた場所に住むこととなったのだ。
しかしそれが問題となった。会社を休職している間、春香は部屋で一人だ。そこで両親に事情を説明し、一時的に同じ東海圏にある実家に帰省し療養した方がいいのでは、と医師との面談を終えた太田から提案されたのである。
今の時代、食事は自炊しなくてもコンビニやスーパーなど様々な所で食べることが出来る。しかし栄養管理の観点からすれば、不安視されることは否めない。
第一うつ病に罹っている独身女性を、長期間部屋で一人にさせることが会社としても気がかりだったのだろう。
日本での年間の自殺者は平成十年から十五年ほど毎年三万人を超えた。その後三万人を割るようになったが、自殺死亡率は米国の約二倍、英国の約四倍と主要七カ国の中で最も高い水準を保ったままだ。
そのうちの多くが健康状態を苦にしたもので全体の六割超、その内の約四割がうつ病等精神障害があると診断された人だという。つまり自殺者のおよそ四人に一人はうつ病と診断された人だともいえる。
その為強制はできないが、誰か
ただあくまで長期療養による休職であり、会社へ復帰する前提での一時的な帰省となる為、借り上げた部屋の解約は社内規則上できないらしい。よってそのままにしておくことが条件だと説明を受けた。
補助があるとはいえ帰省している間、家賃は払い続けなければならない。ただ休職期間も全額ではないが給与は出るので、それ程支払いを気にする必要はなかった。
それどころか働いていないのに給料を貰い続けることを最初は心苦しい気がした位だ。そうした福利厚生が整っている点は、さすが一部上場している業界大手の会社である。
驚いたことに最長で一年半は給与の七十%が支給されると知らされた。しばらく悩んだが、食事や身の回りのこともある。よって太田の提案を受け入れ、実家で療養することにした。
これまで食欲もなく体がだるいため、食べ物を買いに出かけることも
このままではいけないと頭では分かっていたが、体がどうしても動かず何をするのも面倒に感じていた。その為実家に帰ることは最良の選択だと言える。それでも結局両親に電話をしたのは、太田と話をしてから十日ほど経ってからだった。
それまで何度もスマホで実家の番号を選択しては躊躇い、今日は止めて明日にしようと先延ばしにしてきた。
近頃ようやくうつ病が脳の病気であると世間にも認識されるようになった。それでも現実にはサボり病だと誤解する人もまだ多い。事実詐病ではないかと疑わしい人達も少なからずいたため、誰もがしっかりとした知識を持ち、理解しているとは言い難い病気である。
また精神科にかかっているだけで偏見があった。特に田舎ではその傾向は強い。都会と違ってうつ病にかかっている絶対的な人数が違うからか、認識や関心が薄いことも要因だろう。その為自分がうつ病になったことを伝える勇気がしばらく持て無かったのだ。
しかし一人で食事だけでなく衣類の洗濯や布団干し、部屋の掃除などできる状況ではない。親に頼らなければ療養などできないと悟り決断したのだ。
それに病気の事をいつまでも黙って置くわけにはいかなかった。太田には自分から話すと伝えていたが、会社からは一人身である春香の場合、親に連絡する必要があると言っていた。
黙っていてもいつかは会社から両親に伝わってしまう。それならば、とようやく勇気を振り絞って連絡することを決め、実家の番号を呼び出した。
コールが鳴る。二回、三回と呼び出し音が続く。時間は夜の八時で、いつもなら会社から帰ってきて電話をするにしては少し早い時間だ。
これまで平日の夜なら親と話すのは、仕事から戻り部屋でくつろぎ始める夜十時頃が多かった。もう少し後でかけ直そうかと気持ちが揺らいだ時、ようやく相手が電話にでた。母だ。
「もしもし、天堂ですが」
「もしもし、春香だけど」
思い切って名乗った声がかすかに
「どうかした?」
実家を離れて東京に出ていた学生時代は、お金を無心する為に何度か電話をかけていたことがある。しかし社会人になってからは仕事が忙しいこともあり、お盆前や年末やゴールデンウィーク前になると母の方から
「今度の休みはどうするの?」
と確認されることが多かった。最近は滅多に春香から連絡することなど無かったため、予想通り母は心配して尋ねてきたのだ。
意を決してかけたのも、そろそろ母からお盆の帰省について連絡があってもおかしくない頃だとの理由もあった。
「ああ、あのね、実はね」
言い難そうにしていると、母は先に聞いてきた。
「お盆はいつ帰ってくるの。もう休みは決まった?」
「う、うん、できれば二、三日のうちにそっちへ帰るつもりだけど」
「それは急だね。それに珍しいね。いつもは八月に順番で休みを取るけど、先輩が先だからなかなか休みが決まらないって愚痴っていたのに」
母はすっかり早めの夏休みが取れたのだと勘違いしている。それはそれでいいかと考えた。
電話で説明するよりも、顔を合わせて詳しく話した方が母も安心するだろう。病院からも実家近くの心療内科のあるクリニックへの紹介状をすでに書いてもらっている。そちらへの診察も早めにしておいた方がいい。
今の状態であれば、次回からは向こうの医者に会社へ提出する診断書を書いて貰う必要があった。会社はその診断書を元に、長期疾病療養中として休職期間の延長を許可するのだ。
「それじゃあ明後日帰るね。また電車の時間とか判ったら連絡するから」
そう告げて強引に電話を切った。気づくと額が汗でびっしょりと濡れている。慌てて洗面所に行きタオルで顔を拭いた。動悸がなかなか治まらない。頭痛もした。ほんの少し話しただけでこのような有様だ。
明後日と言ったが、本当に帰ることができるのだろうかと不安になった。ひどく体調が悪ければ人混み近づくだけで辛い。実家まで一時間半もの間電車に乗るなどとても無理である。症状が強く出た時には、一日中布団に潜り込んで寝ていることもあったからだ。
しかしこれ以上ここにいても、余計に苦しむだけである。もうすでに洗濯物などが洗えずに溜まり、部屋の隅で山のように積まれていた。
部屋はすでにゴミ屋敷のようになっている。もともと片付けが得意ではなかったが、これ程汚れた場所に住み続けるのは学生時代を含めても初めてだ。
掃除をする気力すら起きない。何とかして実家に戻り、後は母に事情を説明して部屋の片づけをお願いするしかなかった。
洗濯物をまとめて実家に送ることも面倒だ。本当は明日にでも帰りたいが、切符の手配や心の準備が必要だったため明後日と言っただけである。
そこでまだ少しでも気力があるうちにとスマホで検索して電車の時刻を確認し、特急券と乗車券の購入をネットで行った。後は明後日、駅で予約した切符を機械で発券すればいい。
今日はもうここまでにして、荷物などの準備は明日にしよう。そう考えスマホを閉じて風呂に入ることも止め、ベッドに潜り込んだ。
しばらく布団を干していないせいもあり、梅雨がまだ開けないこの時期のじめじめとした湿気と春香の掻く汗を吸った布団はずっしりと重い。もう嫌だ。早くここから離れたい。そう嘆きながら疲れた心と体を休ませるため無理やり目を瞑る。
だがたった一つ、実家への連絡という大きな懸案事項を済ませたからか、久しぶりにこの日の夜は比較的早く眠りにつくことができたのだ。
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