第8話 終わってない

 荒れ狂う衝撃が熊の背から抜け、背後の木々を揺らす。

 体を起き上がらせたまま、完全に沈黙した熊。その胴体に深々とねじ込まれた拳を引き戻せば、支えを失った熊はグラリと傾き俺はそれに潰されないように脇に避けた。


 発生させた振動を拳から余すことなく伝播させ、熊の体を内側から攪拌した結果によるものだ。いくら体が強靱であろうと、比べれば内臓は脆いものだ。

 実際の所、地力を比べれば熊の方が勝っていた。今回俺が勝てたのは、相性が良かったからに過ぎない。まあ悪くても負けるつもりはないがな。チラリと倒れた熊に視線を送る。


 ……ほう? なるほど……。


「……お前強いな」


「きゅ?」


「なんでもない。帰ろうか」


 グニョンと体を歪ませ、頭上から何事かと覗き込んでくるライムにかぶりを振って踵を返す。静寂が広がる森の中を一歩踏み出したところで、騒々しい足跡が近づいてきた。


「チッ……」


 そう言えばこいつらが残っていたな。もう終わりで良かったんだが。……いや、好都合か。


「はあ……、はあ……。これは……」


「し、死んでるでヤンスか……?」


「マジかよ……」


 人の友達を囮にして逃げておいてそれを恥じることもなく戻って来たこいつらは、拾った木の枝で倒れた大熊をつついている。大方触れただけで死んでいるかの確認と、焦げる熱が体に残っていないか確認しているのだろう。どれだけつついても大熊が動く事はなかった。

 安全だと思ったからか今度はベタベタと無遠慮に触っている。……不用心な事で。


 満足するまで触って落ち着いたのかニヤついた顔で俺に視線を向けた。


「良くやってくれたシオン。お前がこんなに強いとは思わなかったよ……。だがお前のおかげでオレ達は出世することが出来る。助かった」


「あ?」


 なにってんだこいつ。嫌みったらしい笑みを浮かべたままのボストンが熊の方へ向き直った。


「この後冒険者ギルドに戻ったら話を合わせて欲しいんだ。お前は無能らしく隅っこで蹲っていて、獅子奮迅の働きを見せたオレ達がこいつをぶっ殺した」


 熊を足蹴にしたボストンがヌラリと振り返った。


「意味はわかるよなァ?」


 まさにクズに相応しい、欲に濡れた顔。嘘をつくことに罪悪感も覚えず、平気で人から搾取しようとするクズの鑑だ。そのクズの鑑の俺は当然の反応を返した。


「―――いや? 全くわからん」


「……なんだと?」


「なぜ俺がお前に従わなくてはいけないんだ? まさか……従わせられるとでも思ってンのか?」


「ああ……そんなことか。まあ、あの熊をどうやって殺したかは知らないが、お前に手を出すのは得策ではないことくらい分かるさ。だが―――」


 帰ってきたのは嘲るような笑み。

 おもむろに懐に手を伸ばしたかを思えば、取り出したのは紙切れが一枚。まるで見せつけるようにピラピラと揺らしている。思わず目元がピクリと動いたのが分かった。それは……。


「お前の借用書だ」


「目障りだ」


「うおっ!?」


 指を鳴らして揺れる紙切れを発火させた。ボストンが持っていた紙切れは燃え上がり、灰となって消えた。


「チッ……せっかちな野郎だな。残念だがそれは写しだ。本物をこんな所に持ってくるか。原本は然るべき場所に保管してある」


 まあ、それもそうだな。そんな頭があったとは知らなかったが。


「……それで?」


「取引だ。残りの借金を元の額の半分、減らしてやろう。お前はオレ達に話を合わせて、今日の事を決して口外しない。どうだ? 悪くないだろう?」


「……いや、ダメだな。ナンセンスだ」


 その馬鹿みたいな提案に俺は当然首を振った。

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