第5話 願っても届かない

 

「はあ……! はあ……! はあ……!」


 背後から殺意の乗った咆哮が届く。走っても走っても距離を離せない。当たり前だ、相手は僕たちよりもかなり大きい。歩幅が違うのだ。


 ―――ドオォン!!


「うわッ!?」


 しかも時折、熊が火の玉を飛ばしてくる。熊も僕たちも走っているからか、当たらないけれど直ぐ側を通っていくのは肝が冷える。しかも着弾したときの爆風でバランスが崩されるからとても厄介だ。


 木の間を縫って走っているおかげでギリギリ追いつかれていないのだけで、このままだと捕まるか火だるまにされるか、どちらにせよ時間の問題だ。木も一瞬で跳ね飛ばされているからあまり意味がないのだけれど。


「ぜぇ……! ぜぇ……!! クソッ!! 全然離せねえ! 森を抜けて街道まで行けば誰かいるはず!」


「それまでに追いつかれるでヤンスよ!!」


「チッ! なにか使えるものは……」


「はあ……! はあ……!」


 熊の足はとても早い。全速力で走り続けても追いつかれそうになる。息切れして酸欠気味だけど、速度を緩めることなんてできない。目の前がチカチカして頭が痛みが酷い。


 だから――ボストンの視線に気づかなかった。


「良いものあるじゃねぇか!! 貸せ!!」


「きゅ!?」


「―――え」


「おらクソ野郎! こいつでも相手にしてろ!!」


 だから――ボストンがなにかを投げるのを見ていることしかできなかった。


 ……いやそれは言い訳だ。僕の力不足で止められなかったんだ。


 そのなにかは、ライムだった。さっきまで僕の頭の上にいたはずのライムが放物線を描いて飛んでいく。


 その先にはもちろん焦却豪熊バーンアウトグリズリー。ボストンは苦し紛れにライムを囮にしようとしたのだ。


「ライム!!」


 それを認識した瞬間、僕は思わず脚を止めてライムの方へ走り出していた。すなわち、砂埃を巻き上げながら疾駆する焦却豪熊バーンアウトグリズリーの方に向けて。その行動にボストンが目を剥いて叫び声をあげる。


「おい!? そんな魔物ほっとけよ! 別の捕まえれば良いだろ!? スライムなんてそこら辺にいるって!」


「リーダー、あんな馬鹿ほっとくでヤンスよ!」


「行くぞリーダー。あいつの荷物と借金は残念だが良い囮になってくれる」


「クソッ!! 命あっての物種か……! もったいねえ!!」


 背後で遠ざかっていくそんな会話を認識することなく、地面でバウンドしたライムだけを見据えていて。

 僕が追いつくよりも熊が到達する方が早い……!! このままじゃ間に合わない!?


 焦却豪熊バーンアウトグリズリーも前方に突然現れたライムに目を向け、その突進を緩めたのだった。奇しくもボストンの思惑は成功したと言える。


 速度を緩めた焦却豪熊バーンアウトグリズリーだがもちろん実は心優しくて、突然出てきた何かを跳ね飛ばさないようにするために配慮したなんてことはなく。

 目の前の存在を警戒し、排除するためにその行動をとっただけだった。慈悲も躊躇いもなくガパリと口を開いた。その口元からは煌々と紅蓮が漏れ出していて。こいつの生態を知らなくても、炎を吐き出すつもりだとわかった。


 ダメだ! スライムの体はたくさんの水分で出来ている。ライムだって同じ、炎なんて浴びればひとたまりもない。

 僕の大切な友達が……いなくなる……? 一緒にここまで頑張ってきたのに……これで……終わり……?


 ――頭痛が酷くなる中、必死に祈った。


 お願いだ……!! 止めて……!! と。


「きゅ、きゅう……」


「グオオオォォォ!!」


 願っても奇跡は―――起きない。


 怯えたように固まるライムへ焦却豪熊バーンアウトグリズリーは無慈悲にも灼熱の業火を吐き出した。蛇のようにうねる炎が、固まったままのライムに迫っていく。


「や、やめろォ!!!」


 ライムにこの炎に抗うような力はない。


 このままではライムは炎に飲み込まれてしまう。そんなことになればひとたまりもないのに僕の手は届かない。僕には助ける力がない。


 ――伸ばした腕は……届かない。


 炎の揺らぎすらしっかり見えるほどに遅くなった世界の中、思うように動かない体で水の中をもがくように進んでいく。


 ライムと目が合った気がした。


 ――『いつかこんなパーティー抜けて楽しく冒険しようね』。


 僕が行った言葉だ。さっきの記憶が思い出される。


 もう無理なのかな……、助けられないのかな……? 


 諦めが心を支配していく中、今までライムと過ごしてきたことを思い出そうとして―――頭痛が邪魔をする。


 頭が痛い。煩わしい。思考が乱れる。


 ああ―――じれったい……!!


 頭痛が最高潮に達する。まるで頭から刃物でも生えているような痛み。こんな頭痛は普通じゃない。酸欠が原因ではないのだろうか、と加速した思考の中でぼんやり考える。


 それどころじゃないはずなのに、鈍器で殴られた用に痛む頭を、苛立ちのまま握り潰すかの如く、ライムに向けて伸ばしたのと逆の手で押さえつけた。


 その瞬間。


 何かの情景が頭の中を走馬灯のように走り抜ける。そこに見えたのはまるで―――別の人間の人生の様で。まるでそれは僕が体験してきたことのようで。それは……僕が生まれる前の過去だと漫然とわかった。


 ああ――そうだ。

 そうだった。全部思い出した。頭を掴んでいた左手が重力に引かれてだらりと落ちる。


 反対にライムに迫る火炎に伸ばされていた手に力を込める。


 ここからは届かない距離。もはや無意味な行動。


 これは現実が認めれないが故の逃避?


 ―――否。断じて否。


 都合の良い奇跡は起きない?


 それはそうだ。奇跡は待っていても起きはしない。


 ならば―――自力で奇跡を起こすだけだ!!!


 伸ばした腕に込めた力を。送った『振動操作』の力を発動する。


 そうすれば薄皮一枚先で見えない壁に遮られたかのように灼熱の濁流は堰き止められた。


 ――僕の手は……届いた……!!


 最初から炎に対抗する手段はあった。僕はそれを知らなかっただけ。それはそうだろう。科学技術が発展していないこの世界・・・・で、熱が振動であるだなんてわかるはずもない。


 目の前で真っ二つに分かたれる炎に驚いたようにライムが体を揺らす。そして熊は晴れた炎の先に無傷で現れたライムに驚愕して固まっていた。


 熊に動きがない今のうちに急いでライムを拾い上げる。


「ライム、怪我ァないか?」


「きゅ? きゅきゅ!!」


「ああ、無事なら良ィんだ」


 ライムは炙られたような様子も傷ついたような様子もない。懸念は薄れ、肩から力を抜いた。


 ライムが無事ならば次の問題は一つ。それは目の前で威嚇するように立ち上がり、巨大な影を地面に落とす熊だ。その威圧感たるや、普通の人間なら縮み上がって動けなくなってしまうほど。


 ―――だが。


「オイ熊公。デケェ面してんなァ。ちょっと面貸せよ」


 だがそこにそんな人間はいない。もうそこにビクビクと怯えて人の顔色を伺っていたいた人間はいない。目を剥き、口元を吊り上げて凶悪に嗤う男が一人いるだけだ。


 そうだ、僕は……いや、は。


 転生者だ。


――後書き――――――――――――

主人公劇的ビフォーアフター!

気弱少年が悪人顔負けのヴィラン顔に! これが匠の業です。

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