6.祈ヶ淵新嵐[後]

 アタシは気を失うように、魔法円に倒れた。

 そしてその瞬間――

 アタシの身体に、何かが食らいついた。


 それは闇だった。

 それは多分、巨大な口だった。

 それは歯牙や舌根だった。

 それは唾液と咀嚼音だった。

 真っ黒で真っ暗で、何も見えない。闇そのものがアタシの身体を喰っている。

 ――――。

 呼び声がする。

 ――祭魚ちゃん。

  新嵐さん。

  新嵐さん。

 ――祭魚ちゃん。

  新嵐さん。

 ――祭魚ちゃん。

 神林祭魚、神林祭魚、神林祭魚。

 祈ヶ淵新嵐、祈ヶ淵新嵐、祈ヶ淵新嵐。

 アタシの名を呼ぶ、声がする。

 私はその名を呼び返す。

 アタシの名前を呼ぶ悪魔。

 アタシが名前を呼ぶ悪魔。


 悪神・祈ヶ淵新嵐。

 その悪しき神は私の身体を使い――

 いまここに、召喚されようとしていた。


 ズズズズと大きな音がした。瓦礫が崩れる巨大な、地鳴りのような音――

 バリケードが崩れ、そこに五つのが立ち上がった。

 それは新嵐さんとは違う悪魔たち。

 それは学校の二階に相当する高さのバリケードを優に超える大きさがあった。そして彼らは暴れ、壁を壊し始める。

 そしてそれを合図に、いくつもの怒声が鳴り響いた。

 崩れたバリケードから暴徒たちが狂乱してなだれ込んだのだ。

 雄叫びを上げ、発煙筒を手に取り、その煙はあっという間に辺りを目隠しした。

 白い闇の中で、発煙筒の鈍い灯りが散る。

 祈りの淵の信徒たちは、ようやくこの異常事態に気付き、弱き者は建物の中に息を潜め、護る者は外に飛び出してきた。

 そして暴徒と信徒たちは見えない世界で殺し合いを始めた。

 ああ、暴力! 大好き! 大好き!

 惜しむらくは、この乱闘にアタシ自身が参加できないことだ。あいつらをこの手で殴るのはさぞ気持ちがいいだろう。

「ぎゃぁぁ!」

 時々、闇の中で短い短い悲鳴が聞こえる。

 重い金属の得物で人の膝を折った音がする。

 人間が立ったまま意識を失い倒れる音がする。

 血がこぼれ、弾ける音がする。

 そして――そして。

 音につられて、ゾンビたちもこの学校に少しずつ少しずつ集まってきた。

「ああ、ゾンビだ!」

 カオス、カオス、大カオス!

 発煙筒の白い闇、屍肉に群がり蠢く悪魔の闇、食べ物を求め暴力に酔い痴れた暴徒、やむを得ず振るう暴力に怯える信徒たち!

 暴力、暴力、いまここに町中の暴力が集まったのだ!



 機は熟した。

 アタシは……いや、新嵐さんはいま、グラウンドの真ん中で、真っ黒な闇としてつくばっている。アタシの身体を喰らい、悪神としての身体をここに顕現させようとしている。結界があり、ここは辺りと比べると随分穏やかだ。

 アタシを喰らいながら、新嵐さんがアタシに語りかける


 ――ねえ、祭魚ちゃん。

  なあに、新嵐さん。

 ――私、神様に……悪神になっちゃった。

  うん、知ってる。

 ――なんでわかったの?

  出回ってた新嵐さんの血がマジでゾンビに効いてたから。

 ――そっか。……私すごいんじゃない、これ?

  ヤバいと思う。最高。さすが。

 ――ふふ、ありがとう。

 ――祭魚ちゃんなら、

 ――褒めてくれると思った。

  アタシは、新嵐さんに怒られると思った。

 ――なんで?

  結構荒っぽいやり方だったから。

 ――そんなことないよ。

 ――うれしかった。

  そう?

 ――私は、身動きが出来なかったから。

 ――窮屈な場所から、手を引いて、

 ――連れ出してくれて――ありがとう。


 心臓が、大きく唸った。

 捧げ、喰われ、アタシの心臓は悪神のものと相成った。


 ――ねえ、祭魚ちゃん。

  なあに、新嵐さん。

 ――私はどうしたらいい?

  え?

 ――召喚された悪魔は、その代償を支払ったものの望みを叶える。

 ――祭魚ちゃんはいま私に「お願い」できる。

  ……アタシは。

  アタシの望みはひとつだよ。

 ――なあに?

  暴力。

 ――え?

  新嵐さんに、暴力を振るうことを味わってほしい。

 ――でも私、救済の悪神だよ。

  暴力で救えばいいじゃん。人を救うには強い力がいる。

  きっとアタシの身体は、暴力に適してる。

  神としての新嵐さんの力と、

  暴力装置としてのアタシの身体で、


 ――この学校を、ぶっ壊そう。

 ――暴力こう、新嵐さん!

 ――はい!

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