第6話 あなたに惚れた理由

「いやぁ、まさかイルカがあそこまで高く跳ぶことができるとは。しかも水面からだというのに……走り高跳びの授業になんとか生かせないものだろうか……」

「現国教師のくせになに言ってるんですか」


 イルカのショーを大いに楽しみ、その後も水族館を一通り見終わった後。


 すっかり日も暮れ始めていたので、俺たちは近くの居酒屋で酒盛りをしていた。


 そう。お洒落なレストランなどではなく、居酒屋なのである。


 俺の名誉のために言っておくと、この店を選んだのは俺ではなく西山先生だ。断じて、俺がお洒落な店を知らないから手っ取り早い場所を選んだわけじゃあない。


 では何故、先生がこの店を選んだのかというと……近くにあったから、らしい。


「教師同士で技術を共有するのはとても大事なことなんだぞ。横の繋がりを作るうえでも重要なことだ。うん」

「まぁ、分からなくもないですけど」


 俺も職場で別の部署の人間から聞いた話をそのまま自分の仕事に生かすことがないわけじゃあないしな。横の繋がりの大切さというやつは、大人になって初めて理解したが。


 先生は口に放った梅水晶をビールで流し込みながら、


「しかし、なんだ。今日はとても楽しかったよ。ありがとうな、東谷」

「そりゃあ、まあ……お試しとはいえ、彼氏という立場になった以上、彼女を楽しませるのが彼氏としての役目ですし」

「……そ、そうだったな。今の私は、お前のお試し彼女だったな」


 言葉を濁らせながら、ジョッキで顔を隠す先生。顔が赤くなっているのは、アルコールのせいか、それとも照れているのか。……俺のメンタル的な問題として、照れているということにしておきたい。


 アヒージョで持っていかれた口内の水分を取り戻すためにレモンサワーに口をつけたところで、先生はやけにもじもじしながら話をつづけた。


「……なぁ、東谷」

「なんですか」

「ひとつ聞いてもいいか?」

「答えられる範囲なら、どうぞ」

「お前、いつから私のことが好きだったんだ?」


 レモンサワーを盛大にぶちまけなかった自分を褒めてやりたい。


「い、いきなり凄い質問ぶつけてきますね……普通、本人に直接聞きますかそれを」

「だって、気になるじゃないか。お前がいつから私に惚れていたのか」

「別に、隠すようなことじゃないんでいいですけど……」


 本当に今日はおかしな日だ。


 初恋の人とマッチングアプリで再会して、喫茶店で告白して、お試しで付き合うことになって、一緒に水族館デートをして、そして今、居酒屋でいつから惚れていたんだと問いただされている。


 たった一日でここまで濃い経験をしているのは、世界広しと言えども俺ぐらいのものだろう。


「東谷?」

「あーいや、すいません」


 考え事を中断し、先生の質問に対する答えを提示する。


「先生が、俺のクラスの副担任になって、少し経ってから、ぐらいだったかと……」

「……自分で言うのもなんだが、その時の私は未熟も未熟、教師としては落第点といってもいいぐらい格好悪かった。惚れる要素など、少しもなかったはずだが?」


 普通に厳格な教師として振舞えていたと記憶しているんだが、どうやら本人的にはそうではなかったらしい。


「まあ、大したことじゃあないんですけど……」

「うむ」

「先生が授業の準備をするために、職員室に遅くまで居残りしてたのを見て、惚れちゃった感じですかね……こっそり頑張ってる人に、俺はどうやら弱いみたいなんで」


 なんだこれ。口にしてみると、めちゃくちゃしょうもない理由で惚れたんだな俺。というかめちゃくちゃ恥ずかしい。顔から火でも出てるんじゃないかってぐらい熱くてたまらない。


 顔を冷ますようにレモンサワーを一気飲みし、そして先生の方へチラリと視線を向けてみる。


「…………っ!」


 なんか俺よりも顔を真っ赤にしている美女がいた。


「……先生?」

「だ、誰にも見られていないと思っていたのに、まさか見られていたとは……あれは私が未熟だから、残業せざるを得なくなっていただけで、別に特別頑張っていたわけでは……」

「理由はどうあれ、先生は頑張ってると思いますよ。さっきだって、イルカを授業に生かせないか、みたいなこと言ってたじゃないですか。先生が教師として頑張ってる何よりもの証拠ですよ」

「や、やめてくれ。そんなに褒められると、頬が緩んでしまうから……」


 なんとか己をジョッキで隠そうとしているが、空になったジョッキではにやけきった口元を隠すことは難しい。褒められてニヤニヤしてしまうというとてつもなく珍しい彼女の姿を見ることができて、俺はつい嬉しさを覚えてしまっていた。


 俺がひとりでに満足していると、先生はジョッキの向こうから覗き込むように、こちらに視線を送り始めた。


「い、今更なんだが、本当に私で、いいのか? お前なら、もっといい女性を見つけられるんじゃあ……」

「いや、先生よりいい女性になんて出会ったことないですし」

「~~~~っ! そ、そんな歯の抜けるようなセリフをよくもまあサラッと言えるものだなお前は……っ! 私の記憶の中の東谷と違い過ぎやしないか……?」

「さっきも言いましたけど、俺、もう、子どもじゃないんですよ」


 そう。今の俺は子どもじゃない。


 先生と同じ、社会人なのだ。


「仕事の愚痴にも付き合えるし、突然の飲みの誘いにだって駆けつけられます。俺はもう、先生に導かれるだけの存在じゃないんです。対等な立場で、あなたを支えることができる大人なんですよ」

「(……あんなに幼かったくせに。見ない間に格好良くなり過ぎだ)」

「……あの、全部聞こえてますよ、先生」

「~~~~っ! だ、だからこういう時は聞き逃すのが道理だろうが、馬鹿者っ!」

「いでっ」


 恥ずかしさを誤魔化すように、先生はテーブルの下で俺の足を軽く蹴りつけた。

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