第5話 行き当たりばったり

 ——と、いうわけで俺は西山先生と水族館デートをしているわけである。


「我ながら衝動的に生きてるよなあ……」

「遠い目で空なんか仰いでどうしたんだ?」

「自分の人生の行き当たりばったりさを再認識していたところです」

「??? お前は学生時代もサラリーマンになるとか言っていたし、他の奴と比べて割と堅実に生きているような気がするが……?」


 そういう意味じゃあないんだが、首を傾げる西山先生が可愛いので反論はしないことにした。


「にしても、お客さん多いっすね。イルカのショーってこんなに人気なんだ」

「イルカのショーと言えば水族館の目玉だからな。特に子供からしてみれば、巨大な魚が飛び回る姿は一度その目で確かめておきたいに違いないだろう」

「それはそうかもですね。でも、俺には子供よりも西山先生の方が楽しみにしているように見えますけど」

「そ、そんなことはない!」


 彼女は否定しているが、イルカの描かれたタオルを首に下げ、イルカを模した帽子を被り、腕にはイルカ型のバルーン人形が抱き着いている。全身で「イルカのショー楽しみです!」アピールをしている大人など、会場中を探しても彼女ぐらいしか確認できない。


「子供のころ以来って言ってましたもんね。大丈夫です。俺は笑いませんから(パシャパシャ)」

「満面の笑みを浮かべながらスマホで撮影するのはやめないか! し、仕方がないだろう! イルカが可愛いのが悪いんだ!」

「先生が楽しんでくれているみたいで何よりです」

「含みのある言い方をするんじゃない!」


 教師と生徒の関係だった頃では知る由もなかったが、先生は意外と表情豊かな女性であるらしい。彼女のこういう一面が知れただけでも、あの時勇気を出した甲斐はあったかもしれない。


 自分の勇気を心の中で称えていると、「ところで」と西山先生が話を変え始めた。


「こういう公衆の面前で私のことを『先生』と呼ぶのはやめてくれないか?」

「え。でも先生は先生ですし……」

「もう子どもじゃないと言ったのはお前だろうに」

「うぐ、痛いところを……」

「それに――」


 先生は髪の先を指でいじりながら、頬をわずかに朱に染める。


「——お前から名前で呼ばれるのは、あまり悪い気はしなかったからな……」

「……あ、え、っと、そのぉ……ありがとうございます……?」

「そ、その生々しい反応をやめろ! あーもう、自分で言っておいてなんだが、恥ずかしすぎて顔が爆発してしまいそうだ……っ!」

「本当にすいません。でもちょっと顔見れないんであっち向いといてもらってもいいですか……?」

「私を雲雀ちゃん呼ばわりしていた時の余裕綽々なお前はどこに行ったんだ!?」

「いや、あの時も割といっぱいいっぱいだったっていうか、子ども扱いされてついかっとなってしまったというか……」


 行き当たりばったりな人生ばかりで本当に申し訳ありません。


「やっぱり、とりあえずは西山先生って呼んじゃだめですかね?」

「私が教え子と二人で水族館に行くような教師だと世間様に思われてしまうから嫌だ」

「俺を見て学生だなんて思う人間は一人もいないと思いますけどね」

「最近はすぐに学校側へクレームが届いてしまうからな。私のことを先生と呼ぶ男と二人で水族館にいる、というだけでも炎上しかねないのだよ」


 一理ある。


 このSNS時代は炎上と隣り合わせだ。特に学校の教師は日々様々なことで炎上している。やれパワハラだセクハラだと、その苦労を数えきることなどできないだろう。


 そんな今のご時世を考えて、呼び方を変えてくれという先生の言い分はよーく分かる。分かるんだが……先生を名前呼びするのはシンプルに恥ずかしい。初恋の相手と久しぶりに再会しただけでテンパり倒している今の俺には、あまりにもハードルが高すぎる行いだ。


 だが、先生がそうしてくれと頼んできている以上、この願いを突っぱねるわけにはいかないだろう。何故なら、俺は彼女に惚れているのだから。


「分かりました。ひば……ひ……西山さん」

「芋ったな、東谷」

「ち、違いますよ! やっぱり最初から下の名前で呼ぶのはよくないよなって思って、あえて苗字を選んだだけです! 他意はない!」

「ふふっ。まあそういうことにしておいてやろう」

「納得がいかない……っ!」


 微笑む先生が可愛いから、まあいいか……。


 思い返してみれば、学生時代でも先生とここまで深く互いについて話したことはなかった気がする。


 一緒に昼食を食べたりはしたけれど、あくまでもそれは教師と生徒としてであり、異性同士の食事とは言えない代物だった。


 昔の俺が踏み出せなかった一歩を、今の俺なら何の障害もなく踏み出すことができるかもしれない。


「む。東谷、そろそろショーが始まるみたいだぞ」

「水しぶきを浴びないように気を付けてくださいね」


 目を輝かせる先生に、俺は微笑みを返す。


 人生でたった一度の初恋を今度こそ成就させてやる――そう、心に決めながら。

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