第4話 変わらない恩師

 西山先生とお試しで付き合うことになった俺は、多くの拍手に包まれながら、先生に手を引かれるがままに喫茶店を後にした。


 もちろん、支払いは俺が全額負担した。先生が払うと言って聞かなかったが、こういう時は男が格好つけるものなんですよと言ったら、意外とおとなしく引き下がってくれた。


 そうして喫茶店から出た俺たちは少し歩いた先にある電柱の下で、改めて向かい合っていた。


「あ、あんな屈辱は生まれて初めてだ……」

「なんだかすいません。悪目立ちするようなことになっちゃって……」

「本当にな! あんな公衆の面前でこ、告白をするなど……告白されたことなんて、生まれて初めてだというのに……ごにょごにょ」

「え、先生って告白されたことないんですか!? そんなに綺麗なのに!?」

「な、何故聞こえているんだ! こういう時は聞き逃すものだと相場が決まっているだろう!?」

「そんなこと言われても……」


 聞かれたくないならそもそも口にしなければよかったのでは、という指摘は口から出る前にギリギリ飲み込んだ。何故かというと、先生の瞳が「余計なことを言ったら怒るぞ」と主張していたからである。


 先生は乱れた衣服を整えると、深呼吸をして自分を落ち着かせる。


「……とりあえず、だ。いろいろとあったが、まずはデートの話をしよう」

「あ、ちゃんとデートはしてくれるんですね」

「当然だろう。約束は約束だからな。お前とお試しで付き合うと決めた以上、これを反故にするわけにはいかん」

「俺が言うのもなんですけど、よく断りませんでしたね……」

「お前が冗談半分で言っているわけではないとすぐに分かったからな」


 よかった。俺が本気だって言うことはちゃんと伝わっていたようだ。


 勢いのままに行動してしまったこと自体は、反省大賞だとは思うけれども。


「それで、デートについてなのだが……恋人同士のデートって、普通はどういうところに行くものなんだ?」

「さあ……どこに行くものなんでしょうね……」

「は?」


 目を丸くしながら間抜けな声をこぼす西山先生。今日の彼女は百面相が激しいご様子だ。


「いやいやいや、何故デートに誘った側のお前が何も分からないんだ」

「だって誰かと付き合った経験なんて一度もありませんし……」

「つい最近まで大学生だったのではないのか? それなのに恋愛経験が一度もない、と?」

「大学生が必ず恋愛をしているなんて幻想、捨てた方がいいですよ」


 そもそもその理論だと先生だって大学時代に恋人がいたことになるだろうに。さっきから間抜けな発言が目立つが、彼女なりに緊張しているのだろうか。


「ふむ。しかし困ったな。私もデートなどしたことがないから、勝手が分からん」

「どこかに出かけたりすればデートということになる気もしますが。先生は行きたいところとかないんですか?」

「私が行きたいところ、か……」


 先生は数秒ほど考え込むと、


「しいて言うなら、水族館だな」

「魚とか好きなんですか?」

「特段そういうわけではないが、近くの水族館でコラボイベントをやっていてな」

「へぇ。先生でもそういうのに興味湧いたりするんですね」

「今の言葉は普通に失礼なのではないか? なあ」

「それで、どんなコラボをやってるんですか?」

「む、無視された……」


 スルースキルは社会人にとって必須のスキルなので。


 おまけとばかりに口笛を吹くと、どうやら追及を諦める気になったようで、先生はため息交じりに話をつづけた。


「来週までボケモンとのコラボをしているらしくてな。水族館の中でもらえるビカチュウのぬいぐるみが欲しいんだ」

「先生ってボケモン好きなんですか?」

「いや、姪が今度誕生日なのでな。そのプレゼントとしてあげようかと」


 他人のためにわざわざコラボイベントに参加しようとするなんて、相変わらず優しいというか真面目というか……昔と何も変わっていないな。


「分かりました。それじゃあ水族館に行きましょう」

「いいのか?」

「他に行くところもありませんし、それに……さっき迷惑をかけてしまった分、先生の意思を尊重するべきだと思いますしね」

「……お前、何故今まで恋人ができなかったんだ?」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味だよ」


 もしかして今、馬鹿にされました?


「ふふっ。まあ、いい。それでは早速水族館に向かうとしようか。時間は有限だからな。ほら東谷、急げ急げっ」

「あ、ちょっ……」


 子供のように笑いながら、俺の手を引く西山先生。


 彼女に恋愛経験がないという話を今の今まで信じられていなかったが、ようやく自分で納得することができた。


 何故なら――


(——西山先生、距離の詰め方が極端すぎる!)


 心の準備をする間もなく繋がれた手を見つめながら、俺は緊張と嬉しさのあまり今にも口から心臓を吐き出しそうになっていた。

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