黒歴史と、俺の処世術

 一号室、五号室以外の入居予定はどうなっているのだろう。


 疑問に思いつつ、観察するところが無くなった俺は、自室に入った。積んである本やノートをカラーボックスに納めていく。


 そのとき、一冊のノートがポロリと落ちた。


 これは……。黒い表紙のB5版ノート。角がスレて古びたこれは、誰にも見せることのできない秘密の『黒歴史ノート』。


 俺はそれを机の上に置いた。しばらく、棚に並べた本の裏に隠していたノート。

 今、置かれたこの状況を考慮すると、開かねばなるまい。


 そして、向き合うんだ。俺の黒い歴史に……って。なんのゲームだよ。


 ともかく、これを改めて読まなければならないのは事実。ノートには、あの『夕日ヶ丘公園事件』について詳細に記されている。


 あれ以来二年、なずなとは一言も話していない。同じ高校に入ったが、接点を持つことがなかったので、事件の記憶は薄れていた。


 このような形で掘り起こすことになろうとは。


 表紙に手を掛ける。背筋が伸びる。一旦、表紙から手を放して『黒歴史とは』とスマホで検索する。いきなり開くには心の準備ができていない。


 『恥ずかしい、できればなかったことにしたい過去などを意味する表現』とある。ああ、なるほど、その通り。


 昔、放送されたガンダム・シリーズで用いられたのが元ネタ……へー、覚えておこう。


 俺は広範囲なサブカルチャーに精通することを心がけている。誰とでも話を合わせられるようにするための、俺なりの処世術ってやつだ。


 そんなことはどうでもいい。開くぞ! 厚紙の表紙を開こうとすると、今度はスマホがブルルッと震える。なんだよ、メッセージか?


 またまた表紙から手を放して、スマホを確認する。


 相変わらずアホだな。クプッと吹き出してしまう。アメフト部・二年生のSNSグループに写真が投稿されていた。


 剛毅ごうきの半裸写真。ムキムキの体で、ゴリラのように胸を叩くポーズ。


 九頭竜くずりゅう剛毅ごうき、185センチ、100キロ、全身筋肉。奴の筋肉は天性のもの。


 もちろん、激しい筋トレをしているわけだが、俺が同じトレーニングをしても決して追いつけない。素質と努力の上に成り立つ肉体美。


 だが、写真はアホそのもの。なぜなら、見切れている下半身にはモジャモジャの黒い物が映っているから。


 男子の大切なアノ部分こそ映っていないが、明らかに下半身は何も履いていない。すれすれ、黒い部分だけが映るように撮っているのだ。


 アメフト部は肉体自慢が多いせいか、すぐにシャツを脱ぎたがる。勢いあまって下半身まで脱いでしまう奴も多い。


 そんな感じでキャッキャと騒ぐ男子を、素知らぬ顔で取り扱う女子マネージャーは素晴らしい。


 このグループ、そういえば、マネージャーも入ってんじゃね?


 今の時代、一つ間違えると、セクハラで訴えられるぞ……。


 そんな突っ込みを入れていると、別の奴がメッセージを返す。


『お前の粗末なアソコなんてみたくねえ! なあ、七草』


 メッセージの主はつるぎだ。本名『十拳とつかつるぎ』、アメリカン・フットボールでは最も花形ポジションのクオーターバック。


 奴の投げるパスは、名前のごとく鋭い剣のようにワイドレシーバーの手元に突き刺さる。


 にしても、つるぎ。なに、七草に話題、振ってんだよ。女子マネージャーだぞ。


 どいつも、こいつも訴えられるぞ。スマホを眺めている間に、メッセージがどんどんと追加されていく。


 多くが『お前ら変態か』とか『七草さん、すまん』といった女子マネを養護するもの。理性のある奴もいるのだ。俺も含め。


 つるぎと七草は、同じ中学出身。実家は、この家から徒歩圏。


 改めてノートの表紙に手を掛ける。つるぎ、七草……このノートを開こうとしたときに、その二人の名前が出てくることに運命めいたものを感じる。


 あの『夕日ヶ丘公園事件』の直前まで、こいつら二人のせいで色々と大変だった。精神的に疲弊していたところに、あの事件だ。


 俺の心の糸はプッツリ切れた。


「よしっ」と気合を入れてノートを開く。最初のページ。『三年二組 五十鈴川いすずがわ 賢智けんち』と割ときれいな字で書いてある。


 日記形式で綴られた、黒歴史のエピソード・ワン。ちなみに、このノートがカバーする期間は小学三年生から中学三年生の六年間。


 嫌な事がある度に、このノートの世話になった。文章として書き出すと、黒い歴史がノートに転写されたようで心が少し軽くなった。


 高校に入ってからは、部活仲間と過ごすのが楽しくて世話になっていない。なので、最後のエピソードが例の事件ということだ。


 いきなり最後を読むのも気が乗らないので、ここは、自伝と思って最古の黒歴史から辿ってみるか。時間はあるし。

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