一ノ宮なずなが、来た理由

 髪を伸ばすのは、夏のシーズン前まで。本格的に練習が始まるとバッサリと髪を切る。


 その白肌も、夏になれば小麦色に焼けて別人のようになることを知っている。


 なんせ、俺も中学では彼女と同じ水泳部だったからな!


 現在、俺と同じ高校で、女子水泳部の次期エース『一ノ宮いちのみや なずな』。漢字が難しいので、普段は平仮名で『なずな』と表記している。


賢智けんち、なに、固まってるのよ。あっ、驚いてるのね。サプライズ大成功!」


 母さんの言葉に、すぐに反応ができない。なずなは、両親と花梨かりんに向けて視線を送っているが、俺の方は決して見ようとしない。そりゃ、そうだろう。


 なぜって、俺の黒歴史の一つ『夕日ヶ丘公園事件』以来、一言も口をきいていないのだから。


 思い出すだけで、動悸がして冷や汗が出る。あれは、中学三年の夏……もう二年も前だ。


 こいつの自宅は、ここから徒歩五分の距離にある大きな一戸建て。立派な住まいがあるのに、なぜ、ここに住むことになるんだ!


 繰り返しになるが、なずなと見ず知らずなら、一つ屋根の下で、これってラノベ展開!? と飛び上がって喜ぶところだ。


 だが、コイツとだけは絶対に無理。俺をバカにして、トラウマという深い谷へ叩き落とした張本人だからな。


 俺が水泳部をやめて、こんな豆タンク体形のマッチョになったのも、元をただせばコイツのせい。嗚咽が収まってきたら、今度は無性に腹が立ってきたぞ。


「お父さんが海外転勤になってね、お母さんもついて行くってことになっちゃって、なずなちゃんだけが残されたってわけ」


 母さんは、サプライズの割に俺の反応が悪いのに気付いたらしい。説明口調。


 にしても、海外赴任? なんで、オマエもついていかない? 得意の英語力があれば、海外でもコミュニケーションには困らんだろう。


「なずなちゃん、なんで一緒に行かないの?」

 俺が聞きたかった謎に、花梨かりんが切り込んでくれた。


 花梨かりんは、父さんの背後から顔をのぞかせて話している。そんなに、化粧をしてないのが恥ずかしいのか。


「私、小学校の間、丸々、海外にいました。もう、日本のお友達と離れたくないなって思ったんです」


 意識高い系女子が発言する「二週間の海外留学で英語学びまーす」みたいなことは、すでにクリアしてるってわけか。


 二週間で英語なんて身に着くわけねーだろ。


 六年間、アメリカに居たコイツは、中学でも英語の先生よりペラペラだった。外人を招いた授業で先生があたふたしているときに、コイツが対応してたっけ。


 まじで、集めてたよな、尊敬。それが、またイヤミじゃなく、ごく自然なのが余計に腹立つ。


 ともかく、背景が見えて来たぞ。娘は残りたいと言っているので、知り合いに保護者役を依頼したってわけか。そこに、このシェアハウスの話がマッチしたんだな。


「部長の頼みだからね……。あいつ、出来る男だから海外と日本を行ったり来たりしてるんでな」


 父さんが頭をきながら、誰にともなく呟く。


 そうなのだ。父さんは、大手企業のサラリーマン。そして、なずなの父も同じ会社に勤めている。父さんが『あいつ』と言っているのは、なずなの父と同期だからだ。


 父さんは課長だが、なずなの父は出世が早く、部長だと言っていた気がする。同じ企業に勤めていても、役職、勤務地などが偉く違うもんだ。


 にしても、さらりと「あいつは出来る男だ」と言ってしまえる父さんも凄い。上昇意識は強くなさそうだからな。


 でも、そんなんで、この家のローンは払えるのか?


「住んでいた家はどうするの?」


 事情を初めて聞く花梨かりんが尋ねる。


「世帯用として貸し出すことになりました。今日、私の荷物を出したのと入れ替えで、次のご家族が入居されます」


 あらゆる人の好感が得られる丁寧な物腰。どんな親も「うちの娘に欲しい」と思うであろうその態度は、作ったものではない。自然にこういうことができるのだ。


 だが、その内面は冷血で人を下に見る女王様気質。俺は、痛いほどそれを味わった。


「ようこそ、我がシェアハウスへ! 一階に荷物、入れちゃってください」


 家の前の庭に小ぶりのトラックが停車していた。運転席には二名の男性。引っ越し業者だろう。俺の知らないところで、話がついていたのか。


 サプライズとは、心躍る演出を隠していることだ。母さんは、サプライズだと思って黙っていたらしいが、俺にとっては完全に逆サプライズ。


 予告があれば対処できたのだが。二階から下りてこないとか、外出するとか。そうすれば、単なる一階と二階の住人同士として、接点を持たずに済んだ。


 なずなが車に視線を送って、軽く頭を下げる。それを合図に業者は車から下りて、荷台を開け始めた。


 うちは小高い山の中腹に建っており周囲に家は無い。周りはだいたい、じいちゃんたちの土地だ。引っ越し作業がうるさくても近所迷惑にはならない。


 なずなは軽く会釈をして、業者の元へ歩き去った。

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