一ノ宮なずなが、同居する!

 俺はサーモンを口に入れる。脂ののったサーモンは、やはりうまい。


「白米効果でしょ。賢智けんちが高校に入ってからの、我が家のエンゲル係数増加率は半端じゃないんだからね」


 苦言を口にする母さんだが、もちろん怒っているわけではない。ぶっちゃけ、母さんの飯は美味い。食事で体重を付けるのが容易なのは、母さんのおかげである。


「最初の入居者が、来るって言ってなかったか?」


「ええ、四時には来るはずよ。皆でお出迎えしましょう」


「四時!? 私、化粧が間に合わない! 聞いてないよお」


 ブツブツつぶや花梨かりんに、母さんはとぼけ顔をする。花梨かりんは化粧のため、引っ越し作業の離脱確定。


 まあ、片付けが今日だけで終わる必要はない。


 どんな人がくるのか尋ねようとしたとき、花梨かりんが先に口を開いた。話ながらも、寿司を食べるスピードは落ちていない。


 これだけ食べて、良くスリムな体形を保てるもんだと関心する。本人いわく、メリハリを付けて食べているとのことだ。


「ねえ、母さんマミー、ここの名前決めたの? シェアハウスなんとか、みたいな」


 昨晩の家族会議でも発表されなかった。母さんはずっと悩んでいた。「名前は言霊の一種、とても大切」と何度も同じことを聞かされてきた。


 しかし、結論が一向に発表されないまま、この日を迎えた。


「僕も聞いてないな。母さん、まだ決まってないの?」


 この会話からも、父さんに決定権がないことは明らかだ。母さんの夢だったシェアハウスなので、一任しているのだ。


「三つまでは絞れているんだけどね……」

 母さんにしては珍しく、モゴモゴとバツが悪そうに話す。


「じゃあ、こうしましょう! 夕食のときに、三つを公表するので多数決で決めるってことで!」


 母さん、それは二対二で割れるかもしれないぞ。家族四人なの分かってるか? とは突っ込まなかった。

 父さんも花梨かりんも「いいね、いいね」と乗っかっている。いつものノリだ。


 時々は、俺が母さんに怒られたり、母さんが花梨かりんを叱ったりするが、家族仲は極めて良いといえる。ちなみに、父さんが怒っているところを見たことはない。


「ごめんください!」

 一階から響く声に、家族の談笑が止まる。


「電気屋さんかしら?」

 母さんが立ち上がる。俺は、スマホで時間を確認した。午後三時。


 入居者が来るのは四時と言っていたので、業者だろう……でも、声は女性だったような。


 しかも、若そうな。今の時代なら、電気やガスの業者が女性ってこともあるのかもしれない。


「はい、はーい」と返事をしながら、母さんがバタバタと一階に降りる。


 玄関のドアを開ける音がしたあと、話し声が聞こえた。内容まではよく聞こえない。


 花梨かりんが「化粧、化粧」と口ずさんで立ち上がったとき、母さんの大声が吹き抜けから二階にまで響き渡った。


「入居者、第一号が来られたので、みんな集合~!」


 有無を言わせない強制招集。予定よりも一時間も早いじゃないか。俺はいいが、すっぴんの花梨かりんは「噓でしょ」と焦り顔だ。


 母さんの号令が掛かった以上、従うしかない。父さんはサッと立ち上がり、目で「行くぞ」と俺たちに訴えた。


 家族以外と合うときは化粧をすることを自分に課している花梨かりんは不満げだが、しぶしぶ移動開始。


 俺は、父さん、花梨かりんに続いて階段を下った。


 玄関口に目をやると、開け放たれたドアに誰か立っている。顔は良く見えないが、外見から入居者は、やはり女性。


 グラマーなお姉さんか、アイドル系美少女がいいなあ……そんな妄想が淡い香りとともに脳内に広がる。


 二階に住む俺は、時々、一階に顔を出す。そのとき、シャワーを浴びて出てきたお姉さんが洗い髪をタオルで吹きながら「あら、いらっしゃい」と優しく語りかける。たまらん。


 少し年上、といっても社会人じゃなく大学生くらいの女性がちょうどいい。ちょっと、大人だけど年は二つか三つしか離れてません、みたいな。


 そんな俺の妄想は、一階のフローリングに降り立った時点でもろくも崩れ去った。


「これから、お世話になります」


 ペコリと頭を下げる女性。その上半身を起こしたとき、俺の全身は一瞬で硬直した。なんで……なんで、お前がここにいるんだよ!


一ノ宮いちのみやなずなです」

 改めて、頭を下げた勢いで後ろ髪が、バサッと前に流れた。


 俺は嗚咽しそうになり口を押さえる。リアルに胃の奥から熱い胃酸がこみ上げてきた。先ほど食べた消化中の寿司が食道を逆流してきたようだ。


 人間の体は不思議だ。こんな突発事象でも、思い出したくない記憶に関するものだと、拒絶反応として現れる。生命が持つ防御能力。


 肩まで伸ばした黒髪、健康的な白肌。父さんと母さんに向けた笑顔。ほとんど化粧をしていないのに、瑞々しさがあふれ出ている。


 スッと通った鼻筋、整えられた細い眉に、少し釣り上がった大きな瞳が印象的な、健康系美少女。


 街中で見かけると思わず目で追ってしまうタイプ……見ず知らずなら。

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