俺の自宅は、シェアハウス
「
一階から母さんの声が響き渡る。階段の脇は一階と二階をつなぐ吹き抜けの構造。甲高い叫び声が良く通る。
「トラックからの荷下ろしは、引っ越し屋の仕事だろ!」
二階のキッチンで両ひざを突いていた俺は、ガムテープでしっかり封がされた段ボール箱にカッターナイフを突き立てながら叫び返した。
「食器を出してキッチンに並べておいて」と頼んだのは母さんだ。相変わらずの天然っぷり。怒る気もしない。
俺は箱の口を開けて、緩衝材に包まれた食器やら、皿やらを取り出した。
「母さんには従っておいたほうがいいぞ」
リビングに面した部屋の開け放たれたドア向こうから父さんの声が聞こえる。これも相変わらず。
「母さんの機嫌がいいと、五十鈴川家は安泰。分かってるでしょ」
大学に行く前にいつも一時間もお世話になっている化粧品やらドライヤーやらを抱えて、俺の背後を姉の
彼女の主張も正しい。朝令暮改で気分屋の母さんだが、その明るさは我ら五十鈴川家の雰囲気を作っている。
父さんが怒らないのも、自己主張が強い
ちょっと抜けているところを除けば、いい母親であることは間違いない。家事はしっかりこなすし、俺や
つい、高校のことや、部活の友人の話をしてしまうのは彼女のキャラと、巧みな話術によるところだ。
「一階に降りるか」
立ち上がりながら、独り言が口を突く。思っていることが口から出てしまうのは直すべき癖。これが原因で人間関係を悪化させたこともある。だが、無意識であることが、矯正を困難にしている。
俺は二階を見渡した。東京都、最西端のこの地域で、駅から徒歩五分の位置にある注文住宅。まだ新築特有の木材の匂いが残るこの二階建て建築物は、変わった形状をしている。
正方形のリビングを中心に五つの部屋が隣接。三号室と四号室の間にキッチンがあり、風呂とトイレ、洗濯場は一辺に並んでいる。一階も二階と同じ構造だ。
俺は階段をドタドタと音を立てて下った。
「
階段の下は、短い廊下と玄関。廊下の先は一階に続くドアがある。
母さんは、開けっ放しになっている玄関のドアの向こうで、引っ越し業者の兄ちゃんに指示を出している。
「あっ、その荷物は一階に運んでください。
道路に停車している大型車から荷下ろしをしているのは、三名の若者。引っ越し業者の仕事は自分たちのペースで行うものだろう。
客にあれこれと指示されては、たまったもんじゃない。ご愁傷様。
一階に運ぶ荷物なんてあったっけ? と頭の隅に引っ掛かるものを感じながら、俺は指示された段ボール箱をトラックから降ろして二階に運ぶ。
俺に続いていた業者の兄ちゃんは、母さんに指示された箱を持ったまま、玄関から廊下を通って一階のドアの向こうへ消えていった。俺は階段で立ち止まり、その後ろ姿を傍観する。
ドアの向こうに複数の部屋が見えた。これらの部屋は、五十鈴川家が住まうためのものではない。他人に貸し出すためのものだ。
この建物が奇妙な構造になっている理由はそこにある。
母さんの夢、シェアハウスを始めるための作りなのだ。
高校一年の春休み。数日後の始業式までには、ちゃんと生活できるようになるだろう。
改めて広々とした二階のリビングを眺めながら、俺は一年間の地獄を思い出していた。狭いアパートでの家族生活。
部屋数が少なく、俺は
一介のサラリーマンである、うちの父さんがこれだけの家を建てられたのには、理由がある。ここには元々、古い屋敷が建っていた。
そこに、我々家族と、じいちゃん、ばあちゃんで暮らしていた。
じいちゃん達が「ワシらは都会のワンルームで暮らすでな」と言って、土地を父さんに相続して出て行った。アクティブな高齢者だ。それを機に建て替えたというわけだ。
土地は譲ってもらったとはいえ、上物だけでも相当な借金であろうことは、子供の俺でも分かった。
建物は当然、注文住宅。設計事務所とのやりとりは、母さんが担っていた。自分が始めたいと思っていたシェアハウスの夢が叶うのだから、それはもう張り切っていた。
俺は、段ボール箱を二階のリビングに降ろすと、一階に戻り外へ出た。
腕まくりをした母さんは、腰に両手を当てて立っている。まるで、現場監督だ。
駅から少し歩いた高台からは、住宅街が一望できる。まだ暑いとは言えない春の気候でも、引っ越しの作業で汗ばんでいた。
「
俺も
小さい頃のどこかの時点で発生して、そのまま使い続けられている家族内用語。どこの家にも一つや二つはあるだろう。
ちなみに『マミー』にはミイラという意味、『パピー』には仔犬という意味がある。
家族全員、その事実は把握しているが「面白いから、いいんじゃね?」となっている。そういうノリの家族なのだ。
「まだ、全部ってわけにいかないけど、引き合いは多いのよ。学校にまで宣伝したしね。で、今日の夕方、第一入居者が来るわ」
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