第3話:あの時、告白しておけばよかった

 葦原國あしはらのくには極東端の海に浮かぶ大きな島国である。


 かつては、一つの島国だったのだが現在では西と東とで分断され、同じ国でありながら他国のような関係性を築いている。


 一颯がいる、ここ東の都――太安京たいあんきょうは、最大の規模を誇る城郭都市である。


 堅牢な城壁の中は、豪華絢爛の一言に尽きよう街並みで、日夜問わず毎日がお祭りのように陽気な騒がしさと活気に包まれている。


 東一番の都とだけあって、訪れる者は極めて多く、今日も例外にもれることなく大通りでは人と言う人であふれかえっていた。


 一颯がくらりと、ちょっとした立ち眩みに苛まれた。



(相変わらず人が多いんだよなぁこの都は。もう少し人数制限してくれればいいのに……)



 どうも前々から、人の多い場所はあまり好きではない。

 酷いものになると、あまりの大人数に人酔いして卒倒してしまう事例もあるのだと聞く。


 幸いなことに自分はそこまで重症化はしておらず、だがそれでも苦手意識は確かにあった。


 【真選組】の屯所でのんびりと過ごしていたのも、この人気の多さが原因の一つだったりするが、それはそうとして。



「昼飯まだだったし、ついでに食っていくかな」



 【まんぷく亭】は一颯がよく贔屓ひいきにしている食事処である。


 規模はここ、東の都の中では他店よりもずっと小規模ではあるが、根強い人気を誇るのにはそれなりに理由がある。


 やはり欠かせられないのは、なんと言っても料理の本質たる味だろう。



 ――ここの飯はほんっとうにうまいなぁ。国一番だよ!



 と、高評価の声が圧倒的に多い料理は老若男女問わず、人気がある。

 かく言う自分も週に必ず5回は訪れるほど、【まんぷく亭】を愛用していた。

 だが、味なんかよりも最大の理由が別にある。

 その理由というのは厨房の方から、ぱたぱたと駆けてきた一人の娘の存在だった。



「いらっしゃいませ! 申し訳ございません、本日は……って、い、いっちゃん!」

「よぉ、邪魔するよカエデ」



 一颯はふと頬を緩めた。


 葛葉くずのは カエデ……【まんぷく亭】の看板娘を目当てにやってくる輩はかなり多い。


 絵に描いたような美人、この表現がこうも相応しい輩というのも早々におらず、実際に異性であれば目を釘付けにし、同性ならば嫉妬と渇望の視線を集めさせる。


 そんな彼女に告白をして玉砕していった男は星の数ほど。

 一颯はまだ、カエデに想いは告げていない。

 厳密に言うなれば、まだ告げられないと言うのが正しい。



「……今日は珍しく、客がいないんだな」



 一颯は周囲を見渡した。

 時刻はまだ昼をちょっととすぎたばかり。


 前半の開店時間は午後二時までである【まんぷく亭】にしては、がらんとした店内というのは、かなり珍しいことに入る。


 厨房からの物音もいつもの忙しなさは皆無で、時折聞こえる小さな物音がなんだか物寂しく感じた。



「ごめんね、実は今日……もう店じまいするんだ」

「げっ、そうだったのか。そりゃあ普通に悪いことしたな。すぐに出ていくよ」

「あ、ううん! 気にしないで。いっちゃんは、特別だから。何かご飯作ってあげるね」

「あっ……」と、一颯が制するよりも先に、パタパタとカエデは厨房の奥へと引っ込んでしまう。



 ようやく、いつもの喧騒が厨房の方から聞こえてきた。

 その音を肴にして茶を静かにすする。



(もう、ここにきて随分と経つよなぁ……)



 一颯はぼんやりと、懐古の情へと浸った。


 一颯とカエデ、両者の出会いは双方共に偶然が重なったことによるものだった。

 その日、どんよりとした鉛色の雲に覆われた空模様だった。


 都の治安を維持するのが【新選組】の役目であって、その対象は何も怪異だけではない。同じ人間同士によるいざこざが合った場合でも対処するのも仕事の一環だ。


 人気のない路地裏にて、一人の少女が暴漢に絡まれていた。


 なんでも、ぶつかって骨が折れたから慰謝料を要求していたらしく、少女はすっかりと怯えて満足に声すらも発せない状態だった。


 当然、そのような状況を目撃しておいて見過ごすはずもなく。

 しこたま殴った後本当に骨の二、三本はへし折って病院送りにしたのは、今となっては懐かしい思い出である。


 近藤からは「やりすぎだこの馬鹿者!」と、逆にしこたま怒鳴られたが、一切気にしていない。



 ――あ、あの! 助けてくれてありがとうございました! よ、よかったらウチを食べてください! ……あ、違います今のは違いです!



 と、後に焦りから間違えたと訂正するカエデであるが、内容自体はとんでもないことを口走っている。


 これが他所の男だったならば、と思うとゾッとする時がたまにある。


 カエデは栗毛の馬尾結ポニーテールが良く似合し、何よりも項が艶めかしくて男の性欲を駆り立てるものがある。


 他の男があの場にいなくて本当によかったと、一颯は心底そう思った。


 お礼と称し、御馳走してもらってからの一颯は、すっかりカエデの料理のファンとなった。


 だから食事の大半はここ、【まんぷく亭】で取るようにしている。

 料理の味はもちろん、カエデとの何気ない会話が一颯は大好きだった。


 そうした日々が連なることで、一颯もやがて他の輩と同じようになっていってしまった。



(今日は定休日じゃなかったはず……それなのに、なんの予告もなしに休日にするってことは――)



 やっぱり、嫁ぎにいくことが大きく関与しているのだろう。



「カエデが結婚する……か」



 正直言って、こうなることを予測していなかったわけではない。

 カエデはとにもかくにもよくモテる。


 彼女ほどの女性を妻にしたいと言うのは、一種の男の性のようなものと言っても差して違和感はあるまい。


 一颯も、いつか告白するつもりではいた。

 ただ、今の自分の収入や立場を考慮した結果、ずっと後伸ばしにしていた。


 【新選組】の給与だけでは今後結婚したとして、生活はギリギリになるのは目に見えている。


 そうなると共働きは必須で、しかし妻には苦労を掛けさせたくないと言う願いが根底にある。


 だからこそ、もっと給与のいい職を見つける必要があった。

 ちょうどこの時、一颯は帝の剣術指南役を決める御前試合の存在を知った。

 剣術指南役ともなれば、現在よりもずっと給与は高くなるし、生活も安泰となる。

 それももはや、手遅れになってしまったが。

 一颯はふっと、自嘲気味に笑った。



「――、はい。お待ちどうさま」

「おぉ、相変わらずうまそうだよなぁカエデの木の葉丼!」



 運ばれた料理は、カエデがもっとも得意とし【まんぷく亭】の看板メニューである木の葉丼だ。


 出来立てで、ほかほかとした湯気と共に食欲をそそる香りが、無意識に頬が緩める。



「――、いただきます」

「はい、どうぞ召し上がれ」



 口腔内に広がる味は、相変わらず美味だった。



(そう言えば、久しぶりかもしれないなぁ……)



 【まんぷく亭】は人気な食事処なので、いつも数多くの客であふれている。


 従って、看板娘と二人きりになる時間など、まずどうやっても物理的に不可能だ。


 こうして一颯がカエデと二人きりになれたのは、奇跡と言っても過言ではあるまい。


 そして万が一、この光景を見やれば世の男達は血涙を流して強く一颯を恨むことだろう。


 男の嫉妬ほど、醜いものはなかろう。一颯はふっと、小さく鼻で一笑に伏した。



「――、なぁ……カエデ」

「ん? どうかしたの?」

「……近藤さんに聞いたんだけどさ。お前、嫁ぎにいくってマジなのか?」



 一瞬の静寂の後に、



「……うん。本当だよ」

「……そうか」



 ――もう、さ、近藤さんったらあれだけ自分で言うから秘密にしといてねって言ったのに!



 と、ぷんぷんと浮かべる困り顔は不自然そのものだった。



「嫁ぎに行ったらさ、【まんぷく亭この店】はどうするんだ?」

「……このまま廃業、かな。ちょっと遠くの方に行っちゃうから、お店は続けられそうにないんだ」

「そっかぁ……嫁ぎに行くんだもんなぁ。そりゃ夫婦そろってって言うのも難しい話か」

「ね、ねぇ。いっちゃん?」

「ん? どうした?」

「いっちゃんは、さ……ウチが嫁ぐことって、どう思う?」



 どう、とは。

 質問の意図がまるでわからない。



「そりゃあ、もちろん――ぶっちゃけ羨ましい、かな」



 さらりと告げたこの言葉に、嘘偽りは一切ない。

 【まんぷく亭】の料理と、カエデが好きだからこそずっと通っていた。

 

一颯にとってこの場所とは、数少ない憩いの場である。


 それが失われるのだから、寂しくもあるし、彼女のハートを射止めた顔も知らない夫が羨ましくもある。



(あーでも、【まんぷく亭】がなくなったら俺、次からどこで飯食えばいいんだろ……)



 もうすっかり、虜になっている自分を一颯は自嘲気味に小さく笑った。



「何はともあれ、カエデ――結婚、おめでとうな」



 一人の娘がここに一つの幸せを掴んだ。

 ならば親しい者は彼女の幸福を願って送るのが筋というもの。



「――、うん……ありがとう、ね……いっちゃん」



 何故かカエデの笑みが、一颯の眼には酷く悲しそうに映った。

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