第5話
信二はこの先に待ち受ける数々のイベントを知っていたが、そのことは誰にも言わなかった。『東京魔宮伝説』のことも、二度と口にはしなかった。言ったところで誰も信じないのは分かっていたし、知らない振りをした信二の言葉が招いた結果により、信二を見る竹中たちの目が変わっていったのが心地よかった。
(このゲームが始まる前は、みんな俺のこと馬鹿にしてたのに……)
竹中は信二をゲーム博士と呼んでいたが、結局オタクの言い換えに過ぎなかった。美香は信二が聞いているにも関わらず、信二を「クソ真面目な変態」呼ばわりした。仮にも信二を馬鹿にせず、普通に扱ってくれたのは市橋ゆかりだけだった。それが今では、誰もが信二を尊敬し、一行のリーダーとして扱ってくれる。正直戸惑うこともあったが、信二は次第にこの状況を楽しむようになってきていた。
そんな訳で、最初こそ反対意見もあったが、旅は次第に信二の思う展開になっていった。旅の結果、魔物が魔界から人間界にやってきた原因を突き止めた一行は、壊された封印を元に戻すことになる。しかし魔物を完全に封印するには、一度魔界へ行かねばならなかった。人間界で封印の準備を整える中、徐々に前世の勇者の記憶が蘇る信二と市橋ゆかり。助け合いながら絆を強める二人を目前に竹中は苦悩し、いよいよ魔界へ乗り込むと言うときになって、姿を消してしまう。
魔界での戦いは、凡人である山下と美香に苦戦を強いた。途中で手に入れた魔法の武器やアイテムも、勇者である信二や市橋ゆかりほどの適性がないため、充分な力を引き出すことができなかったのだ。『東京魔宮伝説』は普通のRPGに比べればボスが弱めで、また何度でも出現するため比較的レベルは上げやすかったが、勇者と凡人の基本能力値の差は、レベルが上がるにつれ顕著になっていった。
このまま信二と市橋ゆかりに同行すべきか、山下と美香に迷いが生じ始めたとき、一行は正体不明の仮面の男(実は裏切り者の竹中)に襲われ、前衛に立っていた山下が重傷を負ってしまう。
(やっとこいつらと別れられる……)
そう、信二には分かっていた。これが予定されていたイベントであることを。しかし何も知らない振りをして、信二は回復魔法をかけようとし、そして予定通り山下は信二を止めた。
「この先は、あんなのばっか、出てくるんだろ? 毎回、怪我治してたら、いくら何でも、船井の魔力が、なくなっちまうよ」
「ゆかり、私も一緒に戻るよ」
「美香?」
「だって山下くんが人間界に戻った後、誰かが見つけてくれるまで一人にしとくわけにはいかないでしょ?」
そして途中で手に入れた、帰還魔法アイテムを、信二は二人に渡した。別れ際、
「……俺たちの分まで頑張ってくれよ」
「ゆかり、山下くんの仇とってよね、それと船井くん」
美香が信二に向き直った。
「正直言うとね……旅に出る前は船井くんのこと、こんなに頼りになるとは思ってなかったよ。勉強してる割には成績悪いし、班分けのときでも竹中くん以外の男子には誘ってもらえないみたいだったし……」
「何の取り得もないゲームオタクだったってんだろ? わかってるよ、その通りなんだから」
「ううん、人って悪い状況になると本性が出るって言うじゃない。だから今の船井くんが、私は本当の船井くんなんだと思う。だから船井くんならゆかりを任せても大丈夫だと思うけど」
美香は信二を見据えて、真剣に言った。
「もしもの時はゆかりを守ってよ、じゃないと私が許さないんだからね」
「ああ、分かってる」
信二は頷いた。この先待っている、残酷な試練を知っているのだから、なおさらに。
信二と市橋ゆかりの二人旅になった後、仮面の男は執拗に二人を襲った。仮面の男は剣士でありながら魔法も使い、二人がかりでようやく撃退できるほどに強かった。二人が強くなると仮面の男も強くなり、強さを表すかのように角や翼などが生えていった。仮面の男は強くなるほど魔物に近づくと言う設定なのだ。
「ねぇ信二……あの仮面男、いったい誰なのかな?」
ある夜、市橋ゆかりが言った。正体を知っている信二は思わずドキリとしたが、ここは下手にとぼけて馬脚を現すより、市橋ゆかりが仮面の男の正体に気づいているのか探ることにした。
「誰か心当たりでもあるのか?」
「ううん、全然……だいたい、前にオロチと戦ったときには、あんな奴いなかったよね?」
「ああ」
市橋ゆかりが言っている「前」とは、『東京魔宮伝説』で設定された、二人の前世のことだ。かつて平和だった魔界を、オロチが力と恐怖で支配したとき、抵抗勢力の一員として二人は立ち上がった。敵対した魔物の一部は、前世の記憶と共に「思い出して」いたが、仮面の男に相当する魔物は存在すら知らない、という設定になっている。
「でも向こうは、あたしたちのこと知ってるみたいだし……まだ二人とも思い出せてないだけなのかな」
「かもな」
市橋ゆかりは全く気づいていない。信二は内心、胸を撫で下ろした。
「思い出せたら……信二を狙ってる理由も分かるのかな」
「狙ってる? 俺を?」
「だって……先に魔法使い倒した方が楽なのは分かるけど、なんかゆかりより信二と戦いたがってる気がするのよね。なんとなくだけど」
「俺を狙ってるって言うより、ゆかりと戦うのが嫌なんじゃないか? 敵でも女だったら殴らないって奴いるしさ」
信二はとりあえず口から出任せに答えてみたが、言った後、案外当たってるかもしれないと思った。仮面の男は市橋ゆかりを好きなのだから。
(竹中……)
ゲームの設定とは言え、市橋ゆかりを取られたくない一心で、魔物に心を売った竹中の気持ちも、信二には分からないではなかった。しかし、だからと言って竹中に市橋ゆかりを譲る気は全くない。信二が味わっていた悔しさを、今は竹中が味わう番なのだ。
(お前にゃ悪いが、ゆかりは俺のものだ、俺のものになるんだ……そうなるように進めてるんだからな)
真のラスボス・オロチの本拠地を目前に、遂に仮面の男との最後の戦いが始まった。仮面の男率いる雑魚を信二が魔法で片付ける間に、市橋ゆかりは仮面の男と一騎討ちになる。
一騎討ちは熾烈を極めた。一進一退を繰り返す攻防。信二は雑魚を片付けるためにMPを使い果たしてしまい、最後のMPで市橋ゆかりに防御魔法をかけた後は、戦いをただ見守ることしかできなかった。長い攻防の間に、市橋ゆかりは肩で息をし始めていた。その一瞬の隙を突かれ、市橋ゆかりに仮面の男の剣が迫る。
「!」
迫る剣が、刹那、止まった。しかしその直後、勝負は決した。市橋ゆかりの剣が、仮面の男の胸を貫いたのだ。普通の魔物なら致命傷を負うとすぐに石化し風化するが、仮面の男は石化せず、立ちすくんだ。
「……どうして、剣を止めたの?」
市橋ゆかりが剣を引き抜くと、仮面の男は血を吐きながら
「やっぱ……俺……ゆか……殺せな……や」
呟き倒れた。
「! あっくん……!?」
市橋ゆかりが仮面を無理やり外すと、竹中の素顔が現れた。肌の色は変わり果て皮膚も硬化し髪や眉は薄くなっていたが、不思議なことにひと目で竹中だと分かった。
「あっくん、あっくん!!」
市橋ゆかりは泣きながら竹中をゆすった。しかし返事はない。
「あっくん、返事してあっくん! あっくんってば!」
市橋ゆかりの腕の中で、竹中は、ゆっくり石化し、ゆっくり砕け、ゆっくり風化し、消えていった。残ったのは、市橋ゆかりの手の中にある、一握りの砂だけ。
「あっくん……」
「ゆかり、ここは危ない、逃げるぞ!」
信二は強引に市橋ゆかりの手を引き、最寄の安全地帯――光る石でできた塚(要するにセーブポイント)へ退避した。
それから三日、市橋ゆかりはセーブポイントから動かず過ごした。信二にもMPを回復させるための休息は必要だったが、いつまでも休んでいる訳にはいかなかった。
アイテムも食料も尽きかけているし、夏休みの終わりも近づいている――『東京魔宮伝説』の真エンディングを見る条件のひとつが、「ゲーム内での夏休みの間にゲームをクリアすること」なのだ。真エンディングを見なければ、信二は市橋ゆかりと結ばれない。信二は内心焦り始めていた。
「ゆかり、オロチを倒しに行こう。オロチを倒せば全部終わるからさ」
「終わらないよ……だって、オロチをやっつけても、あっくんは、戻ってこないもの……」
市橋ゆかりの表情は暗い。信二の一言にころころ表情を変えていた、あの市橋ゆかりとは別人のようだった。
「竹中を殺したのはゆかりじゃない……オロチが竹中を魔物にしなきゃ、オロチの誘いに竹中が乗らなきゃ、竹中は死なずに済んだんだ」
「でも、でも……」
「このままオロチが生きてたら、また竹中みたいな奴が現れるかも知れないだろ」
「……そしてまた、ゆかりが殺すんだ……あっくんのときみたいに……」
市橋ゆかりがショックを受けることを信二は知っていたが、正直、ここまで落ち込むのは予想外だった。ゲーム中のイベントでは、主人公が行こうと言えばヒロインはついてきたが、現実の市橋ゆかりは信二が何を言っても動かない。信二はついに市橋ゆかりに宣言した。
「ゆかりが行かないんなら、俺一人でも行ってくるよ。ゆかりはここで待っててくれ」
信二は黙々とラスボス戦の仕度を整え、市橋ゆかりは黙ってそれを見守っていた。
その夜。ラスボス戦に備え、早く床に着きうとうとしていた信二に、久々に市橋ゆかりが自分から声をかけた。
「ね、信二……起きてる?」
「ん?」
「絶対……生きて帰ってきて。信二まで死んじゃったら、ゆかり、もう……」
「大丈夫、俺は死なないよ。なんたって主人公だからな」
「約束して……くれる?」
市橋ゆかりが信二の手を取り、自分の胸に当てた。信二の手首から、やわらかな素肌の感触が伝わる。
「……ゆかり?」
思わぬ感触に大きく目を見開く信二。見ると、市橋ゆかりは暗がりの中、一糸まとわぬ姿で信二の横に座っていた。
「絶対、生きて、帰ってくるって……」
市橋ゆかりは、信二が想像していたよりもずっと、やわらかく、あたたかく、心地よかった。
翌朝、市橋ゆかりは信二と共に、最後の戦いに赴くことになった。竹中を殺したショックが抜けたわけではなかったが、途中の雑魚相手ならば、今の市橋ゆかりでも充分に倒せるくらい弱い。ラスボスのオロチ相手に全力で戦える自信はなかったが、少しでも信二の消耗を抑え助けたいと言う気持ちでの同行だった。
市橋ゆかりが同行することになり、信二は安堵していた。ラスボスのオロチ戦のイベントを通じて、彼女は戦う気力を取り戻すことになっているからだ。
案の定、市橋ゆかりはいつもに比べて気の抜けた剣捌きで、時間はかかりつつも雑魚を一掃していく。信二はいつでも魔法を使えるよう構えていたが、それでも市橋ゆかりは信二に魔法を使わせる隙を見せなかった。
「信二の魔法は、オロチのためにとっとかなきゃ、ね」
こうして二人は遂に、オロチの居場所に辿り着いた。オロチとは大蛇のことだが、このゲームのオロチは二つの頭を持った巨大な蛇人間の姿をしている。
『待っておったぞ、お前たちが儂を倒せるほどに成長するのを。そうでないと、お前たちを取り込む意味などないのだからな』
オロチは他者の力を取り込み強くなる、魔物の中でも稀有な能力を持っていた。前世でも二人が成長するのを待ち、取り込もうとして失敗した。今度は失敗しないよう、新たな力をつけ万全の体制を整えているはずだ。
「今度だって、負けないわよ!」
オロチを前に気勢を張る市橋ゆかりだったが、
『かも知れぬな……儂を倒すためならば、友すら平気で手にかけるのだからな』
オロチに言われ、途端に気力を失ったのが、信二には手に取るように分かった。オロチが巨大な手を伸ばしてくるが、市橋ゆかりの動きには精彩が無く、避けきれない。巨大な手に掴まれた市橋ゆかりは、精一杯腕を伸ばし叫んだ。
「助けて、信二!」
(……今だ! 光の鞭!)
信二がいつもどおり、杖先のボタンを押しコンボ魔法を起動する。そして杖の先に炎が点いた瞬間、信二の全身から血の気が引いた。
(光の鞭じゃない!?)
信二が動揺する間にも、点った炎はみるみる膨らんだ。
(!)
ボタン押し順を頭の中で確認した瞬間、信二は悟った。途中、ボタンを押す順番が逆だった。これで発動する魔法は、着弾と同時に爆発する火球だった……マズい、ゆかりが巻き込まれる!
「止まれ! 止まれ!! 止まれ!!!」
信二がパニックに陥り杖を振ると、投げられたように火の玉が発射し、一直線に市橋ゆかりを掴むオロチの手に迫った。
「ゆかりぃぃぃぃぃぃ!!!」
叫ぶ信二。直後に火の玉は着弾し、盛大に爆発する。
「うぎゃあああああああああああああああああああああ」
肘から先を失ったオロチが叫んだ。と、爆風で飛んできた肉片が信二の顔に当たった。
「!」
地面に落ちたそれは、市橋ゆかりの左手だった。
「……うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
信二は狂ったように、杖先のボタンを押した。光の鞭が飛び、オロチの腕を切り裂く。二本目の光の鞭が、オロチの右目を切り裂く。三本目の光の鞭が……
信二はひたすら、光の鞭を飛ばし続けた。オロチに殴られてHPが削られても、オロチに魔法を使われて吹き飛ばされても、飛ばし続けた光の鞭でオロチが肉片の山になっても、MPが尽き光の鞭が出なくなってもなお。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
信二はただ、杖先のボタンを押し続けた。
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