第3話
夏休みが来るのを待つだけの短くて長い授業は、傾き始めた午後の日差しの中、チャイムと共に終了が告げられた。今朝の約束どおり、信二は市橋ゆかり(と竹中、その他大勢)と一緒に、学校の最寄駅に近い繁華街にある、小さな中古ゲームショップへ向かっていた。信二は人の前を歩くのが苦手だったし、幸い一緒に行くことになった連中が場所を知っていたので、信二が団体の最後尾になっていたが。
「でね、横山くんが……」
「どうせゆかが……」
「あっくんひどーい、……」
信二の直前を行く二人は、楽しそうに雑談している。今負けているのは仕方ないが、今日のこれをキッカケに、いつか竹中に代わって市橋ゆかりと歩きたい。あんな風に、とりとめのない話でお互い笑ったり怒ったりしながら、それでも壊れることのない絆を結びたい。
そんなことをずっと考えながら信二は、直前の二人にばかり注意を払っていた。だから背後からそっと近づく気配にも、全く気づいていなかった。
(まずは、竹中より俺の方が頼りになるってところ見せ
どんっ
唐突に背中を押され、信二が訳の分からないまま前のめりになった直後
っがんっ!
信二の後頭部に衝撃と痛みが走った。
「ったぁ……」
信二は後頭部を抑えながら振り返り、息を呑んだ。背後から信二を殴ってきたのは、人間ではなかったのだ。
「ラビスラ!?」
人の背丈の半分ほどで、ウサ耳のような長い触角を持つ、可愛らしいスライム「ラビットスライム」。『東京魔宮伝説』のマスコットにもなっている最弱モンスターで、通常ならばプレイヤーから攻撃されない限り、プレイヤーを襲うことはない。
「なんで……? ゲームのキャラじゃなかったのかよ!?」
「きゃああああああああああああああああああああああ」
市橋ゆかりの叫び声だ。信二は何とか立ち上がり、ラビスラの攻撃を避けながら声の方へ駆け寄った。
「市橋!」
「船井くん、大丈夫!?」
「ん、ちょっとズキズキするけど……竹中は? 他の連中は?」
「みんな逃げちゃった、怪物だーって! どうしよう!?」
(なんだ、竹中の奴、案外ビビりだったんだな)
そう思ったとき不意に、信二は閃いた。この状況、『東京魔宮伝説』のオープニングにそっくりじゃないか? 突然現れたラビスラ、逃げ遅れた主人公とヒロイン。だったら……近くに運命の館があるはずだ!
(あった!)
今まで毎日のようにこの道を通っていたのに、こんな寂れた小さな店があったなんて、全然気づかなかった。でも『東京魔宮伝説』では、運命の館には選ばれし勇者たる主人公とヒロインしか入れないし、運命に目覚めるまでは主人公とヒロインにも見えなかったのだ。
「市橋、こっちだ!」
信二は強引に市橋ゆかりの腕を引っ張った。
「あの店に入れ! 早く!」
「あの店って、そこの『運命の館』って書いてある店!?」
「そうだ、あいつらは俺が食い止めるから!」
市橋ゆかりは頷いて、運命の館へ走っていく。
(やっぱり……市橋にも見えたんだ。俺と市橋が、このリアル『東京魔宮伝説』の主人公とヒロインなんだ)
信二は思わずほくそ笑んだ。『東京魔宮伝説』なら、もう攻略本が必要ないほど繰り返し遊んでいる。まさかこんな事態になるとは思わなかったが、今の信二なら本当に世界を救う勇者になれる。何しろ、この先何が起こり、どうやれば一番良い結果になるのかを、全て知っているのだから。
運命の館で老婆に運命を告げられた二人は、どちらが剣士でどちらが魔術師になるかを選んで外のラビスラと戦うことになった。ゲームの初期設定と操作に慣れるための導入イベントだ。
「ゆかり魔法使ってみたーーーーーーーい!」
「でも市橋、魔法は相手によって、効く奴と効かない奴があるけど、ちゃんと分かるか?」
「えーーーー!?」
「例えば火の魔法は、水のモンスターにはよく効くけど、相手が火のモンスターだと逆に相手を強くしたり、とかさ」
「それって、どうやって見分けるの?」
「そういうのを調べる魔法があるよ。魔法には敵を倒す以外にも、味方の怪我を回復させたり、味方を強くしたり、敵を弱くしたり、いろいろあるんだ。上手く使えば簡単に敵を倒せるけど、使い方が下手だと全く役に立たなかったり、逆に敵を強くしたりするから、何でもいいから適当な魔法をーってわけにはいかないし」
「なんだか難しそう」
「初めてだとそうかもな」
「だったら、そういうのは全部船井くんに任せる! ゆかりは剣士でいいやー」
こうして剣士は市橋ゆかり、魔術師は信二に決まった。それぞれに老婆から、剣と杖を渡される。市橋ゆかりは剣を軽々振り回しながら
「なんだかオモチャっぽいけど、こんなのであの怪物やっつけられるの?」
信二に訊ねた。
「大丈夫大丈夫」
答えながら信二も不安になり、杖に目を落とした。確かに信二の杖も、見た目も質感も木だが玩具のバットくらいに軽く、変な違和感がある。ただ、その杖頭をよく見ると、四個の小さな球が菱形に並んではめ込まれていた。
(これがスキルスフィア?)
『東京魔宮伝説』では、剣技や魔法は「スキルスフィア」で手に入れる。スフィアを四つの操作ボタンにセットすると、押したボタンに応じて剣技や魔法が発動するのだ。スフィアは同時にいくつでも持てるが、一度にセットできるスフィアは最高四種類。戦闘時には、あらかじめセットした四種の剣技や魔法しか使えない。
……と言うのは「ノーマル・モード」の話。「アドバンスド・モード」ならば、スキルに対応したボタンの押し順に応じてコンボが発生する。コンボ・スキルは、もちろんノーマル・スキルより強力だし、ノーマルにないスキルも数多い。また、特定の場面で特定のコンボ・スキルを使えば隠しイベントが出現するため、『東京魔宮伝説』の真エンディングを見るにはコンボ・スキルは欠かせなかった。
信二は無論、どこでどのコンボを使えばイベントが出現するかも、ほぼ完璧に覚えている。『東京魔宮伝説』は、ノーマル・モードでは初心者向きの優しいアクションRPGだが、アドバンスド・モードになるとヤリコミ度が高くなるのだ。
「婆さ……お婆さん、難易度は?」
市橋ゆかりの前なので、見栄を張って言い直しながら信二は訊ねた。
「ノーマル・モードですじゃ」
「アドバンスド・モードにできる?」
「かしこまりました」
「何の話?」
市橋ゆかりが首を傾げた。
「いや、何でも」
「何でもないってことはないでしょ、ゆかりにも教えてーっ」
市橋ゆかりが膨れた。しかしさすがに、今の状況がゲームのストーリーそのものだなんて言えるわけがない。いつどこでどうやってゲームの世界に入り込んだのか、信二にだってさっぱり分からないのだから。
「……このゲー、じゃない、設定、いや、ルール、でもなくて、法則、そう、魔法! 魔法のことをさ、ちょっと聞いてみたんだ」
「なーんだ、だったら最初からそう言えばいいのに」
市橋ゆかりが笑った。うまく誤魔化せたことに、信二もこっそり安堵の溜息をつく。
しかし……この表情豊かな美少女が、自分のちょっとした言葉でころころ表情を変えるのが、信二には意外だったが嬉しかった。いつか誰にも見せたことのない表情を、自分だけに見せてくれるようになるんだろうか? いや、必ずそうなるときが来るはずだ。『東京魔宮伝説』の主人公とヒロインは、最後には結ばれるのだから。
「他に何か聞きたいことはあるかの?」
信二は、老婆に細かな操作方法を訊ねると、市橋ゆかりの剣にもスキルスフィアが付いてるのを確認し言った。
「市橋はとにかく、敵が近づいて来たら適当に剣を振り回せばいいよ」
「適当でいいの?」
市橋ゆかりが不安そうに訊ねる。先ほど信二が殴られたのを見たせいなのだろう。
「ああ、さっきはイキナリ後ろからだったから当てられたけど、あいつら弱いから、ちゃんと見てれば避けられるし、当てようと思えば適当に狙っても当てられると思う」
「? 船井くん、さっきの怪物知ってるの?」
マズい。この状況がゲームそのままだと知られれば、彼女が更に突っ込んでくるのは明白だ。しかし信二は答えを持っていない。ここは何とか誤魔化さなければ。
「……魔法だよ。さっき言ったろ? そういうの分かる魔法があるって」
「へえええええええええ、いつの間に魔法使ってたの!? すごーーーーーーーい、船井くん、本物の魔法使いみたい!」
市橋ゆかりの目がキラキラ輝いた。へへ、と船井は照れ笑いながら
「俺はほら、ゲームとかで慣れてるから。市橋は剣使うの初めてなんだろ? さっきの弱い奴らで練習すればいいよ」
「……さっきの怪物なら、ゆかりでもやっつけられる?」
「ああ、俺たちが倒さなきゃいけない魔王は、あんなのよりずっと強いし、俺たちだって最初っから魔王が倒せるほど強くないから、最初は弱い奴らで練習して、少しずつ強い奴を倒せるようになってくしかないんだ」
「うん、分かった。でも、それだとこの先、いろんな怪物をたくさんやっつけないといけないんでしょ? もし怪物がゆかりより強かったら、どうしよう……」
「大丈夫だよ、もし市橋が危ないときは――」
信二は思わずつばを飲んで、再び口を開いた。
「お、俺が助けるからさ」
「うん! 頼りにしてるね、船井くん」
市橋ゆかりが微笑んだ。
(やった! 言ったぞ、言えたぞ!)
信二は心の中でガッツポーズした。市橋ゆかりを置いて逃げた竹中と、彼女を助けることを約束した自分。その差は誰が見ても歴然としている。
運命の館を出た二人は、早速ラビスラの団体と戦闘に入った。周囲の景色が石を思わせる灰色と化し、動くものの気配は二人とラビスラだけになる。
信二はMPの温存と市橋ゆかりの慣れを兼ねて、ラビスラを彼女一人に任せた。ラビスラ程度なら彼女だけで全滅させられることもあったが、実はこの戦闘の直後に最初のボス戦が待っているのだ。初期キャラ初期装備で倒せるとは言え、苦戦は避けられない。ラビスラごときを相手に、魔法は使いたくなかった。
「……来たわ」
「市橋、今だ!」
やや時間はかかったものの、市橋ゆかりは期待通り、魔法の補助なしにラビスラを全滅させた。「これならあっくんの方がずーっと強いよ」などと笑っていたから、自信が付いたのは確かだろう。ただ、そこで竹中が引き合いに出されるのが、信二には悔しかったが。
(しょうがないさ、今までずっと竹中と一緒だったんだもんな。でもこれからは、俺がずっとそばにいるんだ)
「――くん、船井くんってば」
「え、な、何?」
「これ何? 宝石みたいだけど」
差し出された手のひらには、半透明の青い小さな平らな石が八粒。信二が手にとってよく見ると、表面に数字の「1」が刻まれている。
魔石に違いない、と信二は思った。『東京魔宮伝説』は現代に魔物が紛れ込んだと言う設定なので、モンスターを倒しても金は手に入らない。代わりに得られるのが、この魔石である。各地にある運命の館で、これを使ってアイテムを購入することもできるし、日本円に換金することもできる、いわば魔法や魔物関係でのみ通用する通貨だった。
「魔法専用のお金だよ。これを使えば、いろんな魔法のアイテムが買えるんだ」
「あんな怪物でもお金使うの?」
「いや、奴ら溜め込んでるだけだと思うよ。ほら、カラスとかそうじゃん」
「あーーーーーー、そっか、船井くん頭いいーーーーーー」
ひとしきり感心した後、市橋ゆかりは訊ねた。
「やっぱそういうのも魔法で分かるの?」
「え、ああ、まぁな」
「やっぱ船井くんすごいね、ゆかりだったらたぶん、そんな風に魔法使えなかったと思うし。船井くんに魔法使いやってもらってよかった」
「……安心するのはまだ早いみたいだよ、市橋」
「え?」
驚く市橋ゆかりに、信二は指し示した。空に浮かぶ不気味な人影を。最初のボス戦の前振り、ノーマル・モードのラスボスが、主人公とヒロインに宣戦布告するイベントだ。
『やっと見つけたぞ、我等が宿敵よ』
「こっちはあんたなんかに探される覚えはないわよ!」
『ふむ……記憶を失っておるのか。その方が我等としても都合が良い』
「敵にわざわざヒントをやるほど馬鹿じゃないってか?」
『その通り、そして思い出すことは永久に……ない』
その言葉を合図に、ラビスラの団体様と巨大なラビスラ「ラビスラキング」が出現する。最初のボスだ。
「わ、おっきーーーーーーーーい」
「市橋、あの小さい奴は、大きい奴がいると時間が経つと増えるから、小さい奴の数を減らして残り二~三匹になったところで、大きい奴を攻撃してくれ」
「わかったわ」
市橋ゆかりが頷くと同時に、周囲の景色が再び石のようになり、戦闘モードに入る。
(まずは「ゆかり」に、次は「信二」に防御魔法、キングへの攻撃直前に「ゆかり」に攻撃強化、後は3回コンボ攻撃魔法で、最後にもっかい「ゆかり」に攻撃強化、よし)
信二はゲームでの攻撃パターンを心の中で復唱した。大丈夫、緊張してはいるが攻略法を思い出せる程度には冷静だ。それに、防御魔法と攻撃強化魔法はノーマル魔法、失敗することはない。
(――今だ!)
杖を構え、右手で杖頭のボタンを押すと
Deffence Up
ラビスラに切りつける市橋ゆかりが一瞬光に包まれ、彼女の周囲に薄い光のバリアが出現する。続いて自分にも防御魔法、市橋ゆかりの剣に強化魔法をかける。直後、キングが市橋ゆかりに体当たりし、
「きゃ!」
市橋ゆかりはアスファルトに転がった。
(大丈夫、防御魔法が効いてる)
彼女を覆う薄い光のバリアが、キングの当たった箇所やアスファルトに触れたとき強く光っていたのを、信二は見逃してなかった。派手に転がったが、ダメージはないはずだ。それより今は、彼女が立ち上がるまでの時間を稼がなくては!
(よし!)
信二は四つのボタンを順に押し、キングにコンボ魔法「光の矢」を放った。当たると同時に、光の矢が爆発する。着弾と同時に爆発するのは、コンボならではの魔法攻撃だ。
「市橋!」
信二が振り返ると、市橋ゆかりはちょうど立ち上がったところだった。
「ありがとう船井くん!」
言いながら市橋ゆかりは、すぐに剣を構えキングへ切りかかった。市橋ゆかりがキングから離れるタイミングを見て、信二も二発目の光の矢を放つ。そして再びの市橋ゆかりとキングの攻防を経て、光の矢三発目。直後に二度目の攻撃強化魔法を、市橋ゆかりの剣へ。
「市橋、とどめだ!」
「うん!」
市橋ゆかりは剣を構え、そのままキングへ突撃した。
「はああああああああああああああああああっ!」
巨大なキングの鼻(に相当する位置)に、市橋ゆかりの剣が突き刺さる。途端にキングは、弾力を失って石のように固まった。市橋ゆかりが剣を抜くと、そこから全身にヒビが広がり、パキーンと甲高い音を立てながら砂のように崩れ落ちる。風に吹かれるように砂は消え、後には少し大きな魔石と、少し短めのバットが残った。
「やったああああああ! 勝ったよ、あたしたち勝ったよ船井くん!」
「ああ」
「ねね船井くん、両手をこう挙げて」
「? こうか?」
信二が顔の斜め上に両手を挙げると、市橋ゆかりは両手でハイタッチしてきた。
「やったね、あたしたち!」
「あ、そうだな」
市橋ゆかりの笑顔が目前に迫り、信二は朝にも増して動悸が高まった。
「二人で力を合わせたら、さっきの悪の親玉みたいのもやっつけられるかな?」
「ああ、倒せるよ、絶対」
「よーし、いきなり人を襲わせるなんて、あいつ絶対に許さないんだから! 一緒に頑張ろうね、船井くん」
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