分数バイオリン

 アトリエにお客さんがやってきた。小さな子供を連れたお母さんだ。3歳くらいだろうか。バイオリンをこの子が…これは…楽しい。

「嫌です、先生。この子これでも5歳なんですよ。少し小さめですけど」

「5歳、身長は?10分の1かな、それより大きいバイオリンは持てない気がするんですけど…」

「そうらしいんです。今ちょうど100センチで、レッスンして下さる先生から、バイオリン作っている先生を知っているので相談してみましょうかって紹介していただいたんです」

「ああ、足立先生ですね。知っています。前の工房でよくお会いしました」

 しかし可愛い。この小さな子がバイオリンを持つなんて、漫画みたいな、メルヘンみたいな。

「あ、前に作ったのが有るんですけど試してみますか。先生に見てもらったほうが良いのかなあ」

 それはそれは小さなバイオリン。お嬢さんに持たせてみると信じられない可愛さだった。木彫りのお人形みたいと形容するとしっくりくるだろうか…試作で作り上げたこのバイオリンを実際に使う者が現れようとは。

「あの、このサイズのバイオリンを使える期間って限られるんですよ。気にっていただけたらもちろん、購入していただいても構わないんですけど、レンタルでも、お値段に見合ったセット物でも良いかなと思いますよ」

「レンタル?」

「はい、子供はすぐに大きくなってサイズ上げないといけないんで」

「あ〜あ、そうなんですね」

「一度、これお貸ししますんで、お持ちになって先生と相談されてはいかがですか、新品が良ければ改めて作りますよ」

 子供用のバイオリンの寿命は短かった。このサイズのバイオリンを長く使うことはないので借りるのも良い。記念にしたい時や次に使う子が決まっている時など、購入も有りかなと判断する。

「それにしても可愛かったな。あの子が、あのバイオリンを背負ってレッスンに通うなんて信じられない」

 酒が進む。そんな心境だった。

「この街にバイオリンの制作工房があるなんて感激です。教えて下さる先生探すのもバイオリンは大変だって聞きますよ。家も上の子はピアノなんですけど、たまたまバイオリンも教えて下さる先生で、一人くらいバイオリン習ってもセッションできたり楽しいんじゃないかって、親の勝手なんですけどね」

 そんなことを話していた。音楽って親の感性を遺憾なく発揮するところだよなと思う。気のない親は絶対バイオリンなど習わせない。子供の頃から親しむと大きくなって楽できる素敵な楽器だと思う。

 かく言う奏の演奏は披露するほど上手くない。

 バイオリンに惹かれてただ作ってみたくて趣味で楽器を作っている工房をのぞいた。趣味の工房と言っても材料から工具から一通り揃っている。そこでしばらく遊ばせてもらって、その後、高校の卒業を待ってドイツに向かった。

 クレモナ…バイオリンならクレモナ。それしか考えられない。ストラディバリウスの生まれ故郷、そこで5年修行して日本に帰って、先生を探して弟子入りした。

 すべてが奇跡だ。家の近くに趣味でバイオリンを作っている老人が制作仲間と共同で作業場を持っているなんて日常ではありえない。奏は巡り合せよく自分の好きな仕事にたどり着いた。それをありがたく思っていた。

「もしもし、あ、足立先生ですか、先日はご紹介いただいてありがとうございました」

「あの方が記念になるし一本作ってもらいたと言ってるんだけど…忙しいよね」

「ああ、そう、ありがとうございます。もちろん、大丈夫ですよ。しばらくレンタルで使ってもらって、コツコツ作りますよ。それで良ければですけど」

「そうだよね。いい年齢だし早く始めたほうが良いと思う」

「5歳なんて願ってもない年齢ですよね。可愛くてワクワクします」

「よろしくおねがいします」

 おお、楽しみが増えた。10分の1サイズを作れるなんて感激だ。思いががけない仕事が舞い込んで小躍りしたい心境だった。

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