帰ってきたミケ太
それからしばらくしてほとんど忘れた頃、ミケが顔を出した。割と大柄な猫でどっしりとしている。外庭のオリーブからよじ登って囲い伝いに歩き、窓から入って棚を占領した様子だった。
その風貌は、猫初心者の奏がおいそれと気楽に声をかけるのははばかられる存在感だった。当然抱きかかえるなんて暴挙だと思った。
どう対処したら良いのかわからないまま、好きなように居てもらうしかない中で上村に一報を入れた。写メも付けて、上村はその足で駆けつけて嬉々としてミケ太を眺めた。
「あの猫には名前が有るんですか」
と聞くと、
「ミケ太と呼んでいます」
と久しぶりの再会をはたした棚の上のミケ太を愛おしそうに見つめて答えた。
ミケ太か〜ゆったりとした物怖じしない動きがそんな気にさせる。一度座り込んだら半日動かない。お気に入りは窓際の棚の上段。そんな大きな体なのに、足元に並んだノミやヤスリの道具をうまくかわして歩く慎重さに猫らしさを感じた。
奏は少し興奮していた。駆けつけてくれた上村が棚の下に隠した餌入れを洗う手付きを眺めながら、初めて手にしたキャットフードの説明書きに目を通した。
「一応入れて置くって感じで、食べない時は食べないし、まちまちだから、でも、大きいよな〜やっぱり連れて行くって無理なのかな」
ミケ太を改めて眺めて、上村が残念そうにそう言った。
「いたらいたで大丈夫ですよ。なにするわけじゃないし、散歩も行かなくていいですよね」
「散歩か〜したことないね」
つかず離れづの距離。二人で棚の上に陣取るミケ太を眺めながら猫談義をした。この場所で適当にツマミを見繕って一杯やるのが癖になりそうだ。
その後、またミケ太はしばらく姿を隠した。昼が過ぎアトリエに戻ると、例の垣根を渡って窓を伺っていた。声もかけず仕事に戻る。すると、なに食わぬ顔でトンと跳ね上がり棚の上を確保した。
彼はここでは食事をしなかった。不精な奏はそれならそれでと食事の用意をするのをやめた。もっと良いディナーが他の場所で用意されているに違いない。ただゆったりと棚に寝そべって時間を潰し、また音もなく居なくなる。そんな繰り返しが続いていた。
一度雨の日にずぶ濡れになったミケ太が足元で鳴いた。大急ぎで母屋に走りタオルを抱えて戻ると大人しくタオルの上に寝そべって体をクルクルと動かし綺麗に体の水分をタオルに移し毛づくろいをしていた。有り難い。咄嗟に手が出せないこの状況の中で自ら打開してくれる猫の頼もしさに感動する。
ミケ太は来るときと来ないときの差が激しい。毎日来るかと思えば、随分見てないなあ言う日が続いたりする。食事も此処でしないとわかってから用意しなくなった。手間いらずで助かってはいる。
ある日、大家さんが血相を変えて飛んできた。
「奏さん奏さん、見つけましたよ。あの猫たち、この先の小さい橋のたもとに3人のお子さんのいる理容室があるんですがね。そこの家に居ましたよ。なんでも茶トラのジンジャーが子育て中で、皆んな大騒ぎして閉じ込めたらしいですよ」
「え!ホントですか、お父さんはどこの猫なんですか」
「ああ、白黒のサバトラ、仔猫が可愛いってね。5匹生まれたそうですよ」
「見てないのにわかるんですか?サバトラがお父さんって…」
「そりゃああれだ、ミケ太はメスだから、オスのミケはなかなかいない」
「え、ミケ太はメス。そうなんだ。それなのにまとめて一緒に閉じ込められたってことですか。え、待ってください。じゃなんでミケ太なんですか?」
「先生がね。あの風貌でしょ。オスだと思い込んで付けた名前です。でもメスです。大人しく閉じ込められたもんだよ。そこんちの猫じゃなかろうに」
「飼い主を特定するのは難しいんだな。猫好きの人は皆んな自分の猫だと思ってるんでしょうかね。あっちこっちで最近見ないって心配してるんじゃないですか。幸せな猫たちですよ」
「人間はね、そう思うかも知れない。さて、猫はどう思ってるかわかりませんよ」
そう言って大家さんは重い腰を上げて出て行った。ミケ太が素知らぬ顔で毛づくろいしている。
「大変だったんだね。家がいっぱいあって、此処だけじゃないんだ。まあ、冬が来るまでは窓も開けとくんで、好きにしてください」
奏は猫との暮らしをまた少し理解した。仔猫にあってみたい気もするけど、まだ当分先で良いやと思うのだった。
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