転居
持ち込む荷物もなくガランとした居間に、「最近買ったばかりなんだよ」と気に入りの炉付きテーブルを自慢するアウトドア好きの友人から、転居祝にと払い下げられたテーブルと椅子が届いた。
それを組み立て並べてみる。お湯をかけるくらい簡単に寛げる場所が出来上がった。土間続きの上がりに突如として安普請な居間の出現。案外しっくり来ている。と、自分では思う。生活に必要なものだけは払下げでも何でも受け入れる。多少アンバランスな風景。大家さんはどんな顔するかな…そこだけは気になった。
台所にも当然、お下がりが並ぶ。飲めればいいやと置いておくアルマイトのカップ。キャンプに行かないのにフル装備の鍋やかん。持つべきものは気前の良い友人。これらは貰い受けた時から気に入って使っている。ひとり暮らしのジャストなサイズで今までもキャンプ用品とは思わず使ってきた。行く気はないけど、すぐにでも出かけられるほどの充実した装備を棚に並べて暮らしが始まった。
午後、前の住人の陶芸作家と名乗る上村がやってきた。残した土やドレーン機を積むためトラックで来たと爽やかな笑顔で話した。
「猫、来ました?」
「え?」
気にしてるんだ…
「猫、見つかったら連れていきたいと思ってるんだけど、と言っても抱いたことないから自信はないんですよ」
と、笑った。
確かに猫を捕まえる。しかも…三匹。それは簡単に出来るとは思い難い。同じ空間に共存していただけの猫なら触ったことがないのも話としては有りだと思った。
「連れて行くなんて勝手に思っていたけど、相手の気持ちも有ることだし、思い通りに行かないよね。連れて行く段になってそれに気がついたんです」
爽やかな笑顔で猫の気持ちを推し量って自分勝手だと笑った。
「気に入られてると思ってたんですけどね、そうでもなさそうだ」
と、残念な表情。
「三匹いたって聞いてますけど…」
「はい、確かに三匹。茶トラとミケと白黒のサバトラ。皆んな静かです。啼かないし…あ、忙しいのにすみません。こんな話」
「いやあ、引っ越しと言ってもこの程度ですから」
奏はスッカラカンの家の中を指さして現状を訴えた。
「良いですね。リビングがキャンプ仕様で楽しいですよ」
「え?」
確かに好きな人には快適リビング…かも、知れない。この上布団も寝袋だと知ったらたまげるだろうか…
「あの、連絡先聞いてもよかったら、猫、顔だしたらお知らせしますよ」
奏にとってはその方が有り難い。
「あ、そうしてもらおうかな。気にしててもしょうがないよね。じゃここへ」
真新しく刷り上がった名刺を渡された。上村は気さくな良い人だった。寡黙でもなくおしゃべりでもなく、適度に社交的だった。割合で言えば暗い方に傾いた奏を少し明るい方に引き戻してくれる。
これで猫の方針は固まった。出没次第、情報を上村に送る。引っ越した後も責任は上村にあるという有り難い取り決めになった。
片付いたアトリエは窓の下の棚と便利そうなキャビネットだけになった。ここを作業エリアに変えるための計画を立てる。箒を手にして掃除を始めた。
もともとこの作業場が付いていることでここを使わないかと話が来た。六畳一間の小さな部屋から師匠のアトリエに通って仕事をしていた奏は、その生活に不便を感じてはいなかったが、この家が空いたのでどうかと勧められ、訪ねてみたら思ったより使い勝手が良さそうで庭も作業場も気に入った。
大家さんはどっちでも良かったらしい。しばらく放っておいてもいいし、無理に借り手を探さなくても困らない。
「古い地区だから近所も空き家が多いしね。使ってもらえるなら有り難いくらいの気持ちですよ」
と、積極的でもなく売り急ぐようでもなく…
「前の先生も良い人でね。のんびりしてたからそういう人が良い。猫もひょっこり来るかも知れない。この辺猫が多いんですよ。のんびりした猫ですけどね。はは、みんなのんびりしてるんですよ」
猫ありきの生活。それを感じさせる山間の風景…
夜、ビールを抱えて都心から友達がやってきた。物静かな奏を置いてきぼりにして飲む。騒ぐ。当分誰や彼ややって来て賑やかな時間が続く。これじゃあ猫は顔を見せたがらないだろうなと天井のランタンを見上げた。
引っ越しの賑わいも一段落してニセアカシアの下でまどろんでいると、木の間から光の指す庭は温もりが心地良くて、奏のお気に入りの場所になった。目を閉じて仕事の段取りを考える。その中に猫は一匹も出てきやしない。
もはや、ここには帰ってこない。誰も求めていないのだから。先住の上村がこの地を去って奏が引っ越しを決意するまでの数ヶ月。それから決行までの半年。その間この家は空き家だったわけで、自分が切り捨てたんじゃない。と、思いたい。奏はどこか自分のせいのように思われて心苦しかった。
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