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 一気に沸き立った。

 陰陽師は知っている。千年経った今の世界、その職業がとうに無くなっていても、とても有名な職種である。安倍晴明が一番知られているが、確か彼は平安になって随分してから現れたはず。つまり、目の前の国守は、晴明の先輩といったところか。


「陰陽師! 知ってます! いやあすごい、こんなところで出会えるなんて」

「そんなに喜ばれるものではないぞ。天候について調べたり、少々おかしなことがあった時に派遣されたりするだけだ」

「それがすごいんです。ははぁ~、この時代に来た甲斐があったなぁ」

「何!?」


 一気に険しい表情に変わった国守が、清仁の襟元を鷲掴む。「今なんと言った!」


「今……? この時代に来たってところ……?」

「それ!」


 指を差されて顔がのけ反る。しまった。意味の分からない妄言をしたと思われたか。ここを追い出されたら、路頭に迷うほかなくなる。


「すみません、変なことを言って」

「おかしいなことではある……が、不可思議な妖気を纏っているのだから、説明のつかぬ出来事を背負っていると言われた方が納得がいく。さあ、旅人。詳しく説明しなさい。さあ、さあさあ」

「うぅッ」


 距離の詰め方が恐ろしい。一歩後ずさると二歩近づいてくる。清仁は心底後悔しながら、目の前の陰陽師にこれまでの詳細を伝えた。三十分かかった。


「ははぁ、なるほど。実に興味深い。愉快だ。今後の仕事に役立たせてもらおう」

「そうですか……」


 国守は楽しいかもしれないが、清仁にとっては解決策が一切無い崖っぷちの状況なので、まともに会話をする余裕も残されていなかった。早く眠りに落ちて意識を手放したい。


「あと護符は返せ。あやかしが関係していないのならいらん」

「あ、はい」


――くれたんじゃないのか。


「よし、今日はもう遅い。寝るとするか」

「やった!」


 相手から提案されて無邪気に喜ぶ。今日は疲れた。特別な運動をしたわけではないが、精神的にいろいろと攻撃されて脳が気絶する寸前だ。長岡京はどのように寝ていたのだろうか。令和のふかふか布団は無くとも、位の高い陰陽師ならそれなりの寝床が期待出来る。


「ほれ。これで寝るといい」国守が投げてよこす。


「有難う御座います」それを受け取る。固そうな枕だった。


 敷布団と掛布団を期待して待ったが、一向にやってこない。清仁が恐る恐る尋ねる。


「あの~……失礼ですが、布団はどちらに」

「布団? あいにく客人用は無い。枕があるだけいいだろう。服でも敷いて早く寝ろ」

「なるほど~服、うん、服を敷く。オッケーです。寝ます。おやすみなさぁい」


 暖かい時期でよかった。ちょっと、だいぶ痛いけれども。






『おい、未来人みらいびとよ。早う起きろ』


 熟睡していたところ、頭を乱暴に蹴られた。なんという仕打ち。この家には国守しかいないというから、彼が犯人か。はて、寝相が悪くて家具を壊しでもしただろうか。

 緩慢に目を開く。一瞬で眠気が吹き飛んだ。腹の上に見知らぬ男が座っていた。


「国守さんじゃない! 泥棒!?」

『我を盗人とは、未来人は随分常識の無い奴だ』

「み、みらいびとって俺のこと? 国守さん以外には知らないはずなのに」


 それとも、国守が話したのか。そうなると信頼のおける人間ということになるが、初対面の相手の腹に乗ってくる人間がまともとは到底思えない。


『この顔を見て分からぬか』

「わ、分かりません」

『はぁ~~~~~~ッ』


 人生で一番長いため息を吐かれた。会社でも叱咤される以外でこんな仕打ちを受けたことはない。男は清仁の腹の上で立ち上がった。


『我は早良親王さわらしんのうだ!』

「さ、早良親王!」

『左様。跪き、我の足を舐めよ』

「って誰だっけ」

『ふざけるな! 我を知らないなどとんだ愚民。島流しにするぞ!』


 本気で分からない。名前的に身分が高い人間だとは想像がつくが、それまで。早良親王が腹の上で地団太を踏んだ。


「止めて止めて! 痛くないけど……痛くないんだけど!?」


 よく考えなくとも、成人男性が腹の上に座っていた時点で相当の重みを感じるはず。が、全く重みを感じていない。単なる空気だ。清仁は顔を白くさせた。


『生者ではないからな』

「やっぱり……! ひいいいいい国守さんッ国守さぁぁん!」

『呼んでも来ぬ! 役に立たぬ者は死に追いやってやろう!』

『五月蠅い』

『ぐぉぉッ式神風情がぁ……ッ』


 暴れに暴れていたら、突然現れた狐が早良親王を引っかいた。早良親王が苦しみながら消えていく。ようやく胸を撫で下ろ、せなかった。狐がまだいる。しかもかなりの大きさ。というより、これは狐なのだろうか。どう見ても、上半身を起こした清仁より背が高い。


「あれ、さっきしゃべってなかった?」


 早良親王が強烈過ぎて記憶が曖昧だが、確かに言葉を操っていた。背筋が寒くなる。


「今度は狐の幽霊!?」

『五月蠅い』

「ぅおッッ」


 狐に顔面を殴られた。清仁はそのまま意識を手放した。

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