番外編

第71話 リゼリアの結婚前夜


 明日は私とクロードさんの結婚式。


 王太子殿下とレイラ様のお子ももうすぐ一歳だということで、私との結婚を区切りに、クロードさんは正式に公爵の位を賜り、クロード・グラスディル公爵となった。

 そして私は、明日、リゼリア・ラッセンディルから、リゼリア・グラスディルになる。


 1ヶ月から神殿にある自分の部屋を引き払い、ラッセンディル公爵家で結婚の準備をしながら朝は食堂で働いている私。

 今日も朝からいつも通りクララさんと働き、いつも通りクララさんと夕飯を食べ、いつも通りお休みを言って部屋に戻った。

 そのままいつも通りお風呂に入って、眠りにつく。

 そのはずだったのに──。


「……眠れない……!!」

 何かの本で読んだわ。

 学園などで遠足の前の日には眠れなくなる子がいるって……。

 それだわ。きっと。


「まいったわね……。広間にでも行って、何か飲んで寝ようかしら」

 そう思い立った私は、一人部屋を抜け出した。



  ◆◆◆



 薄暗い廊下をまっすぐ進むと、目的の広間からは僅かな明かりが溢れていた。

 誰かいるのかしら?

 まさか泥棒!?


「大丈夫よリゼリア。私にはたくあんという最強の武器があるわ……!!」

 私は【たくあん錬成】をして長く太い一本のたくあんを作り上げると、それを片手にゆっくりと扉へと近づき、中をそっと覗いた。


 ……あれ?

 あの頭……。


「クララさん?」

 思わず扉を開けて声をかけると部屋にいた人物は「あらどうしたの? 眠れない?」とこちらに視線を向けることなく、カップを口につけた。

 いつものツルツル坊主頭だけれど、トレードマークのサングラスも髭もない!!

 かつらを被ったらすぐにでも王弟クラウス殿下に変身できるわね。


「なぁに? 人の顔ジロジロ見て」

 じっとりとした目でこちらに視線を向けるクララさんに、私は苦笑いで「トレードマークがないからつい」と正直にこたえる。

「明日はあんたの結婚式で、クラウスで行かなきゃなんないんだから、前準備よ。ていうか、あんたこそ何でたくあん片手に入って来んのよ? 不審者?」

 不審者を倒そうとして不審者扱いされた!?


「ち、違いますっ!! 明かりがついてたから……泥棒かと」

「まさかそれでやっつけようとしたの!? ぷっ……はははっ!! あんたやっぱ最高!! たくあんを武器にもしちゃう聖女とか……あんたぐらいよ!!」

 目に涙を浮かべながら声をあげて笑うクララさんに、私はぷくっと頬を膨らませて彼の目の前の椅子に座った。


「ロゼティー、あんたも飲む? 落ち着くわよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 私の返事を聞いてにっこりと笑ったクララさんは、慣れた手つきで予備のカップにロゼティーを注いでいく。

 ほんのりと華やかな香りが広がり、匂いを嗅いでいるだけで心がほっこりとしてくる。


「……緊張、してる?」

 ロゼティーを一口口に含んで、ふぅ、と息を吐き出す私を見て、クララさんが様子を伺うように尋ねる。

「……少しだけ。それと、少しの罪悪感が……」

「罪悪感?」


 そう。

 結婚が決まって、私はずっと、嬉しい反面その罪悪感が拭いきれないでいた。


「結婚式って、本当なら父や母も出席して、育ててもらった感謝を伝えたりするんですよね。私は……それができなくて……。それ以前に、自分で両親に見切りをつけてしまったから……」

「リゼ……」


「両親が今、子爵家としてひっそりと暮らしているというのは聞いています。とても苦労しているということも、風の噂で。そう仕向けたのは私で、彼らは今大変な生活をしているのに、私は、自分だけ幸せになろうとしています。そのことに、罪悪感が湧いてしまって……。こんなものを抱えたまま、結婚して良いんでしょうか……」


 彼らが愛していた妹のアメリアは未だ投獄中だ。

 自業自得とはいえ、あまりに薄情なのではないだろうか。

 そう思えてしまうのだ。


「……いいんじゃない?」

 ロゼティーの中をじっと見つめたまま思考を沈めてしまった私に、軽く言葉が飛んだ。

 驚いて視線を上げると、穏やかな表情でクララさんが私を見ていた。

「罪悪感があっても、いいんじゃない? それと一緒に生きていけば」

「一緒に? でも……」

「あんたねぇ、後悔しない、なんて、綺麗事よ? あの時こうしていれば、あぁしていれば、なんて、皆思っちゃうもんよ? 正解なんてどこにもないんだから。問題は、そこからどうするか。そのままズルズルと引きずって歩みを止めてしまうか、振り返りながらもちゃんとまた前を向いて歩き出すか。そんなもんよ、人生」


 ズズっとロゼティーを飲み干して、クララさんは「あー美味しかった」と口元をナプキンで拭う。


「でも、クロードさんに愛想尽かされたら……」

「安心なさい。あいつがあんたに愛想尽かすなんて、絶対ないから」


 何その絶対的な自信。


「考えても見なさい。あんたに恋をして、あの歳になるまで恋人も作らず、見合いも拒否し、伽教育すらも『リゼリア嬢以外の女とそういうことしたくない』とか言って断った男よ? あんたに愛想尽かされることはあっても、尽かすことはないわ!!」


 な、何も言えない……!!

 誠実なのか潔癖なのか……。


「あんた連れて現れた時なんて、ついに暴走して誘拐してきたんじゃないかって内心ヒヤヒヤしたんだから!!」

「それ確か死にかけたジェイドさんにも言われてました」

 いつかやらかすと思われるほどの状態だったのね、クロードさん……。


「でしょ? だから大丈夫よ。ちょっと拗らせすぎてヤンデレ気味だけど、あいつならあんたをずっと一途に思っていてくれる。王家の男はね、良くも悪くも一途なのよ」


 そう言ったクララさんの表情に、少しだけ影が刺したような気がして、私は思わず聞いてしまった。


「クララさんも?」と──。


 聞いた直後のクララさんの表情で、それは聞いてはいけないことなのだと悟流。

 とても驚いた後に覗き見えた、少し苦しげな表情。


「すみません。立ち入ったことを……」

「いいのよ。……そういや私、あんたに話したことなかったわよね、自分のこと。私ね、ここで働く前、結婚したいと思ってた人がいたのよ」

「え……?」


 憂いを帯びた瞳が伏せられ、私はそんないつもと違う彼の様子に息を呑む。


「相手はあの神殿食堂の娘でね。時々お忍びで遊びにいくうちに仲良くなったの。私たちは想いを通わせて、付き合い始めたわ。そして父上と母上に結婚したい人がいると話した翌日のことだった。彼女は突然に亡くなったわ」

「!!」

 亡くなった──。


「馬車の前に飛び出してしまった孤児院の子どもを庇って、自分がはねられたのよ。あの子、まるで自分の妹や弟のように孤児院の子どもたちを大切にしていたから、飛び出した子を見捨ててはおけなかったのよね。それからおじさんもおばさんも、元気をなくしちゃってね、食堂を畳んで田舎に引っ越すことになったの。だからあの店、私がもらっちゃったのよ。あの子以外と結婚なんて考えられないし、元々王位継承権はいらないって言ってたし、ひっそりとあの子の大好きだった場所で生きていきたくて、私はあそこにいるの。ね? 私だって王家の人間らしいでしょ?」


 あっけらかんとした笑顔で私を見るクララさんの双眸そうぼうに、ぎゅっと胸が締め付けられる。

 だからあんなに神殿食堂を……、孤児院の子どもたちを大切にしているんだ。

 そんな理由があったなんて、知らなかった。


「クララさん……」

「私とあんたは血の繋がりなんてないし、何年もずっと一緒にいるってわけじゃないけど、誰よりも近くであんたの頑張りと成長を見てきたつもりよ? あんたと1番一緒にいたのは、クロードじゃない。私だもの。だから自信を持ってあんたの家族は私だって言える。あんたは? 私が家族じゃ、不満?」


「っ……!!」

 そんなわけがない。

 私がここにきてからずっと、私の面倒を見てくれていたのは、他ならないクララさんだもの。

 何もできない、ただ【たくあん錬成】でわけのわからないたくあんなんてものを錬成するしか能がなかった私に、包丁の使い方や火の扱い方、お皿の洗い方……生きる術を教えてくれたのは、クララさんだ。


 そんなクララさんは、間違いなく、私にとって家族だと言える。


「家族、です……。クララさんは、私の、最高の、最愛の家族です……!!」


 暖かい涙が頬を伝う。

 突然に泣き出した私に、困ったように笑ったクララさんは席を立つと、私のそばまでやってきて覆い包むように私を抱きしめた。


「ほら、泣かないの。明日ブッサイクな花嫁になったらどうすんの?」

 そう言ったクララさんの声も、どこか揺れていて、彼も同じなのだと悟った。


「幸せになるのよ? リゼ」

「っ……はいっ……!! これまで育ててくれて……見守ってくれて、ありがとうございました……!!」


 あぁ、言えた。

 私が感謝すべき家族は、ここにいたんだ。

 ずっと、私のそばに。

 心の重りがゆっくりと外されて、軽くなっていく。


「どういたしまして。私の方こそ、家族になってくれて……ありがとう」


 私たちは顔を上げると、お互いの涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て笑った。


 そうして二杯目のロゼティーをカップに注ぐと、私たちは翌日が結婚式であるのもお構いなく、そのまま女子会(?)へと突入するのだった。



「リゼリアの結婚前夜」END

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