第68話 隠し技
定刻である九時になると、皆が集合場所に集まった。更衣室で学校の体育ジャージに着替えた八人は、先ほどから分かれて特訓に励んでいる。
その中で、男子組―サッカー班には、一人浮かれている人物がいた。
「なぁなぁ。前から思ってたんだけどさ、真白のポニーテール、めっちゃ可愛くね」
康太が奏斗の肩を抱いて、楽しそうに話してくる。その視線の先には、円形に並んでバレーのパス練習に励む女子組の姿があった。
「てか、美人な上に運動もできるのな。勝手にインドア系かと思ってたけど、結構アクティブな感じ? なあ、真白って普段どんな感じなの?」
「……さあ」
はっきりしない返答を返す奏斗に、康太はもったいぶるなよ、と少しむくれた顔をする。だが、知らないものは知らないのでしょうがない。奏斗とて、スポーツをしているふゆを見るのは、ほとんど初めてに等しい。
透明感のある銀髪を揺らし、ボールを目で追うふゆ。丁寧なアンダーハンドパスは、とても優しく無駄がない。康太の言う通り、ふゆは運動の筋もいいらしい。
対する小夏は、パスのフォームもぎこちなく、空振りが多かった。どこか親近感を覚えてしまったが、経験者である彩が丁寧に指導を行っているので問題はないだろう。
ただ一つ懸念される点といえば、どことなく上の空な舞の姿があることくらいだった。
―まあ、俺が心配したってしょうがないけど
こぼれそうなため息をとどめたものの、隣でお調子者が色目を向けているので、やはりため息が漏れてしまった。
「康太。それより、俺たちも特訓だろう?」
晴樹が呆れた顔で、康太の肩に手を置く。本来の目的をようやく思い出した彼は、やっと奏斗の肩をホールドしていた手を緩めてくれた。
借りているエリアは体育館の半コート。それをバレー組とサッカー組で分けている。限られた場所での特訓は出来ることが限られるため、サッカー組は奏斗の特訓に絞ることになった。
「慧はサッカーできるんだ?」
「メジャーなスポーツは幼い頃から習っていたからな。大抵の競技は人並みにできると思うぞ」
「へぇ……」
康太と晴樹は運動部なので、運動は大体得意であると予想がつく。しかし、同じ帰宅部である慧もどうやら奏斗とは格が違ったらしい。
―たしかに、体育の時も、それなりに活躍してたっけ……
自分のことに時間を割いてもらうのは気が引けるが、他三人には特訓の必要がないので仕方ないとあきらめた。
パス回しの練習をし、シュートの練習をする。足の使い方や力の入れ具合など、細かなコツを経験者たちに教えてもらうと、奏斗はほん少し上手くなれたような気がした。
「でも、やっぱり教えてもらったことを頭では理解できても、実践するのは難しいね」
「そこは反復練習で身体に覚え込ませるしかないな。せめて今日だけでも、時間いっぱい頑張ろうや。俺も付き合うし、ぜってー上手くなるって!」
康太がガシガシと奏斗の頭を撫でる。頭を揺さぶられながら、奏斗は呆れたように微笑んだ。がさつで適当なところも多いが、康太は不思議な安心感がある。
思わず、このままいけば、例年より少しは活躍できる球技大会になるかもしれない、という淡い期待が浮かんでしまった。
「とはいえ、奏斗は体力ないからな。休み休みやらないと、当日、筋肉痛で動けないはめになるぞ」
「……ごもっとも。っていうか、本番もずっとガチでやってたら、一ゲーム持つかどうか……」
慧に言われて、一気に現実に引き戻される。せっかくコツを教わって技を習得しても、体力が続かなければ、すぐに隙が出る。ドリブル中にボールを奪われることもたやすくなってしまうので、元も子もない。
「まあ、お前には一つ隠し技があるからな。疲れてきたら、それを解放すればいいんじゃないか?」
そう言って、慧は自分の額を指さした。
「ただし、使うのはここぞって時だけだぞ。絶対に慣れさせるわけにはいかない」
「「「……?」」」
奏斗以外の二人もよくわかっていないらしかったので、慧は奏斗の前髪を上げて見せた。すると、二人は自身の胸をぎゅっと抑え、意味が分かったと言わんばかりにグッドサインを出した。
「……意味わからん」
当の本人は最後まで意味が分かっていなかったが、慧の言われた通りに形だけ隠し技を会得したのだった。
それからは、奏斗の反復練習が主だった。康太が個別コーチのような形で奏斗の練習を見守り、慧と晴樹がその補助をする。短めの休憩を何度か挟んでおり、特訓自体は効率の良いものだったが、奏斗は順調にバテていった。
バテバテの奏斗を見兼ねた康太が何度目かの休憩をくれ、四人で体育館の隅に腰を下ろす。上がった息を整えていると、自然とバレー組の様子が目に入った。どうやらあちらは、小夏の特訓に集中しているらしく、彼女のパスのフォームははじめに比べて格段によくなってきている。
初めは遠慮がちだった舞も、今は小夏の技術向上のため積極的なアドバイスを行っているように見える。小夏もそれを真剣に受け止めており、時折楽しそうな笑い声も聞こえてくる。この前までは、考えられなかったような穏やかな景色だった。
そんな光景をどこか遠くに見つめながら、奏斗が水筒を手に取ると、その中身が空になっていることに気づいた。
「俺、自販機で飲み物買ってくるよ。何がいい?」
晴樹が立ち上がって、こちらに問う。相変わらず面倒見のいい奴だと思いながら、奏斗がスポーツドリンクを頼むと、慧が立ち上がって言った。
「俺も行く。奏斗たちは先に練習始めていてくれ」
思いがけない言葉だったが、奏斗には何となくその意図が汲み取れる気がする。心を決めた慧の背を押すように、奏斗は「了解」と簡単な返事をした。
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