第65話 可愛くない奴

 教室の掃除を終え、帰り支度をしていると、奏斗の机の周りに自然と二人の人物が集まってきた。それは無論、今から帰り道を共にする慧と小夏である。


 出席番号が一番早い組に入っている三人は、掃除の班が同じ。時を同じくして掃除を終えた三人が、特に用もなくバラバラで昇降口に向かうのは不自然だということだろう。


「帰るぞ、奏斗。下でふゆも待ってるはずだ」


「うん」


 放課後の教室には、まばらに人が残っている。いつもの移動教室なら、周りの雑踏に紛れることが出来るので、特に声を掛けることもない慧だが、今日は珍しく声を掛けてきた。静かな教室に、慧の声が響く。残っていた何人かが、こちらに熱い視線を向けてきたので、慧の狙いは上手くいったのだろう。全く、抜かりない奴である。


 ―本当は、そんな分かりきったこと、言う必要性を感じないとか思ってそうだけど


 慧の心情が想像でき、少しおかしさを覚えてしまう奏斗だったが、どうやら小夏も同じだったらしく、少し頬が緩んでいた。


 さっと帰り支度を終え、リュックを背負う。いつもなら、特に合図もなしに椅子から立ち上がり、教室を出るのだが、今日は慧の意図に乗っかることにした。


「おまたせ。行こうか」


 少し大きめな声を出す。奏斗の狙いを感じ取ったらしい二人は、一瞬驚いた表情をしながらも、頷いて答えてくれた。


 昇降口に降り、ベンチに座るふゆの元に向かう。彼女は少しぼんやりとしていたようで、奏斗たちが目の前に立つまでこちらには気付かなかった。


「ふゆ? どうかした?」


「いえ。特に何も」


 珍しいふゆの様子に首をかしげる奏斗だったが、本人が何もないというのでこれ以上踏み込むことはしなかった。


 *


 電車通学である小夏とふゆがいるため、四人で帰ることのできる距離は学校から最寄りの駅までの短い距離。ほんの数分で解散になってしまうため、話があるときは、途中にある公園によることが多い。どうやら今回もそのパターンになりそうである。


 今回、話題に上がったのは、今後の四人についてのことだった。こういう時は、何かと契約関係の言い出しっぺである奏斗が仕切りを任せられる。ブランコに腰かけて気づかぬふりをしていた奏斗だったが、慧の無言の圧に押し切られ、その場を仕切り始めた。


「……ええと。合宿も終わったことだし、一旦、今の俺たちの関係について軽く確認していこうか」


 四人が結んでいる契約関係。それは、いわば見せかけの友人関係。互いが個であることを前提としており、基本的には互いに深く干渉することはない。しかし、契約を結ぶにあたる利益を設けるために、互いが合意した時に限り、どんな要望でも受け付けるという約束事が設けられていた。


「慧が初めに出した要望が『邪魔者排除』なわけだけど、これは今後も継続でいいのかな?」


 契約関係を損ねる邪魔者が現れた場合、その人物を速やかに遠ざけるよう協力して動く。だが、この約束事はこれまでに少し厄介な結果をもたらしていた。


「出来れば、この四人の中から邪魔者が出たりはしてほしくないんだけどね」


 そう言って、奏斗はじろり、と慧に視線を向けた。ブランコの支柱にもたれかかって腕を組んでいた彼は少しばかり目を見開く。


「自分で言っておいて、自分がそうなりうるとか、一番厄介だからね」


 両目が長い前髪で覆われている奏斗の表情は見えにくい。見えにくいのだが、何となく今の奏斗はその心情がありありと伝わってきそうなほどに、圧があった。それほどに、奏斗は先週の合宿であった騒動が負担だったのである。


 奏斗の示唆するところを感じ取ったのか、慧が黙って視線を逸らす。珍しく逃げの姿勢を見せた慧に呆れる奏斗だったが、そこに小夏が割って入った。


「まあまあ、そう責めるなって。舞の件はこの要望があったおかげで片付いたようなもんなんだし」


 慧の思惑はどうあれ、トラウマ的存在になっていた舞を見ないふりでごまかしていた小夏が彼女と向き合うきっかけを作ったのは、紛れもなく慧の提案なのである。確かに一理ある気がした。


「……そのことで、私も聞きたいことがあるのですが」


 黙って傍観していたふゆが口を開く。彼女は小夏の後ろで、もう片方のブランコに腰かけている。皆が視線を彼女に集めると、ふゆは少し低いトーンでこう言った。


「矢坂舞は、これからも邪魔者―遠ざける対象としての認識のままでいいでしょうか」


 異論は認めないかのように強い言葉に思えた。それほどに、ふゆの言葉には意思がこもっているような気がして、奏斗は続く言葉に耳を傾けることしかできなかった。


「彼女は賭けに負け、こなっちゃんに近づくことを許されなくなりました。こなっちゃんが本心を打ち明けたこともあって、今の彼女には反省の色も見えている。ですが、それがいつまで続くか分からないのも事実だと思うんです」


 小夏に相当な執着を見せていた舞は、たとえ小夏本人に近づけずとも、いずれ他三人に手出しをしてくるかもしれないとふゆは言った。


 彼女の主張は、根拠に富んでいる。しかし、手放しに賛成だとは言えないような気がして、奏斗はくちごもってしまう。少しの間静かな時が流れていると、慧がつぶやいて言った。


「俺は、要望を出した本人の意思に従いたいと思っている」


「……慧」


「俺は一度間違えた。だが、これからは間違えたくない」


 慧はそう言って、小夏の方に目を向ける。小夏は一瞬、驚いたように小さく目を見開いたが、すぐに呆れたように笑った。


 先ほど奏斗が釘を刺したからか、慧はやけに素直だった。小夏が出した要望のために動かなかった自分を悔いているような慧を見て、小夏はあっけらかんと言った。


「私は正直、今は特別な対策とか、遠ざけるとかはいらないと思ってる」


 思った以上にはっきりとした答えが返ってきて、身構える。奏斗が何か言うよりも先に、ふゆが言った。


「いいんですか。また昔に戻ってしまうかもしれな……」


「戻らないよ」


 冷静な声を断ち切って、小夏が言う。


「私が舞とすれ違った大きな原因は、私が本心をぶつけられなかったことにある。それが出来た今の私は、絶対昔みたいには戻らない」


 真剣な彼女に言葉には、強い意思があった。その強さに圧倒されたのか、ふゆは何か言おうと開いた口を再び閉じた。


「まあ、そうは言っても、もしも私が舞に引っ張られてくじけかけたら、また要望再始動かもしれないけどな」


 そう言って小夏はふにゃりと笑う。そこには少しの恐れも強がりもない。かつて、舞の話を振られた時の小夏とは全く違っている。その様子を見て、ふゆもひとまずは納得したようだった。


 場の空気が少し緩んだところで、奏斗は改めて話をまとめた。


「じゃあ、矢坂は一旦邪魔者枠から外すってことにする?」


「ああ。だが、いつどんな形で厄介ごとに巻き込まれるかはわからない。今のところ、具体的な相手はいないが、邪魔者への警戒は継続ってことでいいんじゃないか?」


 慧の答えに皆が頷く。小夏の答えに従おうというのが、皆の総意であった。要望は出す方にも責任がある。その終わりを示すのも出した本人であるべきということだ。


「とはいえ、仲を良くみせるっていうのはまだまだ必要になるんじゃないか。舞に変な気を起こさせないためにも。な、ふゆ?」


「……え?」


「ふゆは私を心配して、舞のこと考えてくれてたんだろ?」


 その心配は決して見当違いなものではないと言わんばかりに、小夏が微笑む。すると、ふゆは少し意地悪に答えた。


「別にこなっちゃんを心配しているわけではないです」


「……な⁉ 可愛くない奴だな!」


 穏やかな雰囲気が舞い戻る。梅雨時にしては珍しい晴れた夕空の下、暖かな風が吹く。しかし、その後、話し合いが続けられる中、銀髪少女は時折、晴れない雰囲気を漂わせていたのだった。

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