第64話 未練

 その日の放課後、ふゆは昇降口横にあるベンチに座っていた。最近は、こうやって他三人との合流を待つのがお決まりになっている。


 帰り道は、他の人間に四人が一緒にいるところを目撃される絶好のチャンス。つまり、契約関係だと疑われないための策として有効に使える。四人にとっても好都合であるとの判断になりいつのまにか定着したのだった。


 もちろん強制ではなく、面倒な時や都合が悪い時は、集まらなかったりする。暇な時に各々が自由に集まる形だ。


 都合が悪い時は、グループチャットに連絡が入ることになっているが、今日は今のところ入っていない。待っていればいずれ全員が集まることになるだろう。


 今月が掃除当番でないふゆとしては早く帰りたい気持ちもあるのだが、今日は合宿が終わって初めての登校日。聞きたいことはそれなりにあるので、今日は待つことが最適だと判断した。


 スマホで読みかけになっていた電子書籍のページを開く。基本的には紙媒体を愛用しているふゆであるが、汚れる可能性が高い出先ではこの形をとっている。とはいえ、ずっとスマホを見ているのも疲れるので、たまには目先を上げたくなってしまう。


 ふと顔を上げると、隣に最近嫌になるほど関わっている人物が座っていることに気付いた。


 桜色の髪を後ろでふんわり結っている彼女は、つまらなそうな顔でこちらを見つめていた。一度は、見なかったことにしようかと思ったが、むすっとした表情はどうも何か言いたげだった。


「何か用ですか、矢坂さん」


「別にいいでしょ。あんたには、その、近づいたって……」


 尻すぼみなその言葉から、何となく言いたいことは分かる。賭けのペナルティは、小夏に不用意に近づかないこと。そのことを遠回しに伝えているのだろう。


 少し頬を膨らませて、拗ねた子供のように目を伏せている今の彼女はきっと素に近い。周りに人が少ないからこそ、気が抜けているのだろう。普段、クラスのスクールカーストトップに君臨するリーダー格的存在として振舞っている彼女からは想像もつかない。


 小夏欲しさにあがいていた時は、性悪な悪女のようだったが、本来はこんな風に子供っぽい人間なのだろうと、ふゆはどこか他人事のように思った。


「ついに、水上さんにも田川くんにも見捨てられましたか。それで本性を見せられる相手が私しかいなくなったと?」


「そんなんじゃない」


 冷たく問うと、舞はムキになって応えてくる。そして、小さくため息をついてから彼女は言った。


「……私にはもう、やり直すチャンスはないの?」


 予想していなかった言葉に、ふゆは読みかけのページを閉じて、舞の方に顔を向けた。


「私はもう小夏に近づけない。謝りたくても、償いたくても、もう、何も許されない。じゃあ、私は、どうしたらいいの」


 ペナルティを正直に受け入れている様子から、舞はもう小夏に懲りたような気がしていた。しかし、弱々しくも未だ小夏に未練を残す舞を見て、ふゆは思わず意地悪な問いを投げかけた。


「謝れば、やり直せると思っているんですか」


「……え」


「そういうあなたの甘えが、こなっちゃんを苦しめたんじゃないんですか」


 ふゆは決して怒鳴ったりはしない。彼女はただ淡々と問うていたのだが、対する舞は頭に大きな衝撃を与えられたかのように、ひどく顔をゆがめている。


 ふゆはため息まじりに続けて言った。


「あなたは今、本気で自分を改めたいと思っているんですか?」


「そうに決まってるじゃない」


 舞はそう言って、冷淡な目を向けるふゆの腕をつかんだ。


「もちろん、虫のいい話だって分かってる。謝れば済むような話じゃないってことも。それくらい、私は小夏を苦しめてた」


「……なら」


「でも、やっと間違いに気づけたのに、認められたのに、それを改める機会もないなんてやるせないじゃない」


 彼女の瞳には、強い後悔の色が滲んでいる。


 それでも、ふゆは、舞を突き放した。


「賭けを飲んだのはあなたです」


「…………!」


 強い言い分は、まごうことなき事実だった。舞は返す言葉もなく、うつむいてしまう。


 それを見て、ふゆは少し語気を弱めた。


「……それに、たとえあなたが今変われたとしても、こなっちゃんが受け入れてくれた瞬間、元に戻ってしまうと思いますよ」


「そんなこと……」


「彼女の優しさに甘えて、いつの間にか、取るべき距離感を見失う」


 小夏は今、過去を受け入れて、前に進もう、変わろうとしている。だからこそ、ふゆは正直、今の小夏には舞との距離を無理に隔てるようなペナルティは必要ないのかもしれないと思っていた。


 ―でも、こなっちゃんはまだ変化の途中。変わろうとしている人間同士が交わっても、きっと互いに過去に引きずり込まれていく。


「人は同じことを繰り返すまいとして、そう思えば思うほど繰り返すんです。そう簡単に人は変われませんよ」


 そう言ったふゆの表情は、いつもの無表情を超えた冷たく冷え切ったものだった。舞は、言い返そうとして開いた口をぎゅっと閉じ直し、下を向く。


「……そう」


 舞はベンチから立ち上がると、ふゆを振り返ることなく立ち去って行った。その背中から、ふゆはそっと目を逸らした。


「……説教ぶってバカみたい、ですね」

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