第2部
第1章 知らない銀髪少女
第61話 合宿明けの休日
オリエンテーション合宿を乗り越えた翌日の朝。奏斗は自室のベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめていた、はずだった。
「……姉ちゃん、もう帰ろうよ」
手に持っていた買い物袋をガサッと地面に置き、奏斗はしゃがみこんだまま声を絞り出す。そんな情けない弟を見て、呆れたように笑ったのは、奏斗の姉―
「まだ駄目。もう少し頑張って。後でアイス買ってあげるから」
「…………高いやつ」
「はいはい」
半ば姉にあやされる形で、奏斗は痛む脚に鞭を打った。
学校の粋な計らいで、合宿は木曜から金曜にかけて設定されていたため、今日はありがたいことに休日。ならば、どんなにだらけていても誰も文句を言わないはず。……だったのだが、奏斗は現在、姉と共に、母親に頼まれた大量の買い物をこなしているところだった。
近場の小さなショッピングモールで、頼まれた買い物を済ませていく。ただそれだけなのだが、とにかく量が多かった。食料はもちろん、掃除用品や切らしていた日用品諸々も調達リストに含まれている。
普段なら根気で頑張れるかもしれないが、合宿のウォークラリーのせいで見事に筋肉痛を発症してしまった奏斗の脚は、現在悲鳴を上げているところだった。
合宿では実に色々なことがあった。警戒していた
結果、彼は関係追放とはならず、契約続行となった。まさに悪夢の連続。最終的には小夏の活躍で一旦は落ち着いたものの、奏斗としては、できればしばらく思い出したくはない。
買い物に出掛ければ、そんな苦労を思い出す暇もなく、気晴らしになるかと思っていたのだが、予想外にも日ごろの運動不足がたたってしまった。
それでも、姉にご褒美を提示されたので頑張らないわけにはいかない。気合を入れようと両手に持った買い物袋を持ち直す。すると、梨子が何かを思い出したように、はっとなってこちらを見てきた。
「そういえば、奏斗。私があげた帽子どうしたの?」
「……へ?」
梨子が言っているのは、恐らく彼女が合宿のために奏斗にくれたアイボリーのバケットハットのことだろう。だが、あれはわけあって合宿中にふゆの帽子と交換してしまったので、今、奏斗の手元にはない。
今朝方、奏斗が寝ぐせを隠すために何気なく被った帽子は、元はふゆが持っていた黒のキャップである。
新品の帽子をあげたはずなのに、見知らぬ帽子をかぶっている弟を見て、梨子は不思議に思ったのだろう。
「やっぱ新品とはいえ、姉ちゃんのお下がりだし、使いにくかった? 色合い的に可愛すぎたかな?」
「えーと、あれは……」
「使わんなら、私が使うから言ってね。勿体ないし」
そう言われても、もうその帽子は奏斗の手元にはない。どうごまかそうかと思いながら、口ごもる奏斗だったが、その隣で梨子は驚いたように声を上げた。
「あ。あの子が被ってるの同じ感じじゃない?」
梨子の視線を追うようにして、横を向く。すると、美しい銀髪がさらりとなびくのが見えた。
「………!」
「綺麗な子だね。ほんと女優さんみたい」
見覚えのある人物を目撃した奏斗は、慌てて梨子の陰に隠れようとする。困惑する姉を盾にしつつ、もう一度確認すると、やはりそれは他人の空似などではなかった。
「……ふゆじゃん」
紺色のワンピースに白いカーディガンを合わせた人形のような美少女。サイドを編み込んだハーフアップの髪型。あれは間違いなく、同じクラスの『
奏斗とふゆは、契約上の友達関係。学校で、周りの目には『友達』として映らねばならない。だが、その本質は決して本物の『友達』ではない。こういう場で、わざわざ声を掛ける必要がないことは分かっているが、ふゆのことを姉にどう説明すればいいかが分からなかった。
「どうしたの奏斗。あんたそんなに美少女耐性なかったっけ」
「……なんでそうなる」
あらぬ誤解を招いているが、ここで友達だのクラスメイトだの説明すれば、帽子のことも相まって、きっと面倒なことになる。またしても、この場を上手く切り抜ける方法を探っていると、梨子は振り返って奏斗の肩にポンッと手を置いた。
「安心しなって。あの子、多分彼氏持ちだから。あんたには勝ち目ないよ」
「だから別に、そんなんじゃ……、ってなに? 彼氏?」
聞き慣れない単語に、思わず反応を返す。再びふゆの方に視線を移すと、目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
「彼氏くんもかっこいいね。あれは間違いなく女子からモテる」
ふゆの隣には、すらっと背に高い男子が立っていた。赤みがかった茶髪の持ち主で顔立ちは甘く整っている。姉の言う通り、王道な美少年。あれだけ派手な容姿であれば、学校でも目立っていそうなものだが、奏斗は彼に見覚えがなかった。
―他校の生徒……?
それに何より、奏斗が気になったのは、ふゆの表情である。得体のしれない男子に向けるその表情は、今まで奏斗が目にしたことがないくらいに明るかった。満面の笑みを浮かべ、楽しそうに話すふゆ。そんな知らない表情を見て、奏斗の心はほんの少しざわめき立った。
―彼氏いたんだ。じゃあ、友達を作らないのも、下手にトラブルが起こるのを避けてる、とかだったり……?
思わず邪推しかけたが、それはよくないと首を振る。奏斗たちは、契約関係。互いに深く踏み込むことは望まれない。彼女の内情を詮索するのはよくない。
そう思い留まると、奏斗はふいに赤茶の彼と目が合ってしまった。彼は、奏斗の視線に気づいたようで、すぐに余裕そうな笑みを向けてくる。
「………!」
その一見優しく見える笑みには、何となく棘があるような気がした。こちらを邪魔するなと言わんばかりの牽制の目。
それを見て、奏斗はすぐに姉の手を引いた。
「行くよ。姉ちゃん」
「え? ちょっと……、どうしたの?」
戸惑う姉に構うことなく、足早にその場を後にする。一心不乱に足を進めながら、奏斗の脳内は酷く混乱していた。
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