第56話 見えなかった彼の想い②

 慧の話を聞きながら、奏斗は小夏が前に言っていたことを思い出していた。


『掃除の班が一緒だった時があって、その時はたまに話してたな』


―あれはそういうことだったのか


 慧は少し間を置くと、それからのことを話してくれた。 


「掃除で会っても、交わすのは必要最低限の言葉。話を打ち明けることも、聞くこともなく、ただ日々が過ぎていった」


 小夏は、さらに気力を無くしていった。舞のわがままが度を越し始めたのか、それとも慧と話さなくなったからなのか、いずれにせよ、彼女の孤独感が増していく様子を見る度に、慧は居心地の悪さを覚えた。


 いらいらした。どうして、自分を苦しめるような相手と一緒にいるのか。断ち切れば、解放される痛みだと分かっているくせに。

 

 たまったイライラは、慧を突き動かした。小夏が出来ないのなら、俺が断ち切ってしまえばいい、と慧は思った。


 ―あいつの本心を引き出せば、後はこっちのもんだ


 小夏は、決して舞を悪く言うことがなかった。 

 

 ただ、心に幼子を抱えたまま成長した彼女には、何を言って分かってもらえない。気を許しているからこそ、何をやっても許してもらえると思っている。それが舞なのだと分かっているから、小夏は誰も悪とみなせない。負の感情をぶつける先が彼女にはなかった。


「……だから俺は小夏に、敵とみなせるような悪の存在を作ろうと思った」


 敵が現れれば、人は自分を守ろうとして戦う。いわゆる自己防衛本能というものを、慧は利用しようと考えた。


「小夏が本心を吐き出して自分を守る状況を作ろうとしたってこと?」


 奏斗が問うと、慧は静かに頷いた。


「そこで俺は、噂を使おうと考えた」


 誰も小夏を見ていない。小夏を取り巻くのはいつだって噂ばかりで、それは肉体をもたない空気。それでも、その空気は小夏にとって悪であり、間違いなく敵だった。


「噂に肉体を与え、具現化すれば、それは小夏の敵となる」


「……ん? 理論的にはそうかもだけど具体的にどうしたの?」


「噂を立てる者は、直接的に小夏に接触しない。だから、そういう奴らが直接小夏に関わるように仕向けたんだ」


 慧は、まず大輝のような者たちに目を付けた。


「小夏と矢坂の関係を悪く思わない奴は、一見悪には見えない。それでも、彼らはれっきとした小夏の敵なんだ」


 慧の言葉で、奏斗は午前中の小夏の話を思い出す。


 ―『私の気持ちも知らずに仲良しのレッテルを張られても、私は苦しくなるだけだから。それは、私を悪く言う噂と大差ないんだよ』


「……なるほどね」


「彼らだって結局、小夏が見えていない。いつだって彼らが見ているのは、矢坂の方だ」


 慧は、掃除の班にいた別のメンバーに目をむけた。ある日の掃除時間、慧は班員の男子たちの話が盛り上がっているのを見たことがあった。内容は無論、舞をもてはやすもの。


「矢坂ちゃんって、可愛いしいい子だよなぁ。最近さらに活き活きしてるっつーか」

「どうやったら、お近づきになれるんかな」

「いやー無理だろ、俺らみたいなカースト下位は」


 盛り上がる男子二人。近くにいた慧は巻き込まれた。


「な、秋月もそう思うだろ」


 面倒な会話を振られ、ため息をつく。それでも慧はこれを使えると判断した。いつもなら適当に無視するところだが、慧は歩み寄り、声を潜めて言った。


「……いや方法ならある。直接近寄れないなら、その周りとの接点を作ればいい」


 小夏との仲を深めれば、自ずと舞との距離も近づく。そんな説明をしてやると、男子たちは張り切ってそれを実行した。


 二人はそれから、慧の望み通りの働きをした。


「小夏との仲を深めるにしても、彼らは矢坂しかみていない。当然、彼らのは話は矢坂に関する者ばかりだった」


『あんな優しい子とどこで知り合ったの?』『仲がいいなんて羨ましいよ』


「彼らは、小夏をほめたたえている気でいた。それが、小夏にとって逆効果だとも知らずに」


 慧にそそのかされた男子二人は、毎日毎日、掃除の時間に彼女を褒め続けた。小夏の表情はさらに陰っていく。


 すべては慧の狙い通りだった。周りがどんなに小夏たちの仲を肯定していても、実際は良いように扱われているようにしか思えない関係。小夏の心の中にあるのはそれを否定したい思いばかりなのだ。彼女がその想いを吐き出して、自分を守りさえすれば、その事実はいずれ舞に伝わり、関係は破局する。


 狙いはあくまで、関係を解消させること。それはきっと小夏のためになるのだろうが、奏斗は少し引っかかってしまっていた。


「……胸が痛まなかったのか」


 すると、慧はほんの少し顔を歪ませた。


「関係が解消すれば、問題は解決すると思っていたからな」


 しかし、小夏は本心を吐き出すことはなかった。ただ、困ったように微笑むばかりで、その瞳には常に影がさしている。苦悩が増えているだけだった。


 慧は作戦を変えた。


「今度は、より厄介な奴らに手を出したんだ」


「それって、まさか矢坂の周りの……?」

 

 舞の取り巻き。彼女らは、舞を独占したいがために、小夏のことが気に食わなかった。小夏を悪く言う噂をさんざん吐き散らし、まわりからの小夏の印象をひたすらに下げてきた。


 それでも、彼女たちは小夏に対して面と向かった攻撃はしない。だからこそ、小夏は彼女たちにも怒りをぶつけられないでいる。


 慧は、彼女らの憎悪が直接小夏に向かうようそそのかした。


「矢坂がいないところで、彼女たちの間では小夏の悪口が盛んになる。だから、俺はそこにつっかかったんだ」


 部長を務めていた彼女が会議に出ていた放課後、帰ることもせず小夏の悪口で盛り上がっている取り巻き達に慧は声を掛けた。


「そんなに嫌いなら、ひとこと言って来たらどうだ。今なら矢坂もいないし、日向なら玄関で一人待っているんじゃないか?」


 そう言うと、取り巻きの代表格の少女が、きっとこちらを睨んだ。五人ほどいる取り巻きの後ろの方には、黙ったまま不機嫌なまなざしを向ける水上彩もいる。


「はぁ? 秋月くんには関係ないでしょ」


「でっち上げの噂流したって、矢坂は振り向いてくれないぞ」


「でっち上げって何よ。日向さんの性格が悪いのは本当でしょ。舞だってそう言ってたもん」


 顔の横に垂れさがる鬱陶しい触覚を揺らしながら訴える彼女に、慧はいらだちを覚える。一段と低い声で慧は続けた。


「へえ。じゃあ余計に、直接伝えに行った方がいいんじゃないか? その性格、直すべきだってな。その方が噂よりよっぽど矢坂にも利益があるんじゃないか」


「………。あんたに言われなくてもそうするし。みんな、行こ!」


 気性の荒い女子たちが場を後にする。その後ろ姿を見ながら、慧は全てが完了したことを悟った。

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