第55話 見えなかった彼の想い①

 中学時代、慧は今と変わらぬスタンスを保っていた。他人に深く執着しても意味がない。誰かと一緒にいることで得るものなど何もなく、むしろ失っていくものの方が多いように思う。友達なんて不自由な存在を作るつもりは一切なかった。


 それでも、人はだれかと共にいることで幸福を感じることがある。そんな人物と出会えた人間が、他人と一緒にいることを選択するのだろう。そんなことを、まるで他人ごとのように思っていた。


 だからこそ、彼にとって『日向小夏』は特段難解な人間に思えていた。


 仲がいいと評される人間と一緒に居ても、どこか上の空。誰かに仲の良さを褒められていても、傷ついたような顔をする。いつだって苦しそうで、彼女はいつも孤独なように思えた。


 その理由は、彼女を観察していれば、すぐにわかるものだった。


 原因は、小夏の側にいて、仲が良いと評される人物―矢坂舞。人気者の皮をかぶった彼女の正体は、わがままを受け止めてくれるような気の優しい人物に寄生する、ただの幼子だった。


 面倒ごとはすべて小夏におしつけ、異議を申したてられれば、人をほだすような表情を向ける。泣けば欲しいものを手に入れられると理解した幼子が、そのまま成長したような人物。それが彼女の正体だと分かった時、慧の疑問は変化していった。


―どうしてわざわざそんな相手と一緒にいるんだ


 毎日毎日、小夏の浮かない表情が目に入る。それなのに、誰も彼女の気持ちに気づいていない。周囲は小夏と舞の仲の良さに憧れ、嫉妬し、色々な噂が彼女の周りを独り歩きする。


 その原因はきっと、矢坂舞の外面にあるのだと慧は思った。人気者の彼女の隣にいる―皆はその事実しか見えていないのだ。うらやむのはその事実で、見ているはずの小夏自身には誰も目をむけていない。だから、彼女は孤独に見えるのだと、しばしの疑問はすぐ腑に落ちた。


 そうは言っても、慧は彼女に関わるつもりもない。違和感の原因を突き止めたのだから、それ以上は何も考える必要はないと思った。


 そんな時、掃除の班が同じになったことがあった。授業の間は目を向けていなくとも、掃除の時間には嫌でも目に入る。彼女のひどく曇った表情。


 隣に舞がいなくても、彼女は帰り道のことで頭がいっぱいなのだろう、と慧は思っていた。


 そして、とある掃除の日、慧は思わず声を掛けた。


「その表情、やめてくれないか」


「……え?」


「いかにも悲劇のヒロインっていう、その顔。見ているだけで不愉快だ」


 悩んでいる人間に掛ける言葉としては、冷たすぎる言葉だった。それでも慧は自分に素直な人間で、それが悪いとは一ミリも思わない。要するに、目障りだから改めてほしい、という完結なクレームだった。


 しかし、小夏の表情は不機嫌にも、悲壮なものにも変化しない。むしろ、先ほどよりもほんの少し晴れた表情をしていた。


「……私、そんな顔してた?」


 頬に手を当て、こちらを見るその瞳は先ほどよりも透いて見える。慧は一瞬とまどった。


「……ああ。辛い、助けてって顔に書いてある」


「そっか。秋月くんには、バレちゃってたか」


 そう言って小夏は困ったように笑う。その笑みは、思いっきりの笑顔ではない。それでも慧が今まで見てきた彼女の表情の中で一番、心から溢れている感情を映し出しているものに思えた。


 そんな時、慧は思った。


 きっと彼女は今まで誰にも見つけてもらえなかったのだ。見えているはずなのに、本質を見てもらえないでいた。しかし、今この瞬間、彼女は慧に見つけてもらえたのだ。


「その表情でいい。これから、この時間くらいはその顔でいろ」


 そう言うと、小夏は「無茶だな」と言いながらも、先ほど以上の笑みを見せた。


 それから、掃除の時間に慧は小夏の話を聞くようになった。聞くと言ってもほとんど聞き流しているようなものなのだが、こうしていれば小夏の暗い表情を見ないで済む。掃除の時間という面倒な拘束時間をつぶす上でも、実に有効な時間の使い方だと思っていた。


 小夏の話に棘はない。ただ、少し辛かったことを口に出すだけ。愚痴というには可愛らしすぎるほどで、ほとんどが聞いている方を不快にさせないようなたわいもない話だった。


 その中で、慧はだんだんと小夏のことが見えていった。彼女はいわゆる長女であり、下に兄妹が沢山いる。だからこそ、面倒見がよく、何でも頼みに答えてしまう。弟妹のため、いい姉であろうと努めてきた彼女には、嫌なことも自分の好き嫌いで断ってはいけないという考えが、根付いているように思えた。


―生きづらい性格だ。そんなんだから、あんな奴に寄生される


 小夏の話を聞きながら、慧の心には煮え切らない思いが積もっていく。それでも、慧は何かを諭すようなまねはしない。それ以上、小夏に踏み込む必要はない。ずっとそう思っていた。


 しかし、降り積もった想いは溢れてしまった。毎日話を聞いても、次の日には浮かない顔をしている。小夏も自分の負の感情も隠しきれなくなったのか、表情は日に日に暗くなる。そんな毎日に慧は嫌気がさしてしまった。


 そして、とある掃除時間。今日あった辛かったことを何となく口にした小夏に、慧は珍しく感情的な返事をしてしまった。


「嫌なら断れよ。NOと言えば、お前自身は守られるんだ」


「……そう、だよね」


 思わず声を荒げた慧に一瞬、他の掃除メンバーの視線が集まる。小夏はびっくりしたように顔をこわばらせてから、小さくつぶやいた。


 その表情は、慧の嫌いな表情だった。逃げ場を失って、孤独に戻ったようなやるせない彼女の表情に、慧は一段と腹が立ってしまう。


「その関係ごと断ち切れよ」


「……できないよ。何て言っていいかわからない」


「もう一緒にはいられない。それでいいだろ」


「……無理だよ」


「なんでだ。それじゃ、お前はずっと」


「……ごめん」


「俺は別に怒ってるわけじゃ……」


「ごめん」


 小夏はそれ以上、何も言わなかった。慧も何も言い返せなくなる。その日以降、二人はぱったり話さなくなった。

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