第52話 策略

 奏斗が慧に問い詰めている頃、小夏は目の前の人物を睨んでいた。


「田川。お前、どういうつもりだ」


 片側に二段ベッドが二台、反対側には文机が置いてある。他の部屋に比べると、少し小さいその部屋は、救護室代わりに養護教員がおさえている部屋だった。


 小夏はその奥で、両手を後ろで縛られて座り込んでいる。そんな小夏を見下ろすように立っていたのは、ガタイのいいクラスメイトだった。


「日向が、おとなしくここで待っていてくれれば、こんな手荒な真似はしないで済んだんだ。昨日から警告してあっただろう」


 低く威圧的な声。いつものような穏やかさが感じられないその声に、小夏は自身のトラウマ相手を重ねてしまう。それでも、自分を奮い立たせるように首を振った。


 こうなることは想定されていた。小夏は先ほどの昼休憩での出来事を思い起こす。


 スマホの入れ替えに気づいた奏斗は、慧がいない隙に小夏とふゆに相談を持ち掛けていた。話を聞いた小夏の脳裏には、すぐにとある人物の顔が浮かぶ。その人物こそ、昨晩脅しをかけてきた―晴樹だった。


 口封じをされていたために、黙っていたものの、そこまできて言わないわけにはいかない。晴樹のことを伝えると、ふゆはすぐに推察を立てた。


「スマホを交換することで出来ることといえば、慧くんを装って、メッセージを送ることくらいですね。これを利用して勝負でイカサマするなら……」


「イカサマ……。なんか慧に似てきたな」


 奏斗がつぶやくと、ふゆは真顔のまま、ギロリとこちらを睨んだ。すみません、と言った奏斗を見て、小夏は苦笑いを浮かべる。


「時間稼ぎ、でしょうか。誰かを誘い出して拘束し、レクリエーションが終わるギリギリまで拘束しておく、とか」


 真剣にそうつぶやくふゆを見て、奏斗と小夏の心の声は、「考えが完全に悪役……」と綺麗にハモっていた。


 それでも、ふゆの考えは道理が通っている。

 全員が揃ってゴールすることが条件。誰かが欠けている限り、ゴールはできずタイムは伸びていくことになる。A組である奏斗たちが最後のF組の時までゴールを伸ばされれば、恐らく大幅なポイントダウンになってしまう。


「拘束って、そんな物騒なことするか?」


「昨晩脅してきたことを考えると、こなっちゃんが狙われる可能性が高いかもしれませんね」


「えー……」


 思い出しながら、ため息をつく。


 そうならないことを願っていたものの、結局、問題を解いている間に、小夏の腕時計は慧からのメッセージを受信することとなった。


 もちろん、策に引っかからないようにすることも考えた。それでも、わざわざ策略にはまったのは、慧の真意を探るためである。


 慧が晴樹と共謀して、何を企んでいるのか。それを知らない限り、今回の勝負で勝ちを収めたとしても、今後の契約関係に支障をきたす可能性がある。それを防ぐためにも、ここで彼の真意を明らかにする必要があると三人は判断したのだ。


 ―頼んだぞ、奏斗


 小夏は呼び出された際に、SOSの通知を出している。恐らく、今この瞬間に、奏斗が慧を問い詰めているはずである。


 ―私は私のやるべきことをする


 今、小夏のすべきことは、出来るだけ早くこの状況を抜け出すことだった。奏斗たちが帰ってくるまでに、小夏がこの場を抜け出せれば、この拘束は意味を持たない。


 養護教諭は外の持ち場に出払っており、しばらくは戻ってこない。早く戻ってきてくれることをただ願っていてはいけない状況。


 小夏が打つ手を考えていると、晴樹は片膝をついて、小夏と目線を揃えてくる。


「日向。お前は矢坂の元に戻るべきだ」


「……まだそれを言うのか」


「お前は矢坂に未練がある。本当は今、彼女と一緒にいる水上たちを羨ましいと思っているんだろう」


 晴樹は視線を外さない。こちらをつかんで離さないその視線から、小夏はふいに目をそらしてしまった。下唇をぎゅっと噛み締めると、まるで自分が敗北しているかのような気持ちになってしまう。


 舞の本性を知ってもなお、上手く関係を築いている彩。昨日、話していた彼女の話口が、『うちの舞がごめん』という風に聞こえていたことを思い出す。そのことを、自分の心がどう捉えていたのかも、小夏は自分で分かっているつもりだった。


「……自分がこうあるべきだったんだろうなとは思ったかもな」


 舞のわがままが、なにも自分だけに向けられるものだとは思っていなかった。彼女は、きっと知らないだけだったのだと、小夏は思っていた。苦しい、しんどい、もう無理だ。そういった感情を小夏は表に出していなかった。それがすべての元凶なんだと。


 自分が彩のように、はっきりと気持ち伝えられていたのなら、ただ甘やかすだけではなく、自分の意見も言えたなら、関係をこじらせることもなかったのかもしれない。楽しかった最初の日々を継続できたのかもしれない。


 そんな気持ちがひとつもない、とは言い切れなかった。


「その見栄っ張りもずっとは続かないさ。まだこのクラスは始まったばっかりだ。これからも矢坂と水上の友情は続く。お前の見たくない景色は近くで広がっているんだぞ」


「…………」


 小夏の脳裏をかけるのは、笑い合う舞と彩。


「過去のことは忘れればいい。矢坂だってそれを望んでるし、彼女はもう一度、日向とやり直すことを望んでる」


 脳内の舞がこちらに手を差し伸べてくる。隣では彩もそれを肯定するように、しっかりと頷いて見せていた。彼女もまた手を指しのべる。


「もう強がらなくていい。この戦いで負けても、日向は何も失ったりしない。むしろ、またやり直すチャンスが得られる。今度は隣に水上もいる。彼女がいれば、中学の時のように一人で抱えることもない」


「……田川」


 晴樹の口調はだんだんと柔らかさを取り戻していく。こちらをゆっくりと引き込むような優しい声。恐る恐る顔を上げ、もう一度晴樹と目を合わせると、彼はぎこちなく微笑んでくる。


 それは、小夏の心を動かした。ふぅ、と細く息を吐いた後、彼女は再び、晴樹と目を合わせる。その瞳には決心の色が浮かんでいた。

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