第45話 判断の時
「中学の頃、矢坂さんと日向さんは仲が良かったんだ。そのことは春永くんも知ってるよね」
「……え。うん、一応」
小夏の話を聞いている身からすると、少しひっかかりがある発言に、奏斗は微妙な反応を返す。
それでも、もともと仲がよかったのは事実だろう。舞が裏の顔を見せるまで、小夏は舞との時間を大切に思っていた。
「小夏を悪く言う噂もたくさんあったって聞いたけどね」
小夏が好き勝手やって舞を困らせているという噂。舞がそれを肯定するような発言をしたのも、小夏が彼女を信じられなくなった要因の一つである。
「そうだね。でも、それは一部の話。矢坂さんに心酔している人達が、嫉妬心から作りだしたうわ言だよ」
どうやら大輝は、小夏の噂を信じてはいなかったらしい。日向さんの人柄からして信じられる話じゃなかったよ、と彼は笑った。
「二人で帰っている姿もよく見かけたし、何より一緒に居る二人は楽しそうだった。特に日向さんと一緒にいる矢坂さんは、他には見せないくらい活き活きとしていたよ。嫉妬を集めてしまうのも無理はないと思ってしまうほどに」
同じ過去の話でも、話し手が違えば雰囲気が全く違う。そう感じてしまうほどに、大輝の話での舞と小夏は、誰もがうらやむような親友の関係だった。
しかし、そんな平和な日々は一転。二人の関係は急展開を迎えることになったという。
「ある日突然、日向さんが学校に来なくなったんだ」
その日の朝。教室は荒れていた。涙をこぼす舞の周りで『あんなひどい奴、忘れた方がいいよ』と励ます取り巻き達。それを見て、ひそひそと会話を交わす男子たち。
クラス内の噂は錯綜していた。小夏が舞に絶交を言い渡した、好き勝手ばかりの小夏に舞が愛想をつかした、舞の過激派による卑劣な噂に小夏が耐えられなくなった、クラスメイト達は各々の立場にあった噂を広めていく。
ただ、舞と小夏の関係が完全に終わったことだけが見て取れる状況だった。
何が真実か分からない、混沌とした教室。それでも、大輝には一つだけ真実を知る手掛かりになりそうな心あたりがあったという。
「俺は前日に、日向さんが秋月くんと一緒に居るのを見たんだ。珍しい組み合わせだったから、気になって様子を窺っていたんだけど……。泣いてたんだ、日向さん」
「小夏が?」
「だから俺、秋月くんに聞いたんだ。昨日何があったのか。日向さんに何かしたのかって。そしたら彼『日向を見ているだけで不愉快だった』って」
「……」
「『でも、俺が直接手を加える必要もないくらい、簡単に壊れたさ』って」
慧の表情は無だった。泣いている舞を見ても、何も思っていないようだったという。ただ『……泣く意味が分からない』とつぶやくだけ。怖くなった大輝はそのまま口を閉ざしてしまったのだった。
「彼はたぶん裏で糸を引いていたんだよ。日向さんのことが気に食わなくて、彼女を見なくて済むように、彼女から大切なものを奪って壊した。矢坂さんとの関係を悪化させて、二人の仲を引き裂いたんだ」
大輝の言葉によって、奏斗の中に新たな慧の人物像が浮かんでくる。
『人に興味のない冷酷男』―それは、他人の存在に興味がないのではなく、自身の行動に伴う他人の感情に興味がないということなのかもしれない。
他者をただの対象として捉え、そこに感情移入することはない。気に食わないものは排除し、自分の求める理想形に近づくよう、陰で手を回して結果を得る。
それが彼の本質だったなら。
奏斗の考えはどんどんと不穏なところに落ちていった。
―矢坂の本性が小夏を苦しめていたというのも全部、慧の狙いだったってこと……?
対人関係にすれ違いはつきもの。普通はそれを意図して起こすことはできない。でも、人並み外れた慧ならばそれができてしまうのかもしれない。矢坂舞の本性は彼に利用されたにすぎないのだとしたら―
全身がかき乱されていくような感覚に襲われる。奏斗は、先ほどのふゆの仮説が腑に落ちなかったわけが少し分かった気がした。
―俺は多分、慧が誰かに肩入れするとは思えなかったんだ。だからこそ、あいつが矢坂の味方につくとは思えなかった。でも、それは小夏や俺たちに対しても同じことなんだよね。
小夏が今も慧と一緒にいるということは、彼女は慧の真意を知らなかった可能性が高い。そして、慧もまた、彼女と一緒にいるということは何かを企んでいるのかもしれない、と大輝は言った。
「もしかすると、今度壊されてしまうのは今の関係―春永くんたち四人の関係かもしれないよ」
大輝の言葉によって、ふいに奏斗の脳裏に昨晩の小夏の発言がよぎる。
―『この四人でいる時間が、一番気楽でいいなって話』
顔を赤らめながら言った彼女を思い出して、奏斗は胸が締め付けられる思いになる。
もしも慧が初めからこの関係を壊すことを目的としていたのなら、今までの不可解な行動もすべて説明できる気がした。
人との関わりを拒む彼女を新たな関係性に引き込んで、それを彼女の中で大きな存在になるように育てていく。その中で因縁の相手を焚き付けておいたなら、契約関係が崩れた時に小夏の行きつく先は決定する。
その時、小夏にあるのは、絶望以外の何があるだろうか。
―慧は初めからそのために動いていたのか
以前、小夏のために動いているのかという問いかけを慧は否定している。あくまで自分のために行動しているのだと彼は言った。その答えが今、きれいに結びついてしまっている気がする。
とはいえ、慧が小夏をそこまで嫌う理由が見えない。過去の話をする小夏に優しく声をかけていた彼の姿は、偽りのものだったとは思えなかった。
結局、奏斗は悶々としてしまう。
「……何で俺に教えたんだ」
彼の言う『真の邪魔者』がもしも自分自身のことを示していたのだとしたら、その存在をわざわざちらつかせた慧は、奏斗に何を求めているのか。
新たに生じた疑問がさらに奏斗を悩ませる。
「春永くん?」
「あ、ごめん。ただのひとりごと」
大輝がまたも心配そうな視線をむける。急に怖がらせるようなことを言ってすまなかった、と彼はぺこぺこと頭を下げた。大丈夫だとなだめていると、背後から面白がっているような低い声がする。
「何やら珍しい組み合わせだな」
「……慧」
「……秋月くん」
―聞かれた……?
噂をすれば影が差す。慧本人の登場だった。
「…………」
「奏斗、早く戻って支度しないと集合に間に合わないぞ」
隣で震える大輝と顔を見合わせて口ごもる奏斗だったが、慧はそんな様子を気にすることなく横を通り過ぎていく。背を向けたまま、「先行くぞー」と言って手を振っていた。
心臓が嫌な鼓動を刻む。たん、たんと慧の足音だけが廊下に響いていく。遠ざかって小さくなっていく慧の姿を見ていると、奏斗はだんだん焦りを感じてきた。
「ごめん、小林。俺先行くね」
「……う、うん」
急いで後を追いかけると、奏斗は慧の腕をつかんだ。振り返った慧の藍色の瞳は、冷たく凍り付いているよう。上がる息と震える心臓を落ち着かせながら、奏斗はまとまらない考えを口にしようとする。
「慧は、その……」
口にすることを恐れているのか、突き刺さる鋭い視線が痛いのか。続く言葉が出てこない。すると、慧が先に口を開いた。
「お前は俺をどう判断する」
「……え?」
思いがけない言葉に、捕まえていた腕を手放してしまう。判断というのは、どう意味の話なのか。彼はどんな答えを求めているのか。
答えに戸惑っていると、館内放送が聞こえてきた。
【生徒の皆さんは、九時三十分までに玄関ホールに集まって下さい。レクリエーション:ウォークラリーを行います】
「決まっていないなら、俺は俺なりに行動するまでだ」
慧はそう言って、また先に歩いて行ってしまった。
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